未来Ⅲ

 双太そうたが目を覚ますと、いつも通り自分の身体はカプセルの中に存在し、生温かい培養液に浸かっていた。身体のラインがはっきりと浮き出る黒いスーツに身を包み、四肢には赤いコードが繋がれている。コードを通して施設内のデータベースにアクセスし、現状を確認する。まず『異常なし』と、身体状況を示す文字が表示され、ついで直近後6時間のスケジュールが表示される。


「…………」


 それを見、双太はため息を吐く。


「…………」


 しばらく凝視するも、結果は変わらない。今度は先ほどより長く、深いため息を吐き出した。

 一時間後に天月未恵、実の母との対面が予定されており、それが彼を憂鬱にした原因だった。

 どうも、自分には親というものがいるらしい。

 いるらしいというのは、どうしてもそんな実感が持てないからだ。まだ5歳だが、一度だけ調べたことがある。親とは、子どもに対して無償の愛情を注ぎ、導くものらしい。しかし双太は生まれてからずっと愛情を感じたことがなく、暴力、哀れみ、憎しみといった不の感情しか実感しなかった。だから、母親が自分に対して向けているのは愛情でなく、弱いもの、搾取されるものへの哀れみでしかないと思っていた。

 だから言ってやった。本当に愛しているなら殺してくれと、全部奪って楽にしてくれと。


(なんでだろう?)


 双太は、また自問した。

 その言葉を受けた瞬間、未恵は泣き出してしまった。傷つけたことは理解できたが、何故傷ついたかは理解できなかった。何より、それを悔やんでいることが一番理解できなかった。だって、中途半端な同情を抱かれ、見下されていたと思っていた。むしろ気が晴れても良いくらいだと思っていたのに、結果は真反対だ。


(どうでもいいのに)


 どうしても、未恵の泣き顔が脳裏を離れない。それが苦しい。


(おれは、シッパイサクなんだ)


 だからこそ、内心で双太はいつもの言葉を呟き、殻に閉じ困った。

 この地獄に対してできることは、何もない。


 …


 不意に感じた違和感で、我を取り戻した。

 眠らずとも、茫洋としていたらしい。双太は気だるげにデータベースへアクセスし、スケジュールを確認する。模擬戦が近づいていると思った。しかし、何度も見ても直近1時間の予定は空で、本来まだ待機しているはずの時間だ。

 気のせいかと思ったが、違和感は消えない。データベースに命令して簡易的なバイタルチェックを走らせるも、「異常なし」と無機質なメッセージを返すのみだった。

 とすれば、外で何かあったのだろうかと考え、双太は耳を済ます。

 すると、「コンコン」と、カプセルを外から叩いているような音が聞こえた。あまりにも小さく、危うく認識できないところだった。


「…………」

 怪訝けげんに思いつつも双太はデータベースを通してカプセルのロックを解除する。「ロック解除」と短い電子音が響き、カプセルが開かれる。同時に射し込んできた照明の眩しさに目を細め、双太は上体を起こした。


「…………」


 無言で周囲を確認する。白い天井と床、十数台のカプセルが並べられただけの部屋だ。しかし今回はいつもと違い、会ったことのない女の子が寄り添っていた。


「あ……」


 女の子は小さく口を開き、声を発する。言葉が短くて、感情は上手く読み取れない。

 眉をひそめつつ双太は、彼女を見据える。短い金髪に、緑色の瞳。背も子どもながらすらりとして長い。双太同様黒いスーツを着ており、身体のラインは丸見えだった。本来なら見とれてしまうような可憐な容姿だが、包帯に包まれ、通常より何倍も太く見える右腕の存在がそれを許さなかった。


