九〇五フロア  管理区域外市場の用心棒 前編

「ふわああーああぁ……。おはよう、コボちゃん」


 例によって寝室のドアをきしませながら、お嬢が出てきた。あくびで涙出てるし。これが王土戦争を終結させた、伝説のエルフとはねえ……。ただの怠け者にしか見えないし。


「お嬢、もう十時ですぜ。おはよーでもないって時刻で」

「いいのよ。昨日夜ふかししたんだから」

「あれ。なんか残業ありましたっけ。営繕費用の精算は、年度末まで大丈夫なはずだし」

「あはは。ちょっと本を読みふけっちゃって」

「へえ。歴史の本かなんかっすか。それか時折起こる地震の――」

「まあ、人間関係の本ね。ほら管理人って、店子さんとのコミュニケーションが重要でしょう。だから……」


 手に持つ本を見せびらかした。


「『敷金と共に去りぬ』……。アパート内で大流行してる、恋愛小説じゃないっすか。フロア間異種族恋愛の、えげつない濡れ場描写で発禁寸前とかなんとか」

「いいのいいの。……それより、今日のお仕事は?」

「ごまかした」

「なに?」(ピクピク)

「いえなんでも……」


 お嬢の顔色を見て、あっしは言葉を濁したんでやす。癒し系エルフのお嬢といえども、あんまりツッコむと危険でして。あっしも命は惜しいんで。


「ところで、今朝はかなり面倒な案件が入ってやすね」

「面倒?」

「ええ。市場フロアでここ数週間、一触即発の危機が続いているそうでして」

「市場? なら市場担当の警察がいるでしょう。管轄違いよねえ……。はあ」


 心底めんどくさそうに、溜息なんかついたりして。博士の投薬のせいとはいえ、怠惰なエルフっす。


 このアパート「にれの木荘」は、まかない付き。なので食料流通なんかは、管理されてるんでやす。ですが、できあいの配給品だと飽きも来る。ってわけで、闇市が自然に発生してやす。大規模市場フロアはもう、あっちこっちにありやす。普通は楡の木警察と営繕妖精が治安維持を担当しているのでやす。ただ……。


「いえそれが、管理区域外の市場でして」

「まあ」


 お嬢が手を口に当てると、ゆるふわ巻き毛が揺れやす。


「それは大変ねえ……」

「いやそんな、ほんわかボイスで言われても、大問題に聞こえないっす」


 過去のフロア間戦争や事故汚染で放棄された階層が、そこここにあるっす。そこを勝手に魔改造し、占拠して領地にしている豪族までいやす。暴力と魔法で支配しているので、山賊と言ったほうが近いっす。


 そうした管理区域外フロアには、あっしら、あんまり干渉しないんでやす。なにせ他のフロアの案件だけで手一杯でして……。とはいえ、無辜の店子さんからの苦情が殺到すると、嫌々……じゃなかった前向きに対処せざるを得ないっす。


「朝ご飯のお茶にしましょう。管理区域外ともなれば、魔力を大量に補填しておかないとね」

「……へい」


 棚に並ぶお茶の水晶瓶から、お嬢は、とっておきのひと瓶を選びやした。龍舌草。とある廃墟フロアのガラス絶壁の中頃に自生する、貴重なハーブでやす。ビル風と呼ばれる強風がのべつ幕なしに吹くんで、特別なスキルを持つコロボックルだけが収穫できると伝えられてやす。


「ふう、おいしい」


 甘い香りのお茶を含むと、お嬢が顔をほころばせやした。


「力も満ちてくるわ」

「さいっすか」


 お嬢に力が満ちるのは、両刃の剣。あんまり近寄りたくないでやす。危険が危ない気がするので、博士にもらった最後の手段の例のアレ、あっしは懐にそっと忍ばせやした。


「これが飲めるのなら、危険な依頼も、いいかもねえ」

「さいっすか」

「あら……」


 いぶかしげな表情を浮かべやした。


「コボちゃん、なんだか引いてる」

「いえ、そんなことは」

「それより、一触即発って、なに」

「へい。助けを求めてきた店子さんたちの代表が、詳しい事情をここに……」


 あっしは、異世界古代端末「タイプライタ」の映像投射画面を、お嬢に向けやした。


「そのフロアの市場には、ふたつ賭場があってですね。それぞれを別の親分衆が牛耳ってやす。で、事あるごとに縄張り争いが起こるって話っす。まあどっちもイカサマで客をペテンにかけるんでやすが、片方の親分の義理筋の娘が、相手の賭場で手ひどく負けやして」

