変わらぬ二人Ⅱ

 2限目の授業は体育だ。

 一美かずみにとっては鬼門といえる科目であり、今日のカリキュラムは最悪中の最悪、ソフトボールだった。

 一美は一番下手だからという理由で一番ボールが飛んでこないライトに立たされた。それで本当に飛んでこなければ問題なかったのだが、運悪くボールが飛び、一美はツーバウンドしたボールをトンネルしてしまった。ボールは転々と転がり、そのまま走者一掃のランニングホームランとなり、初回から4点を献上した

 足手まといにもほどがある。二度とやりたくないと心底思った。

 しかし、何故か彼女は今、一番バッターとして右バッターボックスに、打てるはずもないの立っていた。

 ピッチャーが振りかぶり、腕を回転させて下からボールを投げる。

 彼女はソフトボール部のエースだ。もちろん、初心者の一美相手に本気は出さず、打ちやすいよう山なりのスローボールを投げてきた。


「ッ!」


 一美は金属バットをフルスイングしたが、無情にも空を切った。

 空に映った映像の中(昔でいう電光掲示板のようなものが映されている)、ストライクを示す黄色のカウントが一つ灯った。残り二つ振れば終わることは重々承知だったが、一美としてはここで終わってほしかった。冗談抜きで、この場で仮病でも使って逃げようかと考えるくらいには嫌だった。

 しかし、そこまでして逃げる勇気もなく、一美はしぶしぶと再度バットを構えた。

 ふと、視線を感じる。じっと見つめるような、少し嫌らしい視線だった。

 以前クラスメイトから聞いた話では、一部の男子生徒が一美の身体、主に胸のあたりを見ているとのことだった。不愉快極まりないが、直接何かをしているわけでもない。いちいち気にしているのバカらしかったので、仕方ないと割り切るようとはしているのだが、どうしても苛々してしまう。

 実際、長袖長ズボンの赤ジャージを着ているが、身体のラインを隠せるほどのものではなく、豊満な一美の胸は目立ってしまう。それからどうしても目を逸らせないという男連中の性欲については、知らない方が良いだろう。

 少しだけ間を置いた後、ピッチャーが再度山なりのボールを投げる。

 苛立ちに身を任せるように、一美はバッドを振る。

 コツンと、気味の良い音が響き、鈍い音が数度地面の上で響いた。


「あれ?」


 まさか当たるとは思っていなかった一美はその場で呆然と立ち尽くす。その間にピッチャーがゴロを捕球し、ファーストに送球、アウトになった。


「一美ちゃん、どんまい。戻ろ?」


 次のバッターが声をかけてきた段になり、一美はようやく事態を理解した。

 バッターボックスに入った時と同様、一美は重々しい足取りで去り、ベンチに戻った。自軍には7人いたが、誰も彼女に声をかけようとはせず、次の打者、小島佳奈に視線を向けていた。

 一美は同じように自軍を応援する気にはなれず、仕方なく隣のグランド、サッカーに励む男子生徒達に視線を向けた。当然、一美にとっての興味の対象は彼らでなく、双太だ。何度かあちこちの方向を見、彼を見つける。彼はキーパーだった。

 と、同時、金属音が鳴り響き、一美の近くで歓声が上がり、次の瞬間、それはため息に変わった。バッターが良い当たりを見せるも、飛んだところが悪く、アウトになったというところだろう。もちろん、一美には感心のないことだ。

「おっしい」、「どんまい」、「次、よろしくね」、「うん、ごめんね」とのやりとりがされ、足音が一美に近づいてくる。その時点で、一美は誰が来たのかと理解した。


天月あまつきくん、キーパーなんだ」


 声をかけてきたのは先ほどのバッター、小島こじま佳奈かなだ。


「うん。一番大変そうなんだけどね」


 小さく答えつつ、一美はちらりと彼女に視線を向ける。

 背丈は百五十半ばで、一美よりほんの少し低い。短い黒髪に細く引き締まった身体をしているが童顔で、実際の年齢よりも幼さを感じさせる風貌だった。

 佳奈は無言で一美の隣に座り、同じ方向を見る。

 同時に場面は忙しくなっていた。徐々に双太側チームのディフェンスが崩れ、ついには一人がディフェンスを引き離した状態でドリブルし、ゴールまで接近する。

 しかし、双太は前に出ない。そのままドリブルをしていた生徒がギリギリまで接近し、ボールを蹴り飛ばす。しかし、双太はそれに苦もなく反応してボールの前に飛び込み、見事止めて見せた。

 遠くてもはっきりと、「ナイスキーパー!」、「流石天月!」という賞賛の声や、「またあいつかよ!」や「あのキーパーおかしいだろ!」といった、呆れとも関心ともつかぬ声が聞こえてくる。

