自縛Ⅰ
小等部二年までの
友だちの家は丁度空地の近くで、そこで魔術師である
「まだ、やってる」
その日、思わず足を止めてしまったのも偶然だった。
普段は17時ぐらいに友だちの家を出ているのに、その日はゲームが盛り上がって18時を回っていた。当然空き地で戦っていた三人も帰っているものだと思っていたが、予想に反し、芽依だけがその場に残っていた。
「へんなやつ」
呟きつつも、興味はある。近くの塀に身を隠し、芽依を見つめる。
短い黒髪に半そで半ズボン姿でエグゼ・フォーミュラ、双剣を握り、掛け声と共にそれを振るう。剣の軌道は覚束なく、ぎごちない。体重移動が下手なのか剣を振るうたびにふらつき、ひどい時にはそのまま転んだり、倒れたりしていた。それでも一度も
素人目に見ても、芽依が上手くないことが分かる。だから隼人も内心バカにしていたが、その姿を見続ける内にふと思った。自分はあれだけ一所懸命に努力した経験がない。あんなに泥まみれになって、ボロボロになってまで頑張ろうと思った経験がない。
家族から、魔術師が魔術を使う理由は大きく分けて2つあると言われた。一つは他者を踏みにじるため、もう一つは誰かを守るためだ。家族から、浜田芽依は今孤児院で過ごしていると聞かされたことがある。
「あ……」
彼女の姿を見、思わず声が漏れた。
芽依の姿はボロボロになっていく一方なのに、その瞳は綺麗に澄んでいて真っすぐだ。一歩ずつでも強くなろうとしている。そして、そう在ろうとしている自分を誇っている。自分のためではない。誰かに役立てる日を、夢見てる。だからこそ、魅せられた。吸い付けられるように、囚われる。自分には決してなれないほど尊くて、美しい姿に恋をする。
がんばれと、心の底から応援した。
…
双立都市の隅にある、小さな墓地。まだ、十数人分の墓しかないそこに、浜田芽依の墓はあった。
時刻は朝7時。まだ制服を着込んだ隼人しかいない。ここに来るのは3年ぶりだった。本当はもっと早く来たかったが、どうしても出来なかった。一度決めたことをやりきるまでは、合わす顔がないと思っていた。
三年前を境に、隼人の環境は劇的に変わった。ただの人間だった彼は
「芽依」
小さく呟き、隼人は墓の前に跪く。
「僕さ・・・・・・隊長に、なったんだ・・・・・・」
そうして、小さく嗚咽を漏らし始めた。
「やっと、やっと、みんな魔術師って認めてくれるところまで、きたんだ」
隼人にとっての三年間は、毎日が苦しみに満ちていた。
何度も止めたいと思った。逃げたいと思った。けれど、自分で選んだ道だからこそ、双太のように立ち止まりたくなかったからこそ、必死に努力を積み重ねることが出来た。
そして、その努力を周りがやっと認めてくれた。何十人もいる生徒の中から隊長まで上り詰めた隼人はもう、半端者ではなく正真正銘の魔術師だと、ようやく胸を張れる。
だから三年前のあの日以来、初めて泣くことが出来た。
好きだった人の前でだけ、本当の自分をさらけ出せた。
・・・
体調は最悪だった。
昨夜派手にぶちまけた分、幾分かは楽になるだろうと双太は高をくくっていたが、本当に苦しいのはそれからだった。
吐いたのは一度きりだったが、未だに吐き気はとれないし、家を出る寸前まで激しい頭痛が止まらず、一睡も出来なかった。両親には悟られぬよう、嘘をついてひっそりと家を出たが、さぞかしひどい顔をしているのだろうなと思った。現に学園へと歩を進める足取りもふらふらとして覚束ない。意識を保っていられるのが不思議なくらいだった。
(そういえば・・・・・・)
鈍い頭を回転させ、双太は必死に思考を巡らす。何か、とても大切なことを忘れている気がした。両親にばれると面倒なので、上手く避けて学園に向かった。そこは良い。上手く面倒を回避できた。しかし本命というか、もっと大事なことを忘れている気がした。それがどうしても思い出せず、何度も首を捻る。
そうして、いつもの集合場所へとたどり着く。
「あ・・・・・・双太く、え?」
いつも通り、一美がそこにいた。彼女の言葉が途中で止まったのは何故だろうと考えるも、今の双太に分からず、再度首を捻る。普段ならば十中八九気づいているだが、疲労に埋もれた脳みそは全く役目を果たそうとしない。
