第1話 16歳、管理職の人の土下座を見る。




 暗闇。真っ暗。何にも見えない。

 だけど風は、強く吹いている。

 懸命に縮こまりながら、私は前へ進もうとした。(てか、風強くね)と思いながらゆっくりと目を開ける。もちろん何も見えない。何も見えないけれど、音は聞こえた。


「……せ、ん……し……」


 音というか、声というか。


「す、……でした」


 近づいてくる。何か。秒速で。


「すみませんでしたぁぁぁ!!」


 パッと視界が明るくなった。わたしの目の前には人がひとりうずくまっている。うずくまっているというか、これは。


「本当にベタくそすみませんでしたッ」


 土下座をしている。

“ベタくそ”って何かな。なんか汚い。

 あと、オトナの人の土下座あんまり見たくない。

(え……つうか誰)


「わたくし、この世界の管理人をやっておりまして」


 答えてくれた。まだ口に出してないのに。もしかして、心読める系? なら土下座やめてくんないかな。


「柳奏音さん、あなたの人生について少し……手違いがございましたのでお知らせをば……」


 土下座やめない。心読める系じゃないみたい。

 わたしはここぞとばかりに「ハイッ」と手をあげた。学校に行っていた時だってこんなにハッキリ挙手したことはないぐらい。

「ちょっと待ってほしいんですけど」

「あ、はい。いつまででも」

「これってわたしの夢ですよね」

「違いますね」

 秒で否定された。なんかちょっとよくわかんなくなってきちゃった。


「夢じゃないんですか? いや、まあ夢か。夢の中で『これって夢だよね』って聞いてもしょうがないもんね」

「はぁ……夢じゃないんですけどねえ。現実でもないというか……ちょうどその狭間の空間というか」

「ちょっち待って」

 目の前に手のひらを出してみせ、わたしは相手の話をさえぎる。そして冴えてるわたしこと柳奏音は名推理を展開した。


「これ、死後の世界じゃね?」

「あ、はい。そうです。話が早くて助かります」


 “あ、はい。そうです”??????

 ナチュラル死亡宣告やめれ????? はあ?? ワケわかんねーマジ人生ってワケわかんねー????

 無だ。もうこうなったら無だわ。ありえん。いやいやいや。

「夢でしょ」

「心中お察しします」

「なんだと???」

 勝手にお察しすんなし。

 なんかちょっと混乱してきた。ずっと混乱してるけど、さらに混沌を極めてきた。「一回待って」と言いながらわたしはそっと一歩引いて深呼吸する。それから自分の左頬を、思いきり叩いた。


「…………」

「…………」


 非常にいい音が響きました。

「……いってえ」


 えええええ痛い。自分でも引くほど痛い。頬っぺたも痛いけど首も痛い。想像力を超えた部分が痛いとかこれ自信失くすわ。夢……じゃない? いや夢って時々自分の想像力超えてくることあるやん? それ。たぶんそれ。


「あのぅ、柳奏音さん……?」

「大体あんた! あんた、何のポジションなの。管理人って何。神様みたいなもん?」

「有り体に言えばそうです」

「お前こっちが言う設定全部生かすな!」

「えっ。すみません。その通りなもんで」

 素直か。

 

 いや。いやいやいや。

 落ち着こ。落ち着いていこ。


 わたしの名前は柳奏音。年齢的には花のJK、16歳。柳さんちのカノンちゃんといえば、ご近所さんでも評判の明るい良い子でした。どうしてあんな良い子がこんなに早く────あれ、これ告別式とかに流れるやつだね。ちょっと先を行き過ぎたわ。さすが柳さんちのカノンちゃん、未来を見据えてるぅー。

 じゃねえや、ごめんわたし混乱してる。何に混乱してるってさ、死んだ(かもしれない)事実にじゃなくてさ。


 この茶番は一体何だ。


 そりゃさっきは『死後の世界』なんて自分で言った。冗談で言った。でも柳さんちのカノンちゃんは無宗教。

 かつてお節介な親戚のおばちゃんが、『かわいそうに、カノンちゃん』『きっと前世で何かあったのよ』『これは神様から課せられた試練』『来世では救われるように』と宗教を勧めてきたとき、お父さんは「うるせー黙ってろ」とブチギレた。一切怒らない穏やかすぎるお父さんだったのに、物凄い剣幕でブチギレた。それからというものわたしたちは、「宗教だけはやめようね」って約束したの。だからわたし、無宗教。