 双太はすぐに立ち上がり、大きく弧を描くような軌道でボールを蹴り飛ばす。


「でも、天月くん、楽しそうだね」


 ぽつりと、佳奈が呟いた。


「うん。双太くん、身体動かすの好きなんだよ」


 一美は答える。少しだけ、声が弾んだ。


「昔からずっとそうだよ。複雑そうに見えて、ほんとは純粋で分かりやすいの」


 と、続いて「もっと素直になってほしいな」と一美は佳奈に決して気づかれぬよう、小さく呟いた。


「一美ちゃん?」


 と、おそらく聞こえてはいなかったのだろうが、何か言ったという気配は察したらしい。佳奈が一美の方を向き、小首を傾げる。


「そ、双太くんの訓練ってどうなの?」


 だから追求を恐れた一美はその場を取り繕うためにも、慌てて話題を逸らした。

「うん。すっごく参考になってるよ。あんまり言えないけど、わたしとしては普段の訓練より、得るものは多いよ」


「そうなんだ。良かったね」


 それきり、一美は押し黙った。

 本当はそのまま、双太のことを聞きたかった。双太がどのように教えていて、どのように言葉をかけていて、どのような表情を浮かべているのかを知りたかった。自分の知らない彼を知ることが出来れば、少しだけ前に進めるのではと思った。

 だが出来なかった。もし双太がそれを不快に思ったらと、そして自分はまた変なことを言って傷つけてしまったらと、臆病になってしまった。

 それに、どうせすぐに分かることだった。

 

 ・・・

 

 放課後。

 双太と一美はSHRショート・ホームルームが終わるとすぐに教室近くの階段を上がり、屋上に出た。別段不思議なものはなく、フェンスに囲まれただけの空間。天気は良かったが風が強く、少し肌寒かった。

 佳奈はもう、着いていた。


「早いな。佳奈」

「そりゃ、時間もったないからね。あれ? 今日は一美ちゃんも一緒?」

「うん。たまには、見学しようかなって」

「そっか。それじゃあ、始めよう」


 と、佳奈は笑う。しかし、双太はぎこちない笑顔を浮かべたまま即答せず、一美も苦笑を浮かべながらため息混じりにコメントした。


「でも、小島さん。制服スカートのままだよ。その、大丈夫?」

「何が? ああ? パンツ? 大丈夫だよ。下にスパッツはいてるから」

「あ、そうなんだ。じゃあ大丈夫だよね」 


 からっとした佳奈の言葉に、一美も頷く。

 双太はそういうものだろうかと小首を傾げ、次の瞬間一美から小突かれ、耳元で「えっち」と囁かれた。理不尽な気もしたが何を言っても無駄な気がしたので渋々と、


「時間も少ないし、始めるか」


 と、仕切り直す他なかった。


「はい。お願いします」

「一美、下がってろ」

「う、うん。怪我、しないでね」


 言いつつ、双太は背中に提げていたケースの中から二本の木刀を取り出し、それぞれを片手持ち、正面へと構える。

 佳奈も真剣な表情を浮かべ、正面に両手をかざし、言葉を紡いだ。


「――解放ベフライエン


 同時、佳奈の両手に緑色の五芒星が描かれる。ついで彼女の周囲を無数の光の粒子に表れ、それが両手の先へと勢いよく収束し、二つの形を成した。

 エグゼ・フォーミュラ。それが、佳奈が呼び出したものの名だ。魔術は使用者の魔力を扱い、詠唱によって術式、つまりは形が編まれ、顕現される。本来魔術の行使には高度かつ難解な詠唱を必要とするが、エグゼ・フォーミュラはそれらを簡略化するデバイスである。現状魔術師には必要不可欠なもので、この都市にいる魔術師も必ず一人一つは所有している。余談だが、佳奈は先天性の魔術師のため自らの魔力のみでエグゼ・フォーミュラの生成が可能だが、移植による後天性魔術師、つまり重や未恵といった世代の人たちは自力による生成は不可能で、機械式のものを扱っている。


「――ふう」


 佳奈がゆっくりと姿勢を落とし、左右の得物、トンファーを構える。それぞれ白と黒で盾のような装飾が加えられていた。


「――お願いします!」


 瞬間、佳奈が疾駆した。

 手加減なし。真っ向からの突進を、双太は木刀を両手で構えたまま苦もなく受け止める。


「くッ!」


 佳奈が呻く。筋力では双太が格上だった。魔術師としてのブランクは三年間に及ぶが、伊達に生まれてから十数年間戦ってはいない。

 攻めきれなかった以上初撃は失敗と判断したか、佳奈が地を蹴り、後退する。


「術式、使えよ」


 対し、双太は挑発するように不敵に言った。決して佳奈を馬鹿にしているわけではなく、術式を使わなければ自分にとっても、佳奈にとっても、訓練にならないと思ってのことだ。

 佳奈は厳しい表情のまま目を閉じ、


「――加速シュネル


 と、呟く。

 同時、佳奈の身体が緑に発光した。扱ったのは加速の術式だ。文字通り、身体の動作を速めるために扱う術式だ。魔術師が扱う術式としては比較的オーソドックスなもので、双太も含め多くの魔術師が扱っている。


