断章 カゾク

三人Ⅰ

 物心ついた時には、母はもう入院していた。

 一美の日常は、朝父に保育園まで送ってもらい、保育園が終わった後は保育士に近くの病院まで付き添ってもらい、そこで父が迎えに来るまで母と一緒に過ごしていた。

 母は、幼い一美から見ても綺麗な人だった。整った顔立ちに眼鏡をし、色白くほっそりとした身体だった。彼女はいつも一美の頭を撫でながら、いろんな話をしてくれた。囚われのお姫様を王子様が助ける話、英雄が鬼を退治する話、魔術師の話、結婚の話、おしゃれの話、料理の話、それら全ての話が一美にとって新鮮で温かく、大好きだった。そしてそんな話をしてくれる母が、本当に大好きだった。だから、早く病気が治って欲しいと思った。そうすればずっと母といられると思っていた。それを何よりも望んでいたから、一美は毎日鶴を折っていたし、父にせがんで神社を訪れ、毎日お参りして、「ママが元気になりますように」とお願いした。一日でも早く、一緒に過ごせる時が来て欲しかった。

 そんな日は、永遠に来なかった。母との日々は、唐突に失われた。

 ある日、昼頃に父が保育園を訪れた。一美ははたと思いつつ問いかけると、父は赤く腫らした目で、「ママに会いに行こう」と告げた。一美はこんな時間が早く会えると喜び、父はぎこちない笑顔で、そんな彼女の手を引いていた。

 その日病室を訪れると、母は眠っていた。変だと思った。いつも一美が来る時間には必ず起きていた。きっと疲れているんだろうと考えると同時、ぎこちなく父は彼女の頭を撫で、「ママはね、もう起きられないんだ」と告げた。意味が分からずきょとんとする一美に、父は声を震わせて、人はいつか死ぬこと、母の病気が治らないものであったことを説明した。よく分からず、「ママと話したい」と言っても、「もう話せない」と父は答えた。「いやだ」と一美は言った。けれども父は変わらず、「もうできない」と答えた。そうしたやりとりを何度か繰り返した後、父はしびれを切らしたのか、強引に一美の手をとって母に近くまで連れて行き、「ママの手、触ってごらん」と告げた。母の手は冷たかった。いつも温かったのに、何か違うものになったように思えた。一美は「ママ、ぐあいわるいんだよ」と言った。言ったのに、何故だか涙が出来てきた。わけもなく涙が零れだし、そのまま大声で喚きだした。「いやだ、いやだ」と、「会いたい」と、「話したい」と、喪失の痛みに対して、ただ慟哭するしなかった。

 そんな一美を、父は優しく、安心させるように抱きしめ続けていた。


 ・・・


 目を覚ますと、部屋はまだ薄暗かった。六畳の洋室にベッドが一つと、床には布団が一つ敷かれている。右手の感触を頼りに視線を動かすと、父が一美の手を握りしめたままベッドに突っ伏し、眠っていた。母の死で悪夢にうなされるようになった一美を守るように、父はいつも手を握ってくれている。


(パパもつらいのに・・・・・・)


 ゆっくりと身体を起こし、空いていた左手で優しく父の頭を撫でる。一美には、それしか出来ることがなかった。

 母、優美ゆうみが亡くなった後の手続きは滞りなく行われた。父は母が亡くなって以来、誰にも涙や弱みを見せることなく、誰に対しても明るく振る舞っていた。だから最初は、誤解した。母の死に何も感じてないのだと思ってしまった。そうして一美は父を一方的に責め立てた。父は、それでも笑顔を浮かべ続けていた。それが理解できず、一美は二、三日間ほど父と口を聞かなくなった。悪夢にうなされるようになったのはその時からだ。夢の中で、一美はずっと暗闇の中にいる。何も見えず、何も聞こえず、じわじわと痛みや苦しさが増していき、なんども「ママ」と叫ぶのに誰も来ない、そんな夢だ。夢から目覚める度に一美は泣き叫び、そして泣くのに疲れていつの間にかまた眠り、また目覚めるという生活を繰り返していた。だから当時は、部屋から出ることもできなかった。それを救ったのは父だった。父は部屋に踏入り、一美が寝ている間、ずっと手を握ってくれるようになった。悪夢は消えなかったが起きたとき、一人でないことが分かって安心できた。同時に、父がどれだけ一美のことを大切にしているか理解でき、以来責めることはできなかった。

