第3話 人間という生き物、第一印象を気にしすぎ問題。
職員室でわたしを迎えた男の先生は、顎の無精ひげを撫でながら「お前さぁ」といきなり眉をひそめた。
「色々確認したいことあるから、30分は早く来なさいねって電話で言わなかったかい」
「すみません!!! やる気はあったんです!!! でも、起床の放送が鳴らなくて!!!」
「えっ、もしかして刑務所から登校してきた?」
ふざけてやがるな転校生、と先生は目を細める。「違うんです、すみません……」とわたしはもう言い訳をせずに謝った。
「……まあいい。もうホームルームの時間だから。話はあとな」
「はいっ! 柳奏音です!」
「なんでいま自己紹介した?」
「いや、まだ名前言ってないなって思って」
「そうだとしても、今じゃないだろ~」
「今じゃなかったですか!? すみません、わたし今テンパってますかね!?」
「知らんよ」
肩をすくめて、先生はわたしを職員室の真ん中に連れて行く。「これが、転校生の柳奏音っすわ。うちのクラスの28番になるんで、諸先生方、よろしく頼んます」と軽く紹介した。それからわたしに、「今だぞ自己紹介」と耳打ちする。わた
しは肩を震わせて、「はいっ! 柳奏音です!」と頭を下げた。先生たちは笑いながら、「初日からこんなギリギリに来るなんて、肝が据わってるなぁ」と言って拍手をしてくれる。
「よし、教室行くぞ」
「あっ……もうですか」
「お前が30分早く来れば、もっと余裕はあったんだぞ」
「ひょえっ、おっしゃる通りです」
先生は頭をかきながら、歩いていってしまう。慌てて追いかけながら、「あのっ、先生の名前は……」と尋ねた。先生は怪訝そうにわたしを見て、『電話で話をしましたが?』という顔をする。しかし、顔を青くするわたしに何か感じ取ったのか、「宮田だ。お前のクラスの担任になる。授業は国語を持ってるから、まあ国語だけは赤点取るなよ」と言った。わたしは高速でうなづいた。
教室の前で、宮田先生は立ち止まる。
「いいか? 全員、転校生が来るってのは知ってんだ。軽く名前と、どこの学校から来たか言えばいいから。時間もないしな」
「あっ、はい」
深呼吸をしようとすると、すでに宮田先生が教室の戸を開けていた。心臓が飛び出そうになる。まったく心の準備をさせてくれない。
教室はひどく明るかった。それは、病室の明るさと少し似ていた。わたしが死ぬ前、なぜだか最後の1年くらいはどの病室に移っても窓際だったのを思い出す。
わたしはなんとか、一歩踏み出した。
「えー、お前たちも知っているだろうが、今日からこのクラスに仲間がひとり増えまーす」
教室はざわつく。もちろん、驚いているというわけではない。わたしを指さして値踏みしたり、すでにあだ名をつけたりしているようだった。「転校生、自己紹介」と宮田先生に促される。ふわふわと宙に浮く感覚で、わたしは教壇に立った。
「や、柳……奏音です。あの……わたし、は」
あれ?
あれあれあれ~???
そーいやわたし、どこから引っ越してきた設定なんだっけ。
やばい。全然思い出せない。まったく思い出せない。
冷や汗が背中を伝う。なぜか距離を取ってわたしを見守っているプルリンを凝視した。
助けてくれ。助けてくれ、プルリン。わたしは一体、どこから来たんだ!
プルリンは非常に呆れた顔をして、「……がの、ぷるー」とごにょごにょ言った。よく聞き取れなかったので、目を細めて『もう一回』と念じてみる。「だからー! なーっがーっのっ、プルー!」とプルリンが言った。
え? 何? よく聞こえない……ガーナがなんだって?
そういえば、このプルリンの声ってわたしにしか聞こえてないの? 誰も反応しないけど。むしろ、姿も見えてない?
