第5話 みんな弁当派になれ、って思いました。
なんとか4時間目まで終えて、わたしは伸びをする。正直きつかった。学生生活なんて約1年半ぶりだ。途中から睡魔が襲ってきてやばかった。
周りがざわざわし始める。隣の八代くんが、「昼だよ」とそっけなく教えてくれた。冬樹くんも歩いてきて、「お昼持ってきた?」と聞いてくれる。
八代くんも冬樹くんも、弁当派らしい。わたしはもちろん、弁当なんて持ってきていない。
「1階に購買があるんだよ。昇降口入って右に曲がって、突き当たりなんだけど……案内しようか?」
そう冬樹くんは言ってくれたけど、わたしは丁重にお断りした。冬樹くんと会話をするだけでちょっと緊張してしまうのだ。
「……買うんなら、早くいったほうがいいぜ」と八代くんが言った。
「ああ、そうだね。パンとか、すぐ売り切れちゃうから」と冬樹くんも同意する。
そうなのか、と思ってわたしは立ち上がった。さすがに昼食ナシはきつい。「ありがとう」と言って教室を出た。
階段を降りていくと、すでに状況が察せられるほどの騒がしさだった。購買は――――異常なほどに混んでいた。
いやいやいや。ナイでしょこれは。混みすぎでしょ。アイドルの握手会より混んでんじゃん。いつもこうなの? いつもこうなんだとしたら、なんで対策を講じないの? 全員弁当派になれよ。
仕方なく列に並ぶが、しばらくすると無情にも『売り切れーーー! パン類、おにぎり、お弁当、売り切れーーー!』と声が響いた。パッと、嘘のように人が散っていく。わたしは呆然として、その様子を見ていた。恐らくみんな、他のあてがあるのだろう。わたしにはない。この近くにコンビニがあるのか、とかそんなことすら知らない。
プルリンに泣きつこうとしたその時である。
「君が転校生?」
声をかけられて、わたしは振り向いた。背の高い男子生徒だ。濡れているような質感の黒髪が綺麗だった。その人は近づいてきて、わたしを頭から爪先までしげしげと見る。
「もしかして、昼飯買えなかったの?」
わたしは何度もうなづいた。彼はけらけら笑って、「うち食堂ないからねー。ごめんねー」と軽やかに謝る。それから、「甘いの好き?」と言いながらメロンパンとアンパンとチョココロネをごそっと出して押し付けてきた。
「えっ……いいんですか!!!」
「いいよー。俺、たくさんあるから」
あ、ありがたい……! ありがたいけれども、この人は一体誰なんだ?
そんなわたしの想いを汲んだのか、彼はにんまり笑って「俺ね、この学校の生徒かいちょーなの。ほんと気にしなくていいからね」と肩をすくめる。
「生徒会長! なんですね! ありがとうございます……」
「うん。そーだ、カワイイ転校生ちゃんに耳より情報を教えてあげよう」
そんなことを言いながら、生徒会長はぐっと顔を寄せてくる。ほとんど触れ合うような距離で、囁かれた。
「購買のおばちゃんと仲良くなると、好きなもん取り置きしてくれるよ。これ、みんなに内緒ね」
そんなことより、近いです会長。イケメンにそんな風に近づかれたらわたしだってやばいです。やばい以外の語彙力が溶ける。
喉を鳴らして、生徒会長は離れた。わたしはちょっとの間ぼうっとして、それからすぐに正気に戻る。「あっ、お金! いくらですか?」と尋ねた。会長は目を丸くして、「金払う気だったの? この流れで金取る男いないでしょー」なんて言う。
「さすがに申し訳ないです」
「いいんだよー。俺、生徒会長だしさ。この学校にようこそって意味で、貰っちゃってよ」
「……ほんと、ありがとうございます」
「うん。明日はもっと早く並びな。昼ダッシュは大切だよ」
「わたし……走るのめっちゃ遅いんですけど……」
「あ~、じゃあやっぱり購買のおばちゃんに顔売るしかないねー」
面白そうにわたしを見て、会長はひらりと手を振った。「じゃあね、転校生ちゃん。何かあったら言うんだよ」と笑って、去っていってしまった。
その後ろ姿を眺めていると、いきなりプルリンが肩に降り立った。
「
お前、今までどこ行ってたんだ。人前で話しかけんな。
つかさぁ、プルリンさんってば『この世界の人はみんな恋に対して真摯』とか言ってませんでしたっけ?
「何事にも例外はあるプル」
えっ……あんた、心が読めるの!?
「カノンの考えてることぐらいわかるプル。カノンはわかりやすいプルからね~」
なんだか釈然としない思いで、わたしは奢ってもらったパンをかじった。さすがに全部甘い系パンなのはいかがなものだろうと思いました。
パンを食べ終え教室に戻ると、ちょうど予鈴が鳴った。
午後の授業は『総合』『現代文』の2つ。どちらも我らが宮田先生らしい。朝とまったく変わりないアンニュイな様子で現れた宮田先生は、わたしを見てちょっと笑った。
「転校生……だいぶ顔色がいいじゃねえか。もしかして今朝はハーブでもキメてらっしゃった?」
失礼だな????? まあ、そう思わせるだけのおかしさがあったかもしれませんけど?????
「お前ら、どうせろくに自己紹介してないだろ。わかってるぞ、お前らはな……どうせガーナからの帰国子女にビビり散らして、話しかけもしてねえんだろ。なかなかないぞぉ、ガーナ出身の女子と会話するなんて」
いや、ガーナ設定を推してくるのはやめてください。先生はわたしがガーナ出身じゃないことぐらいわかっているはず……。そう思って念じると、宮田先生はにやにや笑いながらわたしを見てきた。確 信 犯 だ !
