変わらぬ二人Ⅰ

 強くなりたかった。

 おれは、ただ強くなりたかった。

 強くなれば、もう辛い思いをしなくて済むと思った。こんなに苦しい想いも、こんなに悔しい想いもしないで済むと思っていた。

 だから、おれは戦い続けることができた。

 どれだけ痛くても、どれだけ苦しくても、いつか報われると信じていた。

 父さんや、他の優秀な連中に追いついて、もう辛い思いをせずに済むと思った。誰かを守れるようになると思った。そうすれば、少しくらい自分のことを好きになれそうだった。生まれて初めて自分を誇り、胸を張れるように思えた。

 でも、おれにはなれなかった。

 おれは大切な人を守れなかった。何度も何度も、必死に救おうとしても守れず、傷つけることしかできなかった。

 決して失ってはいけないかけがえのないものを、失ってしまった。守れなかった。

 おれには、何もできなかった。

 だからもう、おれには何も残っていなかった。


 ・・・


 2114年、5月15日。

 人類初となる魔術師が発見されてからおよそ五十年。

 科学技術が順調に発展を遂げ、遺伝子操作によって魔術師を人工子宮で生み出されるようになってからおよそ二十年。

 エレウシスでミユを殺してから十年。そして、双立都市に来てからも魔術師として戦い、目の前で芽依を失ってから三年が経った。

 彼、天月あまつき双太そうたの日常はいつも通りに始まった。朝7時に携帯ハイブリツド電話フォンのアラーム音にたたき起こされ、着替えや鞄の確認などの準備を始める。そうしていると大概幼なじみからメールがあるので、何度かそのやりとりをしつつ支度を済ませ、自室のある二階からリビングのある一階に降りた。

 仕事の関係上、母親である天月未恵みえは不在が多いが、今日は珍しくいた。本人曰く「昨日は早く帰れたんだよ」とのことだ。神経をすり減らして仕事をしているであろう未恵に「帰ってこなくていい」とは言えない。別に双太は母を嫌ってはいない。ただ、どうしようもないほどに苦手なだけだった。

 ともかく、今日は珍しく家族三人揃っての朝食だった。朝食は父、天月しげるお手製のサンドイッチだ。味もそれなりにおいしかった。しかし、双太にとって毎朝の食事、特に未恵がいる時の食事ほど辛いものはない。

 結局や父や母に学校やアルバイトについての会話を振られても、双太は適当な相づちしか打てず、手早く適当な量を口に運び、逃げるように食卓を後にするしかなかった。

 双太とて、この状況が良いと思っているわけではない。出来ることであれば改善したい。しかし、彼の中で未だに決められない問題があり、それが解決するまで、胸を張って両親と向き合える気がしなかった。

 天月重も、天月未恵も魔術師である。そして、二人の息子である双太も魔術師だ。双太の場合は人工子宮ではなく、普通の出産による子どもであった。三人とも十年前まではエレウシスという魔術組織に属し、おそらく双太がミユを殺したこときっかけに組織を離反し、以後は双立都市に身を寄せている。そして三年前突如双立都市がエレウシスと思しき勢力の襲撃を受け、芽依を失った。

 以来、双太は戦うこと、魔術を行使することが出来なくなった。魔術師を続けるか否かの岐路きろで立ち尽くしている。


 ・・・


 足早に自宅を後にすると、首を締め付けていたかのような空気が少しだけ緩くなった。両親は決して双太に選択を迫らない。むしろいつまででも待ってくれるだろうと分かっていた。だが、どちらかの道を口にした時両親が何を言うか、それも怖かった。どちらの道を選んでも、裏切りであるような気がした。どうしても居心地が悪い。


「最低だな、おれ」


 癖毛の黒髪を掻きむしりつつ呟いた後、双太は歩を進めた。

 黒い手提げ鞄に黒い詰め襟の制服。それが彼の通う双立学園の制服だった。

 そのまままっすぐと一軒家の並ぶ住宅地を進んでいく。学園までは十五分程度歩くが、双太の家からは直線のため、多少思考が回らなくとも問題なかった。

 体感的に五分程度歩いた。

 すると、丁度目の前の十字路あたりで、控えめに手を振っている少女の姿が見えてきた。

 名を小林一美かずみという。白が基調のセーラー服に身を包み、長い黒髪を三つ編みにまとめ、身体の前に垂らしている。童顔に眼鏡をかけているが、反面出るところは出ており、特に胸は同年代と比べてもふくよかだ。身長は百五十八と双太に比べて僅かに高い。双太はそのことを気にしており、せめて一美にだけは負けたくないと、毎日牛乳を飲んでいたりする。