「おい柳、どうした」と、宮田先生に声をかけられた。わたしは哀れなほどにびくついて、勢いで口を開いてしまう。
「えと……ガーナで……プルーンを栽培してました……」
教室がざわついた。今度こそ、驚きで。
宮田先生は何か手元の資料を見て、眉をひそめる。しばらくの沈黙の後に、「……と、いうわけで柳奏音さんでした」と雑に締めた。
「柳の席は……八代の隣だな。あそこの、窓際の空いてる席見えるだろ。あそこ」
「あ……はい……あの、わたし、もう1回教室入るところからやり直していいですか」
「時間ないから、やるんなら昼休みとかにやってくれる? 座れ」
言われて、わたしは釈然としない顔のまま自分の席まで歩く。途中でプルリンが肩に乗ってきて、「カノンは馬鹿プル?」と言ってきた。「いや、プルリンが悪い」と責める。プルリンは何も言わずにため息をついた。
わたしはそっと椅子を引きながら、隣の男子生徒に「おじゃましまーす」と声をかける。その男の子は、髪を見事な金色に染め上げていた。
(うわ……金髪×片耳ピアス×改造制服……まごうことなき不良や……)
彼は椅子の上で片膝を立てて、わたしを睨んでいる。わたしは「はは……」と笑ってごまかして、速やかに席についた。
「じゃあお前ら、紹介兼ねて出席確認するぞ」
そう言って、宮田先生は生徒をひとりひとり呼んでいく。わたしは必死に、返事をする生徒たちの顔を確認しながらメモを取った。最後まで読んで、先生はちょっと息をついた。どうやらこのクラスは30人らしい。
「あと自己紹介とかは適当にやってくれ。あんまりはしゃいで1時間目の先生にご迷惑をおかけするなよ」
宮田先生は、出席簿を閉じて教室を出ていってしまう。正直わたしは『置いて行かないでください!!! 先生!!!』という気持ちだったが、さすがに縋れなかった。
先生が出ていき、奇妙な沈黙が生まれる。どこかで、ひそひそと話し合う声だけは聞こえた。みんなガーナ出身の転校生に興味はあるが、話しかけるにはハードルが高すぎるらしかった。
てか、ガーナってなんだよマジで。ガーナのわけなくない? なんなの、わたし。なんでガーナとか口走ったの。しかもプルーン栽培ってなに? プルーンってなに。食べたことないんだけど。
本当に、誰も話しかけてこない。恐る恐る隣を見てみると、不良くんは机に突っ伏して寝ていた。何をしに学校来たんや。
(ああ、こういうの……久しぶりかも……)
ぼんやりと小学生の時のことを思い出す。
あれは、夏の前ぐらいだっただろうか。
わたしは、小学4年生の終わりから数か月間入院をしていた。
その時通っていた小学校は、2年に一度クラス替えをする学校だった。つまり、わたしの知らないうちにクラスメイト達はみんな変わっていたのだ。元々同じ学校にいたのだから知らない顔が並んでいる、ということはなかったものの、仲がよかった子はみんな違うクラスになっていた。しかも、始業式から何か月も経っている。みんなは新しいクラスに慣れている頃だった。
退院して初めて登校したあの日も、こんな風に浮いていた。同じ学校だというのに、転校生のようだった。
(たしかあの時は、学級委員の男の子が声をかけてくれたんだっけ。王子様みたいだったなぁ、あの子)
そんなことを考えながら、ふふっと微笑む。どこかで「おい、笑ったぞ」「なんだ? 何を考えているんだ?」と言い合う声が聞こえた。まずい。このままだと際限なく評価が落ちていく。
不意に、教室の戸が開いた。
「ごめんっ、ホームルーム終わっちゃった?」
現れたのは、男子生徒だ。急にクラス全体のテンションが上がっていく。「おせーよ、いいんちょー」「冬樹くん遅刻ー」とヤジが飛んだ。突如現れてその場の空気を一変させた男子生徒は、「クラス委員の集まりだったんだよ」と自分の首をさすりながら苦笑した。
それから彼は、教室を見渡す。わたしを見て、「転校生?」と端的に確認した。ビビりながら、うなづく。様々な障害物をスマートによけながら、彼が近づいてきた。
星が飛びそうなほど眩しい笑顔で、彼は手を差し出してきた。
「はじめまして。クラス委員をやってる鷹箸冬樹です。このクラスにはタカハシって、2人いるからさ。冬樹って呼んでほしいです。よろしく!」
バックに、白薔薇が咲き乱れているさまが――――見えた気がした。
(王子様だ……)
わたしは呆然とその男子生徒を見て、恐る恐るその手を握った。
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