第8話 大人でも、テストという響きは苦手らしいです。

 今日もギリギリで間に合ったわたしは、肩で息をしながら席につく。

「やっ、ゲホッ、やしろくっ、八代くん、おはよっ」

「……あんたどこから登校しているんだ? 徒歩圏内の疲れ方とは思えないな」

 そんなやり取りをした次の瞬間には、1日の始まりを告げる鐘が鳴り響いた。本当にギリギリだった。


 やはりアンニュイさを隠す素振りもなく、宮田先生は現れる。

「おはざーっす」「宮ちゃんはよー」「宮ちゃんが一番遅刻じゃん?」

「ハイおはよー。俺は遅刻じゃありません。お前らより30分も早く学校についています真面目だから」

 頭をかきながら、宮田先生が出席簿を開いた。昨日と同じように出席確認をしていく。終わった後、先生はわたしを見た。

「柳、お前は今日別室」

「マジすか……そりゃそうか……」

 テストって言ってましたもんね……。

 先生が手招きするので、わたしはそーっと前に出ていく。宮田先生はコホンと空咳をして、全員に口を開いた。


「ここにおわす転校生サマは、お前たちが2日かけてやった学力テストを、今日1日でやられるのだぞ。ハイ敬礼!」


 ノリのいいクラスメイトが一斉に敬礼をした。「1日でやるんだ、アレ」「宮ちゃん鬼じゃん」「頑張れガーナ!」とヤジが飛ぶ。いや誰だわたしのことガーナって呼んだやつ。ガーナに謝れよ。

 行くぞ、と言われてわたしは素直について行く。

 教室を出る瞬間、冬樹くんと目が合った。冬樹くんはにっこり笑って何か言いながら、小さくガッツポーズをしてみせる。その唇は、『がんばれ』と確かに動いていた。


 は? イケメン自重。さすがのわたしもドキッとしたんですけど、心臓に悪いのでやめてください。


 振り向いた宮田先生が、「お前すごい顔してるけど大丈夫?」と声をかけてきた。わたしは何も言わずにうんうんとうなづく。

 国語準備室に通されたわたしは、案内されるがままに先生のものと思われる机を前にして座った。

「んじゃあ、これからテストを始めるが……お前、そんなに硬くなるなよ。どうせ成績に響くようなもんじゃないんだし」

「テストと聞くと拒絶反応が……」

「ふふっ……わからないでもないけどな」

 うつむきがちに笑って、先生は机に紙を置く。テスト用紙だ。裏返っていてわからないが、どうやら問題と解答用に分かれているらしい。

「原則、テストは1教科40分。『もうたくさんだ』と思ったら言ってくれ。早めに切り上げてやるから。でも延長はしないからな」

「あ、ふぁい」

「で、試験官はその時間に授業が入ってない先生方にお願いしてるから。最初の1時間は俺だが、他の先生方にも失礼のないように」

「ひょえ~……お手間かけて申し訳ねぇ……」

「そう言うな。言ってしまえば今回のテストは教師陣おれたちの為にやるんだ。転校前の学校ともっと情報共有できればよかったんだが……なんせ遠くてな。実際に見てみたほうが早い」

 それから先生は思い出したように、「だってガーナまでは行けねえだろ、さすがに」と笑いをこらえながら言った。鉄板ネタ扱いマジで勘弁です。


 鐘が響いて、先生は静かに「始め」と告げた。


 わたしは紙を裏返して、問題を見つめる。教科は国語だ。

 まあ国語はアレですね、チンプンカンプンってことはないっすね。よーし!

 とか何とか意気込みながらもわたしは古文で普通に詰んだ。鼻水出るぐらいわかんない。

(こういうのはフィーリングが必要なのよ……カノン……考えない、感じるの……)

(いや正気になるんだカノン。テスト問題でフィーリングが解決したことなんてあったか? これはお前の実力を測るものなわけだから、下手に勘が当たってしまうよりも、『ここがわからない』と正直に示したほうがいい)

(でも『こんなこともわからないの?』と失望されたくないでしょう、カノン……)

 わたしの中の、天使だか悪魔だかわからないけどとにかく勉強できなさそうな人格たちが議論を始めた。どちらにせよ勉強できないなら黙っていてほしい。


 やべ、鼻水出る。


 ちらりと先生の方を見ると、こちらには目もくれずにコーヒーを飲みながらめっちゃ仕事をしていた。どうりでいい匂いがすると思った。

 そんな宮田先生の様子に少し気持ちが落ち着いて、わたしはまた問題と向き合う。

『次から頑張る』この気持ちが大切なんだ、人生。今回ダメでも次がある。次のための失敗もある。よし、その調子だぞ奏音。全部ポジティブに考えていこうな。


「先生!」

「どうした」

「ごちそうさまです! 次の教科お願いします!」

「先生な、諦めの良さは美徳だと思うぞ」

「ありがとうございます!」


 笑いながら、宮田先生は「10分休憩。トイレにでも行ってきなさい」と言ってくれた。わたしは伸びをして、時計を見る。まだ30分しかやってなかった。こんなんじゃ、呆れてるだろうなぁ先生。頑張らなきゃ。

