第9話 見直すまでがテストです!

「えー、じゃあ柳さんも宮ちゃんって呼んじゃいなよー」

「いきなりはムリですよー」

「宮田先生、気にしないって」


 クラスに馴染める気がしない、と相談すると菊池先生は『そんなの簡単だよ、“馬を欲するなら将をオトせば早い”って言うじゃん?』とウインクした。わたしでもそれは違うとわかる。

「みんなが1年かけて築いた関係に飛び込むのは勇気がいるけどさ、そういうの汲める人だと思うよ……宮田先生は」

「うーん……でもなぁ」

「じゃあせんせーから言っといてあげよ」

「それって逆に恥ずかしくないです???」

 カント○ーマアムをもぐもぐ食べながら、「そおかな」と先生は肩をすくめた。本当にお菓子を持ってくるとは思わなかったわたしも、恐る恐るそれに手を出す。マジでゆるい、この人は。鈴木先生とは大違いだ。

「まあ、いいや。先生そろそろ午後の準備があるから、行くね。柳さん、お昼ご飯はどうしてるの?」

「売店で、パンとか買う……予定です」

「マジ? あそこ、混むからなぁ。誰と食べてるの?」

「昨日は……ちょっと、それどころじゃなくて」

「じゃあ今日は誰か誘って食べなよー」

「難易度たかっ」

 えーむりむり、と訴えたが菊池先生は悪戯っ子のように「くふふ」と言って立ち上がった。「じゃあまたねー」と部屋を出ていってしまった。


 椅子に背中を預けて、わたしはぼんやり考える。友達が欲しいなぁ、と呟いた。ため息をついて、わたしも国語準備室から出た。


 ゴムが床に擦れる音がする。顔を上げると、猛烈な勢いで走ってくる影があった。

「はっ? 渡くん……?」

 走ってきた渡くんは、わたしの前で急ブレーキをかける。「センパイ!」と目を輝かせてわたしの肩を掴んだ。

「お昼ご飯、食べましょう! ボクと一緒に!」

 わたしは思わず、瞳を潤ませてしまった。


「友達、いたんだったぁ……!」




××× ××× ××× ×××




「でもそれは、どうかと思いますよ……柳先輩」


 もさもさと焼きそばパンを食べながら、渡くんは言う。わたしもアンパンを頬張った。ちなみに購買のおばちゃんは、ちゃんとパンを取り置きしておいてくれていた。

「ボクだけが友達って、まずいですよ」

「まずいかな、やっぱり」

「だってボク、そのうち彼氏にレベルアップするつもりですし」

「そういう問題か」

 焼きそばパンを綺麗に食べ終えて、渡くんは長い指で口元を拭う。

「思うに先輩は、ちょっと気を使いすぎなんじゃないですか? もっと素のままでいった方がいい、というか。先輩は素敵な人ですよ、もっとガッツンかましてやりましょうよ」

 わたしはため息まじりにカレーパンを食べる。「なんで渡くんはそこまでわたしを評価してくれるの?」と尋ねれば、「一目ぼれパワーです」とはにかんで答えた。答えになってないし。

「えー、なんか理由がないとこわいよー。嬉しいけどー」

「理由なく落ちるのが恋ですよ、センパイ!」

 悲しいかな、わたしは自分に一目ぼれされるほどのスペックがあるとは思えない。だけど渡くんが嘘をついているようにも見えない。


「渡くん……」

「なんですか」

「わたしとずっと友達でいてね……」

「ヤですよー。話聞いてましたか、センパイ」


 スマホで時間を確認して、渡くんは立ち上がる。「午後もテストなんですか?」と言われて、わたしはうなづいた。

「頑張ってくださいね、センパイ。友達作りも、ファイトです! ああでも、男の友達は作らなくていいんですよ!」

「ありがとう……頑張るね……」

 男の友達は作らなくていいんですよ! ともう一度言って、渡くんは走っていく。それを見送って、わたしも歩き出した。「頑張るぞっ」と自分を鼓舞する。ひとまず、午後のテストだ。




××× ××× ××× ×××




「グッドゥ アフタヌゥン ミズ ヤナギ!」

 突如として現れた白髪のおじさんはそう挨拶をしてきた。わたしは呆然としながら、「ぐっ あふたぬーん みすたー」と返す。おじさんは「グレィト!」と大袈裟に喜んだ。

「ナイストゥミイトゥ アイム ミドリカワ! ウェルカムトゥ~~~~マイホーム!!!」

 マイホームではないでしょ。何このやばい人。


 すると、おじさんの後ろから髪を結んだ女の人が現れた。おじさんの背中をバシィと叩く。

「緑川先生、日本語でオーケーです」

「えっ? でも帰国子女だって聞いたよ」

 ああそれはわたしのせいですね。すみません、日本から離れたことのない雑魚で。本当にすみません。


「自己紹介をしましょう、緑川先生」と女性の方が言う。

「お、そうだね。私は緑川。科学を担当しているよー」とおじさんは手を広げて笑った。いや英語じゃないんかい。

「そして私が、畠山。英語の担当です」と女性が軽く会釈した。いやあなたが英語かい。


 さてと、と畠山先生は目を細める。

「緑川先生、気はお済みですか?」

「えーっ!? もっとミスヤナギと話したいー!」

「あなたは授業があるでしょ。どうしてもと言うから連れてきましたけど、挨拶が済んだら出て行ってください。テストを始めるので」

「やだやだー! 柳さん! 私と話したいよね? こんな氷みたいな先生じゃなくて私と……いててててて」

 畠山先生に頬をつねられた緑川先生が、涙目で「だってみんな柳さんと挨拶を済ませたのに私だけ乗り遅れるの嫌だったんだもん」と訴えた。「はいはい、挨拶はしたでしょう? 早く授業に行ってください」と部屋から出そうとする。