 双立都市に引っ越すことを告げられたのは、それから一週間後のことだった。父は包み隠さず、話してくれた。自分が魔術師の扱う武器のエンジニアであったこと、アタラクシアの都市において、エンジニアの仕事は殆ど魔術師にとられていること、そのせいで貯蓄が尽きかけていたこと、母を手術させるお金が高額で、とても払える金額ではなかったこと、それらを告げ、父は謝った。「お母さんを殺したのは僕だ」と言った。一美は首を振った。父が必死にがんばっていることも、一美や母を大事にしていることは痛いくらい分かったから、もうこれ以上父を苦しめたくないと思った。だから双立都市行きにも賛成したし、料理や洗濯、掃除も率先してやるようになった。少しでも力になりたかったから、思いつくことをしようと思った。


(あした・・・・・・)


 父の頭から手を離し、一美は考える。

 母の死からは一ヶ月が経ち、アタラクシアの都市で過ごすのも今夜が最後となった。母と過ごしたこの都市を去るのは寂しいが、父のためにも、我慢するしかない。良い子でいなければらない。

 それに、思ってしまった。

 もし本当に父から職を奪ったのが魔術師ならば、母を殺したのも、父を苦しめているのも魔術師だ。


(わたしが・・・・・・)


 そして、これから向かう双立都市にも魔術師がいると聞いた。だから一美は小さく誓った。今度は奪わせないと、今度こそ守ろうと、絶対に許さないと、心に決めた。


 ・・・


 教室の大きさに反して、生徒の数は少ない。おそらく四十人程度しかいない。しかも、体育館での入学式を思い返すに、学年トータルでそれしかいない。一美の過ごしたアタラクシアの保育園は同じ人数で十クラスほどあったので、文字通り十倍いたことになる。父こと秀隆から話は聞いていたが、人が少なく、寂しいところだ。

 そんなことを思っている内に、男性教師の話が終わった。みんな仲良く過ごそうだとか、夢と希望を持とうだとかの夢物語を語り、「気をつけて帰るんだよ」と言いながら教室を出て行った。その足取りがやたら軽く見え、妙に腹が立った。

 立ち上がって黒の鞄を背負い、一美は周囲を見回す。

 すでにグループになっている人、一美と同様相手が見つからず途方に暮れる人、そのまま帰る人、クラスメイトの動きは十人十色だ。


(でも・・・・・・)


 興味はないと首を振る。

 自分には父がいる。父を守らなければならない。だからこそ、敵である魔術師も、そんな魔術師と仲良くしようとする人間にも、関わる必要はない。そう自分に言い聞かせ、一美は重い足取りで廊下に向かう。

 同時に、目の前を走ってきた女の子とすれ違った。覚えている。浜田芽依だ。入学式の時に騒いで、一人だけ注意されていた。


(あの子・・・・・・)


 思わず足を止め、彼女の姿を追う。一美の髪はセミロングで、芽依の髪はベリーショートだ。もし女子用の制服(黒のブレザーとスカート)を着ていなかったら、間違いなく男だと思っていただろう。そのくらい彼女は明るく、野蛮だった。


「そーたー!」

「芽依・・・・・・」


 芽依が向かった先にいたのは、癖毛の男の子だった。「双太」という名前らしい。そういえば、入学式の時も二人で話していた。どんな繋がりなんだろうと考え、足を止めたまま二人のやりとりを見つめる。


「おわったよー! タイクツタイクツ!」

「そうだな・・・・・・」


 腕をぶんぶん回しながら言う芽依に対し、あきれた顔で返す双太。それだけで、二人の性格が対照的なことが分かる。


「そーた、どーするの?」

「どうするって、クンレンか?」

「うん!」

「かーさんとヤクソクしているから、きょーはだめかな」

「えー! そーたのいけず!」


 そういえば、自分も父と約束をしていた。何故かと聞くと、すごく嬉しそうな表情で「写真をとる」と言っていた。そんなものをとって何の意味があるのか、一美には分からない。どうやらそれは双太も同じようだ。芽依に話すとき、明らかに面倒くさそうな顔をしていたから、あまり乗り気ではないらしい。そう思うと少しだけ興味が沸き、知らず知らずの内に口を開こうとする。


(いけない・・・・・・)


