異世界巨大アパートのエルフ管理人は忙しい

猫目少将

 

第一部 癒し系エルフ ――管理人の秘められた過去

二一〇五七号室 ウェアウルフの飼い犬

「ギイイイーッ……」


 寝室の扉がきしむと、エルフ特有の薄夜着姿のお嬢が、のたのた出てきた。大あくびをしている。あっしは、居間のテーブルで朝飯の穀物がゆをかっこんでいるところ。こっちの姿を見ると、お嬢は、あらあらと微笑みやした。


「おはよう、コボちゃん」

「お嬢。いいかげん、その呼び方、止めてもらえますかね。あっしこれでも祖先が有翼ハイエルフの王族を補佐した、由緒正しいコボルドなんで」


 空になった粥の皿をあっしが脇に置くと、お嬢が向かいの椅子に座りやした。


「あら、いいじゃない。コボルドだからコボちゃんで」

「いえなんか……。こないだ遺跡フロアの古代コミックで、同じ名前の本、見かけたんで。なんか『カリアゲくん』とかいう奴の隣に」

「いいでしょ。あなただって、わたくしのこと、エルフとして尊敬してないじゃない。お嬢とか呼んでるし」


 お嬢が首を傾げると、長い巻き毛髪がゆるふわっと広がりやす。


「きちんと『イェルプフ・ケルイプ――森の駆け手』って、呼んでみなさい。そうしたら、考えてあげるわ」

「それ発音面倒じゃないすか。長いし。あっしの名前はキッザァなんで、簡単でしょ。コボちゃんより、文字数だって少ないし」

「いいのいいの」


 沼桜の葉のお茶を点ててお嬢が優雅に嗜み始め、蜥蜴苺にも似た、甘い香りが漂ってきやした。


「はあ……。やっぱり春は沼桜よね」


 ほっと息を吐いてやす。


「朝ご飯はこれに限るわ。栄養満点だし、魔力を補填してくれる効果もあるし……。ねえそれより管理人のお仕事、今日はなにかしら?」

「へい」


「タイプライタ」とかいう黒い古代端末を、あっしはポチした。発掘された異世界の古代機械を魔改造して、映像投射装置を追加した奴でして。なんせ超年代物ですんで、キーは半分くらい壊れて欠けてやす。古代文字刻印が感圧盤を叩くと、文字の形に応じて、特定のコマンドが起動する仕組みって聞きやした。なので多少キーが欠けてても問題ないとかなんとか。


 早い話、大家と管理人間の専用魔法通信機ってところ。大家からの連絡一覧を、あっしは流し見。


「いつもの命令以外はひとつ、鍵なくして部屋に入れないってヘルプが入ってやすね」

「営繕妖精はどうしたのよ。どのフロアにも、いっぱいいるでしょ」

「なんか仲間の集まりがあるとかで」

「もう。妖精ちゃんたちは気まぐれよねー。いっつもわたくしが尻拭い」


 文句を言いながらも、立ち上がる。留め帯を解くと、薄衣を足元に落とした。美しい裸体が現れやした。うら若いヒューマンの少女のような。……まあエルフだから齢二百年って話でやす。


「お嬢……。その……男の前で裸ってのは……」

「あら。コボちゃんあなた、わたくしに興奮するの? あなたコボルドとしては中年でしょう……」


 からかうような目つきでやすな。形のいい胸を、わざとらしく突き出したりして。


「第一、種族が違うのに……。ケットシーだって、ヒューマンの裸見て興奮したりしないでしょ」

「そりゃそうですけど、あっしらは同じ人型種族だし。コボルドとエルフの間に子供ができたって伝説だってありやすぜ。それにあっし、中年とはいえ、まだまだ下の――」

「まあ……それもそうね」


 あっさりかわされやした。それに気にもしてないかも。背後の魔樹キャビネットから管理人の制服を取り出すと、ゆるゆる優雅に着替え始めたくらいで。丸見えなのに。


 後ろを向いたお嬢には、背中の左右に大きな傷跡がありやす。本人には見えないんで、多分知らないでしょうが。キメの細かな肌に似合わない、むごい跡で……。


 ここは超巨大アパート「にれの木荘」管理人室。あっしとお嬢は、大家に命じられて管理人をやってやす。アパートの部屋数は、誰も知らないっす。大家ですら。……噂では数万室って話で。


