数年後のお話その3
「それより住み心地の話をしましょう?まずは胡桃の家よ。私は行ったことがないけれど…日結花、あなたはある?」
「失礼します。お料理をお持ちいたしました」
「はい」
「はーい」
「はいっ」
みんなで返事をしつつ持って来てくれたお料理が机に並ぶのを待つ。まずは前菜から。店員のお姉さんはぱぱっとお料理の説明をしてくれて、笑顔で去っていった。
「…それじゃ、まあ、食べる?」
「ええ。いただきます」
「うん。いただきます」
「ん、いただきます」
等々軽く食前に一言ずつ言って、お料理を口に入れる。コース料理を美味しくいただきながら数十秒、一口アイスグリーンティーを飲んだあと口を開いた。
「それで、住み心地がどうとかだっけ?」
「ええ。胡桃の家に行ったことがあるのかという話」
「あたしはないわよ」
「そう。それなら胡桃に色々話してもらいましょうか」
そうして顔を横に向ける。釣られてあたしも知宵の隣、つまるところの胡桃に視線を移した。
「…んぇ?」
「「ぷふっ」」
やばいっ、ちょっと吹き出しそうになった!もうほんとこの子、突然笑い取ってくるのやめてほしいわ!面白すぎるっ。
「ちょ、ちょっと胡桃。ふふ、なによその声っ!」
「い、いえ、声もそうなのだけれど…ふふ、表情がずるいわ」
ぽけっとした顔で前菜を口に含もうとした体勢のまま固まる胡桃。なにが面白いって完全に気の抜けた声と表情。それは卑怯だと思う。
久しぶりに完全に何も考えてない顔見たわ。唐突過ぎて笑っちゃった。はー楽しいっ。
「…ええっと…と、とりあえず食べるねー」
「え、ええ。どうぞ?」
「う、うん。食べて食べて」
「むぐ……おー美味しい」
胡桃が食べている間にあたしは気分を落ち着かせ、飲み物も飲んで一息ついた。
「…私、なんで笑われたのかは聞かないからね。なんだっけ。私の家の話?」
「ええ、そう。あまりお互いの私生活については話してこなかったでしょう?特に私はあなたの家まで行ったことがなかったのだし」
「なるほどねー。うん。いいよ。何から話そうかな」
ちょこちょこ飲んだり食べたりしながら話を進めていく。最初は胡桃の家について。
「私の家って駅から10分とか15分とかそれくらいなんだけど、部屋は割と普通かな。玄関から洗面所とリビングに繋がっていて、リビングから寝室へ、みたいな感じ」
「ふむ…あまり私の家と変わらなそうね」
「うん。知宵ちゃんの家ってあれだよね。1LDK(リビングダイニングキッチン)でしょ?」
「ええ。胡桃は…」
「私は1DK(ダイニングキッチン)だから、知宵ちゃんの家のリビングルームが狭くなった感じだと思ってくれればいいよ」
「そう。わかったわ」
「へー、ダイニングキッチンとか初めて聞いたわ。1LDKとかは聞いたことあったけど、DKとかもあるのね」
全然知らなかった。イマイチ想像できないけど知宵の家のリビングが狭くなっただけならなんとなくわかる。
「ふふ、日結花ちゃんは実家暮らしだもんね。一人暮らしだと家賃とか気にするし、DKとかLDKで結構変わってくるから調べるんだよ」
「ふーん…それでそれで?」
ニコニコ笑う胡桃見て思い出したけれど、郁弥さんの家も胡桃の言ってる部屋と同じ感じなのかも。知宵ほど大きい家に住んでなかったし、もしかしたら1DKなのかもしれないわ。
「うん。部屋はそんな感じ。特に不便はないかな。一人暮らしだし、そこまで大きい部屋じゃなくても困らないんだよね」
