〇三〇××号室 天駆ける金色の翼 二

「ご苦労さまです。管理人殿」


 〇三〇フロア。ここも管理人室同様、夜中というのに真昼の明るさになってやす。災害被害を最小化するため、おそらく楡の木荘全フロアで同様の緊急処置がされているのでやしょう。


 野次馬と避難民でごった返す人混みにお譲とあっしを見つけると、メグレ警部は、規制線の中に招き入れてくれやした。例によって猫背の小柄。大事件のせいか柔和な表情が消えて、険しい目つきっす。


「あらあら。これはご丁寧に」


 お嬢が頭を下げやした。


「あの、スイカ割り事件のとき以来ですわね。メグレ警部にお会いするのは」

「お嬢、スイカ割りじゃなくて、スイカ汁三角関係誘拐立て籠もり事件っす」


 この名称でも情けないから、どっちでもいい気はしやすが。


「話は伺ってます。管理人殿には、今回も本職にご協力願えるとか」

「ええ。ところでこちらの方は」


 警部の横に控えてたイケメンに、お嬢がさっそく目をつけたようでやす。


「こちらは、楡の木荘危機管理アドバイザーのソルマー氏です」

「危機管理アドバイザー? 聞いたことないわあ。……コボちゃん、知ってる?」

「存じ上げないっすな。警察関連の専門職かと」

「本職も組むのは初めてです」


 メグレ警部は、正直に告白してくれたっす。


「ですがおっしゃるように、公安系業務の場合、稀にお願いすることがあるとか」

「公安系っすか……」


 公安は治安維持に特化した警察組織。まあ危機管理専門家と組むこともあるんでやしょうな。


「はじめまして。管理人のイェルプフさんと補佐のキッザァさんですよね。お噂はかねがね」


 大柄な、銀髪長毛種のウェアウルフ。つまり貴族種っすな。以前、同類の店子さんと会いやしたが、なかなか雰囲気のある種族っす。モテるのは確定かと。


「こちらこそお噂は……聞いたことがないですけれど」

「時間が惜しい。さっそく始めましょう」

「ソルマー氏の言うとおりで」


 目配せすると、メグレ警部が話始めたっす。


「見てのとおり、この〇三〇フロアが今朝の地震の震源です」


 両手を広げて、フロア状況を見せてくれる。


 廊下の左右に部屋が並ぶ一般的な階層とは違って、このフロアは真ん中に広い大通りが通ってやす。もうドラゴン十尾並べても余裕があるくらいの。はるか左右遠くに、大きめの居室が並んでやすが、すごく古そう。広さと装飾からして、おそらく店舗兼住宅とか倉庫として用いられているのがほとんどのよう。


 地震で半壊しているのが二割くらい。ごく一部は完全に潰れて。ところどころ営繕妖精が群がっているのは、その現場にはまだ取り残された店子がいるってことでやしょう。


 見た感じ、はっきり燃えている家はないものの、規制線のずっと奥で黒煙がたなびいてやす。多分あそこが、大家の言うリストリクテッドエリアとかいう場所じゃないかと。


「地震被害は楡の木荘全体に広がっており、警察や消防には非番や隠居者まですべてに業務命令が下ってます。ところどころ倒壊家屋に死者や火事も発生してます。ただ幸い、このフロアで死者は出ていません。重傷者と行方不明者が多少……」


 残念そうな声でやす。


「それより問題はですね」


 溜息を漏らしたっす。


「上下フロアまで含んで三階層の店子すべてに退去命令が出たので、大混乱していること。むしろそっちで怪我人が出ているくらいで」

「三階層? このフロアだけじゃないんすか」

「キッザァ殿。その通りで。ふたつめの理由にもなってるんですが、よほど危険な工場でもあるんでしょうな、このフロアに。こちらの管理下の消防や警察、それに管轄営繕妖精以外に、緊急対応チームの営繕妖精、加えて危機管理アドバイザーまで動員されてますから」


 指差す先に、金属製の体を橙色に染めた営繕妖精の一群が見えるっす。避難誘導にあたっている警察や消防関係者と異なり、黒煙の方向に向かい、輪を狭めるように進攻してやす。


 それにしても、大家に言われるまでもなく、フロアは混乱してやすな。三百人以上の店子さんが右往左往して。大通りが狭く見えるほど。


 喧嘩腰で我先に逃げる一家だの、よせばいいのにわざわざ近隣フロアから見に来たに違いない野次馬だの。あっちでは家財道具満載の手押し車を押している一家がいやすが、あれ、階段での移動、無理じゃないすかね。


 あっしらが立つのは廊下の規制線のすぐ内側でやすが、はるか向こうに、黒煙を上げている現場が見える。この階層の天井は約二十メートルと高いものの、天井にはすでに煙が溜まりつつありやす。


 どうもこのフロア、けっこう訳ありっぽいですな。というのもお嬢が制服に着替える間に大急ぎでタイプライタを叩いたところ、この階層はけっこう初期に遺棄されたフロアらしいっす。遺棄フロア――つまり管理外フロアに住み着くのは、悪党か訳ありが通例。なのに店子さんたち、見たところ普通の人っぽいし。なにか特別な理由があるとしか思えない。