「じゃあ、ちゃっちゃと片付けるか。早めにお昼にしたいし。はあ……」


 窓の緞帳どんちょうを引いて、外を眺めてやすな。いつもどおり三つの太陽が輝き、三方向からの陽光が、庭の樹木に複雑な影をもたらしてやす。


「いい天気ねえ、今日も」


 扉を開けて、あっしらは外に出やした。管理人室は、小さな一軒家。周囲をこじんまりした庭が囲んでやす。庭の外は亜空間。歩いて出ることは無理。つまりここは、監獄も同然の閉鎖空間ってわけで。それでも息苦しくはないのは、こうして空が広がっているからでしょうかね。


 ……とはいえ天空の太陽も雲も、どうやら本物でないとかなんとか。嘘か真か、亜空間に投影された幻像って噂でやす。


 庭の片隅には、小さな読書卓テーブルと椅子が設置されてやす。ふたりで椅子に腰掛けると、卓上の古臭い機械に、お嬢が手を伸ばしやした。


「コボちゃん、何号室?」

「へい。えーと……二一〇五七号室です」

「二一〇フロアか……」


 取っ手を外して耳に当てて。


「ジーコ……ジーコ」


 真鍮製の、数字が刻印された円盤を回して、フロア情報を入力してやす。これも太古の遺跡から発掘された異世界端末の一種で、博士によると「黒電話」って名前だそうで。


「受話器」とかいう取っ手を耳に当て、お嬢が反応を探っている。


「うん。通じた。二一〇フロアに行くわよ。コボちゃん」

「へい」


 庭の端にある扉を開けると、外は廊下。当該階層に空間が繋がったわけで……。


 二一〇フロアは、天井が高く、廊下も壁も良質の素材で造られた、いい感じの階層でやした。


「この壁、魔樹製よね。それも随分古そうな。……聖魔戦争の頃の巨樹を使ってるんだわ」


 感心したように、お嬢がつぶやく。なにかを聞き取るかのように、壁に耳を当てて。廊下は前方はるかにまっすぐ続いていて、終点は見えない。


 聖魔戦争は、はるか古代のフロア間戦争でやす。謀略に満ちていて、特に終盤の禁忌魔法戦では、このアパートのフロアが大規模に崩落し、何十年も混乱を招いたとか……。今でも一〇〇階層程度の立ち入りが禁じられてやす――というか禁止以前に空間が閉じて入れないのが実情。最近は崩落フロア探検隊も組織されてるって話でして。


