九〇五フロア  管理区域外市場の用心棒 後編

 埃っぽいからっ風が舞ってやす。恐ろしいオーガの巣に向かっているというのに、お嬢はのんきに鼻歌などたしなんでますな。後ろにあっしと、オーク親分の一の舎弟を引き連れて。一度「管理人」って奴の力を試させるか、こいつらが殺されても、こっちに失うものはないし――というオーク親分の判断でやして。オークの賭場からオーガの賭場まで、徒歩十分。よくもこんな間近でいがみ合ってるもんでやす。


 オーガの賭場は、どこやらから運び込んできた岩を乱雑に積み上げた造りでやんした。さすがはというか、脳が足りない分、馬鹿力が有り余ってるモンスターだけはあるっす。


 エルフにコボルド、敵対するオークという謎集団が近づいてくるのを目にして、オーガ賭場のタチンボがひとり、あわてて中に駆け込みやした。親分にご注進ですな。


「なんじゃあ、こりゃあああぁああ」


 出てきたのは、チンピラ三人に威張りくさってる大きな奴。多分こいつは若頭とかですかね。もちろん全員オーガでやす。エルフのお嬢より大きいオークの、さらにずっと大きな図体で。今どき笑っちゃうくらい前時代的というか、岩の棍棒など握ってやすな。


「こんにちはー」


 にこにこ顔で、お嬢が頭を下げやんした。


「管理人のイェルプフですぅー」

「管理人?」


 首をひねってやす。多分、管理人という存在自体を知らないんじゃないかと。


「おう。岩頭野郎っ」


 オークの舎弟が、声を張り上げたでやす。ただお嬢のたおやかな体の陰からってのが、ちょっと情けないですな。


「こちらはな。ウチの組のぉ助っ人さんだ。おめえら、今日こそ年貢の納めどき。死ぬのが嫌ぁだったら、賭場ぁ明け渡して、とっとと汚染フロアの岩山にけえりな」


「てめえ、ぶっ殺されてえのか」


 若頭だかなんだかが棍棒を振りかざすと、オークの野郎、さっとお嬢を突き出して、あっしのさらに後ろまで下がったりして。見上げた――じゃなかった見下げ果てた卑怯さでやす。


「ねえ店子さん。今こちら、お客さんはいらっしゃいますか。はあ……」

「いるわきゃねえだろ。今はエーギョー時間前だ。オレたちゃぁ、貧乏くせえオークの豚っ面野郎どもとは違って、夜だけで死ぬほど稼げるからよ」


 取り巻きのチンピラが、どっと笑ってやすな。


「それなら安心」


 お嬢がほっと息を吐きやした。


「こちら、契約外の違法建築ですので、今から撤去しまぁす。危ないので、皆さんを退去させていただけますかぁ」

「はあ? 姉ちゃん、なんの寝言を――」

「他のフロアに転居していただくか、なんとなれば『楡の木荘』の外にお引っ越ししていただいても――」

「そとぉ? このアパートの外なんか住めるかよ。ことちら、一度だけ外行ってみたけど、二度と行きたくなんかないね」

「なら別フロア転居で決まりですね。あのー、ここに親分さんの押印が欲しいんですけど、撤去執行同意書に」


「バスガール鞄」とかいう、古臭い黒革のガマグチ的管理人鞄から、書類をつまんで突き出したっす。


「なんだぁ……。豚っ鼻野郎を、まだぶっ殺してねえのか」


 大きなダミ声がして、入り口の暖簾が揺れたっす。ひときわ大きなオーガが、肩をすぼめ手を着かんばかりに屈んで出てきたっすな。体長は三メートル。……まあ、親分でやんしょう。


