〇三〇××号室 天駆ける金色の翼 三
「イェルプフさん、キッザァさん、よろしいですか。突入開始します」
現場、つまりリストリクテッドエリアと思しき謎建造物の前で、ソルマーが告げやした。
「はい。いいよね、コボちゃん」
「いつでも」
〇三〇フロアは天井高が二十メートルもある階層。各居室は廊下の左右に並んでいるんでやすが、当然、天井まで居室が占めていることはない。見た感じ、戸建てや長屋スタイルの建物が立ち並んでいる。特にここは富裕層の別宅として使われてきた歴史があるせいか、館然とした戸建て風の居室が多く見られやす。
ただこの、火災現場の建物だけは異質。なにせ天井まで届く金属質の壁で囲まれていて、窓もなんにもない。広さも格別で、前に立つと圧迫感がすごいっす。
古いものに決まっているのに錆などは浮いておらず、長い年月で壁面に多くの擦り傷が多数走っているだけ。入り口の扉だけは、雰囲気の異なる木製。一度壊され、後から取り付けられたもののようでやす。その証拠に、周囲の壁面が不自然に歪んでおり、隙間すらある。
その隙間、そして地震で歪んで亀裂の入った壁面から、黒煙が薄くたなびいていて、内部での火災発生を告げてやす。
「火災は中央部で発生しています。熱滞留による発火なので、有毒ガス発生が今のところ見られない。不幸中の幸いかと」
消火には特別な手順が必要で、そのために緊急対応チームの営繕妖精を招集したと、ソルマーは続けやした。
たしかに、あっしらの周囲に、金属製の体を橙色に染めた営繕妖精が一個小隊、つまり八体ほど立って、額の光源を点滅させながら建物の様子を窺ってやす。妖精の「目」にあたるニキシー管という魔導ガラスには、今は「九」「二」という数字が輝いてやす。見たことのない数値なのは、おそらく営繕妖精が「緊急対応モード」かなんかになっているということなんでしょうな。通常は「三」「九」だし。
「突入開始」
ソルマーの合図で、営繕妖精が二体ほど入り口に進攻し、重そうな工具で扉を破壊しやした。さらに二体が中に入り、これも手にした道具でなにやら測定している。念のため有毒ガスの有無でも確認しているのか。あるいは火災現場までの道筋でも検討しているのかもしれやせん。
営繕妖精の額が明滅すると、ソルマーが頷きやす。
「わかった。さあ、私に続いて」
入り口に飛び込んだソルマーが、あっしらに合図する。足を踏み入れると、思ったより熱気は感じないすな。エントランスにホールなどはなく、左右とまっすぐ奥に向かい、幅二メートルほどの通路が三方向に続いているだけ。見上げると天井高は三メートルほどなんで、おそらく内部は五階建てかそこらにやってやすな。
「どっちに行くの」
「右です。イェルプフさん」
足早に通路を進む。
「火災現場がわかるんで?」
「いえ」
あっしの問いに、ソルマーは歩きながら振り返ったっす。
「ただ、内部の構造図は入手しました。発火したのはおそらく、制御室すぐ脇の、パイプが集中している箇所でしょう。そこを第一仮想現場として向かいます」
「そういえば、取り残された店子さんのご家族も、いちばん奥の制御室あたりにいるはずと、おっしゃっていました」
「家族対応はイェルプフさんに任せます。私は頭をそちらに使う余裕がないので」
「はい。お任せください」
「大丈夫でやしょうか」
「安心して、コボちゃん。わたくし、約束は必ず守るから」
「へい……」
それでも不安でやす。というのもお嬢、先程、避難するよう、当の家族連中を説得した際、家族は必ず救出するから逃げろと、管理人として約束したっす。
しかし状況すら不明の案件で、安易な約束は危険っす。なにせすでに何人か現場で死んでるかもしれないわけで。全員は助けられずに、お嬢が逆恨みされる可能性がある。
お嬢を守る立場のあっしは反対したんすが、「わたくしは店子さんを守る管理人」とかなんとか、お嬢に押し切られてしまったので。
右に向かい十メートルも進んだでやしょうか。通路は行き止まりとなり、左に曲がってやす。ここまでは部屋はなく単なる通過点だったんでやすが、曲がってからは左右に扉の並ぶ一帯に入った。
先頭を切るソルマーは、地図らしきものが表示された機械の画面を睨みながら、どの扉も一顧だにせず、ずんずん進んでいく。お嬢とあっしが続き、その後ろに営繕妖精たち。しばらく進んだ頃、お嬢が声を上げやした。
「あの……。なんだか少し熱くなってきませんか」
「そうですね。私もそう感じていました」
立ち止まると、ソルマーが営繕妖精に合図。なにかの機械を手に、営繕妖精が操作すると、画面をソルマーに見せてやす。
