〇〇〇〇〇号室 社会科見学

 例によってお嬢が朝寝を満喫している隙を見て、あっしは、隠していた例の書付を取り出しやした。虫食いだらけで読めない部分がかなりあるのは確か。でも内容から、古代に賢者ゴルディアスによって書かれたものであることも、まず間違いない品ですな。


 細かな字に指を添え、古代エルフィン語を思い出しながら、黙読しやす。




この置き書き……「結び目」を解い……後継者に残……

人……を導……植……を成功に終わ……私……として


……化は超長期間移……遺……様性を担保しリスク減少に役立つと……てきた

しかしそもそも自……理に反する行為だ

しかも魔……自体にとてつもない未来リスクがあ……と私は考え……る

それは……あ……きの……こな……

反対しようにも評議会はすでにノシム……手にある

放逐……私は、世界エラーと戦い続けてきたが、も……死期が近……

テンポラリ……自動チェックサ……て「結び目」を残……

いつの日か、「結……目」を解く賢者が現れ……信じ……

テン……チ……ムを恒久化できる能……者なら

必ずや袋小……に陥った人……進化を正……

恒……民を成功に導け……う

それこそが、未来へ……能性の……だ




 チンプンカンプンでやすな。例の機械室の表示と合わせて考えると、見て取れるのは、多分こんな感じでしょうかね。いやつまり――



「楡の木荘」になんらかの未来リスクを感じたゴルディアスは、ノシムリ博士にそれを訴えたが却下され、〇二八階層の機械室に事実上幽閉された。


 機械室で世界エラーと戦い続けたゴルディアスは、死期を悟り「結び目」を作った。自分の死後も世界エラーを補正する仕組みとして。なおかつ「結び目」を解く賢者が現れれば、袋小路に陥ったなにかの進化を正常化できると信じたから。



 まあざっくり、この書付の半分くらいは、そんなことを書いているんだと思うんでやす。「未来リスク」ってのは、世界エラーって奴のことか、なんか別のトラブルでやしょう。


「問題は、解読が難しい残りの半分ってことでやすな」


 口にしたものの、うーん……。どうにもこれはわからない。


 いずれにしろ、この情報は、あっしの胸だけに仕舞っておいたほうがいい気がしやすな。盗賊時代は、ヤバい空気を読み取るのは得意だったんで。というかそうでないと生き残れなかったんで。


 この書付にも、そんな雰囲気がぷんぷんしやす。大家に報告なんてとんでもない。お嬢には、話しても仕方ない。「はあ、それがどうかしたの」とか「まあ、大変ねえ……」とかいう反応が見えてやす。お魚さんの寝姿とかおむすびの具のほうが、お嬢にとっては重要でやしょうし。


「うーむ……」


 唸っているうちにお嬢が起きてきたんで、書付は棚の奥に隠しやした。お嬢はそんなところ見やしないし。


「おはようー、コボちゃん。今日もいい天気ねえ」

「へい。気持ちいい朝で……」


 心なしかお嬢、張り切ってやすな。今日は子供達がこの管理人室を訪れる「社会科見学」の日。面倒な営繕案件はないんで、喜んでいるんでありやしょう。


「ギイイイイィーッ……」


 管理人室庭の扉が軋むと、並んでお迎えしたあっしとお嬢の眼前に、小さな野獣が二匹、飛び込んできやした。


「けけっ」

「ここが管理人室かよ。へえーっ。部屋なのに、空があるじゃん。『楡の木荘』の外みたいだな」

「アパートの外は二度と行きたくないって、ウチの父ちゃん言ってたぞ。悪い子にしてたら、外に放り出すって」

「家もだ。親ってのはオーボーだよな」

 生意気そうなヒューマンのガキが、天を見上げてやす。幼稚園の制服を着て。


「こらっ! ビックルとハックル。ちゃんと並びなさい。ほんとにもう……」


 続いて扉を潜ってきたのは、引率の教諭かな。うら若い人型の娘で、ゴーゴンさんでやすな。髪の毛の代わりに頭には蛇がたくさんうねってやすから。あっしやお嬢、もちろんガキ共も石化しないのは、封印してるか能力がないかでしょうかね。