「死んでも意識があるみたいなのが、めちゃくちゃに嘘くさい……」

「なるほど……。確かに、多くの方は死亡が認められた時点で記憶は全て海に返りますが」

「海?」

「海であったり、空であったり、あなたの生まれてきた大元の場所ですよ」


 壮大な話になってきた。

 人はどこから来たの。どこへ帰っていくの。わたしはここにいるの。わたしはどこにもいないの。

 宇宙に思いを馳せていると、目の前の自称神様が空咳をひとつした。


「ええっと、もちろん貴女が『夢じゃない』『現実じゃない』と堂々めぐりをしていたいのであればわたくしどもはそれを尊重いたしますけども、わたくしの提示できる答えはひとつです。あなたはあなたの人生を終えました。そしてそのことについて、大変申し訳ありませんがお伝えしたいことがございます」


 塩だな〜。この人、すっごい申し訳なさそうにはしてるんだけど対応が塩なんだよな〜。

 そういえばさっき、めちゃくちゃ土下座してたじゃんこの人。あれ、何なん? なんかミスったん? 神様が? 何を?


「もしかして………………死ぬの、早すぎたとか?」

「あ、はい」

「『あ、はい』じゃねえよ」

「スミマセン、詳しいご説明の前にもう一回土下座いっときますね」

「いい! いい土下座は! 詳しいご説明して!」


 そうですか、と非常にいたたまれない表情で自称神様はピンと立ち、真っ直ぐにわたしを見た。

「柳奏音さん、貴女は寿命を迎える前に人生の幕を閉じました。全てこちらの不手際であり、貴女のこれからの人生の価値を考えれば何らかの補償があって然るべきとの判断の末にこうして海に帰ろうとする貴女の魂を捕まえ、精神世界へお呼びしました」

「補償……ああ、生き返らせてくれるんですか」

「そのような方向性で進めており、ここでご相談なのですが」


 この下手に出続ける自称神様、ちょっと好きになってきた。いやマジで。神様の割にはいい人じゃん。これで“補償”とかいうのがくっだらない話でも、大人しく死んでやろって気持ちにはなる。なる。……なるかな?


「残念ながら、元の世界には戻ることができません」

「だよね、死んじゃったもんね」

「ですので、別の世界で、残りあるはずだった寿命まで生きていただく……という補償内容であれば……」

「別の世界???」


 何かまた壮大な話になってきた。別の世界って何。国? 外国で生きろって話? 日本語しか喋れんよ。日本語も怪しいよ。

 唐突に神様が「貴女の生きていた世界は無数にある世界の中の1つに過ぎません」と言い出した。

「チャンネルを回せば多様なテレビ局がそれぞれ異なる番組を放送しているように、世界は1つではないのです。無数に、数え切れないほどに、生まれては死に、今もそれぞれ独自の発展をしています」

 宇宙かな? 宇宙よりも広い話かな? わっかんねえ。ついていけねえ。また哲学かよ、めんど。

 思考放棄状態のわたしはあんぐりと口を開ける。

「……ええ、簡単に申し上げますと。人が想像しうるような世界は実際にどこかにあり、人が想像できないような突拍子もない世界もどこかにはある、ということです。そして貴女には、第二の人生をどの世界で生きるか決める権利がございます。大事なのはそこだけです」

「つまり??? どういう??? ことなのだ???」

「ご希望の条件に合う世界をご紹介いたします」


 お部屋探しかな?????


 それぐらいの気軽さで言ってるけど、これだいぶやばいんじゃないかな。『火星にでも住みます?』って言われるよりなんか凄いことなんじゃないかな。

「ど、どれぐらい理想の世界を探せるものなんでしょうか……」

「貴女の想像しうる範囲内であれば大抵は」

 ほらなんかやばいって。これ、新手の宗教勧誘じゃね? 手が込んでる。込みすぎてる。さすがにそれはないか。

「たとえばそうですね。魔法が使える世界だとか、動物と会話ができる世界だとかも存在しておりますが。とりあえずご希望をおっしゃっていただければ、かなり細かい部分までお応えできると思いますよ」

 あーーーちょっと魔法使いたいかも。変身したいかもだわ。

 でも別に戦いたくないな。

 動物と話してみたいとはちょっち思う。けどめっちゃ性格悪かったら嫌だな。立ち直れない感じする。『話せないけど通じあってる』みたいな勘違いがちょうどいいんだよ、そういうのは。


 目の前の神様が、『なんか言ってみろ、さあ』みたいな顔でこちらを見ている。

 わたしは腕を組みながら、「元の世界には戻れないんですよね?」と確認してみた。神様は一瞬迷った様子だったが、「それはできません」とうなづく。


 ふう、とため息をついてわたしはその場に腰を下ろした。体育座りの格好で、神様を見上げる。神様はただ怪訝そうにその様子を見ていた。


 わたしの生きてきた16年間のことを思い出す。あと数ヶ月もすれば17年目に突入するはずだったのだけど、ないものねだりはしないようにしている。

 なぜだろう、こんな時に思い出すのは、行きつけだったパン屋さんが『カノンちゃん、また来てね』と言ってくれたことだったり、とても些細なことだった。

 もう、行けないよ。たとえこれが夢で、実際にはわたしがまだ生きていたとしても。たぶん、もう、二度とは行けない。

『いつかやろうと思っていたことが、いつのまにかできなくなっていた』とか『いつかまた会えると何の根拠もなく思っていた人に、もう自分から会う力が残っていない』とかが、なんだかどうしようもなく重かった。

