〇三〇××号室 天駆ける金色の翼 四
「凄い……」
金属製の壁の穴。破断面が赤熱しているっす。触れたら大火傷は必須。あっしが注意深く潜ると、背後からソルマーのつぶやきが聞こえやした。何人たりとも使えないお嬢の力を見たら、そりゃ驚くはずでやす。
閉じ込められたあっしらは、お嬢に救われやした。そう、例の技「物質消失」で。お嬢が壁を次々ぶち消し破って突破口を開き、ソルマーの地図を頼りに、最短距離で中核部に侵攻しているところで。
「次はどっちに進むの、ソルマーさん」
「左の通路を行きましょう。それで、えーと……」
ソルマーがまた地図を確認。
「十五メートル先の階段を二フロア上って、右の壁をまた破ってください」
「わかった」
さっきから壁をぶち破って通路をうろうろ、階段を上がったり下がったり。もう迷路のような蟻の巣を進むがごとくで。元盗賊として、あっし、地理感は優れているんで。そのあっしでも、はっきり言って、今がこの建物のどのあたりなのか、さっぱり見当すらつきやせん。
「ちょいと暑くなってきやしたな」
実際、真夏の蒸し風呂かというほど暑い。もう汗だくでやす。
「大丈夫でやしょうか」
「このくらいの熱では、この建物はびくともしませんよ」
早足で進みながら、ソルマーが笑ってやす。涼しい顔の彼だって、ウェアウルフで毛むくじゃらなんで、体毛の下は汗まみれのはずでやす。あっしらより暑いに違いないし。
「いやそういう意味でなく、あっしらと閉じ込められた店子たちってことでやすが」
強まる熱気は、火災現場に近づいた証でやしょう。それにお嬢の物質消失は、周囲に大量のエネルギーを放出しやす。そのためもあるかと。ソルマーの話では、エネルギー関連施設だけにこの建物には大規模な排熱装置があるそうでやす。それでも吸収できないほどの熱気を、火災現場とお嬢が放っているってことでやしょう。
最前線で壁をぶち破り続けるお嬢がいちばん熱気を浴びているわけで。実際、お嬢の肌は薄く色づき、キラキラしたきれいな汗が、首筋をすっと伝ってやす。
秘められた力を使い続けているとはいうものの、お嬢はまだ管理人――つまりかりそめの人格――のまま。とはいえこの調子では、いつ「世界を壊す
ソルマーは謎の能力については、特にコメントはしてないですな。凄いと呟いたくらいで。便利な掘削道具くらいに考えているのかもしれやせん。
「よしっ。この壁を壊すのね」
などとすごい勢いで進むこと一時間弱。またひとつ階段を上ったあっしらの前に、これまでとは異なる壁面が姿を表しやした。
「この壁は……」
お嬢が絶句する。それもそのはず。ここまでの壁はマットな鈍鉄色の金属製。ここは同じく金属製でやすが、輝くばかり。金と銀が合わさったような薄い黄金色で。ここは裏手なのか、見える範囲ではこの部屋に扉はない。天井高も五メートルほどで、ここがこれまでの階層と違うと、ひと目でわかりやす。
「壁の内側が、中央制御室ですね」
「まあ」
「制御室は大きく、三室から構成されています。まず操作盤のある主室。太いパイプが並ぶ搬送室。搬送室のパイプはすべて、さらに奥の部屋に発しています。それが、エネルギー展開室ですね」
「ソルマーの旦那は、よくご存知で」
「いえ、資料にそうあっただけですよ」
とぼけるように、あっしから瞳を逸して。
「それにしても、きれいな壁」
壁に手を置いて、お嬢が撫でるように感触をたしかめていやす。
「ここはそれほど熱くないのね」
「断熱性が段違いなんでしょう。排熱漏れは、多分、扉のある壁面からかと」
「しっ」
「なんですか、キッザァさん」
あっしの耳が、なにかを捕らえたっす。この自慢の盗賊の耳が。
「中からなにか……」
みんなを黙らせると、壁に耳を当て、中の気配を探りやす。……間違いない、これは――。
「誰かいやす。叫んでるし、なにかを叩いてる」
「閉じ込められた店子さんね。やっぱり制御室にいたんだわ」
「叩いているのは合図のつもりでしょう」
「よしっ。じゃあさっそく壁を消しちゃいますかあ」
けろっと口にすると、お嬢が両手を構えた。その中心に、ぽっと光が浮かびやす。エネルギーの塊の。
「ぶっしーつ、しょうーしー」
「待て待て、お嬢、待つっす」
「なに、コボちゃん。今いいところなのに」
不満げな声のお嬢を下がらせやした。
「中の店子さんごとふっとばすつもりでやすか」
壁を叩き、返事が返ってくるのを待って、壁の両側で怒鳴り合って、なんとか意志を通じやした。
あっしが確認したのは、まず、この壁の向こうに危なげな装置とかパイプがないこと。助けにきたつもりで例のパイプに穴でも開けたら、世界の終わり。洒落にならないっすから。続いて、中の連中に、この壁から可能な限り離れるように言いやした。
「さっお嬢。もう大丈夫でやす」
「コボちゃん、気が回るのね。さすが大盗賊」
「盗賊関係ないし。……てか、昔の話は止めてくだせえ。あっしとっくに堅気ですし」
改めてお嬢が右の手のひらを上に向けると、ぽっと、人魂のような炎が揺らいだ。
「ほら行ってっ」
お嬢の手を離れると、人魂が壁に向かう。そのまま壁に溶け込むように消えると。
「じゅっ」
水が弾けるような音と共に、壁が赤熱しやした。……ただ、これまでの壁と違って、消えはしない。
「あら、頑丈ねえ、この子」