「あら親分さん。ちょうど良かった。こちらに押印を――」


 突き出された書類をばっと奪い取ると、親分、口に放り込んだ。むしゃむしゃ食べてやす。


「うん。けっこううめえじゃねえか、姉ちゃん」


 ギョロ目でお嬢の体をねめ回して。


「ちょっと俺のアレじゃあ体が裂けちまうか……。おい、こいつは女郎行きだ」

「へいっ」


 オーガが近づいてくるっす。お嬢は微笑んで――。


「あまり寄ると危険ですよお」


 右手を高く掲げやした。そこに光が、文字通り湧きやす。空中から放電が集まるっす。焦げ臭い風が吹き、空間が歪むのがあっしにもわかりやした。


「うおっ!?」


 オーガどもが飛び退くと、もう、お嬢の手には、光すら吸い込む暗闇の槍が現れてたっす。


「な、なんだこりゃあ……」

「ぶ、物質招致!」


 オーガよりは物を知ってるオークの三下さんしたが、震え声で叫びやす。あっしも生まれて初めて見たっす。物質招致は古代で栄え、その後に途絶えた禁忌魔法のひとつ。今の時代、使える術者は世界で数人って噂でやす。お嬢がとんでもない逸物だとは知ってやしたが、これほどの術者とは……。


 ふと気づくと、あたり一面、真冬のピークかってほどに寒くなってるっす。物質招致には、とてつもないエネルギーを注ぎ込む必要があると聞いてやす。きっとこれ、その影響でやんしょう。


 それに、この槍。光すら吸収するエネルギーとか、あれ多分、伝え聞く聖槍――つまり伝説の「ロンギヌスの槍」って銘品でやす。オーガどころか、オークのチンピラも知らないようで、ポカンと口を開けてやすが……。


 こんなものを放擲して壁にでも当たったら、例の事件の二の舞は明らか。辺境の賭場がどうしたなんてレベルをブチ超えて、長期間に渡り、上下数十フロア――いやももしかしたら「にれの木荘」全体が、大混乱に落ちやす。


 思わず足が震えるのを、あっしは自覚しやした。


「ふう……」


 首を傾げて、お嬢が肩を鳴らしたっす。


「今日は調子がいいわあ……。ねえコボちゃん」


 あっしを振り返って。肌がひりつくくらい寒いので、お嬢の息も白いっす。


「龍舌草のお茶、とおってもいいわあ。……あれ、今月のお小遣いで、また注文しておいていただけるかしら」

「へ、へいっ」


 あっしの声も震えてるでやす。


「ごちゃごちゃ抜かすな、このアマ。槍出したり寒くしたりとか、チンケな手品でイキりやがって」


 オーガの親分が、下品に嘲笑してるっす。モノを知らないってのは、ホントに……。


「そんなんでビビると思うなよ。おいおめえら」


 手下に顎をすくって。


「この姉ちゃんに、世の中の道理って奴を教えて差し上げなっ」

「へいっ」


 うれしそうに、手下が返事。怖がらせるためでやしょう。わざとゆっくりと近づいてきやす。


「あら仕方ない。じゃあ、ちゃっちゃとやりますかぁ」


 お嬢が、槍を投擲の形に構えやす。


「だめっすだめっす」


 お嬢の前に、あっしは飛び出した。


「お嬢、そんな物騒な奴、戻してくだせえ。あっしだってまだ死にたくはないっす。それにあんたたち――」


 オーガに振り返って。


「頼むからここは穏便に、引いてくだせえ」

「はあ? 引いてどうしろって?」

「賭場を畳んで、おとなしく元いたフロアに――」


 その瞬間、あっしは棍棒でふっとばされやした。


 一瞬、意識が飛んで、ここがどこかもわからなくなりやした。気がつくと体中が痺れている。あっしは脇の雑木まで飛ばされてたようでやす。唸りながらなんとか首を起こすと、徐々に体の感覚が戻って、死ぬほど痛くなりやした。


 手や足を確認すると、動くっす。どうやら骨は折れていない様子。管理人補佐に任命されたとき、大家に依頼された博士に、強化されたからでありんしょう。そうでなかったらあっし、即死して脳をそこらにぶち撒いていたはずでやす。


