未来Ⅱ

 Fランク魔術師の模擬戦は半径10メートル程度の密室で行われる。ガラス張りの床と天井、横に視線を向ければ冷淡な目で彼らを見据える研究者達と目があるが、それらに関して何か思うことはない。ただただ、目の前の敵が倒れるまで戦い続ける。それが、この地獄から抜け出す唯一の方法で、共通認識だった。

 だから彼――ライ・スミレノフも、いつものように言葉を紡ぐ。緋色の短髪、同じ6、7歳と比較して大柄な身体、けれども表情は年不相応な冷たさをたたえていた。


「ベフライエン――」


 言葉と共に脳内の魔力ファー回路ラーいう器官が駆動し、全身に魔力を循環させる。一泊遅れ、右腕に緋色の光が巻き付いた。光が螺旋のように回転し、瞬く間に形を変え、黒い金属で覆いつくされる。それはまさしく、鉄腕の名が相応しいエグゼ・フォーミュラだった。


「おおおッ!」


 エグゼ・フォーミュラの解放から息を吐く間もなく、ライは地を蹴っての今回の模擬戦相手、ミユ・アーベルという名前だった金髪の女の子に向かって突き進む。


「ベフライエン!」


 ミユが正面にかざした青い球体が輝き、次の瞬間には鎖が彼に向かって解き放たれる。彼が魔力のみデバイス――エグゼ・フォーミュラの発言を可能とするなら、相手は機械を通しでしか魔術を使えない劣等だ。現にその動きはひどく緩慢で、ライは身をひねることで難なく鎖をかわしつつ、


「ギガンティシュ」


 相手を潰すさんと、次の術式を駆動させた。

 右の鉄腕を中心に赤い五芒星が描かれると同時、それが一気に肥大化し、彼の体躯を優に超すほどの大きさとなる。猛烈な重量に歯を食いしばりつつ、ミユ・アーベルへと叩きこむ。


「ぁ……ッ!」


 みしりと、何かを潰すような不快な感触。死んだかもしれないなと考え、そのまま腕を振り抜いた。

 轟音が轟き、ミユが背後の壁に吹き飛ばれる。跳ね返り、力なく床に崩れ落ち、慣性のまま数度バウンドした。


(みにくいな……)


 冷ややかな目で見据えつつ、ミユの状況を確認する。

 微かに痙攣しており、かろうじて生きていることが分かる。しかし、身体は変な形に変形し、顔も半分ほど歪み、右腕は完全に潰れていた。現にミユはいっさい自らの意志で動く素振りを見せず、ただただ自らの身体か吹き出た血の池に沈み込むばかりだった。


(……もう、ムリかもな)


 冷静に判断する。それは今の戦闘だけなく、これからのことを指しての言葉だ。素人目線だが、ライの経験上身体の変形は何とか治るだろうと思っている。しかし顔の外見はともかく、脳は治しきれないだろうと考える。右腕は論外だ。手の施しようがない。となれば何かの障害が残ることは確実で、それは彼女が魔術師として終わることを意味していた。


『――終了だ』


 部屋に内蔵されているスピーカーから研究員の声が響く。

 ライはそれに小さく頷き、きびすを返した。

 自らが殺めたともいえるミユのことは、もう忘れる。弱者は狩られ、強者だけが上に上っていく。エレウシスは徹頭徹尾弱肉強食だ。だからライだけでなく、誰もがこの道を突き進むしかない。

 強さを求めること以外、全ては不要なのだ。

 そしてこの三日後、ライはEクラスへと昇格を果たした。


 …


 ――傷の治療は、完了しています。

 ミユが意識を取り戻すと共に同時に耳朶じだを打ったのは、無機質な合成音声だった。敗北した彼女はいつものように重傷を負って、カプセルで治療を受けていた。負けすぎで、もう悔しさすら感じなくなった。

 目を開け、茫洋と正面を見据える。カプセルの中は、思いの他快適だ。温かい緑色の液体が戦闘服ごと身体を包み込み、ずっと入浴しているような気分になる。数時間後にまた模擬戦が始まるが、この時間はミユにとっての唯一心休まる時だった。


(あ、れ……?)


 しかし不意に違和感を感じ、ミユは理由を考える。目を再度閉じ、データーベースにアクセスをかけ、何度かバイタルチェックを走らせる。それらの結果は全て問題なしと返ってきた。

 首を傾げつつ、今度は身体を動かしてみる。

 右足は動く。

 左足も動く。

 右足も動く。

 右腕が、少し重い。


「…………!」


 そして、次の異変に気づいた。

 声が、上手く出ない。引っかかるような、何かに押さえつけられているような感覚だった。


「み……ゥ。あ、……ェル」


 必死に、ゆっくりと、自分の名前を呟いてみる。上手くいかない。今まで出来ていたことが出来ない。


「え……うッ……」


 呻きながら、データベースにアクセスする。何よりもまず、自分がどうなってしまったのかを知りたかった。これが一過性のものに過ぎないと、希望を持ちたかった。


(あっ……た)