「それ……」


 思わず呟き、まじまじと見つめてしまう。対し、女の子は苦笑を浮かべる。


「ギ、シュ。ベン、ぃ」

「どうして?」


 魔術師として不要な感情であることは分かっている。けれど、何故そんな気持ち悪いものを受け入られたのか、興味が沸いた。


「あぁ、し……シッパイ、サゥ」


 対し、頬を綻ばせ――おそらく彼女なりの笑顔で、言葉が紡がれた。


「こ、れ、せぃ、コ、きぃ、た」


 同類なんだなと、双太は思った。女の子も同じように、ただ搾取され、虐げられるだけの存在だ。つまり彼女は、少し先の双太でもある。


「こわく、ないの?」

「コ、れ?」


 女の子が心底不思議そうな顔を浮かべる。


「なんでもない」


 義手を平然と受け入れている姿に恐れを感じた。これ以上踏み込まないように、知らないようにしようとかぶりをふって思考を切り替える。


「おれに、ハナシ?」


 そのためにまず、話を切り替えるのが先決だった。まさか義手を自慢するために来たわけではあるまい。


「え? え、えっと……あ、あ……」


 女の子は戸惑いつつも、言葉を絞り出す。


「あぁ、たが、あ、ま、ゥき、そ、た?」

「キミは?」


 やはり、自分を知っていたんだなと考え、彼女が来た理由も察しがついた。大した話ではないし、構いはしない。それより、こちらだけ名前を知られているのは不公平な気がして、聞き返した。


「ミ……ユ、アぁ-、ベル。ミユで、い」

「よろしく、ミユ」

「ありが、と」


 ミユははにかんだような笑みを浮かべる。名前を呼ばれて喜んでいるのは明白で、双太にはそれが偉く珍妙に見えた。名前なんて自分を表す記号でしかないし、大した価値もない。


「そ、ちゃん、でい?」


 おそらく「双太」は、ミユにとって困難な発音なのだろう。生来のものかは不明だが、どうにも呂律が悪い。


「いーよ」


 双太は迷わず頷く。「ちゃん」付けされるのは男の子にとって恥ずかしい事案なのだが、呼びやすいのなら仕方ない。対し、ミユは再度笑みを浮かべ、たどたどしく言葉を紡ぐ。


「そ、ちゃん。ママ、かぁ、うま、た?」


 ママから生まれたとは自然出産を指しているのだろうと考え、頷く。


「うらや、まし」

「どうして?」


 微かに声を弾ませたミユに対して、反射的に聞き返す。人工子宮でなかったがために失敗作になったと思っている双太にとってそれは、腹の立つ言葉だった。


「カゾ、ク。い、る。カゾク、あた、か」


 そうだなと、小さく、渋々と双太は頷いた。本当に温かくて、癒されるものであれば少しは違ったと思えた。彼女の語る家族は理想でしかなく、現実とはかけ離れている。そんなものは幻想でしかない。


「あぁ、しも、ほ、し。ユメ、み、ゥ」


 簡単なことだ。腹いせに言ってしまえばいい。そうすればすっきりする。一言で済む。


(そうしたら)


 ミユは泣くのだろうか、怒るのだろうかと思った。

 どちらにしろ、夢を壊されて絶望をするだろう。それは双太が今出来ることの中で、最も簡単なことだ。

 けれど、何故だかそんな気にはなれない。不器用に、けれども幸せそうに話すミユの姿を、もっと見たいと思った。


「ハナシ、ききたい?」


 思えば、そんな感情を感じ取るのは初めてだった。今までは、母親の悲しみや訓練相手から向けられる憎しみといった負の感情しか感じ取れなかった。喜といった正の感情を向けてくるミユの反応は新鮮で、心地よかった。

 ミユが頷く。

 双太は必死に記憶と言葉をかき集め、両親の馴れ初めについてたどたどしく話した。

 二人とも魔術師だったこと、魔術師と技術者としてバディを組んでいたこと。重の料理をきっかけに付き合いが始まり、やがて双太が生まれたこと。

 我ながら、下手くそだなと思った。飛び飛びになったかと思えばいきなり時系列が戻ったり、同じ話を繰り返したり、失敗ばかりで恥ずかしくなった。けれどもミユは終始笑みを浮かべて、本当に嬉しそうに、楽しそうに聞いていた。


「ありが、と」

「お、おう」


 話している間に足が疲れたのか、いつの間にか床に腰を下ろし、カプセルを背に肩を寄せ合っていた。話が終わり、ミユからお礼を言われたタイミングでようやく気づき、頬が熱くなる。


