Name ~metamolphoze~

流上進

第零章 希望

未来Ⅰ

 曰く、人は平等ではない。

 病めるもの、健やかなもの。貧しいもの、富めるもの。弱いもの、強いもの。そして、持つもの、持たざる者。

 死という絶対の結末を除き、この世の全てのものは分配されず、不平等に、作為的に振り分けられる。どれだけ努力をしようと、どれだけ足掻あがこうと、決して壊せぬ壁は確固として存在し、すべからく砕かれ、散っていく。弱肉強食の名の通り、弱者を強者が制し、強者が世を統べる。

 であれば、世を統べるにはより強い、進化した人類が必要だと彼――ジオルド・F・ワイズマンは結論付けた。

 そうして彼は「魔術」を提唱し、「魔術」を扱うための魔術師を研究する組織、エレウシスを設立した。

 

 世は強者がべるもの。

 強者でなかれば価値がない。弱者はただ、朽ち果てるのみ。


 彼は組織においてその理念を徹底し、十数年もの間毎日数百人の魔術師を生み出しては互いに殺し合わせている。そしてその言葉の通り、強くなればなるほど自由に生きる権利を与え、弱いものは徹底して虐げ、蹂躙じゅうりんしていた。

 悲しみはする。同情もする。だが彼はこうも思う。弱いだけのゴミに生きる権利などない、と。

 

 …


 金山かなやま未恵みえは落ちこぼれだった。

 魔術師として調整されたものの模擬戦や訓練は失敗続きで、一時期は処分対象にリストアップされていた。運良く研究者としての才能を見いだされ、以降は平穏な暮らしを手にしたが、「失敗作」の烙印らくいんを押されたことに変わりない。

 だから彼女は、何も期待しないことに決めた。

 魔術組織エレウシスでは、能力の優劣が全てを決める。有用性を示すには必死に研究を行い、組織に能力を示すしかない。死ぬのは怖かった。そして、他の魔術師達のように身体も心も弄くり回され、自分が何かも分からないまま死んでいくのはもっと怖かった。だから未恵は、全てを研究に注いた。生きるために、最悪の結末を迎えぬよう、一人で抗い続けた。

 しかし、生きるにはそうするしかないと思いながらも、ある日、幸せを望んでいたことに気づかされる。

 きっかけは、Aランク魔術師、天月あまつきしげるの手料理を食べたことだ。元々重のエグゼ・フォーミュラ――魔術を行使するためのデバイスは未恵が設計したもので、そのお礼がしたいとのことだった。時間が勿体ないと思いつつも無下には出来なかった。渋々重の部屋に訪れ、「カレー」を食べた。それがおいしかった。施設内の食事は栄養カプセルのみで、最適な成分調整によって過不足なく栄養を補給できる。対し、カレーは不細工で、汚くて、変な臭いで、栄養が偏りは明らかなのに、満たされた。それから一ヶ月ほど、重の部屋で手料理を振舞ってもらう日々が続いた。付けされたと言っても良い。

 その中で、彼を知った。エリートだと思っていた彼が、自分と同じように人しての幸せを願っていたこと、不器用なこと、誠実なこと、意外と天然で空気が読めないことを知った。

 重に惹かれる日々の中、眠れない夜を何度も過ごした。心の底から自分は幸せになれないと思い込んでいたから、その呪縛は容易に解きほぐせなかった。重と何度も喧嘩けんかしたし、データベースを通して外の世界に憧れるたび、数え切れないほど自分を卑下した。それでも願望はついえず、ようやく幸せになりたいと認めることが出来た。そこから自分なりの幸せにを探そうと模索し始めたところで、自分の恋慕にも気づいた。初めての感情を上手く表現できず、重が鈍いことも重なり、きちんと想いを伝える為に3ヶ月を要した。

 それまでが慌ただしかった反動か、結ばれてからは比較的穏やかな生活を送った。同じ部屋で暮らし、重は魔術師として戦場に向かい、未恵は研究に明け暮れた。けれども必ず二人きりの時間はとるようにしたし、その時間は何にも代え難いほど幸せだった。

 だから子どもを授かったと分かったとき、二人は迷わず産むことを選択した。

 

