未来Ⅴ

 …


 右腕を失い、左腕を失い、今度は両目を失った。

 代償として今度は他の感覚を強化されたらしい。カプセルの中からこの部屋に何人の人間がいるか、どんな状況か、朧気に把握できた。目の前は真っ暗で何も見えないのが尚更不気味で、怖かった。


(カゾク……)


 少し前まで唯一の拠り所だったお伽噺とぎばなしも、これ以上希望を持つのが怖いから、あえて関心を持たないようにしていた。

 数時間前、ミユの元に「処分」の通知が来た。これから1時間後、ミユという人格は洗脳によって上書きされ、モルモットとして生きていくだけになる。その結末は、もう変えられない。今更希望など持ちたくはない。


(データベースに、せつぞく)


 だから、最後にやりたいことをしようと考え、ミユはデータベースに接続する。脳内に浮かび上がった映像を操作しつつツールを呼び出し、通話を選択。淀みのない動作で天月あまつき双太そうたの連絡先を指定し、電話をかけた。


『…………美優みゆ?』


 双太が出てくるまでに、かなりの時間がかかった。ツールの使い方が分からなかったのか、ミユから電話がくるとは思っていなかったのか、おそらくは両方だろう。


「ん……」


 スピーカーから響いた声に合わせて、久々に肉声を発した。上手く言葉を使えないことが、今までの何倍ももどかしく、苦しかった。


「そ……ちゃん」


 それでも、必死に言葉を紡ぐ。家族がどんなものか、人と話すことが、人と繋がることがどれだけ幸せか、教えてくれたのは彼だったから。


「そー…………おぉ」


 自分になんか不釣り合いだけど、美優という名前を、願いを刻んでくれたのは彼だったから、一人じゃないと教えてくれたから。


「そう、た、ちゃ、ん」


 だから最後くらい、彼の名前をちゃんと呼んであげたかった。


「あ、り……が、と……う」


 お礼を言いたかった。貴方のおかげで、幸せだったと。彼が自分を「綺麗」といった気持ちも、お伽噺とぎばなしでいう「好き」という気持ちも、ついぞ分からなかった。一度で良いから、恋というものをしてみたかった。けれどもそれはもう、叶わなくない。


「おめで、とう」


 だから、双太が強くなったことだけを祝福して、通話を強引に切断した。彼は残酷だ。ミユのことを知れば、また希望を与えようするだろう。与えられてしまえば、ミユも本音を伝えてしまう。もっと生きたいと、死にたくないと、一人は嫌だと、家族が欲しいと、幸せになりたいと。言ってしまえば、双太は何をしてでもミユを助けようとするだろう。そして失敗した結果罰を受け、処分される。だから、言えなかった。せめて彼だけには、生きていてほしかった。

 しばらく経って、カプセルを叩く音と共にミユを呼ぶ声が聞こえた。


「…………ッ!」


 嬉しいという気持ちと苦しいという気持ちがない交ぜになり、それをこらえるように声を押し殺した。

 何度も何度もカプセルが叩かれ、声が聞こえる。強化された感覚が彼の感情を伝えるほど、嬉しさと苦しさはごちゃごちゃになり、やがてミユは声を押し殺したまま泣き始めた。

 生きたかったと、幸せになりたかったと、最後の最後まで思い続けた。

 そして、その願いは無残にも切り裂かれた。


 …


「美優は……?」


 いつもの部屋で向き合った瞬間、双太は子どもとは思えぬほ殺意に満ちた声音で研究員に聞いた。ミユとのやりとりから、すでに3時間が経過している。違和感を感じた双太がミユの元に向かってカプセル越しに呼びかけたが返事はなく、やがて何人かの人間に拘束され、今まで監禁されていた。


