日帰り小旅行のこと

―――ひゅぅぅ


風に靡く髪を手で押さえる。今日は普段と違って横縛りにしていない。髪の毛の上部分を後ろに回して、花びらが重なったような形の可愛いパレッタで留めた。

そう、今日はハーフアップで外に来ていた。

服は夏も近いので半袖の膝丈ワンピースに薄い青の七分袖なブラウスを重ねた。ワンピースの色で基本色白に薄っすら緑が見えるのもワンポイント。もちろんワンピースの裾はちょっとしたフリルが入っていて可愛い。あたしも好きだし、あたしの恋人も好きな大人可愛いコーデ。

靴は紺と白のスニーカー。案外デートでもなんでもないときに使っている靴が合ったりもするのがスニーカーのいいところ。

今は桜咲く春が過ぎた5月。世間ではGW(ゴールデンウイーク)と騒がれている一週間…ではなく、それが終わって二週間は過ぎた5月中旬。曜日は土曜日。

あたし、咲澄日結花は声者という仕事上GWにこそ多数のイベントが入っていた。歌劇歌劇歌劇…。思い返せば連日歌劇を繰り返している。しかも北海道から沖縄まで、様々な場所で開催されていたのであたしも移動しなければならなかった。あたしの場合、行った場所は秋田、石川、東京、愛知の四ケ所。ちなみに、同じく声者の知宵は北海道で三回、九州中国四国地方でそれぞれ一回だったそう。

どちらの方がましかと言われたら困るけれど、どっちにしても―――。


「日結花ちゃん」

「はい!」


ぱっと横を見ればぽやぽやした雰囲気のお兄さんが一人。訂正、結構通行人はいるのであたしの視線を独り占めしてくれちゃっているのが一人。

春夏っぽい薄緑の長袖シャツに紺のズボン。ちょっぴり袖をまくっているのが夏っぽい。靴は見た目濃い茶色のスニーカーで、かっこいい、格好いい、カッコイイの三拍子揃っている。素敵。


「おはよう。考え事してた?」

「う、うん。おはよう」


朝だからなのか、とっても爽やかな笑顔を浮かべている。好きよ!


「え、ええっとね。郁弥さんは元気?」

「うん?元気だよ。日結花ちゃんの顔見られて嬉しいし」

「う…うぅ」


ず、ずるい。顔が熱いっ。


「それにしても相変わらず可愛い格好してるよね。今日はまた一段と可愛い。なにげに色合いちょっと僕と似てるかな?」


絶対に頬が赤くなっているので、ちらりと周囲をうかがっておく。特に注目をされていないことに胸を撫で下ろして、追加の褒め言葉に返事をする。


「あ、ありがと…」


…うん。照れちゃったのは仕方ない。不可抗力。


「どういたしまして。今日は髪型も変えてきたね。珍しいんじゃない?」

「そ、そうね…どう?」


……。


「似合ってるよ。可愛い」

「あ…えへへ」


さらりと頭をなでられて胸の奥がぽかぽかとする。

もうなんていうか…あたし、ずっとこのままでいいんじゃないかと思ってきたわ。


「郁弥さんもかっこいいわよー。惚れ直しちゃった」

「あはは、ありがとうねー」


頭をなでていた手が下がってあたしの右手と繋がれる。胸キュンポイントが高い。


「じゃあ行こうか。今日は遠出だし、ゆっくり行こう」

「ん、エスコートお願いね?」

「ふふ、お任せくださいお嬢様」


そんな形で駅へと足を向けた。今日の目的地は海。海あり、観光地あり、お土産ありのとある場所。実装された空飛ぶ電車、通称空列車のおかげで県をまたいだ移動がとっても素早くできるようになった。なので、それなりに遠い場所なのにかかる時間は1時間もしない。

