〇五〇〇九号室 管理人資格継続審査(身体編) 四
「お嬢」
特殊病院フロア〇五〇階層、長く続く診察室への廊下の途中で、あっしは声を掛けやした。ちょっと不安だったから。
「なあに、コボちゃん」
「服にホコリが着いてやす」
背中の、肩のあたりを払ってやったっす。
「ほら取れた」
「ありがとう。この制服、静電気凄いよね。だからホコリが着いちゃってさ」
それから、営繕妖精のクリーニング失敗について、ひとしきり愚痴を口にする。適当な相槌で聞き流しながら、あっしは安堵しやした。
なにせ今回最大の懸念は、お嬢の、羽再生のきざしがばれること。対策のためにあっしは、辿りたくもない昔の悪い伝手を使って、魔法の膏薬を手に入れた。一時的に体を柔軟にして形状をある程度変えられる効果がある奴。盗賊が、狭い窓から侵入したり脱獄するときに用いる薬で。
こいつを、肩こりの薬とかなんとかごまかしてお嬢に塗った次第。今触って確認したところ、まだうまいこと平らになったまま。これならなんとか、博士の触診もごまかせるんじゃないかと期待してるってわけっす。
まあ、悪仲間に借りができたんでヤバいけれど、背に腹は代えられない。
溜息を漏らしたあっしを見て、お嬢はのんきに笑ってやした。
●
「えーと、あのう……。博士そのう……」
ひととおりの身体測定が済んで、背後の棚から博士が消毒薬など取り出し始めると、丸椅子に座ったお嬢は、もじもじし始めやした。
「なんだね」
上の空といった様子で、博士は採血用の注射筒など並べてやす。緑色の魔導ガラス製。楡の木荘一般の病院に比べると、ちょっと古臭い品ですな。それに親指より太い。型通りのあっしのときとは違って。おそらく多種の検査に用いるため、血液を多く必要としているのでありやしょう。
「わたくし、去年もしっかり検査していただきましたし」
「うん」
「今年は血はいらないんじゃないかと」
「血?」
「いえけっして注射が怖いとか痛くて嫌だとか、そういう話では……」
いやそういう話だろ。誰がどう見てもそうでやす。博士だって、思わずお嬢を二度見したくらいで。
「注射が怖いのかね」
「いえそんな。おほほほ」
面白がっているような瞳で、博士はお嬢を観察し始めやした。かつて世界を壊す寸前まで大暴れした「世界を壊す
「まあ我慢しなさい。これも管理人の仕事だよ」
「そう。仕事よ、コボちゃん」
「あっしに振られても……」
「コボちゃんが代表で採血されたみたいですし、そのう」
「腕出して」
「……はい」
スルーされて涙目ですな。観念したのか腕まくり。
「コボちゃん。手、手を握ってて」
「へい。あっしがついてやす」
空いたほうの手を、あっしは握ってあげやした。今度はお嬢の手のほうが汗まみれですな。ついこないだシーサーパントをものともせず対峙した気丈な管理人とは、思えない姿でやす。
「では行きます」
まっしろできめ細かい肌に輝く針が食い込んだ瞬間、お嬢はあっしの手を強く握りやした。博士が注射筒をゆっくり引くと、赤い静脈血が徐々に筒に流れ込んでいき、注射筒の緑色を通して、どす黒く見えてやす。
五秒、十秒。博士はまだ作業を止めない。十五秒、二十秒――。ようやく針を抜いたときには、太い注射筒にお嬢の血が満ち満ちていやした。
「ふう……」
お嬢が、深く、本当に深く息を吐きやした。
「それでは、わたくしはこれで」
「おいおい」
立ち上がろうとするお嬢の腕を、博士が押さえやした。
「問診がまだだよ。それに体の透視とかいろいろ。最後にお小水ももらわないとならないし」
「はあ……」
緊張から解放された反動か、血を抜かれたせいなのかはわからないものの、まだぼんやりしてやすな。まあ貧血するほど抜かれたわけもないので、肉体的には問題ないはず。
「では服を脱いで」
「はい……」
失血のせいか猫のようにおとなしくなったお嬢が、素直に上着を脱ぎやした。ボタンを外して、シャツも。あっしに渡してきたので、畳んで荷物入れの籠に入れてあげやした。
博士に気取られないよう横目で裸身を窺うと、幸い、羽の再生部分はうまく隠されてやす。なんとかごまかせそうかもしれない。心の中で、あっしは溜息を漏らしやした。
「その……下半身もでしょうか」
「それはいい。下は去年チェックしたから、毎年やる必要まではないだろう。細胞診するから痛むかもしれないし、去年は異常なかったからね」
博士は首を振りやした。
「ただ、上の下着は脱いで」
「でも他人ですし、なんだか恥ずかしい」
「私は医者だよ。それに毎回診ているじゃないか。それこそ去年は下半身まで」