「あら、ワクワクする話ね」


 お嬢の瞳が輝いた。いやほんと、三文歌劇みたいな話が大好きなんで、この御仁。


「それでまあ、女郎に売られるって話で、その義理筋が親分に仲裁を頼んだんでやす。ところがもちろん相手が聞くはずの道理もない。断られた親分は面子が潰れて激怒する。ただでさえムカつくクソ野郎。今度こそ、いよいよ相手トップのタマぁ取らねえと、貫目かんめがぁ合わねぇえ――」

「まあ。お芝居みたい」


 声色も入れて芝居じみたミエを切ったあっしに、手を叩いて大喜び。


「それにその設定、この間観た異世界映画にそっくりよねえ。コボちゃん、なんだったかしら、あれ。……あ、そうそう、クローサワのようじんぼ――」

「お嬢、これは小説とか映画じゃないっす。巻き込まれた店子さんの命が、いくつも失われてる、危険な案件で」

「それもそうか」


 表情を引き締める、いじらしいお嬢でやす。この姿だけ見てたら、あっしも惚れそうなくらい、いい女。いやもう、夜這いしたいくらいっす。――もちろん、しやしないですがね。死にたくないんで。


「フロアは、どこなの」

「へい……」


 念のためもう一度、あっしは端末を確認したっす。


「九〇五っすね」

「あら、九百番台とか……。深い階層は危険よねえ……」


 お嬢が目を見開いた。


「うーん、これは厄介そうだわ……」


 口調はのんびりしたままだけど。全然厄介そうに聞こえない……。


「じゃあ、気合いを入れて行きましょう。コボちゃん」

「へい。お嬢」


 窓の緞帳を引いて太陽光を部屋に入れ、鉢植えに水やりしてから、部屋を出た。管理人室庭の読書卓。「黒電話」で、お嬢がフロア情報を入力する。


「ジーコ……ジーコ」


 いつ聞いても、癒やされる音でやす。これから危険な階層に降りるんで、ちょっとイヤっすけど。……まあ、お嬢がいれば、なんとかなるっしょ。


「ギイイイイィー……」


 庭の隅の亜空間扉が、対象フロアに通じやした。軋むボロ木扉を開くと、そこはもう九〇五階層でやす。


「うわ。すごいからっ風」


 風になびくゆるふわ髪を、お嬢が押さえやした。


「荒れてやすねえ……」


 管理区域外で営繕予算が回されず治安要員もいないだけあって、九〇五フロアは荒れ野そのもの。壁は全部取っ払われて廊下も部屋もない。土埃舞う大地に枯雑草が舞い、そこここ固まるように密集する市場も貧乏くさいっす。木のボロい建て付けに場違いに派手なネオンは、賭場でやんしょう。


 こんな階層に降りてくるのは、訳ありで他のフロアに住めない店子さん、それに悪場所で女を買う遊び人に、賭博依存症や麻薬中毒者なんかでやすね。普通は。


 元からあったに違いない壁や天井の照明に加え、ところどころ、枯れ木に魔光素子をくくりつけた雑な照明が、場違いなくらいめいっぱい明るく照らしてるっす。なのでもはや熱帯の砂漠かってくらい暑いしまぶしいでやすな。とても春とは思えない。


「あの……こっちに」


 人目を避けるようにフードを目深に被った店子さんが、小声で手招き。周囲を窺ったあっしらは、彼女について、貧相な食堂に入ったっす。


「管理人さんですよね」


 十人も入るといっぱいの、小さな食堂。あっしら以外は誰もいないっす。壊れかけの椅子に腰を下ろすと、店子さんは、フードを取りやした。


「あら……」


 お嬢が絶句した。


「あなた、通報してきた店子代表ね。エルフの娘じゃないの。……なんで森林階層から出て、こんな辺境に」

「私の事情は長くなるので……。いずれまたご縁でもあれば、そのときに」


 アーヴン・キュムクプと名乗った店子さんは、事情を説明してくれた。賭場と市場を牛耳るクズ共が共倒れするのはいいが、罪もない店子が巻き込まれて非業の死を遂げていること。抗争費用捻出のためみかじめ料が高騰し、露天商や食堂が苦しんでいること。今このフロアで儲かっているのは、棺桶屋だけという冗談。


