自縛Ⅱ

 放課後、双太と一美は花を買うために商店街に足を運び、その途中で桃色のワンピースを着込んだ結衣と合流した。今日は彼女の母西岡陽菜の命日でもあるが、その夫こと店長曰く、後で合流するから、先に連れて行ってほしいとのことだ。


「めいさんって、どんな人だったの?」


 墓地の前、少し長めの階段を三人でゆっくり上がっていると、一美と手を繋ぎながら結衣が聞いてきた。結衣が芽依のお墓参りに来るのは初めてだった。生前に面識もなく、今までの会話でも数えるほどしか名前を出していなかったので、当然の疑問だろう


「すごく明るい人だよ。わたしも双太くんも、すごく助けられたの」


 一美は表面上穏やかに返したが、思わずその明るさがわたしにもあればと思ってしまい、胸がずきりと痛んだ。


「ね、双太くん」


 だから一美は、それをごまかすように少し前を歩く双太に話を振った。


「あんなやつ、ただ騒がしいだけだよ。いつもおれや一美のペースをかき乱して、こっちはいい迷惑だったさ」


 対し、双太はぶっきらぼうに返した。変わらないなと思った。少しだけからかいたくなる。


「結衣ちゃん」

「どうしたの? 一美おねーちゃん」

「あれね、双太くん。恥ずかしがってるだけなの。ほんとは芽依ちゃんいないと、ダメな子だったの」

「え? そうなの? 双太おにーちゃん、だらしないんだ」

「一美・・・・・・・結衣に変なこと吹き込むなよ」

「ほら、図星」

「図星だね」

「・・・・・・っと、うわぁ!」


 と、双太は会話で注意が後ろに向いていたのか、階段を上がりきったところで、姿勢をくずし、転びかけた。


「大丈夫?」

「ほっとけ」


 安否を問う言葉に、双太はばつが悪そうに答える。直後、一美も結衣と一緒に階段を上りきり、その横に並んだ。


「「あ・・・・・・・」」


 同時、二人の声が綺麗に唱和した。

 三段ある小さな墓地の中段、浜田芽依の墓の前に先客が二人いたからだ。


「あ・・・・・・天月くんと一美ちゃんだ。おーい!」


 ふと振り向いた拍子に制服姿の少女、小島佳奈も彼女たちの姿に気づき、手を振った。

 三人はゆっくりと真横の階段を上がり、佳奈と、制服姿の大柄な少年――まもるに歩み寄る。

 墓に目を向けると、既に白、黄、紫といった色の花がお供えされている。種類も一種類ではなさそうだ。


「菊と、アイリス? 守と佳奈が持ってきたのか?」

「いや、僕も佳奈もあまり詳しくないから、菊しか持ってきていない。会ってはないが、アイリスの花は隼人が持ってきたんだろう」

「そうか・・・・・・」


 守の言葉に双太は静かに頷き、笑みを浮かべた。


「あいつらしいな。真っ直ぐというか、執念深いというか」

「それはお前や一美もそうだろう」


 と言い、守は一美が左手に持ったピンク色の花束を指さす。


「スターチス、花言葉は永久不変か」

「詳しいな。調べたのか」

「ああ、ちょっと気になってな。芽依は、今も僕たちの仲間ということか?」

「当たり前だ」


 守の言葉に、双太は毅然と答えた。それは、彼らしくないほど自信に満ちあふれた言葉だった。


「忘れてたまるか。あいつはずっと、おれたちの仲間カゾクだ」

「そうだな」


 守も静かに頷く。

 ずっと忘れない。双太らしいなと一美は思ったが、同時に胸がずきりと痛んだ。


「一美おねーちゃん、だいじょーぶ?」

「・・・・・・うん、大丈夫だよ」


 かろうじて、そう答える。

 一美は双太とは対照的に、芽依のことを忘れたいとさえ思っていた。芽依を嫌っているわけではない。けれど、いっそ忘れてしまえれば楽になれると思っていることを否定できなかった。