ちょっぴり田舎の電車で人の少ない中を寄り添ってゆらゆら揺られたい気持ちもあるけれど、今日はお泊りでもないから早く行って早く楽しもう。



「ねえ郁弥さん」

「うん、なに?」

「今日も持ってきたの?」

「主語がないとわからないなぁ」


こつり、と膝を軽くぶつけてくる。くすぐったさ全開で頬が緩む。


「ふふふー、遠出するときはいつも持ってきてるやつよー」

「あぁ、カメラか」


相好を崩して一つ頷き、空いている手ーーあたしの手と繋いでいるのは左手なので右手ーーでリュックサックを支えながらごそごそと。

繋いだ手が解かれてほんのり寂しいのは置いておくとして、この人のカメラとも結構長い付き合いだと思ったり。

お花見とかクリスマスとか旅行とかデートとか…。本当、色々あったなぁ。


「はいこれね」


手渡してきたのは思い出詰まった小さなカメラ。コンパクトでデジタルなカメラくん。


「はぁ、ちょっとしんみりしちゃった」

「ええ…そんな要素あった?」

「あったわ。すっごくあった」


困り眉な恋人が可愛いのはいつも通り。それより朝から寂寥感いっぱいな気持ちにさせてくれたことが不満。

不機嫌よ、あたし。


「もうもう、郁弥さんのばか。好き」

「…色々ツッコミどころあるけど、とりあえず僕日結花ちゃんが好きだよ」

「…えへへ。カメラお返しするわ」


ご機嫌よ、あたし。


「三脚も持ってきたのでしょう?」

「うん。ないと二人で撮れないからね」


まあ人に頼めばいいけど、と付け加える。この人の言う通り、以前人に頼んで写真を撮ったりしたこともあった。ただ、そう何回も繰り返し撮ってもらうわけにはいかない。単純に時間の無駄だし、都合良く撮ってくれる人がいるとも限らないから。


「そういえばさ、今日結構歩くけど…いややっぱりいいや。忘れて」

「む、なによそれ。忘れないわ。言いなさいー」


こつん、と膝をぶつけた。近くて近い距離感が愛おしい。

近くて遠くないのよ。心の距離も身体の距離も近いからいいの。二つ揃っての幸福だもの。


「…ふむ、聞きたい?」

「…むぅ」


やけに神妙な顔をしている。

聞いたほうがいいのか聞かない方がいいのか…。


「…いいわ。聞かせて」

「そっか。なら言うけど、日結花ちゃん空立板持ってきてる?」

「ん?ええ、持っているけど」

「歩くとき使うよね」

「ええ、使うわ…そう。つまりそういうことなのね」


あたしが歩かないから疲れないとかそんな話なのね。


「そういうこと。別に僕が背負ったり抱っこしたり抱えたりしてもよかったけど、空飛ぶなら必要ないよねって話」

「必要、あるわ」

「ぬあ…突然囁かないでよ」


ぶるりと震える恋人さん。キュートさに磨きがかかっている。


「ごめんね、でも必要はあると思うの」

「な、なぜ?」

「抱っことかされたいから」

「直球ですか…」

「あたし、今日は欲望に忠実に生きることにしたのよ」

「え?それいつもじゃ」

「そこうるさい!」

「むぐ」

「うるさいお口は塞いじゃうんだから」

「むぅ…」

「別に咥えてもらっても構わないわよ」

「むうう」

「んふふー郁弥さんは可愛いなぁ」


左手の指二本で唇を塞いであげた。抗議の眼差しが良い。あと唇柔らかくてふにふにするのも楽しい。


「ずっとこのままでいるか、あたしにキスをするか選びなさい」

「んん!?」


"唐突すぎる!?"みたいな感じの反応。

ほんとわかりやすい人ね。表情豊かで魅力的で。大好きよ、あたしの郁弥さん。


「うそうそ、冗談。あなたの唇なんていつでも奪えるんだから、今さらどうこう言うつもりないわよ」

「それはそれでなんだかなぁ。女の子が言うセリフじゃないよね」


苦笑いとともにゆるりと癒される柔らかな声が帰ってきた。この声を聞いただけで安心感が心を満たす。


「ふふ、そうかしら?あたしの唇もあなたのものなのよ?いつでも奪いにきてちょうだい」

「う、ぜ、善処します」


顔を赤くする彼氏を横に置きながら、実は彼女のあたしもちょっぴり顔が熱かったりする。

いつでもちゅーしていいだなんて、我ながら大胆なことを伝えちゃったわ…はー恥ずかしい!