「わーん、畠山先生の鬼ー! 柳さん、私の名前だけでも覚えていってねー!」

 という言葉を最後に、緑川先生は姿を消した。「本当に困ったおじさんだわ、まったく」と言って畠山先生が向き直る。


「めちゃくちゃ名前覚えました」

「そうでしょうね」


 座って、畠山先生は微かに笑った。「ついでに私の名前も覚えて行ってくださいね、ミズ……ヤナギ?」とわたしの顔を覗き込む。

 は? わたしにあと5年ぐらいの社会経験があったらディナーに誘っていたが?? このお姉さんも攻略キャラですか???

「残りは社会のみ。ごめんなさいね、学習状況を把握したいから歴史・地理・公民の問題が全て入っているけれど」

「頑張ります! 先生に応援してもらったらめちゃくちゃ頑張れます!」

「え……? 頑張ってくださいね」

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 やる気がみなぎってきた。すごくできそうな気がする。「始めてください」の合図と同時に紙を裏返した。なるほど! さっぱりわからん!

 いや待て待て待て。社会は他の教科と違って、中学で習った事柄をさらに深めた内容って感じだ。思い出せ、思い出すんだ中学の頃を。やったはず……歴史も地理も公民も……。

 ちょっと息を吐いて顔を上げると、畠山先生が姿勢よく本を読んでいた。全人類をオスにする美しさ。ジャスティス。思わず見とれていると、「まだ時間はありますよ、見直してみてくださいね」と言われた。こちらをまったく見ていないものと思っていたので、わたしは慌ててテストに目を向ける。


「終了してください」


 そう告げられて、わたしは鉛筆を置いた。「よく頑張りましたね」と畠山先生が言う。おいおいおいおい、『氷みたいな』とか誰が言ったんです? 最高にホットだぜ彼女は。

「あ、あの……先生」

「なんでしょう」

「先生には……その……お付き合いされている方とか……」

「夫と子がいます」


 異世界初めての失恋である。




××× ××× ××× ×××




「なーにふてくされてるんだよ」

 そう言って、宮田先生がわたしの頭に辞書らしきものを載せた。「重いですー」と抗議すれば、先生はけらけら笑う。

「畠山先生、結婚してるんだって。知ってました?」

「知ってたけど。何お前ショック受けてんだ」

 椅子の上で膝を立てて、宮田先生が目を細めた。「それでどーだったんだ、テストは」とわたしを見る。

「…………せんせ」

「ん?」

「宮ちゃん……先生って呼んでいいですか」

「なんで今それなんだよ」

「宮ちゃん先生って呼んでいいですか!」

「勢いが凄い」

 困惑した様子で宮田先生は一歩引いた。「どうしてお前たちは俺をそう気軽に呼びたがるんだ。威厳が足りないのか?」と顔をしかめる。


「あのな、そういうのは先生から”イイヨ”とは言えないわけだ」

「ダメなんですか……?」

ㅤこほんと空咳をして、宮田先生は片目をつむった。「そういうのは、承諾をとったりせずに自然に呼びなさい」とささやく。わたしはパッと目を輝かせて、「宮ちゃん先生!」と呼んだ。「全然自然じゃなーい」と宮田先生が嘆く。

「で、テストはどうだったんだよ」

 言葉を詰まらせながらわたしは目をそらした。「テストがどうだったかは、先生の方がご存知だと思うんですけど」とぼそぼそ言う。先生は「所感だよ、所感」と肩をすくめた。

「全然です……」

「全然かぁ」

 なぜかにやにやしている先生に、わたしは少しムッとする。いや悪い、と宮田先生は喉を鳴らした。


「テストを見れば、生徒の性格とか癖とかがわかってくるもんなんだが」

「はぁ……」

「先生方がな、みんな言ってたぞ。『出来はともかくとして、素直で教えやすそうな子で安心しました』って」

「それは褒めていらっしゃる……?」

「実際、今回のテストの出来は気にしなくていい。むしろ、思ったより出来ていたよ」


 そう励まされて、わたしは姿勢を正す。

「もう採点終わったんですか?」

「終わってるよ」

「結果、見たいです」

「明日にしたらどうだ。今日は帰っていいんだぞ」

「でも……」

 わたしの中にはたぶん、焦りがあって。


 人が用意した自分で、人がお膳立てした環境で、それでも上手くいかない不甲斐なさとか。こういうのをもしかしたら、ホームシックと呼ぶのかもしれないけど。勉強ができたって解決する話じゃなくて、だけどみんなと同じことを同じ気持ちで早くやりたかった。

「先生、残業になっちゃいますよね」

「それは別に構わないが。残業なんか教師になった時点で確定演出だからな」

「ぶ、ブラックぅ……」

「放課後残るか?」

「いいんですか」

「ホームルーム終わったらまた国語準備室に来いよ。テスト返して、簡単に解説するから」

「宮ちゃん先生……」

「今のは結構自然だったぞ、その調子だ」

 言いながら先生は席を立つ。それからわたしを振り返って、「教室に戻るぞ」と笑った。

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