「コボちゃんっ!」

「お、お嬢……。あ、あっしは大丈夫でやす。――だからそんな危険な武器を……」

「よくも……よくもぉ……」


 あっしの無事を見て取ったお嬢が、オーガに向き直ったでやす。ぞわぞわと、ゆるふわ髪が逆立ちやす。さっき槍が招致されたときのように、お嬢の周辺に闘気のゆらぎが現れ、空間が歪みつつ。なにかが覚醒したとしか思えない。もしや――やっぱりこれは……。


「よくもわたくし――私の相棒を……」


 水晶の井戸かというほど透き通った金色の瞳が、今は赤っぽく変色してやす。怒りに燃えて……。いかんっす。


「あなたたちも、大家の手の者っ?」


 オーガを睨んで。すごい殺気でやす。睨まれただけで殺されそうなほど。


「たとえここで私を倒しても、世界の真実は変わらない。私達は皆、外側を視ることさえ禁じられた、永遠の囚われ人。あななたちは、そんなみじめな立場に目をつぶり、目先の安寧あんねいに溺れた愚か者。今こそ、私と共に立ち上がって。……私が教えてあげる。世界の本当の姿をっ」

「わけがわからねえ。……なに言ってんだ、この姐御は」


 闘気にビビった様子ながらも、オーガのボスが精一杯の虚勢で胸を張る。オークの舎弟は……座り込んで小便漏らしてやすな。


 それよりお嬢がやばいっす。どうやら、かつてのお嬢の記憶、暴れ回っていた頃の「世界を滅ぼす咎人とがびと」が戻ってるっす。世界がぶち壊される十秒前でやす。


 博士の話では、管理人になる前のお嬢は、世界の果てへの旅で、相棒を無残に失った、痛恨の過去があるそうで。そのトラップでお嬢のなにかが覚醒して、世界の構造をまるっきり変えるような大変動を起こしかけたとか。あっしが倒され、その記憶が蘇ってトリガーとなったのか。それにそのときの武器が、まさにこの――。


「ええ情けない。では私が見せましょう。この鳥籠に隠された真実を」


 お嬢が槍を構え直した。賭場に向けてではなく、アパートを外の世界と隔てる隔壁に向けて。


「ダメっす!」


 痛みすら忘れて、あっしは無我夢中で起き直りやした。懐の「アレ」は幸い、壊れていないっす。取り出すと、針を覆う魔法封印を破り取って。


「見なさい、外側にある、光り輝く白金しろがねの――」

「お嬢ぉぉおっ!」


 槍をお嬢がぐっと引く。肩の筋肉が、信じられないくらい盛り上がる。あっしが飛びつくのとお嬢が投擲姿勢を取り終わるのが、ほぼ同時でやした。インジェクターの針を、あっしはお嬢の腋に突き刺した。博士に聞いたとおり、エルフの腋窩えきか静脈は太かった。やすやすと入った針を通し、薬剤がお嬢の血中に送り込まれ、うめいたお嬢が、体勢を崩しやす。


 ただ……一瞬、遅かった。体勢を崩し倒れ込みながらも、槍はお嬢の手を離れ投擲されたでやす。勢いこそ殺されたものの。当初の狙いからも逸れ、聖槍は、オーガのボスに向かいやした。


 で、ここからが信じられなかったっす。オーガのボスは貫かれ、一瞬にして蒸発したっす。穴が開くとか突き刺さるとかじゃなく……。しかも周囲のオーガすら、触れてもないのに体の一部がかき消えるように消滅し、倒れ込む。


 そのままオーガの賭場に向かった聖槍が、歪めた空間に賭場をまるごと飲み込む。それですらまだ勢いが落ちない槍は、真一文字に突き進んで壁に向かいやす。


「お嬢ぉおぉおお――」


 あっしに抱きかかえられたお嬢が、うっすらと瞳を開きやした。


「コボ……ちゃん。わたくし……」


 口調、それに瞳からも赤みが消えてやす。


「よかった。『戻った』んすね」

「用心棒で……三十郎の敵役はなんて……なんて名前だったかしら」

「それどころじゃないっすよ」


 それでも、いつものピント外れエルフが戻ってきて、あっしは嬉しかった。お嬢が「正気を取り戻した」ためか、槍の漆黒が薄れてやす。


「ダメだっ! 壁にっ」




「キンッ――」




 ロンギヌスの槍が壁に突き刺さる、甲高い金属音がしたっす。その場で、爆散するかのように、槍の姿が断ち消えやす。壁は――。今見えた、壁は無事っす。小さな穴が表面に開いただけ、崩壊などはしない気配で。