 話したいと思った感情を、強引に押しとどめる。双太も芽依も、「訓練」と言っていた。この都市の特性を考えれば、それが魔術であることを指し、二人が魔術師であることは間違いない。ならば、この話も聞く必要はない。そう思っているのに、何故だか二人のやりとりを見つめてしまう。その中に、入りたいと思ってしまう。


「いけずって、なんだよ」

「いじわるってこと。やーい、そーたのいじめっ子ー!」

「うるさい・・・・・・」

「こんどはまけないよー」

「セイセキはどれくらいだ?」

「えっとねー、いっしょうきゅうじゅうきゅうはい!」

「いっしょうってあの時か・・・・・・」

「ひゃっぱいするまえに、ボクがにしょうめゲット!」

「ムリだろ。芽依、よわいし」

「こんどのボクはヒトアジ、ううん、ヒャクアジちがうよー」

「いつもいうけど、いつもまけてる」

「うーるーさーいー!」


 何故、見つめてしまうのだろうと思う。下らない、中身のないやりとり。野蛮な魔術師らしい、自分には到底理解できない価値観。それでも見てしまう。何故だかそれを眩しく、温かく、羨ましく感じてしまう。あんな風に、話したいなと思う。


「あれ?」


 一美に気づいたのか、芽依が振り向く。目が合った。かと思えばすぐさま距離をつめ、問答無用に一美を右手を掴んで握手した。


「ボク、浜田芽依! キミは?」


 明るく、笑いながら、嬉しそうに芽依が言う。一美は相手を正視できず、かといってその場で拒絶するほどの勇気もなく、顔を背け、躊躇いがちに返した。


「小林、一美です」

「マジュツシ?」


 ぶんぶんと首を振る。一刻も早く手を振りほどきたかったが、怖くて出来ない。相手は魔術師だ。自分の手を握っている感触に違和感はないが、人間ではないのだ。そう考えれば考えるほど背筋が凍り、動けなくなっていく。


「そうなんだー。ね、そーたー。マジュツシじゃないって」

「きいてたよ」


 ため息を吐きながら、双太がコメントする。黒の短パンとブレザー、癖毛の短髪で、自分よりも少し背が低そうだ。


「芽依、手をはなせ」

「え、あ! ホントだ・・・・・・なんかふるえてるー」


 パッと芽依が両手を話すと同時、一美も勢いよく手を背後に隠し、数歩後ずさった。


「ごめんねー」


 頭を掻きながら言う芽依に、一美も何と返して良いか分からず、小さく頭を振るのみだ。


「こわかった?」


 躊躇いがちに頷くと、芽依は途端に不満そうな表情を浮かべた。隣で双太も呆れ顔だが、一美は何故怖くないと思ったのだろうと不審を抱いた。確かに見た目は普通の人間と変わらないが、いきなり手を握ってきた件と言い、自分の凶暴性を自覚していない当たり、危険だ。

 いずれにせよ、この場に止まることは得策でないと考え、


「わ、わたしもパパとヤクソクしてるから・・・・・・!」


 と上ずった声でまくし立て、その場で踵を返す。同時に被さった「またあしたね!」という芽依の言葉には、応答しない。魔術師相手に、そんな義理はないと思った。なのに、少しだけ胸がずきりと痛んだ。

 

 ・・・


「一美、学校はどうだった?」


 夕食の席で、開口一番に秀隆はそう聞いてきた。食卓には味噌汁と焼き魚、ご飯が並べられている。全て一美が用意したものだ。ここ一ヶ月で、簡単な料理は一通り出来るようになってきた。弱冠六歳にしての快挙に、秀隆は当初嬉しそうで、けれども寂しそうな表情を浮かべていたのに、今日に限ってはそういった素振りを一切見せない。


(どうしよう・・・・・・)