お嬢の言うとおり、たしかに周囲から熱気が感じられやす。なんというか、蒸気風呂に入ったときくらいの感じ。立ち止まると汗が出てきやすし、触ってみると左側の壁面のみ、かなりの熱を持ってやす。
「とりあえず燃焼による有毒ガスは観測されていません。……が、ここからは少し、注意して進みましょう。発火現場から、換気パイプかなにかで熱気が伝わっているのでしょうから」
それからは、機械を手にした営繕妖精を先頭に、ゆっくりした足取りで進むことになりやした。しばらく通路を進んで十字路に出ると、道脇の階段を使って一フロア上階に進みやす。さらに右に向かいしばらく進むと、先頭の営繕妖精が振り返って頭を振りやした。
「こっちは駄目だ。先のほうが、耐えられないほど暑いようです」
「まあ、大変」
「左に」
直角に逃げ、さらに速度を落として進みやす。
「ソルマーの旦那。さっき言ってた『盗掘』ってのは、どういう意味で」
「そう言えば、ご説明する約束でしたね。キッザァさん。……まあ、この場には管理側たる私達三人と営繕妖精しかいないし、お話ししてもいいでしょう」
右に左にと、迷路のような通路を進みながら、ソルマーは説明を続けやした。
「この建物は、特別な開発をしていた大規模機械室でして」
「機械室ですか。楡の木荘には、いろーんな機械室がありますものね。変わった奴が。ねえコボちゃん。わたくしたちもかなり遭遇したよね。ほら、このフロア直近だって、ゴルディアスさんの――」
「それよりソルマーの旦那。特別な開発ってのは、なんでやすか」
お嬢がまたヤバい方面に脱線しそうなんで、割って入ったっす。余計な情報を他人にバラすのは危険でやす。特にソルマーは公安に通じている人物なんで。
「今日、ここだけの話にしてほしいんですが……」
歩きながら、ソルマーは声を潜めやした。
「開発というのはエネルギー関連らしいです。しかも……」
あっしらを振り返って。
「どうやら、楡の木荘の外側に必要な。そのため、その機械室には居室としての登録が割り振られておらず、無番のままです」
「××号室って、そういう意味だったんすか」
「ええ」
「外側って、エントランスホール外の、あの荒野のことでやすか」
「いや。それは違います」
明確に否定して首を振ってみせたっす。
「危機管理という立場上、私は楡の木荘の機能維持に関して、大家や周辺から適宜、情報を得る立場にあります。管理人殿が店子管理上の情報を得ているように。私は危機管理上の秘密を知る。でまあ正直な話、エントランスホールの外側は、単なるダミーというか記念碑らしいです。店子の心を外側に残しておくためのものでもあるとか」
「内側の暮らしが全部じゃなくて、我々は本来、外にいたという、そういう意識でやすかね」
あっしの問いには答えず、ソルマーが続けやす。
「外側とはあそこではなく、秘匿されている『本当の外側』のこと」
「本当の……外側」
お嬢が瞳を曇らせた。なにか思い出そうとするかのように、斜め上を見つめて。
「そこでは毎日、大量のエネルギーを使ってなにかしているとか」
「なにか?」
「私も詳しくは知りません。まあとりあえずは関係ないですし」
「それで、そのぅ、盗掘っていうのは、なんなのかしら。そのエネルギーを盗んでいるっていうこと?」
「まあそんなところです。イェルプフさん。たちの悪い連中が住み着いて、『外』に送っているエネルギーを、パイプを通して盗み始めていたとか」
「穴でも開けたんで」
「まさか」
ソルマーに笑われた。
「そんなヤワなパイプじゃないようです。それにそもそも、穴を開けて漏れただけで大惨事でしょう。そうではなくて、パイプの外側に装置を着けることで、中を流れるエネルギーの流速を盗み取るとか。まあ連中、悪党なりに、よく考えたものです」
「はあ、よくわからないけれど、川に水車を置くみたいな感じとか」
「そう。イェルプフさんのたとえに近いですね。そうやって、中の物質ではなくエネルギーを盗んだと」
その程度なら特に問題ないのでは。そう尋ねると、ソルマーが頷いた。
「誰もがそう思っていたらしいです。だから連中も居住を許されていたとか。盗んだエネルギーでこのフロアの暮らしを楽にしてくれたから、反対する店子も出なかったと聞いてます。破壊活動ではないんで、フロア長も特段報告しなかったとか」
「じゃあ、消化してその装置を外してしまえば、多分今後は安泰ね。楽勝じゃない」
「そう願いたいところですが、どうですかね、この熱気だと。……くそっ」
立ち止まって毒づいた。