「双太くん!」
だから一美が――彼女にしては珍しく怒鳴るような声音になっていても、どうしてだろうと思ってしまう。
「またやったの!?」
「またって何を……」
発声して初めて、ひどい声だなとぼんやり思った。実際喉は乾燥してガラガラだった。
「エグゼ・フォーミュラ起動したんでしょ!」
「あ・・・・・・」
問い詰められてようやく、現実を認識する。
そうだった。意識が朦朧としていたせいで失念していたが、双太が自分のエグゼ・フォーミュラを起動した際、一番文句を言ってくるのは一美だ。両親は心配するだけ、隼人は呆れるか関心するかのどちらかだ。だが、彼女が一番知っている。双太が苦しんでいる理由も、彼を苦しめる歪みも。だから心配するし、怒ってくる。一美にだけは知られるわけにはいかず、昨夜は誤魔化すしかなかった。
「えと、これは」
「双太くんのバカ!」
だからこそばれてしまえば、もう言い訳ができない。
「どうして、どうして・・・・・・」
一美が鞄で頭を叩いててくる。その痛みは、ひどくちっぽけだった。
「どうしてッ・・・・・・・ふ、うぇ・・・・・・どうひてぇ」
何よりも辛いのは、一美を悲しませてしまったことだ。苦しめていることだ。
やがて一美がみっともなくその場で膝を折り、声を押し殺しながら泣く。
その光景を茫洋と見つめながら、どうしてこうなってしまったのだろうと思う。一美は、双太が魔術師に戻ることを拒んでいる。そしてその理由は、双太には分からない。彼女は本来、ここまで双太の行動に関して反対するような人間ではなかった。
(でも、おそらく・・・・・・)
もしきっかけがあったとすれば、三年前、芽依が死んでしまったことだろう。
双太がトラウマでエグゼ・フォーミュラを振るえなくなったように、一美も何かを抱えたのだろう。
「……ごめん」
原因なんて、とうの昔に分かっていた。しかし具体的には何か、そこが分からなかった。何度聞いてはみたが、一美は決して答えなかった。だから踏み込むことが出来なかった。力なく、謝罪の言葉を口にするしかなかった。
(ちがう、違うの・・・・・・)
その言葉は決して口には出せなかった。
双太は不器用だが、優しい。優しいから、もし口に出しても、彼女の言葉を否定してしまう。だから泣きじゃくりながらも、あふれ出てくる感情に翻弄されながらも、言葉だけは押しとどめていた。
全てをさらけ出しても、きっと双太は許してくれるだろう。一美は間違っていないと認めてくれるだろう。
けれど怖かった。自分の醜い部分、
もちろん、自覚はある。双太はいずれ魔術に戻る。そしてそれを止める手立てはない。今度こそ双太は、自分とは関係のない世界に行ってしまうだろう。そして、本当にいなくなってしまうだろう。
けれど嫌だった。一美は、双太だけはいなくなってほしくなかった。ただ、守りたかった。
(どうして・・・・・・)
こんなにも無力なのだろうと一美は思う。
もし、浜田芽依のように笑えたら。
もし、浜田芽依のように魔術師であったのなら。
もし、浜田芽依であったのなら。
きっと、双太を幸せに出来ただろう。
けれど、小林一美は小林一美だ。浜田芽依にも、魔術師にもなれない。双太とは元々、住む世界が違う。だからこんなにも無力で、非力で、みっともなく打ちのめされるしかなかった。
・・・
朝の一件以降、一美は双太は避けるように動いた。休み時間は可能な限り教室から離れるようにし、昼休みになった今も「友だちと食べる約束してるから」とあからさまな嘘をつき、一人屋上の隅っこにあるベンチに座り込み、弁当を食べている。
(友だちなんて、いないのにね)
と、一美は内心で毒づいた。
それは紛れもない事実だ。一美は、双太と家族以外に親しく話せる人がいない。それは双太も知っているし、避けていることもバレバレだろう。
(悪いのは、わたしなのに)
白米を箸で口に運び、咀嚼する。
小さいお弁当箱の中は白米・焼き鮭・ポテトサラダとシンプルな組み合わせだ。料理は手慣れたもので、小さいころからずっとやっている。今更簡単もので失敗はしないし、味も良い。それでも一人きりの食事は想像以上に苦痛で、余計に辛くなった。