「まだ、い?」

「い、いいよ。ツギ、どんなのがいい?」


 一直線に向けられる眼差しを直視できず、そっぽを向きつつ素っ気なく答えた。


「え、と」


 ミユが多くのことを語った。

 そのどれも、何故そんなに知りたがり、憧れていたかは、見当もつかない。

 それでも、双太はまたミユと話したいと思った。初めて、幸福を願った。


 …


(うれしい)


 ミユは弾んだ気持ちで自分のカプセルに戻ってきた。

 それは無論、現実の家族について知れたこと、そして誰かと話せたことで、何より、戦い以外で誰かと繋がれたことが最上の喜びだった。


(あたし、さびしかったんだ)


 だからこそ分かった。本当は今日のように誰かとふれ合いたかったのだと。他者と繋がっていたかったのだと。それがミユにとっての幸せだったのだ。

 だがそれは、気づいてはいけないことだったのかもしれない。

 その日以来、ミユは全く勝てなくなった。自分以外の誰かを、本気で傷つけれらなくなった。


 …


 それから数日が経った。

 ミユと初めて会った後、双太は何故自分の居場所が分かったのだろうかと考えたが、簡単な話だった。データベースで確認したところ、最低権限でも施設内の人員、ランク、それぞれの居住区といった情報は閲覧可能で、ミユも同じ手を使ったことが容易に想像できた。

 そして、彼女と会いたかった双太は、同じ手段を選んだ。


「ジカンだ……」


 カプセルの中で小さく呟き、双太はデーターベースに向かって開放のアクションを命令する。

 小気味よい電子音と共にカプセルが開かれ、白い照明が射し込んでくる。目映さに眉を潜めつつ上体を起こし、一つずつ確かめるような慎重な動作で床に降り立った。

 入念に情報を確認したため、ミユの居場所に目星がついている。端末を操作してカプセルを閉じると同時に歩き出し、ほどなく自動ドアを抜けて廊下に出る。そのまま隣の部屋に入り、右の一番奥のカプセルに近づいた。よくよく目を凝らせば、カプセルの表面に「ミユ・アーベル」という文字が刻印されている。間違いようがない。

 一呼吸してから数度カプセルを叩き、


「ミユ。おれだ、そーただ。ハナシある」


 と言うと、すぐ反応があった。

 カプセルが開き、その中でゆっくりとミユが起き上がる。培養液塗れの状態で、以前は綺麗だと思っていた短い金髪も一転してだらしないものにみえた。


「はな、ぃ?」

「このまえ、かーさんとハナシした」


 ミユは小首を傾げ、双太はそれにドキドキしつつ、なけなしの勇気を振り絞って言葉を紡ぐ。自分の話で少しでも喜んでくれたら、楽しんでくれたらと思えば頑張れる気がしていた。


「それで、おしえてもらった。おれの、ナマエについて」


 それは以前何気なくミユが質問し、答えられなかった言葉だ。

 たくさん話して、たくさん質問されたが、それだけは答えられなかった。悔しくて、生まれて初めて母に相談した。


「そ、ちゃん。の?」

「ああ、おれのナマエ。……ききたい?」

「ん」


 今度こそ上手く伝えよう強く決意した。けれども緊張して、不安になって、声まで小さくなって、それでもミユはカプセルに半身を浸したまま、笑顔を浮かべてくれる。


「名付けたのは、とーさんらしいんだ」


 温かい気持ちと共に固さが抜ける。

「ん」

「それで、ツヨサとヤサシサ、どっちももったヒトになってほしいから、双太って名付けたらしいんだ」

「わか、な、ぃ」


 ぎこちなく小首を傾げるミユ。漢字が分からないのだろう。双太だって自分の名前以外の漢字は無知だ。仕方ない。


「おれのナマエのな、双太の「双」って字なんだけど……」


 それでも、双太は言葉を紡ぐ。何にも頼らず、自分の言葉で伝えることに意味がある。


「二つって、イミあるんだ」

「ふた、つ?」

「ツヨサとヤサシサ、二つともだ」


 胸を張ってそう言ったは良いが、ミユは小首を傾げる。「おかしいか?」と視線で訴えかけてみると、躊躇いがちに頷いた。


「おれ、ナマエ、きらいだった」


 だからこそ双太も、素直に言葉を吐き出せる。理解の範疇を超えた存在ではなく、同じ思いを抱いた同胞として、気負うことはない。


「シルシでしかないって思ってるし、こんな変なものにつり合わないと思ってた」


 強ければ、こんな場所におらず、ミユとこうして話していることもなかった。優しければ、ここにすらいられなかっただろう。

 分かっている。それでも、双太は憧れてしまったのだ。


「そういられたら、カッコいーなって思う」


 強ければ、こんなに怯えることもない。優しければ、ひょっとしたら、もっとミユの笑顔を見れるかもしれない。


(それは……えっと……)