 あっしの魂の底から、安堵の溜息が漏れやした。


「良かった。世界は無事っす。……おまけに、オーガの賭場も消えやした。連中、全滅でやす」

「そう。退去してほしかったけど、仕方ないわよね……はあ。……でも、なにが起こったの? 槍を招致したところまでは覚えてるんだけど」

「ええ、さいでやすな……」


 あっしは考えた。お嬢に余計な心配を背負わせることはない。ただでさえかわいそうな立場なんで。


「お嬢がなんだか強そうな槍を投げたらボスに当たって、そのままみんな消えやした。……多分、ボスが全員の命を背負っていたためかと」

「まあ……かわいそう」


 あっしは嘘八百を並べ立てやした。「そういうこと」にしといたほうが、世界は平和でやす。世界だけでなく、お嬢も、あっしも……。


「まだやることが……ある」


 お嬢は、よろよろと体を起こしやした。


「次は……オークの巣ね。……あっちも自主的に退去していだたかないと。説得に応じていただけるかしら。心配だわあ……」

「ひ、ひいーっ」


 座りションベンですべてを見ていたオークが、腰を抜かしたへっぴり腰で立ち上がると、ひょろひょろと賭場に向かいやす。


「あら、あの方、お逃げになるのかしら」

「いえ、お嬢」


 オークの通り道に点々と残る小便の跡を見つめながら、あっしは頷いた。


「あの店子さんたちは、このフロアから即日転居するでやしょう。あっしらが賭場に着いた頃には、もぬけの殻かと……」

「まあ。聞き分けのいい店子さんねえ……」


 お嬢が、楽しげな笑みを浮かべやす。


「あっ」


 またふらついて、座り込みやした。


「わたくし……管理人失格かしら。武器ひとつ招致した程度で、疲れ切って倒れるなんて……」

「いえお嬢。物質招致なんて、常人のなせる技じゃないっすよ」

「そうお? わたくし、説得しようと無我夢中だったからかな」


 ふらつくのは、物質招致に全精力を注ぎ込んだ上に、博士の薬剤が脳機能を抑制しているためでありやしょう。……それにしてもいや、説得で武器ちらつかせるなんて、お嬢もたいがいだ。さすがタットゥ映画にハマってるだけあるっす。


「こんなんでいいのかしら。信頼して任せてくれている、大家さんに悪いわあ……」

「でもですね」


 あっしの胸を、痛みが走りやした。こんなにされてまで大家を思いやるなんて……。なんて……なんて残酷な運命でやしょう。


「お嬢はよくやってやすよ。大家も大喜びかと」


 胸の痛みをかろうじて無視して、あっしは言葉を押し出しやした。すいませんお嬢。あっしがついてやす。


「さあ、念のため向こうの賭場を確認してから、帰りましょう。今夜はあっし、腕によりをかけて晩飯を作りやす。お嬢の好きなオーデンを」

「まあ、それなら黄金魚の擦りモノも入れてもらえるかしら。……まだ余ってたわよねえ。ウェアウルフさんに頂いた、黄金魚の半身が」

「よく覚えてやすね。さすがはくいしんぼエルフだ」


 ふたりして、白い息で笑い合った。例の店子のエルフさんが、食堂の陰から顔を出し、おずおずとこちらに進んできた。


 ちらりと、白いものがお嬢の頬に落ちやした。見上げると、粉雪でやす。フロア内の水蒸気が、あまりの寒さに氷結して、雪となったのでありやしょう。雪はしんしんと降り始めている様子。宵を迎える頃には、汚いものをすべて覆い隠してくれるでやしょう……。

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