「ああ、僕にも変わらないものがある。それはな、双太――」


 そんな一美の心境などつゆ知らず、話は不穏な雰囲気を醸し出していた。


「いや、言うな。知ってるから言うな。もう口に出すな。分かってるから」

「うん。やめて守くん。お願いだから黙ってて。恥ずかしいから、みんな嫌な思いをするから」


 と、佳奈まで会話に割り込むが、守は頭を振り、


「いや、僕からも言わせてくれ。妹への愛は、永久不変だと」


 熱っぽく、語り始めた。


「双太、僕たち魔術師はいつ死ぬか分からない。いつか必ずまた戦う時が来るだろう。戦いから逃げられない以上、どこかで命を落とすかもしれない」


 その戦いが芽依の命を奪った。そして、いつか双太の命を奪うかも知れない。何故戦うのだろうかと一美は考えた。何度も繰り返し、考えた。けれどいつも答えはモヤモヤとして、形になることはなかった。


「でも、僕には守るべき妹がいる。世界中の誰よりも愛している妹がいる。僕は妹を守る」


 守るために生きる、生きるために戦う、それが魔術師にとっては当たり前の日常だったのだろう。しかし、一美はただの人間だった。何故辛いのに戦うのかと思ってしまうし、本当に辛いなら、本当に失いたくないのなら、逃げることも立派な選択肢だと思う。

 だから一美は、


「でも、考えたことあるの?」


 問わずにはいられなかった。


「一美?」

「一美ちゃん?」


 唐突な言葉に、双太と佳奈が驚いた。構わず、一美は続けた。


「川上くんが誰よりも妹さんが好きなのは分かったよ。でも、考えたことないの? 川上くんが妹さんを大切に想っているように、妹さんだって川上くんのことを大切に想っているんじゃないの? 残される気持ちって考えたことないの?」

「ああ、そうだな。僕が戦うことで、僕は想う誰かが苦しんでいるのかもしれない。だからこそ、僕は絶対に死なない。妹と妹のいるこの世界を幸せにしてみせる」


 対し、守は怖じることなく、真っ向から笑みを浮かべ、答えた。双太が佳奈が露骨に嫌そうな表情を浮かべていたが、全く気にしていない。


「・・・・・・ごめんなさい」


 それ以上、一美は言葉を口に出来なかった。出来るはずがなかった。だから謝罪の言葉だけ告げ、皆を先導するように芽依の墓の前で膝を折るしかなかった。


(ごめんね)


 だからこれは、もうどこにいない芽依へと向けた言葉。


(芽依ちゃん……わたしなんかが双太くんの隣にいて、ごめんね)


 誰にも言えない、贖罪の言葉だった。


 ・・・


「孤児の引き取り? 良子ちゃん直々に?」


 時刻は深夜二時。仕事で遅くなって帰ってきたところ、案の定夫の天月しげるはリビングで彼女、天月未恵の帰りを待っていた。晩酌に付き合ってくれるという予想に反し、彼が口にしたのは孤児引き取りについてだった。


「ああ――」


 細長い長身、白髪の交じった黒髪、黒のロンTに青のジーパンを着込んだ重は静かに頷く。


「なんとか我が家に頼みたいということだった」


 未恵は小首を傾げたが、詳しい話を聞かないことには何とも言えないと考え、私服姿のまま正面の椅子に腰掛ける。そのままヘアゴムを外し、普段通り黒髪をセミロングにして後ろに垂らす。そうすることで、少しだけ窮屈さから解放された気がした。


「それで重ちゃん」


 自分の眼鏡に手を一度添え、未恵は改めて切り出す。


「どうして、そういう話になったの?」

「それは説明しただろう。アタラクシアから孤児受け入れの問い合わせがあったらしい。都市長もまずは孤児院に当たってみたらしいが、あそこもいっぱいいっぱいらしい」

「そうだった・・・・・・」


 我ながら抜けているなと未恵は思った。元々孤児院は毎年四月の定期的な孤児の受け入れで精一杯だ。実際四月の定期受け入れは以外は聞いたことがなく、その時期以外は、都市長自ら引き受け先を探していた。