 華奢な体に似合わない、どでかい鞄をはすに掛けて、よたよたしてやす。肩に食い込んでて重そうに。


「はーい、みんなー、隣の友達と手を繋いでねー」


 ゴーゴンさんの後から、きちんと手を繋いだ二人組が、続々と出てきやす。全部で……ざっと二十人。最初のふたりは多分、札付きの悪ガキでありやしょう。


「まあまあ。皆さん、いらっしゃいませー」


 微笑んで、お嬢が頭を下げやした。


「管理人のイェルプフです」

「あっしは補佐のキッザァっす」

「この度はご対応すみません。楡の小枝幼稚園の、エリナッソンです。よろしくお願いします」


 先生が頭を下げると、蛇がみんなこっちを向いて舌を出しやした。蛇なりの挨拶のつもりですかね、あれ。


「はーい。社会科見学の説明をしまーす」


 ゴーゴンのエリナッソン先生が声を張り上げると、子供たちが先生の前に集合しやした。


「みんなのお家の困り事は、誰が助けてくれますか」

「うーんとねえ。パパ」

「隣組のお爺ちゃん」

「庄屋さん」

「せんせーい。トミクちゃんがおしっこ漏らしたー」

「あーん」

「妖精ちゃん」

「ちげーよ、エイゼン妖精って言うんだよ」

「よくママが怒鳴ってる。パパを」

「隣の部屋のパパ。ウチのパパがいないとき、よくお家に来てママと話してる」

「せんせーい。トミクちゃんがあ」

「あーん」

「はいはい」


 例のドデカ鞄からタオルと園児服を出すと、先生は、下半身ずぶ濡れの子供に渡して。


「お部屋を借りて、着替えてらっしゃい。……で、みんなは聞いて」


 ひときわ声を高くしてやすな。


「ここは『楡の木荘』管理人室。みんなのお家の困り事は、お父さんとかお母さん、フロア委員や営繕妖精さんなんかが助けてくれますよね。それでも解決しないとき、この管理人さんたちが、手伝ってくれるんですよ」