微笑んで両手を掲げると、次々に浮かぶ火球を、交互に壁にぶち投げていく。火球が壁とエネルギー衝突を起こすときの衝撃音が、あたりに響いて。
それでも壁は揺るがない。赤熱部位が広がりはしても。お嬢の額に汗が滲み、金色の瞳の奥がまた赤い輝きを放ってくる。
ヤバいっす。あっしはまた、握り締めたインジェクターを確かめやした。
ソルマーは無言で、興味深げにお嬢を眺めている。お手並み拝見とでも言わんばかりの表情で。
「ばりっ」
お嬢の体から、奇妙な音が響いたっす。なにか布が引き裂かれるときのような。
と、巨大な火球が発生して壁に突っ込む。ここまでの作業でめいっぱい赤熱し切っていた壁面が、大きな騒音と共に消失したっす。人ひとりどころか、トロールさえ抜けられそうな大穴が。
「た、助かった」
あっしらが導くまでもなく、大声を上げながら、誰かが飛び出してきやした。それも次々。ヒューマンにバンシーに、ウェアウルフまで。十人くらいでやしょうか。暑かったに違いないので、みんな汗だく。ボロをまとっていて、見るからに貧民。ウェアウルフなんか毛並みが悲惨で、使い古したモップのようになってやす。
「皆さん、ご無事ですか」
「はい」
「あの……どうしてこんなことに」
お嬢の問いに、全員、顔を見回して黙っている。
「その……」
ようやく、年かさの、リーダーと思しきヒューマンが、口を開きやした。
「いけないこととは、わかっていたんです。でも連中に借金漬けにされて脅され、棒引きしてやるからと無理やり……」
どうやら、悪党に弱みを握られ、現場仕事押し付けられていたって線でやすな。危険な作業、警察に捕まりそうな行為なんかに「使い捨て」の駒を使うのは、常套手段で。
「どれだけ抜いたんだ」
ソルマーが口を挟んだ。焦れたような声。あっしらやメグレ警部と話していたときと異なり、口調も随分荒っぽく居丈高になって。
「はい? なんでしょうか」
「パイプに治具を取り付け、エネルギーを抜いたはずだ。熱量亜空間転送装置かなんかだろ、どうせ」
ヒューマンは後ろを振り返った。仲間は皆、困ったような顔で首を振っている。
「教えてもらってないので、よくわかりません。ただ……装置に示されるカウンターは、ここ数日で三億か四億……」
「くそっ。三億とか、そりゃ緊急停止もするわ」
「すみません」
ヒューマンはうなだれた。
「連中、急に金が必要になったとかで、ここ一週間、これまでの数十倍ものノルマを課せられまして」
「誰なんだ、連中ってのは」
「ナーガです」
「ナーガか……くそっ」
ナーガは、蛇神とも称されるモンスター。蛇頭人型で知能が高く、しかも概して邪悪。なのでよく知能犯罪を犯すんでやす。数が少ないのだけが救いで。
「連中のやりそうなことだ」
「ナーガ……近々、楡の木荘からお引越しいただかないとならないわね、コボちゃん」
「へい。……それより逃げやしょうや」
「そうだった」
営繕要請の一体を選ぶと、ソルマーが手短かに指示する。
「皆さん、この営繕妖精が出口までご案内します。ほら、続いて」
「ありがとうございます。このご恩は一生――」
「いいから早く」
どたばたと店子連中が退去していくと、ソルマーが、ほっと息を吐いた。
「ほらやっぱり。悪い人たちじゃなかったでしょ」
「操られていたとはいえ、治安紊乱は大罪。後でつけは払ってもらいます」
「それは許しません」
お嬢が、きっぱりと言い放ちやした。
「わたくしは管理人です。店子さんを守るのがわたくしの使命。やむなく法を破った店子さんには、むしろサポートが必要かと――」
「管理人とは、このアパートを正常に保つ役割、機能のことです。店子は重要ですが、本質はそこにはない。大家が望んでいるのは、そういうことでしょう」
「そんなことはさせません」
言い切ったお嬢の瞳が、強い光を伴って輝き始めやした。なにか、嫌なことが起きそうな予感がしやす。
「わたくし、大家とだって戦ってみせる。もし大家が店子さんたちの幸せを壊すなら。……だってそれが管理人の務めですから」
「あなた、勘違いしてますね」
「わたくし……私の庇護下にある民草に仇なす輩は――」
ヤバい。お嬢の本来人格が覚醒しつつあるっす。繰り返し物質消失の技を使った上で、お嬢の琴線に触れる展開になったためかと。
注射器を握り締めたあっしが飛び出した瞬間――
「それが勘違いだって言ってるんだよ」
高ぶるお嬢と裏腹に、冷徹な瞳のソルマーが、呟くように言い放ちやした。口調すらがらっと変わって。
「ねえイェルプフさん……いや、イェルプフ王女」
心臓が飛び出しそうになったっす。その秘密、楡の木荘最大級の秘匿事項を知っているとは、いったい……。
「王女? 私……わたくしが、王女? そんな……私……わたくし」
混乱しているようで、瞳が強く明滅し始めた。注射器を握り締めたまま、あっしは様子を窺うことにしやした。お嬢の人格が不安定になってやす。
「そもそも、あんたは管理人などではない」
「いったいなにを――」
「なぜなら私が管理人だからさ。大家直属の」
ソルマーの言葉に、明滅していたお嬢の瞳の光がみるみる消えていく。ソルマー。こいつはいったい、誰なんだ……。
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