兆し

 天月家養子受け入れ会議。

 日曜日、数ヶ月ぶりに訪れた天月家のリビングの中央に映し出された文字を見、私服姿の一美は大きくため息をついた。昨夜突然双太そうたから一美かずみに電話があり、「真剣な話があるから親と来てほしい」と言われたのでいつも以上に身だしなみを整えて来れば、意味不明の状況となっていた。


「双太くん、どういうこと?」


 一美は真っ正面に座っている双太を睨みつける。


「怒ってるのか?」

「見て分かんないんだ。バカ」


 大人っぽく見せようと、普段は三つ編みにしている黒髪をストレートで流し、紐でわえた。服装はニットベストに白シャツ、アースカラーのチュールスカートと、今まで一度も着てなかった上に、一美にとっては最大限おしゃれな格好だった。化粧だって少しした。それなのに、双太は無反応だ。腹が立つのも仕方ない。


「ごめんね。一美ちゃん、あとで埋め合わせするから」

「しかし天月さん。どうして私がここに呼ばれたんですか?」


 と未恵に返したのは一美の父、秀隆だ。一美と同じ程度の背丈に眼鏡をかけている。服装はYシャツにジーンズとオーソドックスなものだ。対し、双太はカーゴのズボンに黒のロンTといつもの私服で、未恵はワンピース姿だった。


「うん。それは今から説明します」

「はあ・・・・・・そうですか」


 首を捻る秀隆。まったく予想が出来ないのは一美と同じだろう。対し、予想が出来ているはずの双太は、何故テーブルの上で項垂れていた。


「さてそれでは天月家養子受け入れ会議、始めるよー」

「は、はい」

「分かりました」

「・・・・・・・・・・・・」

「双太ちゃーん、返事は?」

「・・・・・・はい」

「よろしい。ではみなさん、まずこちらの画像をご覧下さい」


 と言い、未恵が右手の携帯電話を映写モードにして画像をテーブルの中央に映し出す。


「女の子? この子を引き取るんですか?」

「らしいな」


 一美の問いには双太が答えた。


「おれも聞いたときはびっくりした。めんどーなことするなって」

「いいの?」

「母さんがやりたいって言ったんだ。おれにとやかく言う筋合いはない」


 一美は未恵に視線を向ける。すると未恵はバツが悪そうに肩を竦め、俯いた。後ろめたさがあるのは理解出来たから、もう言葉にすることはなかった。


「この子も魔術師なの? 双太くん」

「多分な」

「正確には、魔術師だろうという推測かな。一応そのへんの検査は全部アタラクシアでやってくれるみたいなの。ただ一番の問題は、その子が記憶喪失ってことかな」

「記憶喪失ですか。身よりさえいればアタラクシアの然る機関で対処できたんでしょうが」


 秀隆も頷く。アタラクシアには双立都市のようにエレウシスから来た人間を引き取る施設が存在しない。だから里親が見つからなければ双立都市に依頼するしかなくなる。アタラクシアには多数の脱走者が在籍しているが大抵は大人、もしくは大人を含んだ家族が主流で、子ども一人がいきなり預けられたことなど実例がない。


「でも、どうして・・・・・・」

「ほっとけないから」


 一美の質問を遮るように、未恵は満面の笑みで即答した。


「ほっとけないですか、未恵さんらしいですね」


 双太も一美も呆れてはいたが、秀隆の意見に同意だった。どこかで抜けていて、けれども芯が強いのが天月未恵という女性だ。自分で決めた以上、梃子てこでも退かないだろう。


「でね、まず名前を決めたいんだ。どうしようか?」

「ここに小林一家がいていいんですか?」

「いいよ、ヒデさんとも一美ちゃんとも長い付き合いじゃない」

「ありがとうございます。そうですね・・・・・・」


 笑顔で応じ、秀隆は一度「ふむ」と呟いて指南する様子を見せ、


「やはり名前は大事ですね。まず、イメージから入ったらどうでしょうか」

「イメージかぁ。ヒデさんはどんなイメージで名前考えたの?」

「私は亡き妻と話し合って決めたんですが、一人の人間として立派になって、幸せになってほしいなあ思ってまして、長女でしたし、自分というものをしっかりもってほしかったので「一」、あとは人として愛されて、他の人も愛せるような立派な人間になってほしいと考え、「美」を選びましたね」