「とうちゃーく。海よ!」

「まだ駅のホームだけどね」

「ふふ、いいのいいの。雰囲気雰囲気」

「あはは、それもそうだね」


なんとなく潮風の香りがしなくもない。一応駅から海も見えるし、問題なし。


「にしても人多いなぁ。こんなに人来るんだね」

「あたしも同じこと思ってた。もうGW終わってるのに人が多いわ」


実際観光しに来ているあたしたちが言うことでもないけれど、本当に人が多い。さすがに東京とかRIMINEY WORLDとかそういった人がたくさん集まる場所ほどではない。それでも歩くときに他の人を気遣いながらじゃないとぶつかっちゃうくらいはいる。


「カップルも多いから、特に目立ちそうにはないね。よかった」

「…へー」


どうやらあたしの彼氏さんは目立ちたくないみたい。


「…すごく嫌な予感がする」


あたしの返事を聞いて何を思ったのか、難しそうに眉を寄せた。声のトーンも心持ち低い。


「あら、なら素敵な予感になるよう努力しないといけないわね」

「…普通に恋人やるだけだからね。昔みたいに堂々とあーんはしな」

「したくないの?」

「…したくなくはない」

「あーんとかしたいのにしないでいいの?」

「……いいんです」

「ほんとのほんとにいいの?」

「い、いいんです!」

「じゃああたしがあーんしたいって言ってもやらないの?」

「それは…やらざるを得ないかもしれない」


気まずそうに顔をそむけて話す。本心とか羞恥心とか罪悪感とか色々混ざっていて困った顔。

あたし、郁弥さんのこの表情好き。本気で困ってるわけじゃないから安心して見ていられるのよ。でも、だからこそ素直になってほしい。


「…あたしのこと嫌いじゃないなら、いっぱいイチャイチャさせてほしいわ」

「うぐ」


こもった声が聞こえた。右手で胸を押さえているところを見るに、今のあたしの言葉が胸に刺さったらしい。


「……」

「……」


お互い無言で足を進める。考え中な恋人の邪魔はしたくないし、そう長く考え込んだりしないと思うからそこは大丈夫。今は静かに待ってあげる時間。


「……はぁ」


いくら信頼している人とはいえ、それでも少しくらい不安はある。手を繋いでいないこともあって、それは普段よりちょこっとだけ大きい。耳に届いたため息が良いことなのか悪いことなのか、それを考えると心臓の鼓動が速くなった。


「…本当、日結花ちゃんには勝てないね」

「あ…」


小さく首を振りながら手を繋いでくる。いきなりのことで声が漏れてしまった。


「僕が日結花ちゃんを嫌いなわけないじゃないか。どれだけ好きか伝えきれないほどなんだよ?いくらだってくっついていたいし、どんなことだってしてあげたい。あーんなんてもう…毎日毎食したいくらいだ」

「あぅ…」


うぅー、積極的なのだめっ。もっと好きになっちゃうからぁ。


「顔真っ赤になってるところだって本当に可愛いよ。大好きだ。……ふぅ、満足」

「うううー、ひ、一人で満足しないでっ」

「ごめんごめん、伝えたらもういいかなと思っちゃって」


笑いながら謝って、さわさわ頭をなでてくる。


「うぅ、頭なでないでよぉ」

「うん」

「……むぅ」

「……?」

「…なでて」

「うん?」

「や、やっぱりもうちょっとなでて!」

「あはは、承りましたよ可愛い可愛いお姫様」


だ、だってなでてほしかったんだもん!仕方ないじゃない!


「えへへ」

「ふふ、結局こうなっちゃったねー」


彼の言う通り、目立たない目立ちたくないと言っておいて今は駅を出てすぐの歩道でゆっくり歩きながらなでてなでられてをしている。当然ちら見ぐらいはされるわけで、もう既に普通に歩くよりは目立ってしまった。


「…嫌だった?」

「ううん、全然。日結花ちゃんが嬉しそうなのもそうだけど、僕も楽しいからね。なんにも気にしなくていいよ」

「…ん、ありがと」


さらりとした柔らかな笑顔が青い空によく映える。視界に入った海と吹き渡る潮風が気分を高揚させる。

来て早々しんみりしたようなしていないないような、そんな話をしてしまった。ただ、それが悪いわけじゃなくて、色々言い合って気持ちを確かめられることが嬉しくてたまらない。


「さて日結花ちゃん」

「ん、なぁに?」

「海でも見に行きますか」

「ふふ、はーいっ」


ちょっとした不満とか、してほしいこととか。我慢しないで伝えて話していくことで、どんどんと信頼が積み重なっていく。

あたしと郁弥さんも、いっぱいお話をするようになったおかげで気持ちを全面に出すようになった。今のあたしたちは以前よりずっと親しくて、お互いのことをずっと知っている。これからはもっともっとお話をして、いっぱい喧嘩もして、好きの気持ちを繋げていこうと思う。

大好きな恋人と手を繋ぎ直して、観光に食事に写真にと、思い出作りをしようと話しながら足を動かすことにした。

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