 廊下の両側には、部屋の扉が延々と続いてやす。明かり取りの窓がなくとも、天井と壁に埋め込まれた魔光素子のおかげで、柔らかなベージュの光が廊下を満たしていて。


 各部屋の扉を見ながら歩くこと三千歩。永遠に続くんじゃないかと思い始めた頃、二一〇五七室に着きやした。


 部屋の住民が、困ったように、自室の前で佇んでやした。とにかく長身で、銀髪の毛むくじゃら。ピンと立った耳が特徴的で、鼻面は長く伸びている。


「こんにちわー。管理人のイェルプフですー」


 お嬢の声に、住民が振り向きやした。


「あっしは管理人の手下の……じゃなかった同僚のキッザァっす」

「ああようやく来た。……頼みますよ。困ってまして」


 眉を寄せ、溜息をついている。


「へえ。あなた、ウェアウルフなのね。しかも銀色の長毛種。……素敵ねえ」


 お嬢が、頭の上から足元までガン見している。なんだ、もう惚れたのかな。イケメンだし……。ちなみに銀色長毛のウェアウルフは貴族種で、特異な魔法を使えるとされてやす。


「お嬢。仕事っ」


 面倒なんでつついてみやした。


「あっそうそう」


 あっしをひと睨みしてから、二一〇五七室の店子たなこさんに向き直る。


「うーん……なんだっけ」

「鍵っ」

「そうそう。コボちゃんありがとね。えーと、なんでも鍵をなくしたとか……」

「そうなんですよ。二一三階の跳ね鯉池で釣りしてたら、池に落としちゃって……」


「楡の木荘」は階段完備のアパート。なので体力の続く限り、上下のフロアに移動はできやす。まあ一フロアで天井まで百メートル以上とかいうところもあるし、勝手に関所を設けて通行銭を毟り取る悪党とかもいる。それに階段自体が崩落して間に合わせのハシゴだったり、崩落したまま放置もあるので、フロアの位置によりけりですが……。


「あの池、迷惑なのよねー」


 思い出したのか、お嬢が溜息を漏らしやした。


「水道管が壊れて自然発生したらしいけど、下の階がたびたび水浸しになるし」

「真下の二一四階は、いつの間にか店子が水棲モンスターばかりになりやしたね、そう言えば」

「それにしても……」


 悪そうな笑みを、お嬢が店子に向けやした。


「ウェアウルフって、獣肉食でしょ。赤ずきんちゃん食べたり」

「その冗談は、もう五万回聞かされてます」


 うんざりした顔で、長い舌を出してみせた。


「たまには魚も欲しくなるんです」

「まあ。魚がお食事だなんて、伝説の異世界モンスター、ヒグマベアーみたい」


 感心したように、お嬢は首を傾げてやした。


「コボちゃん、どこに置いたかしら。ヒグマベアーの魔樹彫りの――」

「それより早く助けてくださいよ」


 店子さんは、すこし焦れているようで。まあ、お嬢ののほほんキャラに付き合うの、ちょっと疲れるのはたしかでやすし。


「はいはい。わかっていますって。これも管理人の大事なお仕事ですからねー。……ほら、コボちゃん」

「へいっ、お嬢」


 扉の鍵穴に水晶ルーペを当てて、あっしは中を覗いた。ルーペが魔光を発するので、中の仕掛けがよく見えやす。


「このアパート、フロアごとに鍵の構造が全然違ってやしてね。ここは物理キーのようでやすが、磁力を用いた奴とか、魔力とか。理屈はてんでチンプンっすが、古代のロストテクノロジーの鍵があったりとかで……」


 構造がわかったので、魔獣革の鞄から、千本鍵束を取り出しやした。使えそうなブランクキーを選ると、ヤスリで谷を削る作業を始めやす。


「そういうときは、諦めて扉を壊しやすね」

「コボちゃんは、もともとシーフだったんですよ。だから鍵開けなんてお手の物。細かな作業、なんでもできるんです。その腕を大家さんに見込まれて、管理人補佐に抜擢されたんですから」


 事情をなにも知らないお嬢が、ウェアウルフ相手に、能天気に自慢話してやす。まあ、「そういうことになってる」んだから、こっちも特に口を挟まないですが。実際、昔は心が死んでたシーフだし……。


「へい。できやした」


 真新しい鍵を渡すと、ウェアウルフが喜んでやす。


「ああよかった。実は飼い犬に餌をやる時間が、もうだいぶ過ぎてましてね」

「あら。人狼が犬を飼うとか……」


 楽しそうに、お嬢が笑ってやすな。


「いい茶飲み話ができましたわ」

「おっ開いた」


 握りをひねると、ウェアウルフが扉を開けて。


「タロー、待たせて悪かったな」


 玄関で尻尾をブンブン振って待っていたタローを見て、お嬢とふたり、息を呑みやした。飼い主よりでかいし、それに、こ、これって……。


「どうもありがとうございました。そうだ……釣った奴ですけど、これ、お礼にどうぞ」


 おいしい黄金魚を一尾、袋に分けてくれると、何度も礼を口にして、ウェアウルフは部屋に消えやした。


「……見た、コボちゃん」


 お嬢はまだ固まったまま。そりゃそうだ。あんな恐ろしい魔獣を前にしたら、いくらお嬢――つまり「世界を滅ぼす咎人とがびと」と言えども固まるわ。えっ? お嬢がなんでそう呼ばれているかって? 言われてはいないんでやすが。その名は魔法で強く秘匿されているし。自分の二つ名を、お嬢は「森の駆け手」だって思い込んでやすし……。