 わたしが座ったままぼんやりしていると、『外に出ないのか?』という顔で先生は見てきた。慌てて、廊下に出てみる。行くところなんてないんだけど。

 まだみんな授業中みたいで、近くの教室から先生方の声が聞こえるだけでひどく静かだった。

 いけないと思いながらも、わたしは今出てきたばかりの国語準備室をドアの隙間から覗く。宮田先生はどうやら早速わたしの答案用紙に丸を付けているようだった。


(くそ笑ってる! くそ笑ってる! なんか知らんけど、めっちゃ笑ってるぞ!?)


 わたしは一歩引いて深呼吸をし、あたかもたった今トイレから戻ってきましたという顔で引き戸を開ける。「早かったな」と先生が言うので、「先生いま笑ってませんでした?」と尋ねてみた。先生は肩をすくめ、「まったく」と答える。

「もう少し休憩してていいぞ」

「次のやりたいです」

 先生方に申し訳ないし……早く終わらせたい。


 先生はテスト用紙を机に置き、「この時計で9時25分になったら始める」と宣言した。わたしは時計の針が動くのを待つ。カタリと音がして長針が動くと、「始め」と先生は言った。

 今度は数学だ。正直、さっぱりわからない。中学の時に習ったような数式だけ記憶を頼りに解いて、あとは虚無顔で見つめるしかない。ふと宮田先生を見ると、先生は口元を手で隠しながらこちらを見ている。

 コレ絶対に笑ってますね???

 おっさん何わろとんねんという気持ちは若干あったが、わたしは仏頂面のまま鉛筆を動かし続けた。動かしているだけでまったく解ける気はしない。『こういうのは基本、中学のころ習った方程式の応用だから』と涼しい顔で言っていた親友を思い出した。由依……ごめん、話は聞いてたんだけど全然思い出せない。


「先生」

「はいはい」

「ギブで」

「ウケる」

「何ウケてんすかマジで」


 わたしが机に突っ伏したその時、鐘が鳴った。宮田先生は笑いながら答案用紙を回収し、「じゃあ俺はここまでなんで。頑張れよー」と言って部屋を出ていってしまう。わたしは半べそをかいて座り直した。

 しばらくすると、ガラガラ音を立てて引き戸が開く。振り向けば、逆光で目が痛くなった。

「鈴木です」

「あ、存じております」

 確か、数学の先生だ。めちゃくちゃ覚えてる。


 鈴木先生はにこりともせずに近づいて、腕を組みながらわたしの横に座った。何かぼそぼそ喋ったけど聞こえない。「はい?」と聞き返せば、「数学のテストですが」と言われた。

「あっ、数学はもうやっちゃいました」

「さっきの時間は国語だったのでは?」

「国語が早く終わったので、数学もやっちゃいました」

 見るからに鈴木先生は顔をしかめて、「やっちゃいました?」とオウム返しする。それからため息をついて、「宮田先生も困った人だな」と呟いた。


「確かに今回のテストは成績に反映されるものではないにしても、テストは規定通りにやるべきです。条件を他と同じくしなければ、本当の実力というものがわからないでしょう。それに僕は、『数学のテストだから』と言われて請け負ったのですが」

「す、すみません……」

「……いえ、君の落ち度ではありませんので。宮田先生が多分に雑というだけです」


 うっ……。

 確かに宮田先生はちょっと若干ほんの気持ち程度雑かもしれないけど、いい人なのに……。「でもぉ、宮田先生なりにぃ、優しいっていうかぁ」と言い訳しかけると、鈴木先生は「そうなると次は英語ですね」なんてばっさりスルーされた。ど、ドライだぜ……。

 仕方なさそうに問題用紙と答案用紙を机に置かれた。「あと4分で始めます」と告げ、先生は何やらラジオをいじり始める。息の詰まるような4分、先生は口を開いた。

「最初にリスニングの問題があるのですが、飛ばして他の問題から当たってください。始め」

「は、はい」

 わたしは慌ててペンを握る。案の定というか、問題文すらただのアルファベットの羅列にしか見えない。わたしは特に英語が苦手だったのだ。


 頭を悩ませながら12分。唐突に、ラジオが『これから、リスニング問題を始めます』と喋り始めた。と同時に「あっ」という鈴木先生の声も聞こえる。

 ちらりと見れば、鈴木先生はちょっと耳を赤くしていた。「だから数学をと言ったのに……」と呟いている。


 12分。いや、休憩時間も含めれば16分。鈴木先生はラジオと格闘し、ようやく音を鳴らすことができたようだ。マジか、こっちをちらちら見るんじゃない。何も聞いてないから。まったく聞こえてないからリスニングのCDなんて。