「一美・・・・・・」


 小さく呟き、小走りで一美のもとまで駆け寄る。


「走らなくてもいいのに」


 一美は一度苦笑を浮かべ、それでもすぐ双太に笑顔を浮かべ直すと、


「おはよう、双太くん」


 と言った。十年経っても、その笑顔は変わらず、少しだけ気持ちが和らぐ。一美は一般人で、それでも芽依と双太三人で、仲間カゾクとして過ごしていた。三年前芽依を失った時も、一美はずっと傍にいてくれた。一美がいたから、双太は生きている。


「ああ、おはよう」


 だから双太もぎこちなく、精いっぱいの笑顔を返した。三年間ずっと苦しませている。だから少しでも安心させたかった。

 そんな双太の苦悩を知ってか知らずか、一美は苦笑を浮かべる。そのまま自然と、二人は並んで歩き始めていた。


「一美。今日の放課後なんだけど」

「うん。どうしたの?」


 そうして、何も考えずとも言葉がついて出てきた。沈黙は辛い。それから逃げるための方便でもあった。


佳奈かなの自主練につきあってもいいか?」

「また?」 


 と、一美は不機嫌そうに返す。しかし、それにも関わらず、双太にとってのそれは決して重いものではなく、「そんなこというなよ」と苦笑に混じりに返せる軽いものであった。


「あいつ、ほんとにがんばってるんだ。すげえよ。だから、おれもちょっと手伝えれば、と思って」


 一瞬の沈黙。双太も一美も前を向いたまま話しているため、お互いの表情は見えない。だからか双太は、一美がほんの一瞬だけ暗い表情を見せたことに気づかなかった。


「うん。分かったよ。じゃあ、わたし図書室で待ってるね」

「いや、待たせるのも悪い。先、バイト行ってろよ。西岡さんには事情言えば大丈夫だろ」


 普段であればここで一美は納得し、引き下がるところだ。

 しかし、一美は微かに息をのむと、いつもより少しだけ語気を強めて返してきた。


「そうかもしれないけど、双太くん、ほんとに悪いと思ってる?」


 瞬間、失敗したと双太は思った。

 一美は決して活発な性格ではないが、根は頑固で、一度決めたことは易々と曲げてくれない。例えば双太が魔術師だった頃、何回断っても訓練を見学するとしつこく言ってきたし、バイトにしても、自分も面接受けると言って聞かなかった。だから双太が何を言っても、聞かないだろう。


「分かったよ。好きにしろ」

「じゃあ、わたしもついてっていい? あ、西岡さんにはわたしから言っておくね 」


 ついでと言わんばかりの注文にも双太は、


「勝手にしろ」


 と答える他にならなかった。余程のことがない限り、一美とはぶつかりたくなかった。この話もこれ以上続けると深みにはまり、より面倒なことになると判断する。よって、思い付きの話題で話題を逸らす。


「そういえば、試験まであと二週間だな」


 高等部に進学してからの初めての試験だ。とはいえ、彼らの通っている学園は幼小中高一貫で新鮮みはなく、ただめんどくさいものでしかない。


「うん。そうだね。双太くんは、勉強どう?」

「何もしていない」


 双太の言っていることに嘘偽りはない。決して不真面目に受けているわけではないが、授業中に進んで発言するほどの積極性もなく、計画的に学習することもない。ただ先生の話を聞き、その内容をメモとして保存するだけだ。苦労がないと言えば嘘になるが、それでも中等部の入学当初以外に苦労はなかった。


