〇五〇〇九号室 管理人資格継続審査(身体編) 二
「キッザァ君、元気そうだね」
診察室の丸椅子に座って相対すると、「博士」が柔和な笑みを浮かべやした。見たところ五十絡み。人当たりの良さそうな、ヒューマンの男性。レトロな白衣に身を包み、
まあ実際の年齢は不明でやす。というのも、「博士」はそこらの医者とは違っていて、大家側近――つまり「楡の木荘」幹部。当然、延命措置など受けているはずなので。人の良さそうな外見だっていってみれば演技で。時折覗かせる鋭い瞳が、それを物語っているっす。
それに、名前がわからない。ただ「博士」「先生」としか呼ばれず、あっしが尋ねても、話をはぐらかして教えてくれないっす。いや教えたくないなら、偽名でも名乗れば済む。それすらしないのは、なにか理由があるんでありやしょう。
「検査はどうだった」
「時間がかかって、かったるかったっす」
「まあ我慢してくれ。年に一度かそこらなんだから」
「へい」
〇五〇フロアに着いたお嬢とあっしは、〇五〇〇一号室、つまり受付で病院入館を済ませ、〇二号室の待合室に。
先に呼び出されたあっしが、〇八号室で身体測定、〇七号室で血液検査、〇六号室で尿検査――といった具合に各種検査を済ませて、今ここ〇五〇〇九号室、つまり診察室に座っているわけでやす。
「じゃあ診察しよう。服を脱いで」
「へい」
管理人制服を脱ぎ、上半身の下着も取ると、博士が体を見つめやす。
「どれ」
首に掛けていた聴診器とかいう道具を耳に差し、チューブで繋がった集音器をあっしの胸に当てて、心音や呼吸音に異常がないか確認してやす。それから体に手を当てて、筋肉や贅肉の具合をチェック。
「ふん……。体を回して」
丸椅子を回して背中を見せると、同じように診察して。聴診器の真鍮製の感触が冷たくて、当てられるとちょっとビクッとしてしまいやすな。
「ほう」
丸椅子ごと、あっしの体を回すと、博士が口を開きやした。
「ちょっと太ったね。体重は……と」
診察机に置かれた黒い異世界古代端末「タイプライタ」をぽちぽち叩くと、魔改造で上部に設けられた投射器に、古代文字が並びやした。
管理人室にある「タイプライタ」と同じ型でやすが、あっちは壊れかけを元に改造されていて、キーなんかも欠けて数が足りない。それに比べ、こちらは新品同様に修理された上で魔改造されている。金の掛かり方が違いますな。
タイプライタの奥には、書類棚。不揃いの書類がたくさんに、いくつか、手製本の書籍が並んでやす。「アルトビエレ原理の将来的課題」「亜空間展開試論」「楡の木荘持続性の考察」とか、古代エルフィン語の書名が読めやすな。お嬢は古代エルフィン語からっきしでやすから、読みかけの本を無造作に置いてあるのかもしれやせん。
「うん、体重、去年より五%も増えてるな。血液検査の結果からも、成人病のリスクが高まっているようだ」
あっしの瞳をじっと覗き込んで。
「心当たりはあるかね」
お嬢の食欲に付き合うと、どうしても食べ過ぎることになる。なので体重はたしかに増えてはいるが、体調自体は悪くないことを、あっしは説明しやした。
「それに……」
一瞬言い淀んだあっしの逡巡を、博士は見逃さなかったっす。
「それに……なんだね」
「お嬢が機嫌悪くなったり落ち込んだりしたときは、飯で釣るのが一番でして。結果、あっしも付き合うハメに……」
大声を上げて、博士が笑ったっす。
「ならまあ、職業病だな。仕方ない。君の任務は、彼女の監視と管理だから。それで……」
言い掛けたまま大きく息を吐くと、手元のカルテに、万年筆とかいう古代筆記具で、なにやら書き込み始めたっす。古代エルフィン語ともまた違う、あっしにはわからない文字で。
「落ち込んだり、機嫌が悪くなる回数は増えているのかな」
「イェルプフおう……お嬢でやすか」
自分でも間抜けな回答と思ったっす。博士は頷きもしてくれない。
「いえ。これまでと同じでさあ」
余計なことを言ったと後悔しながら、あっしは説明を始めたっす。変な言質を取られないよう、注意しながら。いよいよ本題、お嬢の観察記録の伝達に入ったってわけで。
「――といった具合で、毎日楽しげにぱくぱく食べ、始終くだらない話をして、ぐっすり眠ってやす」
「ほう」
ちょっと揶揄するような声。笑みの形に、博士の表情が和らいだっす。
「なにせ屈託の全然ない性格で、一緒に仕事して暮らすのは楽しいっす」
「では、精神は安定していると」
「さいで」
嘘はついてないでやす。危ない部分を口にしてないだけで。
「性格面の安定具合はいかがですかな」
「そっすね。話したとおり、とっても明る――」
「いえそうではなく、裏人格の表出具合を訊いている」
「裏……人格でやすか」
あっしは、斜め上、天井を見る形を作ったっす。あー天井はちなみに、よくわからない樹脂製ぽいですな。
なにかを思い出そうとしているかのような表情を作って。
「そうっすね……」
時間を取って溜めを充分作ってから。
「これまでどおり、特に気配はないっす」
嘘をついたっす。例の用心棒騒ぎの一件をまるまる隠して。
「ただまあ……あえて言えば」
反対側に首を捻ってから、博士の目をまっすぐ見つめた。
「一度、よくわからない夢でうなされてやした」
「夢」
「へい。よく知っているはずだが名前を思い出せない誰かが隣りにいて、どこか光輝くフロアに立っているとかなんとか」
「ほう……それは興味深い。一度だけかね、キッザァ君」
「さいっす」
あっしは首を縦にぶんぶん振りやした。
「それも、朝飯を食べる頃にはすっかり忘れてやした。それにその晩は、例の薬を多めに飯に入れときやしたし」
「ふん」
博士があっしの目をぐっと覗き込んでくる。ここで目を逸らしたら危ないっす。あっしはなるだけ力を抜いた間抜けの瞳で、まっすぐ博士の視線を受ける。
「そのくらいなら、まあ……問題ないね。深層に追い込んだ記憶が、夢に一瞬表出しただけだろうし。……いい対応です」
「ありがとうございます」
うれしそうに、あっしは顔を崩してみせた。踏み込むなら今、相手が心を許したこの瞬間しかない。お嬢を守る情報を聞き出すため、危険な領域に踏み出すことにしやした。
「ところでお嬢の羽、あれ大家がもいだって話でやすが、なんででやすか」
あっしの問いに、博士は表情を硬くしやした。
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