「どんな子?」

「この子だ。双太と同い年らしい」


 と言って、重は懐から携帯を取り出し、画像を未恵の正面に映し出す。

 映ったのは長い黒髪の東洋人と思しき少女だった。しかし、表情は薄暗く、どこか悲壮さを感じさせた。


「どんな境遇なの?」

「記憶喪失の可能性が高いのと、魔術師であること。それ以外は分からない」


 未恵は驚きこそしなかったが、胸がずきりと痛むのを感じた。


「双太ちゃんと、同じなのかな?」

「おそらくはな。エレウシスの実験体として処分こそ免れたが、情報を漏らさないために洗脳を施されて記憶を失った、というところだろう」


「酷いね」とは言えなかった。自分たちも同じエレウシスであった以上、エレウシスであったがために双太を苦しめた以上、エレウシスを批判するのは烏滸がましいと思えた。


「でも、わたしたちには双太ちゃんがいるんだよ」

「ああ、そうだな」


 未恵の言葉に、重はただ頷いていた。


「双太ちゃん、まだ決めてないんだよ?」

「ああ・・・・・・」

「待つって決めたのに……」


 泣くのを堪えようとしたが、ダメだった。気づけば未恵の視界は濁り、重の姿もよく見えなくなっていた。

 辛かった。ただ辛かった。待つことが他の何よりも辛かった。愛しているわが子を助けられないことは、この十五年間ずっと未恵と重をむしばんできたことだった。


「そうだな」


 重も頷いた。微かに言葉が震え、表情も歪んでいた。他の人間には分からないほどの微細な変化だが、未恵だけでには分かった。


「未恵。でも、信じよう。僕らの息子じゃないか」

「うん。分かってる。ありがとう――」


 言葉は静かに、されど溢れんばかりの愛おしさを滲ませて――


「重ちゃん、また・・・・・・甘えさせて」


 ゆっくりと未恵は重の右手に自身の左手、指輪をした方の手を絡ませる。そのまま身を乗り出すように立ち上がり、重の唇に自分の唇を重ねた。


「未恵」


 一度目の口づけはすぐに終わる。


「愛しているよ、未恵」


 そうして、今度は重が唇を重ねてきた。今度は長い口づけだった。十秒、一分、あるいはもっと長かったかもしれない。涙で濡れた酸の味。悲しくて、けれども尊い「愛情」という名のシルシ。

 やがて、重が舌を差し込んできた。ゆっくりと、未恵の反応を待つように彼女の舌に触れてくる。未恵も本能的にそれに応え、重と絡み合った。始めは繊細に、しかし交わりは徐々に荒々しさを増し、それに呼応するように彼女の身体も火照り始めた。

 数え切れないほどの交わりを終え、どちらからともなく唇を離す。荒く、火照った吐息をもらし、二人の唇を糸のような唾液が結んでいた。


「行こ」

「ああ――」


 これからすることに対して、今の二人にはそれだけのやりとりで十分だった。


 ・・・


「重ちゃん、おはよう」


 行為の翌日、未恵と重が目覚めたのはほぼ同時だった。何度も身体を重ねたくせにどうしても気恥ずかしさが抜けず、誤魔化すように未恵はそう言うしかなかった。


「あ、あのね・・・・・・」


 それでも、本題はそこではなかった。起きた瞬間、決めたことがあった。それを伝えるべく、彼女は言葉を紡いだ。


「わたしね、決めたよ」


 笑顔でそう言い、裸で抱き合いながら一度口づけを落とす。


「あの子のこと、引き取るよ。決して、双太ちゃんのことを蔑ろにするわけじゃないよ。でもね、ほっとけないって思った。そんな子なんてたーくさんいるだろうし、特別じゃないって言いたいんだよね。でもね、わたし、もう言い訳したくないの。だからもう、逃げないよ」


 そうして、もう一度重とキスを交わし、今度は彼の胸に顔を寄せる。 

 ただ今はもう少し、その温もりに縋っていたかった。

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