〇五〇〇九号室 管理人資格継続審査(身体編) 三

「イェルプフ王女の羽除去術式のことだね。なんで気にする」


 疑い深げに、博士があっしを覗き込んできたっす。


「いえハイエルフの羽はきれいなのに、もったいないなって」

「気になるなら……まあいいか、多少くらいは話しても。君だって、私や大家の共犯だ。秘密を共有してこそ、抜けられなくなるってものだからね」


 椅子に背をどっしりもたせかかるとひとつ大きく息を吐いて、博士はまたこっちを見たっす。


「理由はいくつかある。まず、他人が見てもハイエルフとわからなくするため。王女は失踪したことになっている。そっくりなハイエルフが、管理人としてそこここに出現したら、まずいだろ」

「そうすね」


 ミツオシエの謎を追ったあのエルフの森林フロアでは、たしかに危うくイェルプフ王女とバレそうになったっす。羽がないのと氏族名や性格が違うことで、かろうじてごまかせたのは確かで。ハイエルフが自慢の羽を隠すはずがないってのは、誰もが知っている常識でやすから。


「それとハイエルフの羽には、奇妙な性質があってね。それが特にイェルプフ王女の場合は顕著で、特異な個別能力も持っていた。それが潜在的リスク要因になるんだよ。この楡の木荘にとってね」

「そんな大げさなもんじゃないでしょ。飛翔用が退化したって話だし」

「それは俗説だよ」


 博士は一蹴しやした。


「君も知ってのとおり、ハイエルフは一般のエルフよりはるかに知力や能力が高い。それはね、羽のおかげなんだ」

「羽が生えてると、頭が良くなるんですか」

「大雑把に言えば、そうだ。羽は実は脳神経回路の――って、それはいいか。君には関係ないし」

「脳?」

「ざっくり、羽のあるエルフは潜在能力が高いと覚えておきなさい」

「だからもいだんですか? お嬢の知力や能力を抑えるため」

「まあいいじゃないか、もう」


 曖昧な笑みを、博士は作ってみせやした。


「お嬢がそんなに危険な存在だったら、羽をもぐなんて残酷なことをせずに、なぜひと思いに殺さなかったんで」

「それは……」


 ふと、博士は遠い目をしたっす。


「それは、可能性があるからね。未来の」

「未来ってのは、どういう意――」

「このへんにしとこうか。詳しく話しても、君には理解できまい」

「試しに話してみてはどうすか。あっしだって学問こそないものの、それなりに積み上げてきた知恵って奴が――」

「どうでもいいだろ」


 博士は手を振ってみせやした。それからあっしの目を見つめてきやした。


「羽を気にするなんて、なにか異変でもあったのか?」


 逆に切り返されて、あっしはまた、首をぶんぶん振ってみせた。


「いえ別に。ただの興味っすよ。あっしも『知りすぎた男』にはなりたくないんで。ヤバい方面の話だってんなら、聞きたくはないっす」

「それもいい判断だ。イェルプフ王女の管理に大家が君を選んだのは、正解だな」

「褒めていただけるんなら、あのう……」


 言い淀んで、いいにくそうにもじもじしてみせた。


「なんだね。言ってみなさい」

「お嬢の監視・管理手当、もう少し上げてもらえやせんかね」

「それは……」


 意外すぎる提案だったのか、驚いたように博士が眉を寄せやした。


「なんだ、金の話か。さすが盗賊だな」


 呆れたような声でやす。


「いえなんたって、ハイエルフの王族、王土戦争の英雄を監視する任務だ。もしお嬢が覚醒したら、殺されるかもしれない危険だってある。それにしては謝礼が少ないんじゃないかと……」

「ふむ。危険だからこそ、キッザァ君の身体能力は強化した。それだけでも充分以上の厚遇じゃないかな。あの手術、受けるだけでとてつもない費用がかかるって、知ってるだろ」

「いやでも――」

「それにキッザァ君。管理人補佐に任命したときの君は、悪党に奴隷のように使われていた。ボロボロだった肉体だけでなく、精神的にも極度の抑圧傾向があって。正直、最初に会ったときは驚いたものだよ。地獄の冷気で限界まで冷やされた金属のようだった……。大家がピックアップしなかったら、おそらく一年はもたずに死んでいたはずだ」


 腕を広げてみせた。


「数年経った今はどうだ。猜疑心に満ち、必要以外のことは一切口にしなかった君は消えた。打って変わって明るくなったじゃないか。本来のこすっからい――じゃないか、戦略に長けた知力も蘇ってね。危険分子の管理を任せるには、まさにうってつけ。……命と心を救った我々に、むしろ感謝してもらいたいものだな」


 たしかに、博士の言う通りではある。あっしは渋々頷いた。


「とはいえ、まあしかし、キッザァ君の頑張りは認めざるを得ない」


あっしの肩を叩いて、親しげな笑みを浮かべてから。


「こうしようじゃないか。基本給は変えられないが、来月から危険手当を一割増やすよう、私から大家に進言しておこう」

「ほんとっすか」

「任せなさい。……ちょうど明日、大家と会う用事があるし」


 盗賊のとき訓練した「しらばっくれ技術」が、役立ちやした。ちょっと踏み込みすぎて、あっしも疑われる可能性すら出るほど危険でやした。金でコントロールできる男、夢の一件のようなお嬢の小さな異変まで報告する、忠実な男。ここは、そう思わせておくのが安全。このくらいのさざなみを起こしたほうが、むしろ嘘がうまくごまかせるんす。盗賊必須の技術って奴で……。