ふと周囲を見回す。屋上には何組かのカップルが来ており、昼間からイチャイチャしていた。
(恋人、か)
彼らの接し方にはそれぞれ違いがあったが、例外なく幸せそうに見える。
(わたしじゃ、無理だな)
自然、彼らを見るとそんな思いがわき上がり、さらに落ち込んでしまう。
双太の隣にいるべきなのは、自分ではない。そして、こんな自分が好かれる資格などないと思っている。けれど、もう芽依もミユもいない。双太もまた、ひとりぼっちなのだ。
(わたしは・・・・・・ううん、わたしが)
だから、双太を支えなければならない。守らないといけない。あんな苦しみや悲しみを、もう二度と体験させるわけにはいかない。そのためには、双太が魔術師ではダメだった。魔術師である限り、戦いからは逃げられない。必ず、何かを守るために戦わなければいけなくなる。そうなれば、双太はきっとまた傷ついて、辛い思いをする。そして、いつかいなくなってしまうかもしれない。
それだけは嫌だった。双太まで失いたくはない。
(わたしが、魔術師だったら良かったのに)
三年前以来、何度も胸中に過ぎった言葉。
芽依のように魔術師であれば、強くなることが出来た。双太を守ることが出来た。けれど、一美は魔術師ではない。だから、同じ場所にいてもらうしかないと考えてしまった。
(わたしなんて)
と、そこで唐突に携帯が鳴り出した。
慌ててスカートのポケットからそれを取り出し、相手を確認する。
「あれ?」
思わず、声が出た。一美は双太の名前を予想していたが、実際に表示された名前は双太の母、「
「つ、通話を選択」
言いつつ、携帯を慌てて耳に当てる。
『あ、一美ちゃん。今大丈夫?』
耳朶を打ったのは明るい声だった。息子の双太は暗い性格だが、母の未恵は反対に明るい性格であることをよく表していた。
「は、はい。その・・・・・・未恵さんはお仕事とか、大丈夫なんですか」
『うん。大丈夫だよ。今日はお休みだしね。でねでね、ちょっと確認したいことがあるの。いいかな?』
「は、はい」
空気に飲まれたまま、一美は頷く。
『ねえ、双太ちゃん昨日やっちゃった?』
「はい」
一美は、その言葉に、自分でも驚くくらいあっさりと頷いた。本当は、誰かに向かってさらけ出したかったのだろう。
「朝顔色悪くて、それで聞いてみたんです。そしたら、やったって言いました」
未恵であれば、一美の心情を汲み取り、双太に教えることは決してないと信頼できた。だから、言えるのかもしれない。
「一番辛いのも、一番苦しいのも双太くんなのに、どうしてあんなことするんですか?」
『うん。そうだね。わたしも、そう思う。双太ちゃん、もっと他の道があるのにね』
対し、未恵の声音は包み込むように優しかった。
自然、一美はまた泣いていた。
「双太くんきっと、わ、わたしのこと・・・・・・まもりたいって思ってるの」
『そっか。そうなの?』
「分かるんです。だって、双太くんは、そーういう人だって、わたし、誰よりも分かってる!でも、もういいんです・・・・・・双太くん、もう誰も守らなくていいんです! 辛い思いも、苦しい思いもしなくいいッ! ま、魔術から逃げて、わたしの近くにいてほしいんです。わたしじゃ不足だろうけど、芽依ちゃんの代わりになれないだろうけどっ、それでもわたし双太くんを支えたいんです! 守りたいんです!」
それが一美にとって切実な願いであればあるほど、双太にとっては残酷な願いだった。それは誰よりも一美が分かっていた。だからこそ三年前からずっと、自己嫌悪で苦しんでいる。
『一美ちゃん・・・・・・でもね』
未恵は決して拒むことなく、優しく、諭すように言葉を紡ぐ。
『がんばってる双太ちゃんのこと、嫌い?』
「それは・・・・・・」
嫌いなわけがないという言葉は、済んでのところで押しとどめた。
『うん。そうだよね。わたしも、がんばってる双太ちゃん、大好きだよ。双太ちゃんも一美ちゃんも、あの日からずっと悩んで苦しんでいる』
「わたしなんて・・・・・・」
全然頑張っていないと思った。ずっと立ちすくんでいるだけに思えた。
『うん。答えなんて、きっと簡単なこと。ほんとはわたしが教えてあげられればいいんだけどね。でも今度ばかりは自分だけで決めてほしいから、わたしと重ちゃんは何も言わず、待つことを決めた』
