六五一フロア  蜂蜜色のヴァーミリオン・コースト 二

「船乗りになりたいって話だけれど」


 日陰のビーチカフェに場所を移してから、お嬢が口火を切ったっす。


「ああ」


 クリップと名乗ったガキが、説明を始めやした。本来、両親を通して願い出るのが一般的だが、自分の親はふたりとも亡くなり、今は遠縁の家で下働きをして暮らしているから頼めないと。


 そう言えば、豪勢な高級リゾートに似合わないボロをまとって、履いている靴だって左右別のビーチサンダルでやす。あれ多分どこかで拾った奴でやすな。


「見たところ、もうすぐゲンプクを迎えるはず。そうすれば自分で親方に頼めるでやす」

「それまで待てない。おばさんだって生活は苦しい。このままだとじきに、三十階層も離れた商業フロアに、おいら丁稚に出されっちまう」


 言い切ると、柑橘類のジュースを、うまそうに飲み干しやした。


「うまいなあ……」

「それは大変ねえ」


 三十階層も離れたフロアまでの道行きは、概して危険でやす。道中の銭なんかたいしてもたされないに違いないので、働いで金稼ぎながらの移動になる。そのため、怪我や病気で行き倒れたりする可能性がかなりあるはず。おまけに、金稼ぎを見た賊に、階段で襲われて殺されたりも。


 とはいえ、それはこいつの運命。楡の木荘店子なら、誰しも同じような条件で暮らしてるんでやす。


「丁稚、いいじゃないすか。商売の道なら、てめえの才覚ひとつで成り上がれる。後ろ盾も教育もないガキには、ベストの選択でやしょう」


 あっしだって、ガキの時分に事情で家を出た。放浪の末、盗賊に拾われて悲惨なことになったわけで。受け入れ手が決まっている分、こいつは百倍マシな境遇。生意気なガキのワガママとしか思えないでやす。


「どうして船乗りにこだわっているのかしら」

「父ちゃんは、おいらが三つのときに死んだ。船乗りで、この海で遭難したんだって。おいらにだって船乗りの血が流れてる。金勘定の小間使いなんて、冗談じゃないよ」

「うーん……」


 眉を寄せると、お嬢はテーブル越しの海に視線を移しやした。寄せては返す透き通った波。虹色に輝く霧と、暖かで優しい香りを運んできてお嬢の巻き毛を揺らす海風と。


「船乗りは危険な職業と聞いているけれど」


 実際、この海は海岸線こそ穏やかでやすが、岸からちょっと離れると、水道管脈流の影響でてきめんに荒れるそうで。なので漁師も沿岸で網を使っての漁労が中心。奥まで出ていくのは、希少な高級魚を求める一部の漁師。それに、さらに沖に出て、宝飾品として極めて価値の高い沖珊瑚で一攫千金を狙う命知らずくらい。どちらにしろ危険すぎて、あんまり数はいないって話でやす。


「おいら、まず漁師になる。それで海流や潮の見方を覚え、経験を積んで自分の船を造り、海の果てまで行ってみたいんだ」

「果てまで……」


 なにか見通そうとするかのように、お嬢が、ガキの瞳を覗き込みやす。


「ああ。誰も行ったことのない海の果て。そこまで辿り着ければ、絶対やったーって気分になれるはずさ。それに……太古のお宝だって眠ってるに違いないよ。なにせ水道管破裂で、この界隈の貴重な品は全部流されたっていうし。果ての浜に流れ着いてるに決まってる」

「果てに浜があるとは限らないでやすが……」

「なかったら網さ。果ての水底には、必ずお宝が溜まっている」

「それは……たしかにありそうでやすが」

「どうかしら、コボちゃん」


 唐突に、お嬢が口をはさみやした。


「とりあえず、網元さんに口を利いてみようか」

「お嬢……」


 どうにも、お人好しのほんわかエルフでやす。


「だって、世界の果てが見たいって気持ちは、なんだかよくわかるもん」

「それは……」


 お嬢には、隠れ人格――というか本来の人格であるイェルププフ王女が潜んでやす。世界の果てを越え、「外側」を垣間見た。きっとその心が揺らされたんでやしょう。


 絶句したあっしを見て、お嬢が微笑みやす。


「ねっ。ほら、休暇はまだ何日もあるしさ。一日くらい潰してもいいじゃない」


 ガキ――クリップも、期待に満ち満ちた視線を投げてきやす。くそっ。


「ならまあ……。話をしてみるくらいは」


 嫌な予感がしたものの、あっしは渋々頷いたっす。


         ●


「船乗りになりたい? 漁師に……。そのひょろひょろのガキが」


 漁師小屋奥の控室。どっかと腰を下ろしたまま、網元の親方は、顎をしゃくりやした。あっしらの脇に控える、クリップに向けて。


 親方はギョロ目の大男。ヒューマンでやすが、微妙に他種族の血が入っている感じ。ヒューマンらしからぬ太い腕っぷしが漁師服から覗いてやすし。山煙草の芋煙管をはすに咥え、品定めするかのように、あっしらを睨んで。