「ところで大家ってのは、やっぱヒューマンなんっすかね、博士と同じく」

「それは内緒さ。知ってるだろう」


 笑っているっす。


「噂では、齢千年を数える、特別なヒューマンってことっすが」

「噂は噂だよ。彼は特別なヒューマンなんかじゃない」

「普通のヒューマン」

「いやそれとも違ってて。うーん、なんと言えばいいか……」


 あっしの目を見て考えている様子。どこまで話していいかと。まあ、「彼」ってくらいだから、とりあえず男なのはわかったっす。


「楡の木荘のことについて、誰よりも深く考えているのは彼だ。私など足元にも及ばない」

「はあ」


 間抜けっぽい表情を、あっしは浮かべて見せたっす。金以外はさほど深く考えない、重要情報を話しても安全な奴だと油断させるために。


「なにせ私は食べたり寝たり、そういう意味ではキッザァ君と同じだからね」

「大家は違うと」

「違うというか……」


 瞳を逸らした。


「同じとも違うとも言える。私達のこの会話のことだって知っているはずさ、原理的には」

「原理?」

「いいだろ、もう」


 横を向くと、博士は手を振った。


「ちょっと雑談が過ぎたな。もう時間がない。イェルプフさんの問診を始めるよ。連れて来てくれ、キッザァ君」

「いつもどおり、あっしも同席していいんで」

「君の業務は彼女の観察と管理だ。身体・精神面での診断過程は見ておいてもらわないと、逆に困る」

「へ、へい。わかったっす。それより」

「まだなんかあるのか」


 わずかに眉を寄せた。珍しく、ちょっと苛ついているような。


「謝礼の件、お願いしやすぜ」


 虚を突かれたように、博士は目を見開いた。


「ああそうだったそうだった。安心したまえ。進言はしておくから」


 安心したような笑みを浮かべやした。


「もしかしたら大家から、その件に関してキッザァ君に直接連絡があるかもしれんぞ」

「はあ。大家の連絡なら、毎日の無慈悲な命令で、もう嫌ってほど見てやすんで」


 博士の笑い声を背中にカーテンを潜り、扉を通って無機質な廊下を進んでもう一度扉を開けると、そこが〇五〇〇二号室、つまり待合室。無駄にだだっ広い部屋の中央、ぽつんと三つほど並んだベンチソファーの端に、お嬢が座ってやす。所在なげにちょこんと。いつもの管理人制服姿で。緊張しているのか、膝の上にきちんと手を置いたまま固まってますな。


 ちょっとした体育館ほどはある待合室なのに、ソファーは三つだけ。患者も看護師も、誰もいない。ええもう、受付や採血業務やなんやかやは、営繕妖精が担当してやして、それ以外、このクリニックで患者だろうが医者だろうが人影を見掛けたことはないっす。


 フロア内病院だとか大規模病院フロアなんかは、楡の木荘のあちこちにあるっす。でもこのフロアだけは特別。病院と名前こそ付いてやすが、誰も見たことがない。そもそも店子の立ち入りが禁止されていて、フロア間をつなぐ階段すら隔離されているので、〇四九から〇五一フロアに降りるときだって、この〇五〇フロアには出入り口がないっす。おまけにこの階層には、あっしらの持つ管理人権限ですら入室が禁じられている「特定管理室」が、大量にありやす。多分重要な研究施設だと思うっす。


「コボちゃん、おそーい」


 待合室に戻ってきたあっしを見て、お嬢が、ほっとした表情を浮かべやした。


「ここ寂しいし、なんだか居心地悪いから、ひとりっきりで待つのが苦痛で」

「まあいいじゃないっすか。その代わり、今日は管理人業務お休みできるんだし」

「それもそっか」


 やっと無邪気な笑みに戻ったっす。


「今晩の献立、もう百回くらい考え直しちゃったし」

「なんに決めたんすか」

「秘密」


 首を傾げると、巻き毛が揺れたっす。


「診察が終わったら、教えてあーげる」


 立ち上がった。


「楽しみにしてるっす」


 出口へとお嬢を促しながら、あっしの鼓動は高まっていきやした。いよいよお嬢の診察。あっしの採血だのなんだのは営繕妖精が担当しやしたが、お嬢は別。全部、博士が自らやることになってやす。


 多分、お嬢の反応を観察して危険な徴候を読み取るつもりなんでしょうが、なにせ背中の羽が再生しかかっている。もちろん、裸に剥かれて体だって観察されてしまう。対策はしたつもりでやすが、バレたらとんでもない事態になりそうな予感がビンビンでやす。


「やだコボちゃん、また手がびっしょり」


 あっしの気も知らず、のんきに笑うお嬢。開いた扉の向こうに、無機質な白い廊下が続いてやす。まるで死刑執行場に向かう、「最後の廊下」のように。

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