「へえ-、そうなんだ。良い名前だね、一美ちゃん」

「すごいな、一美」


 と、未惠は満面の笑みで、双太も表情を表情を緩ませて話しかけてくるが、


「わ、わたしなんて、大したことないよ」


 と、一美は苦笑を浮かべながら答えるしかなかった。親の願いのようになれない自分に自己嫌悪を感じたからだ。


「そ、双太くんはどうだったんですか?」


 だから、逃げるように話題を変えた。


「うん。双太ちゃんの名前はね、重ちゃんが徹夜で考えてくれたの。わたしと重ちゃんはね、双太ちゃんが魔術師かどうかなんでどうでもよくて、人としての強さと優しさ、どっちも持つ人間になってほしいなって思って名付けたの」

「すごいね、双太くん」

「あ、ああ・・・・・・・そうだな」


 一美が素直な言葉を口にするも、双太の反応は少し意外なものだった。ぶっきらぼうに返してくるのかと思ったが、頬を赤らめながらも真っ正面から相づちを打ってきた。


「話を戻しますね」


 自然、脱線した流れは秀隆が調整することとなる。


「一人一人、この子にこうなってほしいというイメージを語ってみてはどうでしょうか? それで、おおまかに決めていくと流れで」

「オッケー」


 未恵のゴーサインに、秀隆は頷き、


「一美。どうだ?」


 と、いきなり娘に振ってきた。


「わ、わたし?」


 まさか最初に振られるとは思わず、聞き返してしまった。無情にも、その場の全員が頷きを返し、逃げ道はなくなった。


「えっとー・・・・・・」

 そんなことを言われても、一美は一人っ子だったし、名前を考えたことがなかったから、分からなかった。少しの間必死に考え、


「明るくなって、ほしいかなぁ・・・・・・・」


 と、かろじて絞り出すことが出来た。


「さっすが一美ちゃん、分かってるじゃん」


 満面の未恵を前に、まさか自分の願望だったとは言えるはずがない。


「ヒデさんは?」

「いや、贅沢は良いので、人としての幸せを掴んでほしいと思いますよ」


 動揺して回答した娘とは対照的に、秀隆は上手く躱していた。無難な答え過ぎてずるいと思った。


「わたしと一緒かぁ。うーん、せっかく女の子なんだし、可愛い名前がいいな」


 そうなると、陽や明という字が候補かと一美は思った。どちらも明るいという意にはなるし、組み合わせ次第では女の子らしい可愛い名前になるとも思った。いずれにせよ、あとは双太次第だろう。彼の考え次第で方向性も定まり、自ずと名前も絞れるだろう。

 自然、全員の視線が集中する中、双太はバツの悪そうな表情を浮かべながら一言、呟くように言った。


「・・・・・・メイ」

「え?」


 瞬間、一美は自分を疑った。何か、聞いてはいけないものを聞いたのかと思った。しかし、秀隆も未恵を表情を引き締めており、少なくともそれが幻聴や聞き間違いでなかったことは明白だった。


「メイだよ」


 迷いを振り払うように毅然とした表情を浮かべ、双太は言葉を紡ぐ。


「カタカナ二つでメイだ。命を持って、名前を持って、明るく、前を向いて生きる――全部含みたいからカタカナにした」


「でも・・・・・・!」


 双太に向かって身を乗り出すように一美は立ち上がった。


「どうしてその名前なの? 忘れられないのは分かるよ。わたしだって、ずっと苦しかったよ。でも、双太くんはわたしの何倍も何倍も苦しかったんじゃないの? それなのに、この子と芽依ちゃんを重ねるなんてことして、一番辛いのは双太くんなんだよ!」

「重ねているわけじゃ、ない」


 まくし立てる一美を前に、双太は躊躇いがちに、絞り出すように答えた。


「あいつはもういないって、分かってる。ただ……名前をいろいろと考えたけど、どうしてもそれしか浮かばなかっただけだ」

「でも・・・・・・!」

「どうどうー」


 と、見かねたのか未恵が間の抜けた声でその流れを遮る。


「仕方がないですね。一美、少し双太くんと二人で話し合いなさい」

「え?」


 未恵を援護するような秀隆の言葉に、しかし一番驚いたのは双太だった。


「いや、でも・・・・・・」

「あとでチケット代出すから、映画でも見てきなさい。二人でじっくり話し合って。それで、名前決めましょ?」


 現場が飲み込めていない双太をあやすように未恵が言葉をかける。


「それじゃあ、大人たちは邪魔かなと思うから、これで」

「そうですね。一美、せっかくだし今日は二人で夕食を食べてきなさい。お代はあとから出すから、気にしなくていい」


 好き勝手に言い、二人の大人は立ち去った。

 一美と双太は、しばらく呆然としているしかなかった。


 ・・・


 どちらが言い出したか、どちらが先導したかは覚えていない。お互いの親に言われてしまった以上「行かない」という選択はなく、二人は映画に行った。しかし、何を見たか覚えていない。適当な映画を選択してチケットを購入し、今日の一件についてぐるぐると考えながら見ていたが、内容は殆ど入ってこなかった。