「こっちも熱暴走してる。もう一フロア上がりましょう」
階段を上がり、しばらく進んで、今度は階段を降りやす。
「この調子だと、中核部はかなり危険な状況かもしれない。取り残されているのは、言っちゃあなんだが、盗掘している悪党だ。最悪、彼らを残したままの強行操作も検討しなくては」
「強行操作?」
「ええ。制御盤に特別なコードを打ち込むんです。今はエネルギーの流れに問題が出て、アルトビエレが異常を感知し、強制停止した状態。あの大地震は、世界が予定外の停止に追い込まれた衝撃が原因だとか」
「世界が……停止」
「意味はわかりません。私も大家に告げられただけなので」
またアルトビエレが出た。それにどうやら大家はソルマーにも緊急連絡して、情報を与え指示したようっすな。あっしとお嬢にそうしたように。もちろん、あっしらとソルマーに与えた情報は別。それぞれの業務に応じて必要な部分のみを伝えたんでやしょう。大家が言ってた「もうひとつの手段」ってのは、ソルマー投入のことなのかもしれやせん。
「強行操作をすると、取り残された方々はどうなるのかしら」
「わかりません」
首を振って。
「最悪、多少犠牲者が出るかも。ただそれは多数を救うためのやむない犠牲で――」
「駄目です。わたくし、ご家族に約束したもの。全員救って無事戻ると」
「しかしイェルプフさん。現実を見てください。すでに危機的状況だし、連中は悪党だ」
「それもおかしい。だってわたくしが会った家族の方々、皆さん、普通の店子さんだったもの。パン屋さんだったり、時計の修理屋さんだったり。そんな方々が盗掘なんて、するでしょうか」
「しかし実際、蓋然性として――」
そのとき、轟音と共に足元が大きく揺れ、あっしらは投げ出されやした。
「余震だ! 頭をかばって」
自らも頭を抱えるようにうずくまったソルマーが叫んだ。
「お嬢っ!」
揺れる床に芋虫のように転がされながら必死で見ると、お嬢は尻もちをつくような形で倒れ、そのままうまく横倒しになって頭をかばってやす。営繕妖精たちもそれぞれ倒されて金属製の音が響きやした。
もう一度、大きな揺り戻しが起きやした。その瞬間、前方の壁が金属というのに奇妙にねじれ、廊下を塞ぐ形に崩れてきやした。
「危ない。後ろに――」
にじり這うようにして必死に後退しやしたが、なんということ。背後の壁も崩れて塞がってやす。
「駄目っす、こっちも」
「とりあえずまとまるんだ」
全員、蟻のように体を寄せ、互いをかばいやす。崩れた壁の破片が跳ね飛ばされてきて、頭をかばった腕や体に当たりやす。埃臭さに交じって、熱気もさらに感じられやす。
余震が続いたのは実際一分程度でやしょう。ただ永遠ほども長く感じやした。なんとかお嬢の体にのしかかって身をかばったんでやすが、そのときはもう、余震はほぼ収まっていやした。
「終わった……」
「皆さん、大丈夫ですか」
「ええ。わたくしは」
「あっしも平気っす。ちょっと脚から血が出やしたが、なにかに当たって切れた程度で」
周囲を見回していたソルマーが、立ち上がりやした。矢継ぎ早に営繕妖精に命令を下して、状況把握に努めているようでやす。
「どうやらもう大丈夫そうです。深部での再暴走は観測されていないので、エネルギーの流れが多少変動した程度でしょう。それより――」
左右を見回しって唸ってやす。右の通路も左の通路も倒壊物で塞がれて、どうにも逃げようがない。閉じ込められた空間に扉はひとつだけで、それも開かず、鍵穴すらない。
「どうやら閉じ込められました」
「助けは呼べるんで」
「いえ……この建物内は通信は無理とのことなので」
「なにか長い鉄棒でも見つけ出して、てこの原理で瓦礫を除けながら進みやしょう」
「それだとおそらく間に合わない。熱暴走が閾値を超えると、危険なエネルギー流出が始まり、楡の木荘も『外側』も終わりです」
「そんな……」
ここであっしもお嬢もとうとう死ぬのか。この煉獄のような建物に囚われて。楡の木荘や「外側」の終焉をもたらす大惨事に巻き込まれて……。
あっしが覚悟を決めた瞬間――
「問題はありません」
じっと壁を見つめていたお嬢が、通る声で叫びやした。
「わたくしは楡の木荘管理人、イェルプフ・ケルイプ――森の駆け手。店子さんの危機は、わたくしが必ず解決します」
お嬢の金色の瞳。その奥が、微かに赤く輝いていやした。そう。イェルプフ王女の覚醒をもたらした、用心棒騒ぎのときのように。
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