〇二八〇〇号室 ゴルディアスの結び目 中編

「〇二八フロアに伝わる伝説。それは――」


 機械室のどでかいテーブルを囲んで座るあっしらに、〇二八フロアの店子代表、中年ヒューマンが話し始めやした。


「それは、『ゴルディアスの結び目』です」

「ゴルディアスの……」


 お嬢が、はっと口を押さえた。


「……おむすび。おいしそう……。具はなにかしら。やっぱり羽鯨湾の小海老とか。あれおいしいのよね、特に甘辛ツクダーニにして、それで――」

「いえお嬢、食いもんの話じゃねえんで」


 一瞬呆れてたようでやすが、ヒューマンのおっさんは、気を取り直して説明してくれやした。その伝説を。いやつまり――。


 古代、賢者ゴルディアスはノシムリ博士と共に、アパートの基本設計に携わっていた。あるとき、神々のまつりごとを巡り、ふたりは仲違い。ゴルディアスはアパート内に領地を与えられ、事実上の隠居生活を強いられた。


 その後数百年、ゴルディアスは生き、生涯を世界の研究と読書に捧げた。自らの死期が近いと知った賢者は、居住するこの階層の住民を集めた。機械室を開放し、新設されたロープ仕掛けを見せて。どうやって解くか、店子の誰もわからないほど複雑な結び目の。曰く――。


――この結び目を解いた者が、やがて世界の救い主となるであろう――


「結び目? おむすびじゃなくて」


 お嬢、しつこいっす。


「機械室の統合操作盤、主制御盤前面に取り付けられた、巨大な結び目です」

「蝶々結びかしら、それとも――」

「とにかくそれ以来、このフロアでは、ほかの階層より優れた機能や優先配給を受けられるようになった反面、不定期に問題が発生するようになったのです」


 おっさん。お嬢をガン無視で続けるのか……。お嬢のかわし方、もう身に着けてますな。さすがフロア代表を務めるだけあるというか……。


 一方バンシーのお姉さんは、目を白黒させてやす。またひとり、ほんわかトークの被害者が……。伝説とかどうでもいいみたいだしなあ……。


「これを我々は、『〇二八階層の災害』と呼んでいます」


 賢者の死後も、優遇をもたらしたものとして店子は代々機械室を崇め、賢者の生前同然に維持してきたとか。


「はあ……」


 まだピンと来てないようでやすな。首なんか傾けて。


「そういや、なんたらの結び目とかいう話は、あっしも耳にしたことがありやす。どこぞの酒場で、汚れ仕事の口利き師が口走っただけなんで、またぞろ酔っぱらいのホラ話と流したんでやすが。このフロアだったとは……」

「さすがはシーフ。儲け話には敏感ねえ」

「いえ、昔の話でやす。今は真面目な真面目な、管理人補佐で」


 話は続いた。


 決して解けない「ゴルディアスの結び目」。救世主云々をまともに信じる者はいなかったが、解けない謎となれば、挑戦しがいがある。


 噂を聞いた賢者や力自慢、手品師や科学者、戦争の英雄などが、古来、何百回も解錠に挑戦。だが、誰一人として結び目を解くことはできなかった。王土戦争の英雄と言えども。


 その説明に、お嬢が少し顔を曇らせやした。封印された記憶に、かすったんでやすな。危ない危ない。


「でもそれで良かったんです。このフロアの住民としては」


 バンシーさんが、口を挟んだ。


「そう。結び目の効果により、守護されてきたから。時折起こる災害を代償として。……ところが最近――」

「災害のほうが、でかくなってきたんでやすね」

「ええ」


 ふたりとも頷いた。


「防火壁の自動閉塞は、このフロアではよくある災害なんです。なので住民は皆、そのための備えをしており、そうそう問題にはならない。ただここ一年ほど、どうにも我慢できないほどになりまして……」