 だからこそ、一美は迷った。まさか魔術師に乱暴されたとは言えない。怪我をしたわけではないし、心配をかける。同じように、「つまらなかった」とも言えない。


「た、たのしかったよ、パパ」


 だから一美は無理矢理明るい声で言ったが、秀隆はしょんぼりとした表情を浮かべ、


「そうか。つまらなかったか」


 と、答えた。

 はてと内心首を傾げる。「楽しかった」と言ったのに、何故「つまらなかった」と思っていることが発覚したのだろう。逆に心配をかけてしまったと、冷や汗が背中を伝った


「友だちはできそうか?」

「・・・・・・ううん」


 また嘘をつくと余計に心配をかけると思い、今度は素直に答えた。父は苦笑を浮かべるが、すぐに次の言葉を重ねる。


「クラスの子と、話しはしたか?」

「少しだけ、おはなしした」

「そうか。どんなお話をしたんだ?」

「あいさつと、じこしょーかいだけ」

「女の子か?」

「うん」


 ちょっとだけ、ほっとした表情を見せる秀隆。父親以外を好きになることはないのに不思議だなと思いつつ、一美は次の言葉を紡ぐ。


「マジュツシの子だって」

「どんな子だった?」

「らんぼーだよ。やっぱりヤバンだよ」

「・・・・・・何かされたのか?」

「いきなり手をにぎられたの!」


 答えつつ、自分の声が弾んでいるのを感じていた。だって、秀隆が面白いのだ。大人のくせに、父親のくせに、一美の一言一言に反応して、コロコロと表情を変えている。それを見ていると楽しくなって、嬉しくなってくる。夕食の前まで暗く沈んでいた気持ちが、今ではもう晴れやかだ。

 だから一美は思ってしまう。

 学校に行きたくない、と。叶うのならずっと父といたい、と。そうすればずっと楽しいこと、嬉しいことが続く。今日のように苦しむことも、母が亡くなった時のような気持ちになることもない。父だけがいてくれれば、幸せな毎日がずっと続くのだ。それを、願わずにはいられない。

 だから一美は自らに言い聞かせた。独りぼっちで構わない、と。


 ・・・


 毎週金曜日の三時間目と四時間目は、班での活動になることが告げられた。何でも、早い段階で団体での心構えや行動を学んで欲しいという意味らしい。友だちなんていらないと思っている一美にはただただ苦痛の時間だった。さらに、その一環としてクラスメイトが一人一人立ち上がって順番に自己紹介するが、運の悪いことに一美は真面目だった。聞かなければ良いのに、全員の話をしっかり聞いてしまう。魔術師の話、一般人の話、それぞれの価値観や言葉、それによってクラスが一喜一憂し、様々な感情が振動して、場の空気を様々な形に変えていく。

 その中に一人だけ入れないことが、何故だか辛い。胸がずっとズキズキする。


(かえりたい・・・・・)


 ただただ苦痛だから、一美はそう思ってしまう。。

 入学から三日が経ち、少しずつ勉強も始まった。将来のために必要だと思えば想像したほど苦痛ではない。しかし勉強なら家でも出来るし、学園まで来てすることではない。むしろ家でずっと勉強して父の帰りを待っていたいとさえ思う。ここにさえいなければ、苦しむこともないのだ。


「次、小林一美さん」


 などと考えている間に、一美の番になったらしい。

 渋々と立ち上がると同時、クラスメイトの好奇心に満ちた視線が集まるのを感じる。生まれて初めの経験に身体が強ばり、一美はぎこちない表情を浮かべながら口を開いた。


「小林、一美です・・・・・・えっと」


 正面の立体映像を見れば、自己紹介の手順が①名前、②生まれた場所、③好きな人、④クラスメイトへの一言と書かれている。考えるのは難しかったので、必死に従う。


「アタラクシアから、きました。しょーとーぶからからこのトシです」


 次は好きなものだ。一美はまくし立てるように言葉を紡ぐ。


「好きなヒ、ヒトはっ、パパです!」


 一瞬頬が熱くなるのを感じながら、恥ずかしくはないと自分に言い聞かせる。クラスメイトでは母や兄、父を指しつつも恥ずかしがっている人間がほとんどだったが、何も恥じる必要はない。世界で一番大切な人で、唯一の家族なのだから、好きでいることは当然だと、勢い任せに言い切った。


「それから・・・・・・」


 最後の手順は、クラスメイトへの一言だ。無難に「よろしくお願いします」と言おうとして、咄嗟にそれを止めた。考えてみれば、一美はこのクラスで友だちを作る気も、絆を育むつもりもない。教師やクラスメイトはそんなことなど気にせず、自分に関わってくるだろう。魔術師を認めろと、言ってくるだろう。一美が受け入れたくない現実を押しつけてくるのだ。


(・・・・・・でも)

 ふと、ぎった。これを言ってしまえば、本当に自分は独りぼっちになってしまうかもしれないと、そのことを考えると何故だか怖くなり、足が震えるのを感じる。


「・・・・・・小林さん?」


 しばらく俯いていたせいか、教師が怪訝な表情を浮かべる。慌てて首を振り、迷いを封じ込める。負けるわけにはいかない。父のためにも、ここは退くべきではないと判断した。強くなりたいと思った。