 残り時間が20分を切ったころ、ようやく鈴木先生が「リスニングを始めます」と言いだした。わたしは笑いをかみ殺しながら「はい」とうなづく。

 先生がラジオのスイッチを入れ、ボタンを押した。


『ハロゥ エブリィワン! トライトライトライ イットゥ!』


 エアロビが始まった。

 わたしの腹筋は限界だった。


 怪訝そうな顔をしてラジオを覗き込む先生。鳴りやまないエアロビクス。わたしは耐えきれずラジオに手を伸ばし、ひたすらに巻き戻した。ヴィンヴィンと音がして、ようやく『これから、リスニング問題を始めます』と喋り出す。鈴木先生もほっとした様子だが、「君……こういうのは生徒が触っちゃいけない」と苦言を呈した。


 先生の「やめ。お疲れさまでした」という声が響いてようやくわたしは背もたれに身を預ける。「ありがとうございました……」と瀕死のインコのような声で言った。

 ちょうどその時、国語準備室に宮田先生が現れた。どうやら次の授業の準備をするらしい。早速鈴木先生が抗議をする。

「宮田先生、僕は数学のテストを見るはずだったのでは? 打合せ通りにやっていただかないと困ります」

「ごめんねヒロくん」

「は?(威圧)」

 そんな鈴木先生(ヒロくん?)を無視して、宮田先生はわたしに「やってるかー?」と声をかけてきた。うなづき返すと、「頑張れよ」とだけ言ってまた出ていってしまう。そこには、非常に不満そうな顔をした鈴木先生と、そんな鈴木先生にビビり散らしているわたしが残った。

「あの……なんか、すみません」

「君が謝ることじゃない。それでは、僕はここで。次は菊池先生が来るはずですから。3時間目開始の時間までにはここで待機をしておくように」

「はぁい……」

 何かぶつぶつ言いながら、鈴木先生も部屋を出ていく。


 何となくトイレに行ったりしながら待っていると、菊池先生は「やっはろー」などと言いながらテンション高めに現れた。

「いやぁー転校生ちゃん! 昨日の今日でテストとは、大変ですなぁー。菊池せんせーの時間だぞ!」

 あっ、昨日から思ってたけどわたしこの先生好きだわ。


 ちょっとにやにやしながら、わたしは「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 なんかさぁ、と言いながら菊池先生が回転椅子の上に正座する。「英語まで終わってるらしいじゃん。頑張ったねー」と笑った。近づくといい匂いがする。

「次は科学だよ。どう、得意?」

「えへっ」

「よーし、行ってみよう! 始めなければ終わらないのだ!」

「はいっ」

 返事がよろしい、と菊池先生は喉を鳴らして笑った。


 英語よりはすらすらと、わたしは問題に向かい合う。わたしの親友たる由依が得意な教科だった。わたしに教えるときもかなり熱が入っていたのを思い出す。

 ふと顔を上げれば、菊池先生がわたしの手元をじっと覗き込んでいた。見られていると、ちょっとやりづらい。

 わたしはすらすらと――――問題を飛ばしていく。由依には申し訳ないけれど、人並みに理解するのはとても無理だ。菊池先生は真剣な顔でそれを見ている。

 この顔は、


(一緒に問題を解いている顔だ……。なんかめちゃくちゃメモってるし……)


 わたしが鉛筆を置くと、先生は「終わり?」と聞いてきた。うなづいて見せると、先生は笑いながら「いやぁ、先生も理数系はさっぱりでさぁ。難しいねえ、高校生のテストって」と朗らかに言う。本当に親しみレベルがすごい。

「早めに終わっちゃったね。お喋りでもしよっか」

「えっ、いいんですか?」

「いいのいいの。まだ転校してきて2日でしょお? どう、慣れた?」

「正直……慣れてはいないんですけど」

 だよねえ、と言って菊池先生が伸びをする。「お腹すいちゃったなぁ」と呟いた。話題がころころ変わる人だ。


「ね、カントリーマ○ム食べない?」

「それでいいんですか……」

「いいんだって。私、2コマ空いてるんだから。次の時間は休憩しちゃお」

「ゆるすぎ~~~」


 最終的に恋バナなどをした。菊池先生は木戸孝允みたいな人が好きらしいです。

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