「火災の対応は難しいんでしょうか」

「化学火災の一種らしくて、下手に水を撒くとかえって危険というのが、消火班の分析です。なので今は避難完了を第一目標に、全員避難後、リスクを取って化学消火剤を散布する算段です」

「まあ」

「ここ、本来はるか昔に遺棄されたフロアと聞いてるっす。なのになぜ住民が、しかも五百人も居住してるんで」

「たしかに、それは不思議ねえ……。おいしい蜂蜜でも取れるのかしら」


 お嬢が無駄に首など傾げてますな。


「しかも、廃棄フロアは管理区域外のはず。なのにここはなぜか管理区域扱いのままっすね」

「キッザァさん。それは私が説明しましょう。専門家ですから」


 ソルマーが、しっかりした口調で話し始めた。あの口調で人を安心させるんでやしょう。一種の職業技術かと。


「もともとこの階層はですね、古代の大規模機械室だったんですよ」

「初期階層ですもんねえ」

「管理人さんのおっしゃるとおりで。ただ水や食料といったライフラインの類とは異なってまして。特別な機能開発をしていたらしく、開発終了後は危機管理のため封鎖されたとされてます」


 ところが楡の木荘でよくある話というか、最初は放浪者が目をつけた。普通の放棄フロアと異なり、ここは荒れ果ててはいなかった。またとない好物件でやす。


 理由不明なまま、生存インフラも問題なく稼働していた。しかも放棄フロアということで、居室魔改造がし放題。自由な間取りで大きく居室を取ることができる。だから初期フロアの古代住人を中心に、目端の利く金持ち連中の別荘が立ち並んだとか。


「大家が違法居住を黙認していたってことすか」

「まあ、そういうことになりますね。極めて異例の対応ですが」


 ソルマーが大きく頷くと、長毛が揺れるように動いた。あれ、柔らかそうっす。


「そもそも廃棄後もインフラが維持されていたのは、ここが重要なフロアだから。我々危機管理の専門家は、そう判断しています」

「特別な機能開発って奴の関連でやすね」


 実際、放棄で荒れ果てフロア維持に支障が出ると、とてつもなく大きな災厄が楡の木荘に起こる。だから居住を黙認し、大家が監視し続けてきた。


 来る前に聞いた、大家の話と、ちょっとつながってきやした。


「そこに良質の店子がいることは、監視を補助するという意味で、大家にとっても悪い話ではない」

「それで管理区域のままの廃棄フロアとかいう、奇妙な状態が固定したわけですな」


 メグレ警部は唸ってやす。


「危機対応の時間は限られる。では始めますか」

「わたくしたちは、どこから始めたら……」

「そうですね、実は避難を拒否している店子さんがいまして、そちらを説得していただけたら」

「メグレ警部、それは問題です。イェルプフさんたちには、危機突入チーム補助をお願いしたい」


 ソルマーが割って入ってきやした。


「でもソルマーさん。管理人殿は素人だ。危機突入チームに入れるなんて危険です。それに業務からしても、店子さんとのコミュニケーションのほうが向いているかと」

「いえ今回は現場補助をしていただけると聞いています。それに――」

「わたくし、店子の皆さんとお話しします」

「しかしイェルプフさん、時間がもうありません。現場最優先にしていただかないと」

「避難拒否されている店子さんは何人かしら」


 ソルマーを無視したお嬢が、メグレ警部に話しかけやす。


「二十人ほどかと。全員、火災現場に取り残された被災者のご家族です」

「取り残された?」


 思わず叫んでしまいやした。


「しかし現場はソルマーさん、おそらく……なんと言うかその、立入禁止だったはずでやしょう」


 リストリクテッドエリアという名称を出すのは、避けやした。大家からの通信をやたらと漏らすのは危険なので。


「多分、盗掘でしょう」

「盗掘……」

「時間がない。詳細は現場で話します」


 時計をチラ見して、ソルマーは焦っているようでやす。


「わたくし、店子さんとお話しするまで、他の仕事はしません」


 よく通る声で、お嬢が宣言しやした。


「それだけ危険なら、むしろなるだけ早く避難していただかないと。犠牲者が増えるばかりです」

「おっしゃるとおりで」


 我が意を得たりと、メグレ警部が頷きやした。


「……わかりました」


 三人の視線を受け、厳しい表情のまま、ソルマーが折れやした。


「では私は突入チームをまとめておきます。なるだけ急いでください」


 早足でソルマーが消えた後、メグレ警部が矢継ぎ早に部下に指示を飛ばしやす。お嬢に向き直って。


「助かりました。全体の危機をなんとかする業務のせいですかね、ソルマーさんは現場での店子さんの気持ちに鈍いようです」

「仕方ないっすよ、メグレ警部。彼の立場にしたら、二十人にこだわって五百人を危険に晒すのは愚行に見えるんでやしょうし。……それにしてもお嬢、頼もしくなったっすね」


 あっしの言葉に、お嬢は微笑みやした。


「さてメグレ警部。それではその店子さんたちのところに、ご案内いただけるかしら」

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