「へーえ」


 子供が声を揃えやす。他愛ない……というか、かわいいっす。


「みなさん。管理人さんにお礼を言いましょう」

「管理人さん。いっつも、ありがとうございまーす」

「あらあら。そんな、ごていねいに……」


 居並ぶ子供に頭を下げられて、お嬢は照れくさそうでやす。


「こちらこそ、いつもご贔屓にぃ」


 頭を下げると、ゆるふわ巻き毛が揺れやすな。


「けっ。なんでもしてくれるんなら、俺のおやつ増やしてくれよ」

「そうだそうだ。うちの母ちゃんなんか、いっつも文句言ってるぞ。今朝はなんだっけな……。そう。配給の肉が、どんどんまずくなってるって」


 減らず口を叩いたのは、例のビックルとハックルとかいう悪ガキですな。


「こらっ」

「やべっ」


 先生に睨まれて、ふたりでちょこちょこ逃げ回り始めやした。池に踏み込んで金魚を捕まえようとしたり、先生の蛇を掴んで引っ張ったり。やりたい放題でやす。


「けけっ」

「あー。ここ、おもしれえなー。俺も引っ越してくるわ」

「あ、あのぅ……。金魚さんがかわいそうなので、池はそのぅ――」

「けけっ」

「せんせーい。マクックちゃんが、うんこ漏らしましたー」

「えーん」

「ち、ちょっと待ってて。……まだ予備の服持ってきてたかな」


 鞄を置いて、がさがさ中をあさってやす。先生が焦ると、頭の蛇も途方に暮れたように鎌首を垂れてやすな。


「けけっ。ねえちゃん。いい体してるじゃねえか」


 あたふたで注意が逸れた先生を見て取ったのか、セクハラおっさん並の発言と共にお嬢に抱きついたのは、多分ビックルのほうでやすな。


「あら。その……や、やめてくださーい」

「いい尻だ」

「おっ。おれも」


 図に乗ったハックルが、ビックルを踏み台のようにして、お嬢の上半身に抱き着く。


「おっ。いい触り心地。ふわっふわで、いい匂いがして」

「あの……その」

「やめるでやす」


 いきなりのハグで固まったお嬢から、あっしがガキを引き剥がしやした。


「いたずらが過ぎるでやすよ」

「いいじゃんかよ。減るもんじゃなし」


 悪びれずに、へらへらしてやす。お前もセクハラ親父か……。


「それより管理人さん。体やわらけーのに、背中だけデコボコなんだな」

「えっ……」


 お嬢が眉を寄せやす。


「そりゃ管理人の服のせいでやすな」

「嘘つけ。あれなんてのか、すごく――」

「こらっ!」


 先生のゲンコが飛んできやした。頭をポコンとかわいく叩いて。蛇連中もくわっと口を開けて、ハックルを威嚇してやす。


「いい加減にしないと、先生、本気で怒りますよ」

「じ、冗談です。その……」


 急に縮こまって。


「管理人さんが美人だから、つい」


 言い訳もおっさんぽい。


「だ、だから石化の刑だけは。それだけはぁ」

「どうしようかなー。蛇さんに聞いてみよっと」


 ゴーゴン先生の蛇が、互いに相談するように動いてやす。


「その……すみません、管理人さん」


 ガバっと頭を下げて。ビックルもいつの間にか並んでやすな。よっぽど石化の刑が嫌なんでやしょうな。


「先生、石化の刑とかお使いになってるんでやすか」

「ええまあ。いたずらが過ぎて、たまーにイライラすると……」


 にっこり微笑んだ瞳が笑ってない。これは怖い。


「許してあげてください。わたくしは気にしておりませんし」


 抱き着かれた困惑からようやく回復したお嬢が、微笑んだ。


「まあ……そう仰っていただけるなら」

「それより、そろそろおやつをいかがですか」

「おやつっ!」


 ビックルが叫ぶと、子供達がざわめきやす。


「ええ。とっておきの蜂蜜を使ったパウンドケーキを――」

「早くくれよ。かーちゃん、おやつとかくれないんだ。虫歯がどうとかって」

「おいしいの、それ。管理人さん」

「とっても。なにしろお茶の葉を練り込んで香り高く、舌触りはなめらかで、歯ざわりはしっとり。口に入れると香ばしいアロマに蜂蜜の上品な甘さ、糖蜜漬け果物の得も言われぬ歯応えと香味が加わって、これが実になんとも至福の――」


 お嬢、自分でうっとりしてやすな。さすが食いしんぼエルフ。またしてもよだれ垂れそうだし。でもガキどもには効果抜群。悪ガキから真面目な子、さっきまで漏らしてた小便小僧大便小娘まで、真剣に耳を傾けてやすから。


 あー見たところ、エリナッソン先生も瞳が輝いてやすな。蛇すらうっとりと、舌出してよろこんでいる様子。いや先生はともかく、頭の蛇って、ケーキ食うんでやすかね。


 ケーキをつまんだ先生が一心不乱に頭に放り込んでいく光景を頭に浮かべて、あっしはなんだかおかしくなってきやした。実際どうなるか、いやこれは見ものでやす。


         ●


「ねえコボちゃん。今日は面白かったわね」


 その夜、晩飯の食卓を囲んだお嬢が、ぽつりとつぶやきやした。


「いや漏らしたり金魚手掴みしたりとか、大騒ぎでやしたけどね」

「抱き着かれたりとか」

「そうそう」


 そこで会話が途切れたので、あっしは、干物と根菜の煮物をやっつける作業に戻りやした。


 こいつはとてもおいしいんでやすが、干物の戻し方が足りないと、硬すぎるんでやす。ですが今日は抜群。柔らかく戻された底魚から滲み出る旨味が、根菜の香りに複雑な味を加えてやす。


 これ、お嬢が作ったんで。最初はとんでもないものしか作れなかったお嬢も、すっかり料理が上手になりやしたな。


 しみじみと感慨に耽っていると、お嬢が煮物の皿から頭を上げやした。


「ねえコボちゃん。わたくしの背中……、なにか変なのかしら」

「あれはその……」


 あのガキ、お嬢の傷跡を感じてあんなことを口走ったんでしょうな。なにしろどでかい傷が、左と右にひとつずつ走ってやすし。……まったく。余計なことをするクソガキでやす。


「お嬢の下着の紐を感じたんでやしょう。まだガキですから、女の体に本気で触る歳じゃないですしね」

「それもそうか……」


 斜め上を向いて、なにか考えて。


「でも子供っていいな。明るくて。いくらヤンチャでも、かわいいし。わたくしも……」


 あっしに視線を移して。


「わたくしも、子供が欲しくなっちゃった」

「ぶぶっ!」


 思わずむせてしまいやした。


「あ、あっしはそのっ。お、お嬢の補佐でやすし、コボルドとエルフの間には子供はなかなか――」

「あらやだ」


 ナイフを振り回すあっしを見て、お嬢は笑い出した。


「誰がコボちゃんの子供が欲しいって言ったのよ。一般論として、いつかは家族が欲しいなあって話でしょ」

「さ、さいですよね。あはははは……」


 あっしの笑い声が空しく響きやす。


「それにわたくし、なんだか殿方とのことは、あんまり興味ないし」

「はあ」


 それは薬の……とはもちろん、口にしないでやす。


「子供だけ欲しいわあ……。そうだ!」


 手を打ってやすが、どうせロクな思いつきじゃあないに決まってる。


「コボちゃん、あなた産んでよ」

「……あっしは男でやす」

「そうよねえ……」


 また考えて。


「どこかでモンスターの卵でも、もらってこようかしら」

「お嬢が抱いて温めるんで?」


 たおやかな体で優しく卵を撫で回すお嬢を想像しやした。そう悪くない姿ですね。


「いいえ、コボちゃんの担当」

「勘弁してくだせえ」

「ふふっ」

「へへへへへ……」


 ふたり笑い合って、おいしい料理を食べて……。なんだか、いつもより親密な夜でやした。

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