 すぐに情報を見つけ、閲覧する。


「……!」


 そうして、自分の中の何かが崩れる音を、ミユは聞いた。

 

 ――処置結果:脳の損傷、右腕圧壊。脳については後遺症の可能性あり、右腕は切断後義手を移植。


 それが、ミユに起こったこと全てだった。

 何かの間違いだと考え、何度もデータベースに検索をかけた。けれど答えは変わらず、たただ残酷な現実のみを突きつけた。

 おそるおそると、右腕を動かし、軽く握ってみる。ちゃんと動くし、感覚もある。しかし地肌と違って濁った黒色で、左腕と比べても二回りほど太かった。

「――――」

 まさかと思い、魔力を通してみる。同時に、エグゼ・フォーミュラなしでは浮かび上がらないはずの術式が脳内に浮かび上がり、訳も分からずそれの一つを選択した。

 瞬間、右腕を中心に黒い魔方陣が浮かび上がる。と同時にそれは一直線に伸び、カプセルのふたを轟音と共にぶち抜いた。

 茫洋ぼうようとしながら、伸ばした腕へと命令を送る。右、左、上下、旋回と、我が意のままに動くそれは間違いなく優秀な腕で、彼女のものではなかった。。

「――――」

 泣き笑うような顔で次の命令を送ると、腕が五つに分裂し、狙い通り、天井を貫いた。

 そのまま、ミユは泣きながら腕を振るい、破壊を続けた。自分が人間でなく、化け物になったことを、弱いからそうなったしまったことを、何度も何度も刻みつけた。

 死にたいと、思った。


 …


 今度は、勝った。

 腕を移植されてから3日後、ミユは喜びもせず、そう思考した。相手も自分と同じ落ちこぼれだったが、勝ちは勝ちだ。


(でも……)


 カプセルの中で漂いながら、ミユは思った。

 戦い続けて、勝ち続けて、そこに何が残るのか。生きるためには、戦うしかない。負ければ、よりおぞましいものになるか、死ぬかだ。けれども思う。ミユが敗北によって右腕を奪われたように、勝利によって何かを奪うかもしれないのだ。どうしても割り切れない。相手が苦しむ姿を考えると、怖くなる。

 要らない感傷だと分かっている。それでも感情がこみ上げ、両手で顔を覆いながらかすれた声で泣いた。


「……ぁ、ぁぁ……!」


 泣かなければ、本当に壊れてしまいそうだった。

 根本的に、ミユは戦う人間ではない。普通の世界なら、花木を愛で、健やかに、優しい女性へと育っただろう。だからこそれは、エレウシスで生きる為には致命的な欠陥だった。生きるためなら、全てが敵だと思えば良い。殺されないために、殺せば良い。それはミユにとって何よりも残酷なことで、一つの真理だ。逃げるようにデータベースへとアクセスし、今日もまた電子データで保存された絵本を、立体映像として目の前に出現させた。

 泣き濡れた顔のまま無言で絵本を読み込んでは、慣れた手順で命令を送り、ページを進ませていく。何度も何度も繰り返し読み、徐々に涙も止まり、頬は笑みを浮かべ始めた。

 それは、ただただ当たり前の話だった。森があって、村があって、家があって、両親と、二人の子どもである女の子がいて、幸せに暮らしている。普通で当たり前の世界は、けれどもミユにとってはどうしても届かず、憧れるしかないおとぎ話フェアリーテイル

 その世界を、何度も見て刻み続けること。それだけが、ミユの心を癒すたった一つの方法だった。


 …


 数週間後。

 以前までと違い、五分の成績で安定して勝てるようになっていた。

 そのおかげで余裕ができたか、ミユはある噂に対して疑問を持つようになった。

 曰く、同じFランクには幸せな落ちこぼれが存在するらしい。

 初めて聞いた時は意味が分からなかったし、矛盾しているように思えた。疑問に思いつつデーターベースを検索し、それが「天月双太」という2歳下の男の子を指していることを掴んだ。試しに戦績を漁ってみれば、何度か対戦の経験があった。しかも最後の対戦が3日前と比較的直近だった。

 試しにどんな人間かと思案してみるが、全くイメージが沸かない。苦しむだけだから、知ろうとしなかった。それは無意識的なもので、ミユは何でだろうと思いつつデータベースで検索をかけ、天月双太の情報を閲覧する。

 

 名前:天月双太

 登録日:2104/11/1

性別:男

 魔術属性:火

カテゴリ:先天性魔術師(自然出産)


「ぇ……?」


 最後に書かれた文字を思わず凝視した。

 自然出産。つまり、人体から生まれたことを指す。ミユのように人工子宮ではなく、生身から生まれたということだ。


(これ……)


 驚きのあまり硬直し、息をすることすら忘れた。

 しばらくして唐突にむせ込み、ようやく我を取り戻すと、少しずつ頭が回り始めた。

 つまり、天月双太には家族がいる。同じFランク、しかも自分にも負けるような人間だ。彼の境遇も決して幸福ではないが、望まれて生まれたことだけでも至極価値がある。自分を無価値と考えているミユにはそう思えた。

 羨ましかった。だから、知りたいと思った。

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