「まあそれは想像つく。一人だと家大きくても色々持て余しそうだわ」
「そうそう。大きくても知宵ちゃんくらいで十分だと思うよ」
「私ほど、ね。ええ、確かに私も今程度の家で十分だとは思うわ。これ以上大きくしても…掃除に困るだけよ」
一人暮らしか…あたしには縁がないかな。
「部屋についてはわかったわ。生活はどうなの?ほら、お料理とか。知宵は…言わなくていいから」
「…なにかしら、久々にひどくばかにされた気がするわ」
「知宵ちゃんは…あ、うん。"あおさき"で言ってたね。うん」
気まずそうに頷く胡桃を横に、知宵はじっとりとした眼差しをあたしたち二人に向けてきた。
「胡桃、あなたも。…ええ、そうね。いいわよ別に。私は料理なんてできないわよ。いいでしょう別に」
「あ、拗ねた」
「あ、可愛い」
「あ、あなたたち!揃って変なこと言うのはやめなさい!」
ほんのり頬を染めて声を荒げる知宵が可愛らしい。お酒が入っているからいつもより感情の揺れ具合が強い。可愛い。
「ごめんごめん。大丈夫よ、あたしもお料理なんてあんまりできないから」
「ごめんね。今度一緒にお料理しようね」
「…二人から慰められるとそれはそれで癪ね。特に日結花。あなたのは慰めにすらなっていないから」
…相変わらず面倒くさいなぁ。嫌いじゃないけど。
「はいはい。胡桃、実際どうなの?"ひさらじ"だと料理の話題は軽くする程度じゃない」
「そうだねー。しっかりやってるかな。手の込んだものはともかく、簡単なものなら毎日作ってるくらい」
「例えば?」
「え?炒めたり焼いたりが多い、かな。揚げ物って油の処理大変だし、煮物は時間かかるからね。圧力鍋使えばいいんだけど、私はフライパンでささっとできちゃうものの方が好きだよ」
「そうなの…」
「へー、参考までによく作る料理は?」
あたしが作るのってほんとに簡単なものだけだから。作ってもオムレツとか野菜炒めとか…言われてみれば煮物とか揚げ物って作らないわね。ちょっとびっくり。
「うーん…ハンバーグかな」
「…いきなり高レベルなのきたわね」
「…よく作るものにハンバーグを持ってこられると何も言えなくなるのだけれど」
「え、そ、そうかなぁ」
知宵と二人で苦笑いをこぼす。
ほわほわしてるとこ悪いけど、胡桃のお料理レベルにあたしたちはついていけない。お料理初心者とお料理上級…いえ、お料理プロとは基準が違うのよ。
「ハンバーグだなんてよく作れるわね。私は作ったことがないけれど、難しくはないの?」
「うん?そんなに難しくないよ。混ぜてこねて焼くだけだし」
「「…それが難しいのよ」」
今日はハモリが多いなー。…ううん。あたしたち三人揃うとどこかしらでハモるからこんなもんかも。ほんとお喋り楽しいわ。
「えー、だって適当に混ぜて焼くだけだよ?玉ねぎ炒めるのだって簡単だし、味付けが後でいいっていうのがすごくいいよね。お手軽にたくさん作れて美味しいから、二人とも作った方がいいと思うよ?」
「…はぁ、胡桃。あなたは料理初心者を舐めているわ」
「知宵の言う通り。あたしたちみたいな人はね、初心者だからこそ変に細かくやろうとするのよ」
「あと不安ね」
「それそれ。合ってるかどうか無駄に心配になるのよ」
「そう。だからハンバーグを作るのは難しいわ」
「わー、絶対作る気ないなぁ、この二人」
あたしたちの話を聞いて諦めるように前菜を口に入れる胡桃。完全に面倒くさそうな顔をしている。
ごめんね、これがあたしたちの現実なの。