「授業はちゃんと受けてるでしょ。復習や予習もすればもっと良い点数なのに、もったいないよ」


 一美はふくれっ面で答える。実際きちんと復習や予習をしているだけあり、一美の成績に学内で常にトップクラスだ。


「勉強して、何になるんだよ」


 対し、頭を一度掻きむしり、苦虫を噛んだような表情で答えた。


「おれは根っからの魔術師だよ。戦いしかない。それを選ばないとして、どこに向かうんだよ」

「う、うん。そうだね・・・・・・」


 一美も表情を曇らせ、黙り込む。また失敗したことを悟り、双太も気分が重くなる。

 それからどのくらいたっただろうか。


「何にでも、なれるよ」


 ぽつりと、一美は呟いた。

 双太は怪訝けげんな表情を浮かべ、彼女の方を向き直る。何を言っているか分からなかった。


「だって、これからだよ」

「なんだよ。それ」


 双太は苦笑を浮かべる。


「これから」――今まで一度として考えたことのない可能性だった。今まで双太は「現在」ばかりで、先のことを考えたことは一度もない。いつだって何かしらの圧力にたたきつぶされて、潰されながら必死にもがいていた。

 少なくとも、今は「これから」を考えることは出来る。一美はそう言いたいのだろう。

 でも、双太には考えても分からなかった。十年前はミユを、三年前までは芽依を、そして今は一美を、どうすれば守れるかだけ考えていた。自分の命なんて勘定に入れていない。だから五年後、十年後の姿なんて想像できない。


「お前いくつだよ」


 なんとかはぐらかそうして言葉を紡いだが、上手くいかない。


「双太くんと同い年だよ! もう!」


 案の定、一美は怒っていた。。


「悪い。それで――」


 素直に謝り、半分はその場を繕う意味で、もう半分は純粋な興味から、双太は次の言葉を紡ぐ。


「一美は、おれが何に向いていると思う?」

「うーん。えっとね・・・・・・」


 一美は首を傾げ、数秒を思案した後、


「例えばだけど、プロサッカー選手とか? 双太くんサッカー好きでしょ?」

「まあ、サッカーも野球もテニスも、おれは球技系全部好きだけど、そこまではなぁ」


 プロを目指すほど真剣にはなれない。所謂球技は趣味の範疇でしかなく、自分が生きていく手段にするのは違う気がした。


「かといって、エグゼ・フォーミュラの技師も今から勉強するには辛いしなぁ」

「だよね」


 これには一美も頷いた。

 エグゼ・フォーミュラを簡潔に述べると、魔術を行使するための武器デバイスだ。双太と一美は西岡という名の技師の店、エグゼ・フォーミュラの販売や修理をアルバイトとして手伝っている。しかし、あくまで簡単な部分の修理や交換が出来るだけで、より専門的な部分は西岡に教えてもらいながらかじってみたが、到底理解出来るものでなかった。


「双太くんは、何かないの?」


 もっともな質問だが、まるっきり思いつかず、双太は苦笑を浮かべながら肩をすくめた。強いて言えば魔術師だが、今それを口にするのははばかられる。


「ないな。将来の夢なんて、ほんとに一度だって考えてことないからな」

「これから考えようよ」

「めんどくさいな。一美はどうなんだ? 将来の夢とかないのか?」


 自分ばかり聞かれるなのでしゃくなので、双太も聞き返してみた。聞いてからふと気づいたが、双太が将来について聞かれることはあっても、誰かの将来について聞くのは初めてだった。


「わ、わたしはその・・・・・・」


 と、突然一美は真っ赤になり、しばらくしてからぽつりと、「お嫁さんかな」と呟いた。

 その抜けている言葉に、双太は笑った。久々に腹を抱え込んで大笑いし、また一美に怒られた。


「あ、そうだ。さっきの話なんだけど、双太くん先生とか向いているんじゃないのかな」


 そしてその後、唐突に一美は話題を蒸し返してきた。


「先生?」


 双太も予想外の言葉に素っ頓狂な声を上げ、


「いや、おれは仕方ないからやってるけど、勉強大嫌いだぞ。今日の一限の基礎魔術史なんて、ぜったい寝るし」

「でも、双太くん教えるの好きでしょ。双太くんの教え方って分かりやすいし」


 向いているとは思えないが、ほめられるのは悪い気はしなかった。

 その後は教室まで、ひたすら双太が教師に向いているかか向いていないかの話に終始した。最終的に結論は出なかったが、双太にとっては珍しく、心の癒える一時であった。だから教室に着き、席に座る間際、小さく、一美だけに聞こえるように呟いた。