意外そうな顔で、博士は腕を広げてみせてきやした。
「そうですけど、今年はなんだか」
すがるように、あっしを見つめてきやした。あっしの前だと遠慮なくすっぽんぽんになるくせに、今日はちょっとヘンでやすな。
「医者に見せたくない事情でもあるのか」
「いえ博士。お嬢はちょっと恥ずかしいだけでやすよ。エルフとしてはお年頃だし」
「二百歳くらいだったな。……まあ、そういう年齢か」
溜息ついてやす。あっしが目で促すと、お嬢は、渋々といった雰囲気で、薄衣の下着を脱ぎやした。
「では、息を大きく吸って」
聴診器を耳に挿し、集音部分をお嬢の胸に当てると、あちこち動かして音を探ってやす。指示されるまま、お嬢は深呼吸したり腕を上げて脇を探らせたりしてやす。胸が呼吸に伴って動くのを、あっしは目で追ってやした。お嬢の胸をじっくり見たのは久しぶりでやすが、なんだかちょっと色っぽくなったっすな。若いエルフ特有の、きれいな肌に美しい形でやす。
「口を開けて」
額帯鏡の角度を調整すると、お嬢の喉を照らして観察してやす。両方の目を同様に観察してから、机上のタイプライタに、なにか打ち込み始めたっす。
「さて……と」
打ち込み終わったのか、またお嬢に向き直って。
「後ろを向いて」
「はい、博士」
丸椅子を回してお嬢が背中を博士に向ける。いよいよ正念場っす。
「ふん。太ってはいないね。背筋の筋肉もきれいに出ているし」
背骨に沿って、博士が指を滑らせる。お嬢は、ちょっと下を向いたまま、手を膝に置いて黙ってるっす。
「エルフとして、きちんと生育しているね。そろそろ子供だって作れそうだ」
「いえわたくしは、殿方とのことは、あんまり」
「そう思ったことはないのかい」
「ええ」
後ろ姿で、お嬢は頷きやした。
「イケメンだとちょっといいなって思うけれど、別にそれでどうこうとかは、ないですし」
「少しくらい色っぽい夢を見たりとか」
「わたくしが、ですか」
くっくっと、お嬢が笑うと、胸がかすかに揺れやした。
「ないですかねえ、はあ」
「そうか。……薬が効いているな」
お嬢はわからないと思ったのか、大胆な発言。目配せしてきたので、博士に向かい、わずかに首を縦に振ってあげやした。
「安心したよ。……どれ」
両肩、羽をもいだ傷痕に、手を滑らせやした。そのまま、撫でるように優しく手を動かして。
「ここも変化なしか」
親指でぐっと押してみながら。
「痛むかね」
「そのう……くすぐったいというか。なんだかぞくぞくします」
「ああいかん。これは悪かった」
苦笑いを浮かべて、博士は手を外しやした。
「イェルプフさん、君は健康なエルフだよ。保証する」
服を着なさいと指示するとタイプライタになにか打ち込み始め、あっしは少し安堵しやした。とりあえず今回は、なんとかごまかせそうでやす。
お嬢の羽は、数日もすると元に戻る。問題はその後。完全に再生するのが一年後なのか数年後なのかは知りやせんが、そんときゃもう隠しようがない。二度ともがれないよう、大家からの言質を取り、それを保証する担保も取っておかないとならない。
昔の伝手だのなんだのまで含め、一世一代のカラクリを、あっしは考えておかないとならないでやしょう。
あっしから受け取った下着を身に着け、胸の収まりを直してから、お嬢がシャツを手に取りやした。
「では、透視してみて、あと細かい検査だな」
「まだ時間かかりますか、博士」
「なにか問題でもあるのかね、イェルプフさん」
「いえ、そのう……。お腹が減ったので」
「悪いね」
博士は笑い出したっす。
「もう少しだけ、辛抱してくれよ。では検査室に行くか」
服を着たお嬢の背に手を当てて、博士が促す。
「あっしも行きやす」
博士が背を見せた瞬間、あっしは机上に手を伸ばしやした。目をつけていた書籍をぱっと開き、文字を複写する魔法紙を挟んでは抜き取って。盗賊時代はあっし、
「待ってくだせえ。お嬢に博士」
「コボちゃん、おそーい」
笑いながら、お嬢が振り返りやした。
「きちんとついてきて。コボちゃんは大事な、わたくしの相棒じゃないの」
「おやおや、君たちは本当にいいコンビなんだねえ」
「へい博士。あっし、お嬢の補佐と管理に、命を懸けてやすから」
あっしの言葉、ふたりは多分それぞれ別の意味に取ったはずでやす。あっしら三人は、それぞれの思惑を胸に、検査室へと向かいやした。もう検査もほぼ終了。とりあえず無事に切り抜けられそうでやす。
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