 …


 重と未恵の部屋はよく言えばシンプル、悪く言えば無愛想といった印象がぴったりだった。家具としてツインベッド、テーブルに、ソファー、調理器具一式が存在し、隅っこには最近取り寄せた赤ちゃん用のベッドが置かれている。壁や床に装飾は加えられておらず、華やかさから無縁だった。それでも彼ら夫婦にとってここは唯一人間でいられる居場所で、何事にも代え難い楽園だった。そして昨夜、二人の愛の結晶がこの世に生まれた。夫婦による二人三脚の出産は薬品を用いても壮絶だったが、それらも全てが、この瞬間のためにあった。


「温かい……」


 だからこそ未恵は我が子をかいなに抱き、その重さ温もりに微かな罪悪感を感じ、同時に幸せを感じた。


「未恵が起きるまでは、泣いていたんだがな」


 ワイシャツにジーンズと、シンプルな格好をした重がベッドに腰掛けつつ、苦笑を浮かべる。そのまま自然な動作で彼女のセミロングの黒髪を撫でた。その手つきはいつものように優しく、心地良い。

 出産の疲労もあって未恵はすぐ気を失ったが、重が一晩中起きていたことは顔色から容易に想像できた。赤子や未恵の身体を拭き、それぞれの服を着せ、自分も着替えた後はつきっきりだったのだろう。天月未恵の夫はそんな男だ。不器用なくせに真っ直ぐで、誰よりも身内に尽くす人間だ。


「重ちゃん……」


 大丈夫、と声をかけようとして止めた。それは不必要な言葉だ。遠慮なんていらない。


「家族になってくれて、ありがとう」


「礼を言うのは僕の方だ」


 対し、重も優しい声音で返した。


「こんな日が来るなんて、思わなかった」

「私も……」


 重の言葉に頷きつつ、未恵は苦笑を浮かべた。

 たった一年前のことなのに、重と会うまでの暮らしを思い浮かべると、気が重くなってくる。重と過ごした時間、交わした言葉と感情、今抱いている赤子の存在を何よりも幸せだと思っているこそ、間違ってなかったと確信できた。


「重ちゃん、愛してる」

「僕もだ。君を、君達を愛している」


 睦言むつごとを交わし、一度口づけを交わした後、未恵は努めて明るい話題を振る。


「どうして……双太そうたって名前なの?」


 双太。それが二人の子どもの名前だった。検査によって性別が分かった後入念に話し合い、重が名付ける形になった。随分と悩んだらしく、先日徹夜で考えてようやく決まったという話で、実は未恵も詳しい理由は聞いていない。

 重は静かに頷き、


「この子に、人として強く、優しくあってほしいと考えて名付けた」

「それで、「双」なの?」

「ああ……」


 強さと優しさ、どちらもあわせ持つもの。一年前であれば、未恵はそれをあり得ないことと嘲笑ちょうしょうしただろう。だって、その二つは矛盾している。エレウシスでいう強さは他者を蹴落とす冷酷さであったし、優しさとは蹴落とした相手への憐憫れんびんでしかなかった。徹頭徹尾弱肉強食の世界で、弱いものを守るための力も、弱いものを支えるための優しさも、決して存在できなかった。


「良い名前だね」


 それでも、未恵はその名前を気に入っていた。

 かくあれかしと思う。それこそが未恵と重が二人で掴んだ幸せであり、双太にはもっと幸せになってほしいと心より願う。


「重ちゃん……」


 だから確認する。これからのことを、これから生きる道を。


「双太は……双太ちゃんは、魔術師なの?」

「ああ、遺伝子調整を用いない、初めての魔術師らしい」

「やっぱり、そうなんだ」


 未恵は頷き、怯えるように双太を抱きしめる力を強める。


「これからどうなるかは、分からないし、保証もできない」


 その言葉に対し、未恵も頷いた。

 エレウシスという組織がもし双太を弱者として、ただの実験体として扱うのなら、守るために離反するしかない。裏切り者がどうなるか、本当にここから抜け出せるかは分からない。それでも、それしか道がないのなら選ぶしかないと観念した。

 早い話、魔術師であることを未練を断ち切れなかった。だからまだ、離反という選択肢を選べなかった。

 故に、この時選択できなかったことを、魔術師でなく、人の親として生きる道をを選択しなかったことを、二人は何度も何度も後悔することになった。

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