それが、芽依を失った双太を前にしての選択だった。
その選択は一美の想像以上に過酷で、重いものであっただろう。少なくとも、一美には選べなかった。自分すら信じられない一美は、双太を信じることも出来なかった。
『それは一美ちゃんにも言えること。ねえ、一美ちゃんはこれからどうしたいの?』
「わたしは・・・・・・・」
口を開くも、上手く言葉が紡げない。様々な感情がない交ぜになるも、それは言葉にはならず、喉の奥で燻るだけだった。
『大丈夫だよ。急がなくても。でもね、一美ちゃん。一つだけ良いことを教えあげる。好きって気持ちは、最強なの。この気持ちがあれば、大抵のことは乗り越えられるの』
「それは・・・・・・」
意味が分からなかった。むしろ、好きという気持ちは一美にとっては煩わしいだけだ。こんな気持ちさえなければ苦しむこともないのにとさえ思う。
『大丈夫。いつかきっと、分かるから。じゃあ、そろそろ切るね』
「あ、はい。その、ありがとうございます」
釈然としないまま一美は返答し、そのまま通話は切れた。
何気なく付近を見渡せば、周りには誰もいなかった。理由を考え、電話しながら泣いている学生を避けるためという答えに難なくたどり着く。既に涙は止まっていたが、今度は羞恥心で泣きたくなった。
「でも・・・・・・」
ハンカチで顔を丁寧に拭いた後、一美は弁当箱に蓋をし、両腕で抱きかかる。そのまま勢い良く立ち上がり、屋上を後にした。
行き先は決まっている。双太のことだし、きっといつも通り教室で弁当を食べているはずだ。一美は階段を小走りで駆け降り、一つ下のフロアに降りる。そのまま真っ正面の教室に入り、真ん中当たり、男のクラスメイトと弁当を食べている双太の姿を確認する。
「あ、そ、そ・・・・・・!」
大きな声で双太を呼ぼうとするが、そのことによってクラスメイトの注目を集めるのは気まずい。回りくどいのを承知で一美は一度廊下に戻り、ポケットから携帯を取り出して双太に電話をかける。
『一美?』
「は、はやく廊下に出てきて!」
『は? いや、なんで?』
「いいからきて!」
有無を言わせず口調で押し込み、電話を切る。
その後、時間にしては十秒前後、一美には何十分にも感じられた時間をおいて、双太は廊下に出てきた。眉を顰め、少し不機嫌そうだった。
「ご、ごめんなさい!」
何故双太が不機嫌か、その心情をどのようにくみ取り、解きほぐせば良いかといったことは全く考えない。ただ無我夢中に一美は頭を下げた。
「双太くんがまたやっちゃったって聞いて、取り乱して、不機嫌になって・・・・・・避けちゃったりして! ほんとに、ごめんなさい!」
ただ等身大の自分で、双太に言葉をぶつけた。
対し、双太の返答はすぐになかった。突然の事態に戸惑っているのか、彼もしばらく押し黙っていた。
そうして、痛いほどの沈黙がしばらく続き、
「おれも・・・・・・・悪かったよ。お前に心配かけた」
ぽつりと、呟くように双太は言った。
「だから、おれもごめん!」
かと思えば、勢いよく頭を下げてきた。図らずも、二人が向かい合って頭を下げるという珍妙な光景が出来上がった
「ぷ・・・・・・」
その状況は当人からしても、おかしなものだった。一美は思わず、吹き出してしまう。
「なんで、笑うんだよ?」
顔をしかめて頭を上げる双太に、
「だって、ほんとにわたしたちバカだなって」
笑いながら一美も答えた。どちらも不器用なのだと、改めて思い知った。でも同時にその関係が誇らしくて、愛おしかった。自分たちらしいと思えた。お互いが不器用だからこそ、仲良くいられたのだと分かった。
「それじゃあ、仲直りでいい?」
その言葉も、あくまで一時のものだ。根本的な解決には至っておらず、いずれまた対面が必要だと考えだ。それでも一美は笑顔を浮かべ、今日初めて明るく、双太に言葉をかけた。
「ああ、頼む」
「うん。それじゃ――」
こうして、ひとまず二人はいつも通りの関係に戻った。
これが進歩か、それとも停滞かは、今の二人にとって些細なことだった。
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