「わたしは、おともだちいらない」


 こわばった声で、一美が言葉を紡いでいく。


「わたしは、マジュツシがキラい。このトシも、だいきらい。だからはなしかけないで。わたしを、ひとりにして」


 言い切り、ため息をつきながら席に座った。

 一美の言葉のせいかクラスにはどんよりとした空気が漂い、先ほどのまでの喧噪は嘘のように静まりかえった。いい気味だと思おうとしたが、何故だか胸がぎゅっとしまり、呼吸ができないほどに苦しい。それをごまかすように上半身全体で机に突っ伏し、目を閉じる。


「次・・・・・・!」


 しばらくしてから慌てて、教師が取り繕うように自己紹介を再開させた。しかし一美のあとのクラスメイトは、皆どこかやりづらそうだった。


 ・・・


「小林さん、ちょっといいかな?」


 授業が終わり、やっと帰れると思ったのは五時間目の終わった午後二時頃。しかし彼女が教室を出るよりも早く、教師が一美に駆け寄り、声をかけてくる。何やら深刻そうだ。


「はい・・・・・・」


 静かに頷き、鞄を机に下ろして教師と向き合う。


「トモダチは、いらないのか」

「いらない」


 躊躇いがちな言葉に対し、当たれば響くようなタイミングで素っ気なく答える。対し、教師はため息をつき、次の問いを重ねる。


「理由を、聞いいてもいいか」

「・・・・・・マジュツシが、キライだから」


 顔を背けつつ、答えた。相手は渋面を浮かべている。自己紹介の後班決めが行われ、一美と同じ班になった四人は偶然にも全員魔術師だった。知らなかったとはいえ、まずいことをしたと思ったのかも知れない。


「みんな、良い子だぞ」


 取り繕うような言葉に対し、首を振る。相手の言葉が理解できない。あんなに野蛮で、危険な力を持っていて、良い人間のはずがないと思った。良い人間であれば、自分から母親を奪わなかったはずだ。


「まずは、話してみたらどうなんだ」


 だからその言葉に対しても、首を振る。入学式の日に芽依と話したことが頭に過ぎる。簡単に人を殺せる力を持っているのに、同じ場所にいることが、同じ空気を吸っていることが、自分なんかより明るい表情を浮かべていることが信じられない。あんなもの人間ではない。触れたくない。


「なあ、小林さん」


 教師がため息を吐き、沈痛な表情を浮かべる。


「ひとりぼっちでも、大丈夫なのか?」

「・・・・・・・・・・・・」


 その言葉にさっと血の気が引き、言葉を返すのも忘れて呆然とした。教師はそれを肯定ととったらしく、少しだけ安心したように表情を緩める。


「それなら――」

「いらないッ!」


 友だちを作ってみないかと言おうとした言葉を遮り、一美はまくし立てる。


「わたし、ひとりぼっちじゃない。ぜんぜんさびしくないッ! パパがいる! ずっといてくれるッ!」


 言いながら胸がズキズキと痛む。目頭も熱くなっていたが、泣くのだけは必死に堪えた。精一杯の虚勢が、嘘が、苦痛だった。寂しいに決まっている。母は死に、もう自分には父しかいない。仕方がないと思う。母を奪ったのは魔術師で、ここは魔術師の都市だ。仇に対して、どうして親愛の情を抱けるのか。何故仲良くなりたいと思うのか。せめてここが普通の人間の都市であれば少しは頑張れたのに、それすら奪われた。だから、頑張りたくないのだ。


「ママいなくても、ともだちなんていなくても、さびしくないもんッ!!」


 血を吐くように、怒鳴りつけるように言葉をぶつけ、一美は肩で息をしながら教師を睨み付ける。


「小林さん、でもな・・・・・・」

「わたしとパパからママを奪ったマジュツシなんて、バケモノだもんッ!」


 尚も反論する教師を叩きつぶすように、痛烈な言葉を返す。流石にこればかりは何と返せば良いか分からず、教師も黙り込んでしまう。


「さよなら・・・・・・」


 冷たく言い、鞄を背負う。そのまま教師の制止も聞かずに教室を駆け出し、廊下へと飛び出す。一分でも一秒でも早く、この場から離れたかった。

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