 わたしはそういう事やモノに、もっと早くにお別れをしなければいけなかったのかもしれない。これがもし夢だったとしても、わたしは近いうちに本当に全部終わっちゃうんだから。

 大切な人ならたくさんいた。そのみんなとお別れなんてできっこない。だけど、たとえば由依と絶対行こうねって言った海のこととか、病院食に飽き飽きしたわたしのためにお母さんが作ってくれるスイートポテトとか、お父さんが持ってきてくれる漫画の新刊をワクワクして待つのとか、そういうのとはお別れしなくちゃいけないと思う。その全てが惜しいけど、なるほどわたしはあの漫画の続きが見られないんだって思うとちょっとビックリした。

 長く生きるってそれだけで価値があるのかも。きっと、漫画や小説や映画や音楽や、新しいものが出続ける以上は、きっと長く生きた方がお得なんだろうな。それは形にならないけど、お金より大事な財産みたいに思う。自分が見聞きしたものは、誰にも奪われない、だけど遺すこともできない財産だ。わたしは自分の中に、そういうものがわりかし結構多くあることに気付いた。

 遺せないモノに価値があるのか、わたしにはわからないけど。そういうものがこれからもどんどん増えていく、今も生きている人たちのことをわたしは羨ましく思うから。


 決めた。どうせならわたしは、わたしが憧れた世界で、精一杯の思い出を作ろう。


「あの、」

「信じていただけるんですか」

「それはまあ……わたし今何も持ってないし、盗られるものが何もないなら騙されちゃった方が楽しくてお得じゃん?」

「なるほど……それで、ご要望は」

「乙女ゲームみたいな世界ってありますか!」

「オトメゲーム?」


 ぽかんとした顔の神様が、何やら懐から非常に見慣れた端末を出してきた。それをまた見なれた動きで操作して、じっと画面を見つめる。


 なんか……

 ググってはりますやん、神様……。


 ああ、と手を打つように納得して、神様はうなづいた。

「男性にモテたいんですね」

 傷ついた。

 彼氏いない歴16年のわたしは深く傷ついた。


 そもそも、わたしはモテなかったというわけではない。男の子に告白されたことだってある。わたしはそれを断わったし、これは名誉ある彼氏いない歴16年である。


 しかしそんな名誉は神様にはどうでもいいらしく、「どんな感じのオトメゲームがいいんですか」と真面目くさった顔で聞いてきた。わたしの心はすでに折れかけだったけど、なんとか「『恋する流星 スタープラチナ学園』とか『バラ色イソップ学園ピノキオ編』とか、そんな感じの世界があれば……」と答える。わたしは学園モノ乙女ゲームがとにかく好きだった。

 神様がまたググる。


「ははぁ……なるほど。学校ですか。もちろんこのような環境・人間関係に類似した世界であれば五万とありますのですぐご案内できますが。よろしいのですか? ご希望があれば、あなたを女王と呼んで傅く男が100万いる世界なども手配いたしますけど」


 丁重にお断りさせていただいた。


「かしこまりました。では今、ドアをお開けしますので心の準備をば」


 先ほどまで何もなかったはずの空間に、壁らしき概念が出来た。それから、浮かび上がるようにドアが現れる。

「貴女が世界に馴染めるように、周囲の認識を多少いじってあります。それから、行った先にはわたくしどもの使いがおりますのでこき使っていただいて構いません」

「しごとはやい……。あの、容姿は? 可愛くなったリします?」

「今の時点で十分及第点かと思いますが」

「誰が及第点じゃ、頭かち割ってやろうか」

 苦笑する神様から「柳奏音さん」とよびかけられ、呼吸を整えながらわたしは顔を上げる。


「なに?」

「あなたが本来生きるはずだった寿命を、聞いていかれますか」


 わたしは少し迷って、首を横に振った。


「今度はタイムリミットを知らないままで、生きてみたいから」


 ドアが開いた。わたしは不思議な気持ちで、一歩踏み出す。ちょっとだけ振り向いて、神様を見た。

「バイバイ神様。あんたデリカシーないけど、別に恨んでないよ」

 そう言うと神様は目を細めて笑いながら、手を振ってくれた。

 明度を間違えたように世界は真っ白になっていく。わたしはまた歩き出した。

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