「ああ、ミユ・アーベルのことか?」


 小さく笑みを浮かべ、眼鏡をかけた中背の研究員は話し出す。年の候は母と同じだが、何か取り付かれたような印象で、不気味だった。


「安心しなさい。生きているよ」

「…………」

「信じられないといった顔だな」


 言いつつも、その口調は愉快そうで、癇に障った。大体、自分を監禁しただけでなく、ミユの片腕を奪った相手を信用できるはずがない。


「ベフライエン……ッ!」


 反射的にエグゼ・フォーミュラを解放し、赤い光と共に大剣の形として顕現したそれを正眼に構える。


「それが、君のエグゼ・フォーミュラか」


 研究員は尚も笑みを浮かべ、


「好きな女を守るために掴んだ力。なるほど尊い。主人公ヒーローだな」


 恍惚こうこつとした表情で告げた。


「これだからたまらない。誰もが生きるために戦う。誰もが他者から奪って生きる。蠱毒こどくとも言われるここで、自分以外の誰かのために最善を尽くすか。全く君たち親子は、僕らを飽きさせない」

「――――うるさい」


 冷めた声と共に、剣を振るった。風圧だけで轟音が唸ったが研究員は笑いながら双太に向かって前進を始める。予想外の事態に迷いが生じ、集中力が微かにほころんだ。その一瞬で、研究員は双太の真横を横切り、告げた。


「これよりEランク昇格試験を始める。安心しろ、これでミユ・アーベルは永遠に君のものだ」


 パチンと、何かが弾けるような音が頭の中で響いた。それが何かを理解しようとする間に研究員の気配が消え、もっと別の、どこかで感じたことのある気配が近づいた。

 目を見開き、今部屋に入ってきた相手を確認する。色素が抜け落ちた髪に、細長い身体、アンバランスな黒い腕、口元に見覚えがあったが、以前勝った相手であることだけが分かった。


(そうか……)


 それと同時、理性が弾ける音を置き去りに、双太は壮絶な、肉食獣のごとき笑みを浮かべた。

頭が沸騰し、自分が誰か、何のために戦っているか、忘れた。ただ欲しいから戦う。戦ってほしいものが得られる。それで十分だ。それが何かなど関係ない。全て奪って自分の糧にすればいいと、本能が告げた。


「は……ははッ!」


 視界が赤い。身体が熱い。それが何よりの昂揚で、快感だった。

 相手の腕が伸びる。今度は数十本ではなく、百を超していたが、関係ない。犯せばいい、蹂躙すればいいと、本能のまま地を蹴り、大剣を叩きつける。

 轟音が響き、爆音と衝撃が部屋を震撼しんかんさせる。


「ちッ……!」


 守りに入ったであろう腕を数十本消し飛ばしたことは分かったが、相手の肉を切るような感触は皆無だった。すぐさま大剣の一部を爆発させ、その衝撃で後方に離脱するが、黒煙を切り裂き、全方位から十数本の腕が迫った。


「はッ、ははッ!」


 興奮のままたけり、大剣の形をしていた炎を操作し、全身を炎の膜で包み込む。大半は溶解したが、数本の腕は膜ごと双太の左肩と脇腹を貫き、そのまま彼を天井へと叩きつけ、縫い付けた。

 同時に黒煙が振り払われ、目の前に数十本の腕が迫ったことを、腕の半分以上が再生していることを視認する。

 だというのに恐れはない。脇腹と左肩には穴が開いているのに痛みはなく、快感だけが走っていた。むしろ楽しみだった。相手のことを傷つければこれの何倍気持ちいいんだろうと思う。

 

 ――紅蓮炎剣レーヴァテイン重奏メーァファッハ


 無事な右腕一本で、術式を四重に組み上げる。限界を超越した魔術行使に右腕の骨が砕け、半分以上の神経と血管がはじけ飛ぶ。それでも笑いながら、右腕を爆発させながら剣を袈裟に振り下ろした。


 ――あれ……?