「せっかくだからハンバーグ作りのポイントだけでも教えてもらえるかしら。いつか私が作るときに役立つと思うのよ」
「あ、うん。いいよ。メモは…あとで送ろうか?」
「お願い」
「胡桃、一応グループの方に入れておいてくれる?」
「うん。あとで入れておくよ」
ニッコリ笑って頷いてくれた。
はぁ…この癒される感じがいいのよね。こう、ほっこりする。
「ええと、私の作り方だから参考程度にしておいてね?」
「ええ」
「うん」
軽く言い聞かせるように言う。
胡桃のことだから、実際に作るときはちゃんとレシピ見て作ってほしいとでも考えているんだと思う。
「まず、私はハンバーグ作るときお豆腐を入れるんだ」
「豆腐?」
「お豆腐?」
それ、豆腐ハンバーグってことよね。
「うん。お豆腐を入れるとハンバーグがすっごく柔らかくなるんだよね。焼きたてじゃなくても柔らかく食べれるようになるんだよ?当然お肉っぽさは薄れるけど、十分お肉の味はするから大丈夫。あ、でも入れすぎちゃだめだからね。柔らかくなりすぎて形が崩れちゃうから」
「ふむ」
「なるほどー…」
「あと、お豆腐入れるときはちゃんと水切りしてね。水気多いとそれだけ柔らかくなって形崩れちゃうから」
「水切りというのはどれくらい時間を置く必要があるの?」
「だいたい2時間くらいかな。私はお昼終わってからとか夕方前とか、時間空いたときにやっちゃってるよ」
「そう…。わかったわ」
「時間はいいけど、量はどうなの?お肉に対する割合とかあるんでしょ?」
ある程度の目安を教えてくれないと困る。適量とか適宜とか、そういうのすっごく困るわ。
「三つ入りの小分けしてあるお豆腐の一個でいいよ。私はいつも三人ぶんくらいまとめて作っちゃってるけど、それで一個だね」
「三人ぶんか…」
「夕食と、翌日の朝食夕食といったところかしら…」
最初は多いのかと思ったけど、知宵がふっと呟いたのを聞いてわからなくなった。
二日ぶんというと案外普通なのかも。カレーとかだって二日に分けて食べたりするし。
「そうだね。二日に分けて食べてるかな。それじゃあ次のポイント。次はパン粉のことだよ」
「パン粉?」
「パン粉って…あれよね。揚げ物作るとき使うやつ」
フライとかカツとか。そういうので使うんだと思ってたけど…。
「ふふ、それもあるね。でもハンバーグは別。二人とも、つなぎって知ってる?」
「ええ。それは知っているわ。まとめやすくするのでしょう?」
「あたしも知ってる。ハンバーグだと卵とかでしょ?」
ニコニコ笑う胡桃と、それなりに真面目な顔で話を聞くあたしと知宵。雰囲気はさながら先生と教え子といったもの。
「そうそう。材料がまとまりやすくするためのものだね。私もハンバーグ作るとき卵入れてるけど、つなぎって一つじゃないんだ。今言ったパン粉もその一つ」
「へー」
「パン粉を…そうなのね」
「うん。パン粉もつなぎとして使うんだけど…」
「「けど?」」
「パン粉って牛乳に浸してふやかせることが大事なんだよねー」
ふにゃりと表情を崩す。それを見てほんわかしながらも一つ考えさせられた。
牛乳で浸す意味が…あ、でも直接入れるとつなぎにならないとか?パン粉なんてある程度湿らせないとまとまったりしなさそうだもの。
「さて知宵ちゃん、日結花ちゃん。問題です。牛乳に浸すといいことが起きます。それはなんでしょう?」
もったいぶって質問なんてものをしてくれた。
牛乳に浸すといいことか…。よーし答えてあげようかな!
