〇二八〇〇号室 ゴルディアスの結び目 後編

 賢者ゴルディアスの説明書、あっしが読み上げる内容を聞いて、お嬢はほっと息を吐きやした。


「うーん。一割くらいわからないわねえ……」


 お嬢が首を傾げている。でもひきつってやすし、九割以上わかってないって顔でやす。あっしだって意味は半分もわからない。


「古代エルフィン語の語彙は特異でやして。なかなか現代語に訳すのが難しいっす」

「でも、要するに『解けばいいんだー』ってのは伝わってきたかも」


 大雑把なお嬢の把握力に、今日は妙な説得力がありやす。


「そのとおりです」


 バンシーさんが頷いた。


「だからこそ、古来、挑戦者が絶えなかったわけです」

「とにかく、サムさんというお方が、誰かを探していた……。ふんふん。これはつまり……」


 よせばいいのに、顎に手を添えて名探偵気取りですな。


「一目惚れでもしたのかしら、はあ」


 お嬢がうっとりと瞳を細める。


「コボちゃん、あなたシーフじゃないの。解呪とかは専門分野でしょう。これ……なんとかなる?」

「えっ。トンデモ推理の末に、あっしに全振り!?」

「うん」


 さも当然といった顔つきだ。……しかし大家は、お嬢ならできるかも、と書いてきた。つまりお嬢ならこれを解く可能性があると判断しているって話でやしょう。まあ「解けなかったら、それでもいい」ともあったんで、ダメ元で試しにやらせてみるか――程度の期待感でやんしょうが。


「その……大家は、お嬢ならできるって書いてきやしたぜ、今朝方」

「わたくし……なら?」

「ええもう。お嬢は優秀だから、こんな結び目、瞬殺だろうとかなんとか」


 口からでまかせで、お嬢を持ち上げまくる。したらお嬢の頬が少し赤らみ、瞳も輝いてきやした。乗せやすいのほほんエルフでやすな。


「なら、やってみるか」

「ええ、お嬢伝説、あっしらに見せてやってくだせえ」

「うん。わたくしはイェルプフ・ケルイプ。またの名を――」


 周囲に視線を走らせやした。


「またの名を……名を」


 くるくる回った瞳が、あっしを捕らえて。


「今回はなににする、コボちゃん」

「ええもう。左利きのお魚さんで」

「そう、それよ。左利きのお魚さん」


 なんかミエ切ってやすな。店子さんが呆然としてるのはガン無視して、ひとりで喜んでやす。


「これを解けばいいのよね」


 紐の端を手に取り、結び目を潜らせようとあれこれしてやす。


「なにこれ。……最初のひと結びすら通らないじゃないの」

「そりゃ、何百年も、誰も解けなかったくらいですからね」

「解く代わりにハイミスリルの剣で切ろうとした英雄もいたんですけど、刃こぼれして泣いたそうです」

「そうか! それよっ」


 お嬢が手を打った。うーん……嫌な予感がしやす。


「その手があった。要するに結び目をなくせばいいんだから、切ればいいの」

「いやだから、ハイミスリルが欠けるほどなんで。聞いてやしたか?」

「ミスリルがなに? わたくしの、いつものあの槍で――」


 手のひらを上に向けやした。瞳を細めて、物質招致の瞑想に――。


「あーダメでやす。ダメでやす」


 あわてて、あっしは止めに入った。またぞろあの騒ぎだけはゴメンでやす。それに今日はあの「最後の手段」のインジェクター、持ってきてないし。


「なによ、邪魔して」

「もっと他の手にしやしょう」

「なんで」

「あの槍使うと、結び目だけじゃなくて、制御盤全部が吹っ飛んだりしそうじゃないすか。フロアのインフラが全滅しやすぜ」


 斜め上を向いて、なにか想像しているようでやんした。


「それもそうね。そうなると店子さんに迷惑もかかるし」

「お嬢、ひとつ今回は降参ってことにしやしょう。大家もギブOKと通信で――」

「平気平気。物質招致がダメなら、逆にすればいいのよ」

「逆?」

「うんそう。物質消失」

「ぶ、物質消失――」


 あっしが息を呑むと、店子さんもさすがに一歩引きやした。営繕妖精たちは、入り口のあたりに固まったまま、こちらを眺めてやすな。なにか記録しているのかもしれやせん。


「そんなの前代未――」

「もう始めてるし。邪魔だからどいてっ!」


 珍しく強い口調で言い放つと、どでかい結び目の両端に手を置いて。うっすら閉じた瞳の奥が、赤らんできやした。


 やばいっす。聖槍を出したときは、上下数十フロアに大寒波が到来しやした。「物質消失」なんて魔法、聞いたことがないものの、どうせまたぞろロクなことにはならない予感が、ビンビンしやす。それに例の人格が覚醒でもしたら……。