 一瞬早く到達した腕が太ももを貫いたが、痛みはない。だが、何故か快感が和らぎ、初めて思考が生まれた。

 目の前の光景が、スローモーションのように映る。

 振り放った剣の一閃が目の前の腕を切り飛ばし、爆発による衝撃波が残りの腕ごと相手を吹き飛ばし、蹂躙するように床へと叩きつけた。


 ――おれは、なにをしてるんだ。


 双太は笑みを浮かべ、同時に例えようのない違和感を感じつつ、左手に炎を顕現させてナイフを形作る。


 ――おれは、なんのために、たたかってるんだ?


 相手の両足が変な方向に曲がり、胴体ごと内蔵も潰れ、割れた頭からは赤い液体に混じって、あふれ出した何かが潰れているのが見えた。


 ――あいつは、だれ?


 だがまだ息はあると、双太は相手の心臓に狙いを定めつつも思考は周り、情報を広い集めていく。血まみれの髪に、赤く染まった白い肌。瞳は緑色で――


 ――ミ……ユ?


 身体は言うことを聞かない。血反吐と共に笑みを浮かべたまま落下し、その胸をナイフでえぐり付けた。

 炎が肉を溶かし、断つ音。微かに狙いは逸れ、衝撃のまま双太は床を転がる。だが尚も彼は笑みを浮かべ、死に体の身体をひきずりつつ、ゆっくりとミユへの距離を詰めていく。


 ――やめろ。


 快楽が和らぐと同時に、心を苦痛がむしばむ。楽になれ、あとは任せろと。悪魔が囁く。


 ――やめてくれ。


 思考に反し、身体は狂ったように笑いながらミユとの距離を詰めていく。


 ――好きだったんだッ!


 やがて、近くの尖った骨の破片をつかみ取ろうとして、失敗した。

 それで最後の波がなくなったのか、快楽は消え失せ、あとは苦痛のみが残される。それでも双太は這いつくばりながら身体を動かし、懸命にミユへと近づく。まだ間に合うと、ありもしない希望にすがった。


「そ……ちゃん」

「み……ゥッ!」


 唐突に聞こえた大好きな声に対して、潰れた声のまま必死に答える。良かった、生きていたと、泣きながら手を伸ばし、彼女の黒い手を掴んだ。しかしその手には温もりも、力もなく、ただ絶望だけを告げてくる。


「み……ゥッ!」

 わめき、い進む。彼女の頬に手を伸ばし、血で濡れた頬に触れてやる。

 対し、双太を見据えたままミユはまた、困ったような笑みを浮かべ、ただ一言だけを告げた。


 …


 痛みも何もなく、ただ自分が終わることだけは理解できていた。

 自分が何をしていたか、誰と戦っていたか、まったく理解していない。だが、元に戻れるとは思っていなかったから、怖かった。

 だからミユは、少しずつ近づいてくる気配が双太であることを理解すると同時、本当に安心した。

 死ぬのが怖いから、独りぼっちになるのが怖いから、だから家族に憧れた。同じように双太といることが、双太と話すことが、心を通わせることが何よりの幸福で、安らぎだった。けれども自分が死ぬことで彼が悲しむことも、苦しむことも理解していたから、だから「ごめんね」と笑みだけを浮かべた。けれどすぐに、お互いに望まない言葉だと思った。これが最後なら、形にすべき言葉を別にある。

 最後の仕事だと、精一杯気合いを入れる。最後くらい、はっきりと伝えさせて下さいと、神様に願った。

 そうしてミユは、その言葉を紡ぐ。


 ――だいすき。


 

――これは、あたしの夢だった御伽噺フェアリーテイル


むかしむかし、大きな森がありました。

その森には、小さな村があって、家がありました。

その家のお父さんは朝早く仕事に出ていました。。

お母さんはお父さんとの子どもである女の子と一緒に帰りを待ちながら、洋服を作ったり、洗濯をしたり、料理を作っていました。

そうして夕方になるとお父さんは帰ってきました。

 三人で夕食を食べながら、いろんな話をします。食べ物の話、天気の話、動物の話、未来の話。

 そして、今日が終わります。明日もまた、幸せな毎日が続きます。

 めでたしめでたし。


――これは、もう届かない御伽話フェアリーテイル

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