「月に二回も、一週間閉まるとか。先月は三週間も開かなくて。しかも一度閉じると、いつ開くか、誰にもわからないし……」


 バンシーさん、首を傾げて頬に手を当て、溜息をついてやす。


「誰にも解けなかった結び目ですから、営繕妖精でも当然無理で。最後の手段ということで、やむなく……」

「あっしらを呼んだってわけで」

「そうです」


 期待に満ちた瞳を、あっしとお嬢に向けてやす。


「どうにかひとつ、この呪いを、見てみてもらえませんでしょうか。解けなくてもいいので、少しでも呪いが軽くなりさえすれば」

「お任せあれ」


 お嬢が微笑んだ。


「店子さんのお困り事を解決するのが、わたくし、管理人の務めですからねー。大船に乗った気で――」

「お嬢、そんなにお気楽に請けては――」

「いいのいいの」


 睨まれやした。


「さっそく見せていただけますかしら」


 広い機械室のいちばん奥、壁一面が、統合操作盤になってやした。どっしりした全体の造りとは裏腹に、ここだけ一面、鼠色に塗られた金属製。蒸気を通すと思しき大小のパイプが、蛇のように這いまくってやす。あっしではよくわからない開閉器や取っ手、操作輪や蒸気圧力計が所狭しと並んで。フロアの店子が代々手入れしてきたという話ながら、年月には勝てず、随分あちこち錆びてますな。


「配管工の悪夢って奴ですかね」

「これが蝶々の……」


 お嬢が指差している奴が、ゴルディアスの結び目で間違いないでやしょう。太古の時代のものなのに、汚れすらない、純白の。単なる紐ではなく、あっしらが知らない素材の繊維で作られているようでやす。極細の繊維が束ねられ編まれた「紐」でできてやすな。とにかくでかい。オーガの頭ほどもある結び目で。


「この結び目、廊下の模様に似てるわよねえ、結び方が」

「へい。さいですな」


 船乗り愛用する「もやい結び」や、一般人が日常で使う結び方ではありやせん。何重にも迷路のように複雑に結ばれていて。


「エルフ伝統のケルティックノットに近いけれど、ずうっとややこしい。……結ぶのめんどくさそう」


 ある意味素直な、お嬢の感想。安請け合いして、大丈夫なんでしょうかね。


 とにかく、周囲が錆々なので、どえらく浮いて、輝いてるようにすら見えやす。というか、実際、時折輝いてやす。結び目を形作っている極細繊維の内部に、流れ星のように光が走りやすから。


「光ってる……」

「我々は、なにかの情報が走っているのだと推測しています」


 いつの間にか横に来ていたヒューマンの店子さんが、解説してくれた。


「災害が起こる前後なんかには、この輝きが頻繁になるので」

「へえ……。花火のようにきれい。……ねえコボちゃん、どこに置いたかしら。去年の蜻蛉花火の残りは。あっ! きっとお台所の――」

「それより、解けそうでしょうか、この結び目」

「もちろんですわ。おほほほほ」


 急に薄気味悪い口調になったでやすな。気のせいか、脂汗かいてるし。


「まずは説明書きを読んでみましょう」


 結び目の上に、銀色に輝くプレートが貼られていて、小さな文字がびっしりと書き込まれてやす。古代エルフィン文字で。


「あらやだ」

「古代エルフィン文字だから、管理人さん、読めますよね。……見たところ立派なエルフの系譜のようだし……」


 ヒューマンの旦那は、今初めて気づいたかのように、管理人制服のお嬢を、上から下まで眺め回してますな。胸中心だったりしやすが……。


「ええもう。おほほほほ――」


 すがるような目つきで見つめてきやす。


「でもちょおっとだけ、わたくし、古語は苦手だったりするかも。あの、最近目が悪くなってきて。……コボちゃん、ほら」


 肘でどつかれやした。


「へいへい、あっしですね」

「コボちゃんは元シーフだから、泥棒するときのお宝探しのために、古語は得意なんですよ」

「お嬢、よしてくだせえ。それ自慢になってないっす」


 引き気味の店子さんに、あっしは頭を下げやした。


「い、今は更生して、真面目な管理人補佐でやんすから」


 言い訳しつつ、目を走らせやした。なになに――。




 この結び目は、世界コードのテンポラリーなチェックサム。エラー検出次第、解呪する。解呪の際、整合性が一時的に崩れ、フロア管理システムに動作異常が起こる。代償としてこのフロアには、整合性是正時に余る「世界の福音」がもたらされる。


 コード作成半ばだが、もう時間がない。死を司る神々が、私を呼んでいるから。


 後継者よ。結び目を解くコードを見つけよ。それにより解呪は背景化され、動作異常だけが消滅する。福音は残されたまま――。




 ――読み上げ終え、あっしの声が途絶えると、お嬢が唸り始めやした。


 一見ピント外れの癒し系のほほんエルフ。そのお嬢が、隠された能力を発揮するのかと期待したんでやす。ですが、お嬢の口から発せられたのは、意外すぎる言葉でやした……。

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