 ヴァーミリオン・コーストは、中央にリゾートがどんと位置してやす。端のほうが、村人の生活圏。リゾート職員の寮があったり、出入り業者の倉庫や事務所、もちろん住宅も。片方の端には、古くからの漁師が固まって住んでやす。


 海岸線に、船着き場。簡単な修理のための船小屋。漁の合い間に休憩を取る漁師小屋。浜を上ったほうに、漁師の住まいが並んでやす。といってもアパートの居室はすでに全部取っ払われているんで、どれもこれも木材で建てられた小屋でやすが。


 網元が座る奥座敷を除けば、漁師小屋の床は土間。土間には漁師が二十人ほど詰めてやして、どっかと胡座を組んでやす。せっせと網を繕う隠居ジジを除いて、全員、興味深げにこっちに視線を飛ばしてますな。特にお嬢に。――そりゃむくつけき半裸の荒くれ男ばかりなんで。薄衣を羽織っているとはいうものの、若くて可憐なエルフの水着姿。多少田舎臭い管理人水着とはいえ、当然でやしょう。


 親方は、しばらく黙ってガキを眺めていやした。それからあっしに視線を移し、次にお嬢。なんかえらく長い間お嬢を見つめているんで、嫌な予感がしやす。


「ま、いいよ」


 あっさり認めたせいか、居並ぶ漁師からどよめきが上がりやした。


「まあ、素敵。さすがは網元の親方。度量が大きくて、わたくし、実に感心いたしましたわ――」

「ただし管理人さんよ。あんたに条件がある。ひと働きしてもらいたいって奴でな」


 鋭い瞳で、親方がお嬢を制して。もう、嫌な予感マックスでやす。


「条件? わかりました。なにかは知らないけれど、お手伝いします。こう見えて、わたくし、試食とかは得意ですから」

「し、試食?」

「ええもう」


 お嬢、うれしそうに頷いてやすな。


「黄金魚だろうが底平目だろうが、高級魚の品定めなら、なんなりと――」

「お嬢、多分それは違うんじゃあ……」


 例によって、食いしんぼエルフが暴走してやす。


「いや困っててな」


 無精髭の生えた顎を、親方がじゃりじゃりとさすりやした。


「沖合遠くにいたはずのシーサーパントが最近、漁場近海に出張ってきやがって。危なくてまともな漁もできやしねえ。なあ、おめえら」


 そのとおりで、と、男達が同意の声を上げやした。


「あれ、退治してもらおうか」

「た、退治でやすか」

「おおさ。あんたらは管理人だろ。楡の木荘管理人には、他人にはない秘密の力があるって、もっぱらの噂だ。その真贋を見届けさせてもらおう」

「まあ、モンスター……」


 お嬢が口に手を当てやす。


「それもシーサーパントともなれば、第一級の巨大魔獣じゃない。漁師の方々も、大変ねえ……」

「お嬢、さすがにこれは無理でやす。クリップのガキがゲンプクまでいられるよう、親戚筋に話しに行きやしょう」

「いえコボちゃん。店子さんのお困り事は、わたくしの困り事も同然。みすみす見逃すわけには……」


 いかんっす。よせばいいのに、いつものお嬢の悪いクセが始まったっす。


「わたくしは、楡の木荘管理人イェルプフ・ケルイプ。またの名を、ひ……左利きのお魚さん」


 まだ覚えていたでやすか。


「お魚さんなのだから、海のお困り事だって、なんとかなるわ。……ええ、このご依頼、お引き受けいたします」


 がっつり頷いたりして。親方は、お手並み拝見とばかり、悪い笑みを浮かべていやす。


 シーサーパントと言えば、全長二十メートルはある巨大海蛇竜。気性が荒く、皮膚は鋼鉄並で漁師の銛なんか通りもしない。攻撃防御両面で弱点なしの、難物モンスターでやす。お嬢ひとりでなんとかなるとは、とても思えない。それに万一、裏人格が蘇ってあの槍なんか放ったら……。


 例によって、あっしは頭と胃が痛くなってきやした。いったいこれ、お嬢はどうやって解決するつもりなんでやしょうか。

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