 ありがとう――と。


 ・・・


 1限目の「基礎魔術史」を担当するのは、高島重三じゅうぞうという四十近い教師だった。都市長の実の弟であると同時に後天性魔術師でもある彼は三年前まで双立都市実戦部隊の隊長を務めていた。そして芽依が死ぬことになった襲撃の際に重症を負い、両脚を失った。両脚は双太の母未恵と同じく機械式の義脚で補ったものの、魔術師としての戦闘に耐えられるものではなく、最前線から引退を余儀なくされた。現在は基礎魔術史の教師として教鞭を振るうと共に、学園内の魔術師の指導を行っている。

 彼の生き様そのものは双太にとって参考になるものではあったが、この授業に関しては知っていることしかなかったため、かねてからの宣言通り、双太はふて寝を決め込んでいた。

 40人クラスのため、一度はタブレットに映されているテキストの音読の指示や質問が飛んでくるが、双太の出番は早々に指示があったため、もう来ることはない。

 双太が気を抜いて机に突っ伏すと同時、目の前のディスプレイに教諭が打ち込んだデータが表示される。。


 2060年 人類初の魔術師が発見される(手足を使わず、物を持ち上げる少女)

 2070年 魔術組織エレウシス設立

 2075年 操作回路の移植技術が確立(本格的に魔術師が量産される)

 2090年 エレウシスの総帥ワイズマン、魔術師を「新人類」と提唱。

 2093年 エレウシス、遺伝子操作による先天性魔術師の培養に成功。

 2094年 魔術組織アタラクシア設立

 2104年 双立都市設立

 

 という年表が写され、そこを軸に肉付けが行われていくが、元々エレウシスの魔術師である双太にとっては全て既知の内容で、今更感心は持てない。


「双太くん双太くん」


 しかし、もちろんそれを一美が許してくれるはずもなく、時折、隣の席に座っている彼女が身体をゆすり、何度もしつこく起こしてくる。


「起きて。だめだよ」

「うるさい」


 最初は意地で眠り込んでいたものの、双太もとうとう屈し、起きてしまった。また寝ることは出来るが、その度に今回のようなことが繰り返されることだろう。それはとても面倒なことであったし、双太はともかく一美の評価まで落ちてしまう。仕方なしに彼は「起きてればいいいんだろ」と口にするしかなかった。


「うん。そうだよ。ちゃんと授業は受けないと」


 一美も笑顔を浮かべる。

 めんどくせーと思いつつ、双太は一度髪の毛を掻きむしった。昔からの癖で、苛々いらいらするとしてしまう。


「あ、そうだ。双太くん」

「なんだ?」

「前から気になっていたんだけど、超能力と魔術って何が違うの?」


 もっともな質問だろう。しかし、双太にとってもそれは分からない問題だった。数秒思考した後、渋々と彼は「何も違わないと思う」と自分の考えを告げた。その理由として、超能力の原理を科学的に、筋道立てて解明して、要素毎に分解していく内、最終的に「魔術」という名称に落ち着いただけではないかという仮説を推奨し、一美も納得した。

 そうして、授業は続いてく。


「2070年、ワイズマンを中心とした数十人の科学者によって魔術組織エレウシスが設立され、研究が大規模に行われるようになる」


 授業も佳境に迫る中、とうとう双太が一番不愉快な部分に説明が及んだ。しかも、この話に限って他の話より長く続いた。

 一美は熱心に聞いていたが、双太はこの話が続いている間、ずっと苛々していた。エレウシスにいた双太だから分かることだが、研究などとは都合の良い方便だ。実際に行われていたのは非人道的な人体実験の数々で、技術が確立された今でさえエレウシスの研究所内では魔術師達がモルモットとして扱われ、適性のないものは容赦なく処分されている。双太が好きだったミユも、そうした犠牲者の中の一人だ。

 もちろん、そのような現実を語るわけにはいかない。高島教諭も本当のことを知っていて、けれど悟られぬように言いつくろっている。仕方がないとは思うが、綺麗事にしてほしくないという思いも存在していた。だからその気持ちをどう処理して良いか分からず、内に延々とため込んでいる他なかった。


(あ・・・・・・)


 しばらくしてから一美は、双太が険しい表情を浮かべていることに気づいた。

 一美にとって高島教諭の話は興味深いだけでなく、双太について知れる数少ない機会であるからだ。しかし、双太の険しい表情を見ると、それが触れてはいけない部分ではないのでは、と思ってしまう。自分と双太は釣り合わないのでは考える。

 そのことがずっと怖くて、だから一美はその瞬間、高島教諭の話から逃げるように耳をふさいでしまった。

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