「というわけでこの時間は、お前ら自己紹介でもして適当に潰してくれや」
「宮ちゃんがめんどくさいだけじゃん」
「はい、出席番号1番から名前とニックネームと好物と……なんかアピールポイント言っていけ」
なんだかんだ言ってみんな授業を潰せると思ったのか、協力的な態度で自己紹介をしていく。わたしは、またメモを取った。わたしの番になって、勢いよく立ち上がる。
「あの、柳奏音です! フツーにカノンって呼んでください! 朝はその……変なこと言ってごめんなさい、えっと……ガーナっていうのは言葉の綾で……」
「言葉の綾ってなんだよ」
「う、うまく説明できないんですけど」
帰国子女って凄いよね、とどこかで話し声が聞こえた。わたしは固まって、宮田先生を見る。先生は肩をすくめて、『いいんじゃないガーナで』という顔をした。いいわけがない。いいわけがないが……今さら『アレは嘘でーす』とも言いづらい。
「……好きなものはあんこう鍋です……謎に元気なだけが取り柄です……」と言うにとどめ、わたしは静かに着席した。
自己紹介は進んでいく。ひとり2分も話せばすぐに1時間だ。それだけで5時間目は終わってしまった。そして授業の終わり、宮田先生は言った。
「6時間目の現代文は自習にしまーす。柳は色々と話すことがあるから、先生と来なさい」
わたしは「はいっ」と言って立ち上がる。「返事だけはいいね、お前は」と先生が苦笑した。
昔からそんなことをよく言われていた。「奏音ちゃんは、お返事はいいのにねー」と学校の先生からもお医者さんからも言われた。
ついていくと、先生は国語準備室に入っていく。『わたしも入っていいんですか?』という顔でいると、先生が手招きしてくれた。
「お前さぁ」
「はいっ」
「ガーナって何?」
「つっこんでくださいよお!! ガーナってなんだよってその場で言ってくださいよお!!」
「えっ、つっこみ待ちだったの?」
「そういうわけじゃないんですけど! けど!」
「そういうキャラでいくのかなと思ってたわ」
まあいいや、と宮田先生はわたしの目の前にどっさり教科書を置いた。「これ、新しい教科書ね」と一応説明してくれる。
「各教科で必要なものは一覧にして先に送ったよな。揃えたか?」
「あ、はい(たぶん)」
揃えたのはわたしではないけども。
「制服は買えたみたいだな……体操服も買ったか」
「はい(たぶん)」
「お前もひとりで大変だろうが、頑張れよ。少なくとも学校側はお前の事情を汲むつもりだから」
事情を汲まれた。わたしにもよくわかっていない事情を、汲まれた。いい人たちだなぁ、みんな。
それはそれとして、と宮田先生は空中で何か重いものを持ち上げて他のところに動かすような仕草を見せた。
「学習状況について確認しておきたいんだが」
「うぐっ」
こればっかりは、ごまかす術がない。わたしはほとんどお手上げの気持ちで、「わたし、馬鹿なんです……」と訴えた。
「いや、馬鹿とかそういう話じゃ無くてな。各教科、どの単元まで終わっていたのかとかあるだろ。ちなみにお前の学校だと、1年生の時地理やったか? もしかして歴史だった?」
「え……っと」
まずい! 非常にまずい! わたしは受験もしてなければ、みんなが当たり前のように経験した高校1年生というアドバンテージがない!
わたしはしどろもどろになりながら、「地理……だったかも……」と答える。宮田先生は眉をひそめ、それからハッとした様子でわたしを見た。
「お前、まさか……本当にガーナから……?」
違う。そうじゃない。
わたしは意を決して、言い訳をした。
「あのっ、わたし実は! 1年の時あんまり学校に行ってなかったんです! 色々あって……」
腕を組んだ先生が、「そうか」と呟く。「無理もないな」と。わたしは一体どんな過酷な人生を送ってきた設定なのか。プルリンの話をちゃんと聞いておけばよかった。
はたと気づいた様子で、先生は「でも進級はしたんだよな?」と尋ねてくる。もうマジでそこら辺はつっこまないでほしい。そこら辺をつっこむぐらいなら、わたしのガーナ出身設定を思いっきり一刀両断してほしい。
「……なら、まず学力テストから始めるか」
「えっ」
「成績に反映しないから。高1レベルのテストだしな。今日は疲れたろうから帰ってゆっくり休め。明日、1日かけてテストをする」
「……先生、わたしたぶん全然できない」
「別にいい。ただ、ここでつまずいてずっと転びっぱなしじゃ困る。お前は勉強ができないやつとは違うんだ。そもそも授業に出てない、ってことなら俺たちにはその分の授業を受けさせる義務がある。まずはどこが抜けているのか確かめて、そこをちゃんと補強する。だから……まあ、しばらくは放課後帰れなくなるが。マッハで追いつかせてやるから安心しろ」
何も言えないでいるわたしの前で、先生はちょっと目をそらした。「この学校は、基本的には3年間クラス替えも担任の変更もない」と呟く。
「2年B組、出席番号28番……柳奏音。これから卒業まで、よろしくな」
そう言って、宮田先生は1冊の教科書でわたしの頭を軽く叩いた。わたしはなんだか嬉しくなって、「はいっ」と返事をする。先生がまた「返事だけはいいね、お前は」と言った瞬間、授業の終わりを告げる鐘が響いた。
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