〇〇〇〇〇号室 管理人室の静謐な午後 ――第一部完結

「ギイイイーッ……」


 朝、お嬢の寝室の扉がそう軋み「いつものように」開くのを、あっしは待ってやした。


 でも、その音がいつまでも聞こえない。例によってエロ小説――あわわ恋愛小説でも読んで夜更かししたせいかとも思ったんでやすが、なんせ例の用心棒事件の翌朝だ。とことん疲れ切っていても仕方はない。


 今朝配信された「にれの木新報」には、数十もの大深度フロアで、春だというのに季節外れの大寒波が襲来して大騒ぎになっているとありやした。各フロアで水道管が凍結して破れ、浸水や断水の被害も出てやすし、農場フロアでは野菜が全滅とか……。お嬢の聖槍招致が、とてつもないエネルギーを吸い取ったからでしょうかね。


 記憶と人格に混乱をきたしたお嬢が心配で、寝室を覗くことにしやした。


 昨晩はオーデンで黄金魚つみれをつつくどころか、管理人室に戻るなり寝室に下がったお嬢でやす。食い意地――あわわいつもの健康的な食欲が失せるなんて、珍しいことですんで。


「お嬢……」


 扉の前で小声で呼びかけても、応答はない。


「もう昼でやす。午後には営繕案件が……」


 まだ返事がないので、部屋に踏み入った。窓に緞帳どんちょうを引いて暗いままの室内。初々しい女エルフ特有の甘い香りに、熱くさい気配が漂ってやす。夢とうつつの間にいたんでありやしょう。気配を感じたのか、お嬢は少し身じろぎしやした。


「お嬢、大丈夫でやすか」

「もう……朝? お……はよう、コボちゃん」


 のろのろと身を起こした。


「なんだかわたくし、熱っぽいみたい……」

「そうですか。……たしかに、そんな雰囲気を感じやす。水枕を使いやすか。幸い、庭の金魚の小池に、まだ名残りの氷が残っておりやすし」


 茶色の古臭いゴム製水枕を、あっしは出してみせた。


「それはいいわ」


 お嬢が首を振る。


「高熱でもないし。病人みたいと思うと、かえって悪化しそうだもの」

「さいでやすか……」


 お嬢の許可を得て、緞帳を引いた。真昼の、暴力的な陽の光が射しやす。みっつの太陽が織りなす光の饗宴が、室内に複雑な影を織りなしやした。


「いい天気……」


 ぼんやりと、窓の外に視線を投げてやす。


「朝食のお茶をお持ちしやすか」

「いえ……」


 けだるげな様子で。


「まだいいわ。なんだか気分が悪くて」

「では後でお持ちしやす。お嬢、その……」


 思い切って、聞いてみることにしやした。


「昨日、なにがあったか覚えてやすか」

「うん」


 お嬢は頷いた。


「店子さんを苦しめる賭場のオークとオーガの親分衆に、退去をいただいたのよね」

「どうやったんでしたっけ」

「そりゃ……」


 ようやく微笑みやした。


「エルフ伝統の技、武器の物質招致を使って脅し……じゃなかった、説得したのよ」

「そうでやすな」


 なにもないところに物体を出現させる物質招致は、並のエルフには無理でやす。魔力が極端に高いハイエルフの、それも伝説級のトップクラスでないと……。もちろんあっしは、そんなことは口にしやせん。お嬢は自分のことを、エルフの下層階級出身と思い込んでいやすから。


「その……お嬢、なんて口走――説得したか、覚えてやすか」

「うん。たしか……」


 金色の瞳を閉じて、お嬢が目頭を押さえやした。


「いつもの頭痛でよく思い出せないけれど……。どうしても住むんなら、管理区域外指定を外すから、住民票を登録してほしいって……。うんそう。たしかそう言ったら、槍を見てビビった親分衆が、書類も面倒だからって、自主退去してくれたんだわ」

「……さいっすな」


 ちょうどいい具合に、記憶が再構築されてるようでやす。少し安心。


「本当に、無断で改築するとか、止めてほしいわよねえ、はあ。見つかるたんびに書類書かされるの、わたくしだし」

「そうでやすな」


 調子が戻ってきたのかな……。あっしはうれしくなりやした。


「なにせこのアパート、長年に渡る改築増築で、ダンジョン同然ですからね」

「そうよねえ……」


 なにか思い出したのか、溜息なんかついて。


 この「楡の木荘」は、築数千年って話っす。当然、大規模修繕が何百回も行われてやす。修繕時期に千年単位で差があることもあり、フロアごとの設備の違いが極端。なので一階層ずれるだけで気候から文化、店子さんの属性までまるっきり違ってたりしやす。中には十フロアもの天井を力業でぶち抜いた巨木が鬱蒼と茂る森林地帯とか、ルートノードクラスの幹線水道管破裂で生じた内海まであって、マジ魔窟っす。