「・・・・・・双太くんの、ばか」


 唐突に呟かれた一美の言葉。しかし、それが二人の耳朶を打つ前に、


「はぁッ!」


 佳奈の雄叫びと轟音にかき消された。同時に再度疾駆し、双太に両のトンファーを叩きつける。


「くッ!」


 速度も威力も先ほどの比ではない。今度もしっかりと木刀で受け止めることは出来たが、衝撃で半メートルほど動かされた。


「天月くん、すごい。今のはいけると思ったのに」

 鍔迫り合いのまま、佳奈が呻くように言う。


「いや、焦ったッ・・・・・・・今までで最高の攻撃だ」


 佳奈の攻撃を阻んでいる両手がブルブルと震えている。きちんと鍛えてなければもうとっくに終わっていたのだろう。魔術を扱っての攻撃に、自力のみで対応している。この状況でどちらがおかしいかと言えば、間違いなく双太になる。高速の攻撃をきちんと見、正確に判断しなれば対応できまい。


「でもッ、今度こそ勝つよ!」

「言ってろ!」


 同時に地を蹴り、後退。

 佳奈が術式を使うより一瞬速く、双太は地を蹴り、攻撃をしかけようとする。


(……ッ!?)


同時に、前触れもなく異変は起きた。

 視界が赤く染まり、心臓の動機が跳ね上がる。全身が震えだし、口の中は酸のような味に満たされる。反射的に、片膝が地面に沈む。かろうじて体勢だけはキープしたものの、もう攻撃は無理だ。


「双太くんッ!」


 悲鳴のような一美の声。彼女だけは異変に気づいたらしい。


加速シュネルッ!」


 対し佳奈は異変そのものに気づいてはいないが、その隙を見逃す理由はない。再度加速の術式を使い、突撃をしかける。

 双太にとっても体勢を立て直す時間はなく、出し惜しみは出来なかった。何より、何度も繰り返したこの光景に苛立ちしか感じない。それを振り払うが如く、木刀をより強く、柄にひびが入るほど握りしめる。もう手加減は効かない。

 どんと、双太は大きく地を踏んで轟音を鳴らし、両腕の木刀を振るう。

 攻撃の出は明らかに佳奈が速かった。普通に考えれば、佳奈が双太の攻撃を出始めで殺し、もろとも吹き飛ばすはずだった。

 しかし、結果は真逆だった。双太の攻撃は佳奈の攻撃を逆に喰い殺し、彼女を屋上のフェンスまで吹き飛ばし、失神させた。

 どちらが勝ちか。結果はもはや、言うまでもないだろう。


 ・・・


 その後、佳奈はすぐに目覚めた。即座に状況を察した彼女は、悔しそうな表情を浮かべつつも礼を言い訓練へと向かっていった。

 双太はその姿を見送った後、力なく地面に尻餅をつく。やせ我慢も限界だった。


「・・・・・・く、あぁッ」


 木刀を手放し、怯えるように両腕で身体を抱きしめる。

 目眩がして、頭はガンガンと鳴り響いた。そのまま胃の中身が喉まで迫り上がり、為す術もなくそれを吐き出した。

 一度吐き出せばかなり楽になった。だが未だ身体に力は入らず、尻餅をついたまま横向きに倒れ込む。


「双太くんッ!」


 駆け寄ってくる一美に手を振り、力なく笑顔を浮かべる。


「だいじょ、ぶ」

「大丈夫じゃないよ、バカぁッ!」


 珍しく、一美が双太を怒鳴りつけた。

 その顔は涙に濡れていた。双太の身を案じてのものだと理解できたからこそ、失敗したなと思った。自分がこうなることは想像出来た。何回も繰り返していた。だからこそ一美だけは近づけてはならなかった。間違っても、今日は大丈夫と欠片も思ってはならなかった。


「・・・・・・ごめん」


 だから双太も、謝ることしか出来ない。

 一美が双太を支えるように、抱きかかえる。柔らかく、温かい感触が双太を包み込む。震えた感触と共に、しゃくれた声が耳朶を打った。


「もう、やめてよ・・・・・・」


 絞り出すように、一美が言った。


「もう、いいんだよ。逃げて、いいんだよ」


 それは、もう魔術師をやめてほしいという懇願だった。

 決して、一美の気持ちが分からないわけではない。


(逃げる、か)


 内心で自嘲気味に呟き、双太は右手を小さく握りしめた。

 今双太は、逃げている。魔術師をやめるか否か、別の道を歩むかこの道を意地でも突き進むか、3年のもの間決められずにいる。それこそが逃げであり、家族や友人、何よりも一美に対しての裏切りだった。


「お前に、分かるのかよ・・・・・・」


 一美に言っても仕方のないことだと思う。けれど、それでもその苦悩を絞り出さずにはいられなかった。


「おれ、ずっと、魔術これしかなかった。魔術これしかなかったんだ。それ以外の道なんて、どうしても考えられないんだ。なあ、一美。道があるなら、教えてくれよ?」


 一美は、そのあと泣きじゃくり続けるも、結局その質問に答えなかった。

 ただ、双太を強く抱きしめるだけだった。

 その感触は温かくて、心地よくて、荒んだ心を癒してくれるもので、けれども自らを委ねぬよう自戒した。こんな幸せなんか、自分に相応しくない、と。


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