「ぶっしつぅー、しょうしーつうううーっ」


 ほんわかした癒やし声でのんびり口にすると、お嬢の手のひらから、なにかが出てきやした。なにかのエネルギーのような奴が。


「見てっ! 空間が歪んでるっ」


 バンシーさんの叫び声が背後から聞こえるっす。たしかにそのとおり。結び目は今はなにか亜空間のようなものに包まれやした。そのまま揺らいで……。


 耳の奥がパンッとなるような変な感覚と共に、めまいがしやした。


「お、お嬢……」


 思わず一瞬目を閉じて、また開けると……。


「結び目が……」


 呆然とした、店子さんの声。見ると、結び目は跡形もない。制御盤、紐が出てきていたところに大人の頭ほどの穴が残されているだけでやす。焦げ臭さが漂い、そして――。


「あ、暑い」


 見ると、店子さんたちは、汗だくでやす。たしかに、急に気温が上がってる。もう真夏も真夏、数十年に一度の大熱波到来――ってくらいの暑さで。


「やった……」


 まだ手を結び目に添える形に開いたまま、お嬢がぽつりと呟きやした。


「コボちゃん。成功したよ。わたくし、成功――」


 そのままふっと崩れおれそうになるのを、支えやした。口調からして、どうやら例の人格は出てこなかったようでやすな。あっしは心底安堵しやした。「彼女」が出てくると、最後の手段を持たないあっしでは、もう制御できない事態となるので。


「お嬢、しっかり」


 あっしに抱えられ、お嬢はぐったりしたままでやす。


「お嬢っ!」

「コボ……ちゃん」


 瞳が薄く開きやした。


「望めば、逆もできるのね」

「できるかどうか、知りもしないでやってみたんでやすか」

「うん……」

「困ったお人だ」


 あまりに無鉄砲な行動に、思わず笑ってしまいやした。のほほん癒し系にしては、妙に実行力があるエルフでやすな。


「見て、結び目の奥になにかが……」


 見ると、結び目があった場所に、なにか黒っぽい塊がありやす。結び目の裏に隠されていたように。


 取ってみると、書付の束でやんした。ボロボロに虫の食った古い革に、古代エルフィン語でなにかが書き付けられておりやす。


「メモ? 日記?」

「いえお嬢、虫が食ってて読めやせん」


 実は一部とはいえ、読めたのでやす。でも目に飛び込んできた内容が内容なので、咄嗟に嘘が出た次第で。なにせ元シーフでやすから、嘘とハッタリは得意中の得意で……。


 書付の束を、あっしは懐に収めやした。


「コボちゃん……」


 まだか細い声でやす。槍を出したときは寝込んだお嬢。今回も体が心配でやす。


「しっかりするでやす」

「お腹が……」

「痛むんでやすね。管理人室で薬を。いや、店子さんにハーブをもらって――」

「お腹が……空いた」

「腹減りっすか」


 力を使い果たして倒れたんじゃなくて、もしかして空腹のあまりってこと? さすが食いしんぼエルフというか……。


 呆れ顔のあっしを見て、少しだけ頬を赤らめやした。


「さっきから言ってたじゃない」

「朝飯直後でやすよ。お嬢が泣き言を口にしたの」

「ご空腹ですか」


 ヒューマンの旦那が飛んできやした。


「防火壁は無事、開きました。今からさっそく、フロアの店子総出で宴会です。管理人さんたちも、ぜひご参加を」

「あ、当たり前のことをしただけですし」


 ようやく体を起こしたお嬢。遠慮してやすが、瞳が輝いてたりして。


「それにこれは業務ですから、お気遣いは――」

「いえいえ、あなたは〇二八階層の英雄だ。古来誰一人として成功しなかったゴルディアスの結び目問題を、あっさり数分で解決したんですから」

「そうそう。驚きですよ」


 バンシーの店子さんは泣きそうでやすな。……まあ泣くのは得意でしょうが、泣き声を上げられると危険でやすな。泣女バンシーだけに。


「もしかしたら管理人さんが、いずれ世界の救い主に……ってことだって、あるとは言えないものの説明書きにある以上、ないとは言えないかもしれないかもだし……」


 ピント外れのお嬢を見ているせいか、精一杯持ち上げてもこれって感じの、苦しいトークですな。


「それに、もう宴会の準備を始めてますし」

「いえその……」


 言い淀んでる口から、よだれが垂れそうでやす。


 ふと頭に浮かんだんでやすが、「世界を壊す咎人とがびと」人格が覚醒しなかったの、もしかして空腹のあまり「そういう力が出なかった」せいでは……。まさかとは思うものの、お嬢の実態を知るだけに、否定しきれない気もしやすな。


「お嬢、ここはひとつ、ご相伴に預かりやしょう」

「いいのかな」

「ええもう。今回は大家も大喜びの大金星でやすから。誰にも文句は言わせやせん」

「ではわたくしも、その進言に配慮いたしましょう」


 お上品に微笑んだお嬢の口からなにかが垂れたのは、口外しないことにしてあげやす。

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