 その後も二人は終始無言のままファミレスに入り、適当なメニューとドリンクバーを頼み、1時間ほど過ごしていた。


「ねえ・・・・・・」


 唐突に、一美が言葉を紡ぐ。


「双太くんはどうしても、メイって名前をつけたいの?」

「一美はどうしても嫌なのか?」

「別に。双太くんがほんとにそうしたいなら、わたしになんか口出す資格ないよ」


 そんな悲しい言葉を、一美は泣きそうな表情で言った。まただと思った。また、一美を苦しませている、不幸にしていると、奥歯をぎりと噛み締める。


「でも、これだけは教えて。ほんとに芽依ちゃんと重ねようしてない?」


「していない」と答えようとしたが、双太は一度そこで言葉を止める。先ほど反射的に答えて失敗した分、今度はもう少し言葉を選んでみようと思った。


「まったく重ねていないと言えば、嘘になる。芽依のこと、忘れられるわけがない」


「でも」と、自分にも言い聞かせるように双太は言葉を紡ぐ。


「おれ、芽依のことすごいバカなやつだと思った。自分勝手で、ほんとにいつもペースを引っかき回してさ。バカみたいなやつだったけど、一緒にいて楽しかった」

「うん。そうだね。楽しかったよね、すごく。戻れたらいいのにな」

「ああ、本当にな」


 かすれて消えてしまいそうな一美の言葉に、双太も精一杯強がって言葉を返した。過ぎてしまった時が戻らないのは分かっている。だが、もし芽依が生きていれば、こんな問題をあっさり解決してくれないと考えてしまった。何より、自分も一美もこんなことにはならなかった。それが悔しくて、悲しかった。


「おれさ、この都市に来たときなんもなかったんだ。大事なもの失って空っぽだったよ。でもあの馬鹿のおかげで、立ち直ることができた」


 一美が俯くが、届くと信じて双太は言葉を紡ぎ続ける。


「あいつも、おれと同じかもしれない。だから、芽依みたいにみんなを明るくできるような、そんなやつになってほしいなと思ったら、それしか思い浮かばなくて――」

「――分かったよ」


 全て言い切る前に、一美が先に言葉を挟み込んだ。


「うん、天月メイ。とっても良い名前だね」


 と、無理に笑顔を形作って言った。声は、もう殆ど嗚咽に近かった。


「かず――」

「ごめんねッ!」


 双太が声をかけるよりも早く、一美は荷物を持って席から立ち上がり、その場から逃げ去ってしまう。


「一美・・・・・・」


 窓を見ると泣きながら走っていく一美の姿が見えたが、彼女をまた泣かしてしまったことがショックで、今の双太に追いかける気力はなかった。


(芽依のように、か)


 コップを持ち上げ、ウーロン茶を一気に飲み干す。


(でも、あいつはもういない。おれは、あいつなしでもやんなきゃなんない)


 当たり前の事実を確認する。確認した上で、双太は必死に考えた。失ってばかりの自分に、たた醜く、弱いだけの自分に何が出来るのかと繰り返し何度も問いを重ねた。


(おれ、一美のこと何回も泣かしてるな。いつも、心配ばっかかけてる)


 きっと、一美が自分が悪いと言うだろう。双太は何も悪くないと言って、自分で全て抱え込んでしまうだろう。けれど、分かっている。一美は双太が戦う限り泣くだろうし、苦しみ続けるだろう。


(だったら、もう本当に魔術師じゃなくなるべきか)


 しかしその選択をした場合、双太は二度と一美を守れなくなるだろう。


(おれが、魔術師である理由)


 その答えだけは明瞭だった。一美や、自分にとって大事な世界を守るためだ。美優を殺す前も、この年に来てからもずっと、失いたくないから戦ってきた。自分の目の前にあるちっぽけな世界だけは守りたいから魔術師でいた。その想いだけは今も失われてはいない。それが双太一美を苦しめているとしても、それだけが彼の縁なのだ。


(――決めるぞ)


 だから双太は、決断した。

 三年前のあの日以来、始めて明確に道を定めた。この先成すべきことは決まり切っていた。

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