 まあいいか。なんでも、かつてお嬢が暴れ回っていた頃、とある事情で世界に「穴」を開け、「外側」を見たからだそうでやす。そこで見た真実があまりに衝撃的で、大家に記憶を――。


「コボちゃんっ! 返事は?」

「へ、へい。お嬢。すいやせん」

「もう。またぼーっとして]

「お嬢ほどでは――」

「なによ」

「それよりお嬢、あのタロー。首、みっつありやしたね」

「ケルベロスかー」


 首を傾げて、なにか考えている。


「……あれ、飼育OKなんだっけ。店子さんとの契約書、棚から出すの面倒だわあ……」

「いや飼うもくそも、地獄の番犬を模したホムンクルスですから。どこで拾ってきたのやら……」

「あらら……。なんか、ずーっと昔、あれ見た覚えがあるわ。どこでだったかしら……。頭に霧がかかってて、思い出せない。……たしかノシムリ実験室とか呼ばれる、なんだかヘンな空間で――」

「お嬢。それより報告どうするんすか」

「あっそうそう。それよね、問題は。……うーん」


 きれいな顔を歪めて、閉じた瞳の横を指で押さえてやす。


「いつもの頭痛すか」

「うん……。最近、どんどん痛む回数が増えてて……」


 ほっと息を吐いた。


「なんだか、嫌な予感がするわ」

「博士の診断を受けやすか。きっと強い薬で――」

「あの薬はイヤ。奇妙に聞こえるかもしれないけれど、自分が自分でなくなる気がしてくるの」


 のほほんとしたお嬢には珍しく、強めに断られやした。


「……わかりやした」

「ごめんねー。でもうん、もう平気」


 右腕で、力こぶを作るフリをする。たおやかなお嬢の体に、似合わないほどの上腕二頭筋が盛り上がった。すごいっす。腐っても、さすがは件の……。


「……そうそう、報告の件よね。大家さんに報告……するのは面倒だよねえ。きっと、イヤってほど書類書かされるし」

「お嬢、ここはひとつ……」

「そうよね。わたくしたちが見たのは、ただのワンコだったわ。うん。間違いない」


 うんうん頷いている。もちろんあっしも、それに乗る。


「そうっすよね」

「もう忘れましょ。ねっ、今夜はごちそうよ」

「そうっすね、お嬢。黄金魚は高級魚ですから」


 その晩あっしらは、黄金魚の香草焼に舌鼓を打ったって次第で。まああっしは気が気じゃなかったですがね。その日はけっこう危険だったので。博士からもらった例の薬を、こっそりお嬢の蜂蜜酒に混ぜたりしてね。そのせいかお嬢、機嫌良くなってそのまま寝ちゃったり。


 お嬢を抱えると、寝台まで運ぶ羽目になりやした。コボルドだから小柄とはいうものの、あっし、力だけはけっこうあるんで。この役目をもらうときに、強化されたんでね。


 柔らかなお嬢の体。いい香りもする。寝台で能天気にすうすう寝息を立てて。願わくば、このままずっと、のほほんとした幸せな管理人のままでいてくれればと、あっしは心底願った。お嬢のためにも。あっしのためにも。そして……世界のためにも。


「おやすみ、お嬢。いい夢を」


 お嬢はなにか寝言で返事をしてくれた。あっしの知らない名前を呼んで。前にも聞いたことがある、その名前。きっと――。


 魂の底から、つい溜息が漏れた。


 また明日、お譲とあっしは幸せな生活を送るんだ。明日も、その次の日も。心配する必要なんかない。


「いい夢を」


 寝室の扉を閉めた。お嬢の体が、なにも見えない暗闇に溶けて消える。


 あっしも、自分の寝床に戻る時間でやす。なにも起こらなくて、良かった。


(次話に続きます)

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