 記憶の端から引っ張り出そうとした言葉は、


「ひ、ろぉ?」


 先んじて、ミユが口にした。


「な、たい?」

「わからない」


 素直に首を振る。ヒーローになりたいとは思わない。それでも、強く、優しくなりたいと思った。ミユと過ごすこの時間だけが生きてると思えたから、少しでも引き延ばしたかった。


「でも、ミユといるとたのしい」


 だから自然とその言葉が紡がれ、


「え……?」


 しばらく、ミユは茫洋ぼうようとした表情を浮かべ、今度は赤くなって双太から目を背けてしまう。新鮮な反応が嬉しかったが、「何故だろう?」という疑問も浮かぶ。率直に思っていることを伝えただけだ。おかしいことはない。


「おれ、わるい?」


 けれども不安になって聞いてしまう。

 ミユはふるふると首を振り、赤くなりつつもぎこちない笑みを浮かべる。


「たの、しい」


 頬が緩むのを感じた。初めて、笑えたかもしれない。嬉しくて、誰かと同じ気持ちを共有できて、幸せと思えた。


「ミユのナマエは、イミ、あるの?」


 弾んだ声音に対し、今度は一転、泣きそうな表情を浮かべてミユは言葉を返した。


「な、い」


 それは当然のことだった。

 この施設で両親が存在するのは、双太だけだ。殆どの魔術師が遺伝子技術によってデザインされた存在で、自分の名前の意味など知りようがない。そもそも、エレウシスにとって消耗品でしかない彼女たちに、意味を与える必要はない。


(でも……)


 それが不要だと思っていても、双太は言葉を紡ぐ。


「おれが、つくる」


 意味がないなら、作ればいい。


「おれが、ナマエのイミ、つくる」


 両親が自分に何かを願っていたのなら、生きてほしいと思っていたのなら、同じことをミユにしてあげたかった。自己満足でも良いから、世界中でただ一人、双太だけは彼女の名前に願いを込めたかった。

 だって、悲しすぎる。不公平だ。ミユは双太よりも家族をほしがっているのに、弱くて、独りぼっちなのだ。


「まってろ!」


 ミユといることが嬉しかったから、だから、独りぼっちにしたくなかった。


 …


(ナマエ……)


 双太が去ったあと、培養液に浸かりながら、ミユは考えた。


(イミ……)


 ミユも、考えたことがなかった。名前なんて記号でしかない。文字の羅列でしかない。それが当たり前だと分かってはいたが、ふと思ったのだ。家族が付ける名前も同じだろうかと。

 そして双太は、数日越しに答えてくれた。名前には意味があると、かくあれかしといった願いが込められていると。


(ツヨサと、ヤサシサ)


 その願いと、今の彼を比較してみる。

 強くはないだろうと考えた。自分と同じFクラスだ。絶対弱い。

 では、優しいかと考え、今度は首をひねった。優しいというのが何を指すか、皆目見当がつかない。

 それでも、双太が誰かに望まれていること、愛されていることだけは明白だったから、少しだけ嫉妬した。自分がほしいものを持っている彼と立場を交換してほしいと思った。何より、家族のいる意味を分かっていないことが腹立たしい。物申したい。


(でも……)


 それでも、彼は意味をくれると言った。誰にも、何も望まれなかった彼女に、何かを望んでくれるのだ。


(だから……)


 遠くないその日を楽しみにしようと思う。

 痛くて、苦しくて、寂しい毎日がまた始まるけど、数日後にはまた、幸せな一時が過ごせるから。彼の与えた意味が的外れでも、きっとそれは楽しい記憶になる。


(……おやすみ)


 ミユはゆっくりと瞼を閉じ、眠りについた。

 未来を夢見て。希望を噛みしめて。

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