 それに大規模すぎて手が回らないのをいいことに、大家に無断で勝手に増改築したり、上下のフロアを繋げてリゾート開発したりする連中もいやす。それを先祖代々の生業なりわいにしてたりしてね。


 昨日のオークやオーガ連中は管理区域外でそれやってるわけで、さらに悪質でやす。


「でもなんだか……」


 会話の切れ目で、お嬢が、すがるような表情をあっしに向けやした。


「なんだかわたくし、自分が自分でないような気がする」

「い、いつもの思い込みでやすよ」


 視線を逸らしてそう言ったとき、お嬢の巻き毛が、ふわっと揺れやした。


「地震……」


 緞帳や壁のタペストリーも、ゆっくり揺れてやす。


「いつものことでさあ。……それに今日は、弱いくらいで」

「そうね。……でも長いわ」


 たしかに。いつもの地震より、長く続いてやすな。「楡の木荘」の地震は、全フロア通して揺れるのが特徴。これだけ巨大なのに全フロア共通の事象が起こるのは、極めて珍しいんでやす。多分ですが、やはりひとつの建物だからでありましょう。弱いので被害はないと思いやすが、念のため、あとで情報収集しておいたほうが良さそうで。


「さ、少し横になりやしょう。体調が悪いんですから」

「わかった」


 珍しく素直に、あっしの言うことを聞いてくれたっす。


「昨日、夢を見たの」


 問わず語りに、お嬢が口を開いた。


「自分じゃない自分が、どこかの辺境フロア――そう銀色に輝く階層で、なにかとてつもない使命感と怒りに燃えて勝鬨かちどきを上げている姿を。誰だか思い出せないけれど大事な人達が、隣に何人か立っていて。毛むくじゃらの人とか……。あれは――」


 また目頭を押さえて。


「あれは、なにかしら」

「お嬢、それはただの悪夢でやす」

「わかってる。でも怖いの。……コボちゃん」


 こちらに向け、たおやかな腕をすっと伸ばして。察してあっしは寝台の縁に腰を下ろし、お嬢の手を握りやす。


「心細いんですね。……さあ、もう少し寝るでやす。午後の仕事は、あっしがこなしておきやす」

「ありがとう、コボちゃん。……ごめんね」

「そうだ。三時のおやつに、あっしがコボルド自慢の穀物ケーキを焼いてあげやしょう。果物ソースで」

「あら。それは素敵。香梅蘭の蜂蜜もかけてもらえると、なお。……でも」


 熱っぽい瞳で、あっしを見上げた。なんとも言えない悲しげな瞳で。


「わたくしに、そんな心のこもったお食事を頂く資格があるかしら。管理人のお仕事だって、まだまだ素人丸出しなのに……」

「大家もお嬢の働きに満足してやすよ」


 言ったものの、胸が痛みやす。


「さあ、目を閉じて」

「うん……」


 瞳を閉じると、お嬢は、熱っぽい息をほっと吐きやした。目尻にきらめく涙が浮かび、すっと糸を引いて頬を流れ落ちやす。


「コボちゃん……」

「なんでやす」

「これからも、ずっと一緒にいてね。わたくしと」

「ええ。あっしは補佐でやんすから」

「管理人と補佐じゃなくて、ひとりぼっちなはぐれエルフの……心の友として」

「へい。この上ない喜びで」


 眠たげなお嬢に、返事をしやした。入眠を妨げないよう、小声で。


「あっしが一生……」


 言ってはいけないとわかってやした。お譲と出会う前、あっしキッザァは、ただのこすっからいシーフ。心が殺されていたんでやす。こんな言葉なんか、出るはずがないんで……。


 ――でも、それは止められなかったでやす。魂の奥底から湧き出る言葉は……。


「一生お仕えしやす。前にもお話ししました。あっしの先祖は、有翼ハイエルフの王族を一命を賭して護った、誇り高きコボルドでやす。ちんけな盗賊に成り下がり、悪党にこき使われていたあっしにも、その血は熱く流れておりますぜ。はばかりながら」


 お嬢の手。温かく、すれっからしの存在すら包み込めるほど柔らかく、優しい。あっしの地獄のような人生で、出会ったことすらない宝物。向陽草のような、みずみずしい魂に触れて、あっしの心は甦ったんでやす。


「護ってあげやす。あっしの命を懸けて。お嬢の翼をもいだ、この残酷な世界から。過去を奪いこんな流刑地に幽閉した、薄情な大家から。そしてなにより……」


 思わず、お嬢の手を強めに握ってしまいやした。


「なによりも、あなた自身から。お嬢、……いや王女。イェルプフ王女」


 あっしの最後の言葉は、お嬢には届いていないようでやした。すうすうと、安らかな寝息を立ててやしたから。部屋を満たす陽光に、神々しく輝いて。






(第一部 完結)


■第一部、読了ありがとうございました。

 フォローや評価は、目次ページ(https://kakuyomu.jp/works/1177354054886651076)から。

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次話からは第二部。

お嬢の「ほんわか成分」増量中です!

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