「まあまあ、ますます盛り上がってきましたわ」


 どこがツボに入ったんだか、お嬢がまた喜んでやす。それでも管理人か。


「とにかく、わたくし、このイェルプフ・ケルイプにお任せあれ」


 微笑んで。


「店子さんたちは、大船に乗った気持ちで、待っていてくださいね。そう……」


 お嬢が金色の瞳を細めやした。


「あと一時間でケリつけるから」

「お嬢、そんな安請け合い――」

「黙ってて、コボちゃん。わたくし、ひさしぶりに怒りに燃えているの」


 立ち上がった。


「楡の木荘は、店子の皆さんの顧客満足に努めてるの。快適な空間、おいしい食事、息抜きの娯楽――。それ全部台無しにする連中はぁ――」


 謎のポーズ。


「月に代わっておしおきよっ」

「はあ……」

「そうすか……」


 あっしと店子さん、ふたりしてあっけに取られやした。またぞろ、どっかで観ただか読んだ奴だかの受け売りと思うんすけど、謎っす。


「さあ。さっそく始めましょう、コボちゃん。まずは――」


 店子さんを振り返った。


「面子が潰れて激オコとかいう、親分さんの本拠地を教えて。それと店子の皆さんは、安全な場所に隠れていてくださいね」

「いいけど、危険ですよ。てっきり楡の木警察と一緒に乗り込んでくると思ったのに……。ふたりっきりで、大丈夫ですか」

「平気平気。それに管理区域外に警察出すには、書類を山ほど書かないとならないから……」

「はあ」

「めんどくさいし」

「お嬢。店子さんの前で本音を」

「あはっ」


 あはっじゃないだろという……。


 まだその後もなんだかんだあったですが、なんとか教えてもらった賭場に赴いた。壁には輝く魔光ネオン。「今日も儲けよう! ヴェガスカジノで」と書かれている。


「おっエルフの嬢ちゃんとは珍しいな。あんたも訳ありかい? お兄さんと一緒に遊んできなよ」


 入り口のチンピラが声をかけてきた。痩せてはいるが、オークですな。痩せているのは使いっぱで、食うや食わずだからでやんしょう。


 オークが使いっぱにされてるということは、どうやらこの賭場、まるごとオークの巣らしいっす。オークは獰猛だし苦痛に鈍感だから、集団で襲われると危険。どうにも厄介なフロアでやすな。


「こんにちはー。管理人のイェルプフと、補佐のコボちゃんでーす」

「コボちゃんでなく、キッザァっす」

「そうとも言うわね」

「そうしか言わねえっす」


 奇妙なやりとりを、オークが不思議そうに見てやすな。


「とりあえず、お見知りおきをー。はあ」


 ていねいにお辞儀なんかして。例によって能天気なお嬢っす。


「管理人だぁ? ……嘘つけ」


 いぶかしげに、瞳を細めた。豚っ鼻を広げている。


「なんか怪しい奴だな」

「親分さんをお願い。わたくしが、向こうの賭場をぶっ潰してあげますわ」

「はあ?」


 オークは笑い出した。


「そんなんできるわけないだろ。いくらエルフとは言っても、向こうはオーガ連中だぞ。コボルド一匹連れただけの、たったひとりで、なにができるって――」

「いいから呼んできていただけますか、はあ……」

「へへっ」


 好色そうに管理人の制服姿を眺め渡すと、暖簾に首を突っ込んで、なにか中に告げている。どうやら面白がって親分を呼ぶらしい。それに、その後でお嬢をなんとかしようと考えてるのも、ミエミエっす。そのために親分を巻き込んだんでやすな。まず親分に味わってもらって、次はお嬢を献上した自分の番だと……。


「どうれ」


 大儀そうに太った体で現れたのは、巨漢のオークだ。オークキング……というほどの威厳はないけれど、きっと王族の血がわずかに混じった落とし胤の家系、放逐オークの類でやんしょう。こんな辺境でイキってるのがお似合いってとこですな。


 かたわらに、これまたでかいババアを連れてやす。多分こいつは、賭場の奥にある女郎屋の、遣り手婆でありやしょうか。これから売りに出すお嬢を、品定めするつもりでしょうな。


 とはいえどう見てもゴツい男オークの女装姿。揉め事を力業で解決するため男なんでしょうが、いくら化粧して取り繕っても、女にはとても見えない。お前のようなババアがいるか。


「ほう。あんたが管理人のお嬢ちゃんか。……まあこのフロアでは、なんの権限もないがな。誰も管理なんかされてねえから」


 親分が、ゲハゲハと趣味の悪い笑い声でやす。


「なにせ俺様が法律だ」


 こいつも豚っ鼻を広げて、お嬢の匂いを嗅いでやがる。なんだかあっしはムカついてきたっす。


「それよりあんた、管理人さんよ。俺様の前で失礼だぞ。まずは名を名乗れ」

「わたくしは管理人のイェルプフ・ケルイプ。またの名を――」


 お嬢が周囲を見渡し、花の生えた雑木を見つけて微笑んだ。


椿つばき。そう、椿三十郎」

「なんだそりゃ」


 失笑されてやす。そりゃ、知らない映画の主人公を騙られてもねえ……。


 あっしは頭が痛くなった。こんなんで、オークとオーガの巣を一掃できるんでやんしょうか……。

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