「はいはい!」
「日結花ちゃんどうぞー」
「パン粉がが牛乳で湿ってつなぎになる」
「うーん…間違いでもないけど、別に湿らせなくてもつなぎにはなるからね。それに今の問題の答えじゃないからばつです」
そう言って"ごめんね"と小さく手を合わせて謝る。
別に謝ってもらわなくてもいいのに…。ともあれ今のが間違いとなると、ちょっとわかんないかも。
「はい」
「知宵ちゃんどうぞー」
「…美味しくなる」
「ええぇ…それも間違いじゃないんだけど、ほら…普通にばつ」
「…そうよね。わかっていたわ。それで答えは?」
あたしも無言で胡桃に先を促す。知宵の回答についてはノーコメント。ただちらっと見た知宵のほっぺた赤くなってたのが可愛かったのはある。それだけ。
「ええっと、パン粉を牛乳に浸しておくとハンバーグが柔らかくなるんだよね。お豆腐と同じようなものかな。牛乳を入れることで仕上がりがふわっとするの。だから、私、パン粉は牛乳に浸した方が好きなんだ」
「そういうことかぁ…」
「豆腐と同じで柔らかくすることだったのね…」
牛乳で柔らかくなるっていうのはなんとなく想像つく。納得。
「でも、これも牛乳入れすぎちゃだめ。お豆腐も入れてるし、全部浸らないくらいで十分だから気をつけてね?」
「ええ」
「おっけー」
ぴっと人差し指を立てる胡桃に一言返した。
今のところ胡桃流ハンバーグ作りに大切なのは柔らかさを保つことで、そのためにお豆腐やら牛乳やらを入れる感じ。
「あとは…たまねぎはいいよね。卵も別にいいし…塩もいいかな…」
ぶつぶつと呟いて何かしらを考えている様子。
「うーん…あとは最後かな。ハンバーグ焼くときって両面焼いてお水入れて蒸すでしょ?」
「…そう、なの?」
知宵があたしに視線を送ってくる。
この子…あたしが知っているとでも思っているのかしら。
そんな言葉を視線に乗せて送り返すと。
「…そうね。あなたが知っているわけないわね。ごめんなさい」
「く…こんなときだけ通じるのすっごいむかつく。事実だからなんか余計にむかつく」
知宵の同類を見る眼差しがまたイラッと…言い返せないぶんもやもやするわ。
「はいはーい、続き話すからね」
「ええ、お願いするわ」
「…どうぞー」
テンションを微妙に下げつつ返事をした。
「じゃあ話すけど、最後は焼き上がりのサインのことだよ。二人とも、ハンバーグが焼き上がったときってどうやったらわかると思う?」
「そんなの…見た目?」
「…焼く時間が決まっているのではないの?」
入れた水が蒸発するとか…あ、蓋してるから蒸発しないか…。
「二人ともばつね。知宵ちゃんのはなくもないかもしれないけど、時間だとハンバーグの厚さによって違い出てきちゃうよね?」
「あぁ。それもそうね」
「日結花ちゃんのはお料理仕事にしてる人くらいじゃないとできないので当然ばつ」
「ん、わかった」
律儀にもそれぞれのミスポイントを伝えてくれる。本当に先生っぽくて普通に頷いてしまった。
「正解は、ハンバーグから出てくる液の色でしたー」
「「ふーん…」」
「…ええと、二人してそんな反応されると困るんだけど」
困った顔な胡桃を見て知宵と視線を交わす。
たぶん同じ意見だからそっちが伝えてね、みたいなニュアンス。
「胡桃、液というのは何色なのかしら?」
わーすこーし違うなぁ。あたしはどうやったら液が出てくるのか聞きたかったのよ。さっき上手くいったから今回もいけると思ったわ。無理よね、知ってた。
「え、うん。半透明だね。押すと出てくるんだけど、赤色だとまだ中に火が通ってなくて半透明だと大丈夫なの」
「そう。わかったわ。ありがとう」
あたしが聞きたかったことまで答えてくれた。
あたしからもお礼を言っておくわ、ありがと胡桃。
「うーん…うん。だいたいこんなところかな。大事なことは今ので終わり」
「色々ありがと。いつか作ったらそのときは伝えるわね」
「私も。わざわざ音声まで録ってくれたのでしょう?ありがとう」
「も、もう。お礼なんていいよ。えへへ」
照れ照れする胡桃が可愛い。
今携帯で録っていた話はあとでネミリにあげてくれるとして、とりあえずは帰ったらママに話してみよう。
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