雨の日に重たい話をしたかっただけのこと。

冬。冬の雨は、どうしても冷たい。ただの気温差だと言われればそれまでだけど、それだけじゃないとも思う。僕にとって、心に静かで穏やかな、考える時間をくれるものだから。

新暦30年、12月。もうすぐ、僕が彼女と恋人になって1年が経つ。好きを、恋を、愛を知ることができた1年だった。彼女にとってはどうだっただろう。

わからない。わからないけれど…少しでいいから幸せに彩られた思い出だと、そう言ってくれたらいいなと思う。


「……」


僕は彼女が好きだ。人として、友として、恩人として、そして…恋人としても。

この想いに気づかせてくれてありがとう。大切な想い。彼女にだけ向けられる他の何物にも変えられない大きな想い。

これから先どんなことがあっても、僕は彼女のことを忘れない。一番は彼女だけのものだ。


「…」


ぽたり、ぽたりと聞こえる雨音が心地いい。


「…1年」


そう、1年だ。色々あった。好きを知った、恋を知った、愛を知った。

もう一度進もうと思えた、踏み出そうと思えた、歩こうと思えた。

この1年間で、僕はたくさんのものを受け取ることができた。


「…」


降りしきる雨のように、彼女が落としたものをたくさん受け取った。どれもかけがえのない思い出。

彼女のためならどんなことでもできる。あぁ…大丈夫。だから大丈夫なんだ。


「じゃあね…僕の大事な人」


前は暗く、どこを見ても曇っていて見通しが悪い。まるでこれからの未来を暗示させるような景色だ。現実の空模様と同じで、曇り切った空と降り注ぐ冷たい雨。

一歩踏み出し、暗く黒い、一つの扉に歩みを進める。僕が逃げ出してしまった、あの世界への扉。

さよなら。ばいばい、ごめんね。


「……」


こぼれそうになる涙をこらえて足を動かし、ひとりでに開いた扉をーーー。



「…て…」



「…?」


気のせいか、声が聞こえた。いや、気のせいだろう。


「…って!…」


…また。今度はさっきよりも大きい。気のせいじゃない。誰かの声が…。


「待って!」


一段と近くなった声に身体を振り向かせる。


「…あ」


そこには…そこには、僕が好きな、僕が大好きな、愛してやまない一番の人がいた。


「…はぁ…はぁ…っはぁ…どこに、行くつもり?」


息は荒く、全身から滝のように汗が流れている。雨に濡れ、汗にまみれ、傘すらささずに走ってきた…ようだ。


「…あ、あはは…少し散歩にね…」


我ながらひどい言い訳だ。だけど、他に言葉が見つからなかった。

罪悪感と歓喜と困惑とがないまぜになっている。


「…っはぁ…はぁぁ……ふぅ…嘘はやめて。ほんとのこと言いなさい」

「っ」


強い眼差しで断言された。いつものように髪も結ばずお化粧もしていないのに、それがどこか新鮮で可愛く見える。

こんな状況でこんなことを思うなんて、やはり僕は彼女のことが心の底から好きならしい。

…ならばこそ、だね。


「…手紙は、読んでくれたのかな?」

「ええ。だからここにいるんでしょ。それで?あれはなに?」


これからのことを伝えるために書いた手紙。僕の出身のこと、これから僕が何をするのか、ううん。しなくちゃいけないのか。

全部手紙に書いておいた。それで納得してくれるとは思わなかったけれど…まさかここまで間に合うなんて。


「…あの通りだよ。僕は僕のいた場所に戻るんだ。やらなきゃいけないこ」

「うるさいっ!!!」


ーーーばんっ!!


「…っ…なん、で…」


僕の横を通り過ぎて黒の扉にぶつから白の球体。弾けて光を散らす"それ"は、どこからどう見ても魔法のそれで…この世界にあるはずがない代物だった。


「…あたし、あなたに隠していたことがあるのよ」

「それ、は…」

「『転装』」


一言呟いた彼女の身体から眩い光が放たれて、僕の目に映る姿が変わる。

橙色を基調としたドレスで、細かくレースやフリルがあしらわれている。胸元には宝石のブローチがあり、髪型はいつものサイドテール。髪留めも宝石になっていて、きらきらと輝いている。右手には背丈ほどの長い杖を持っている。杖の先端にはブローチや髪留めと同じらしき大きな宝石。

くるりと杖を回して地面に突き立てた。


「…魔法使い、だったんだ…」

「ええ。これでも"トウのインペリアルウィッチ"と呼ばれているのよ?知ってる?」

「…いや、知らないよ」

「そ、そう…」


自慢げなのが一転、頬を染めて恥ずかしそうな表情を見せる。


「ま、まあいいわ。それより、あなたが国に帰るってどういうことかしら?」

「…そうだね。君が少しでも"こちら側"にかかわっているなら話さないとだめかもしれないね」

「……」


無言で先を促す。早く話せということだろう。

あぁ…話そう。これまでのことをすべて。



「…僕は、これでも一つの国の貴族だったんだ。悪い貴族がいないわけじゃなかったけど、表面上は誰もが"貴族の義務"を全うしていたくらいには平和だったよ」

「貴族の義務?」

「うん。民を統治する貴族には義務と権利が与えられるんだ。僕の国では、"民を守ること"が義務で"土地を自由にすること"が権利だったよ」

「ふーん…」


「貴族の中でも、僕の家は中堅どころでね。上にも下にもそれなりに顔が効く…まあ良いポジションだったよ。色々大変ではあったけど、父と母に連れられて交流会に参加するのは楽しかったかな。特に、上の貴族はみんな頭も良い人ばかりでね。性格はともかく、みんな自分の土地に自信を持っている人だったからさ。それぞれの土地の話を聞くのは面白かったよ」

「そう…」

「国の話は割愛するけど、僕が今ここに来ることになった理由だよね」

「…ええ」


「簡単に言うと、僕の住んでいた土地に魔物が押し寄せてきたんだ。日結花ちゃんも魔法使いなら魔物のことも知っているよね?」

「…ええ。そっちの魔物と同じかはわからないけど、魔力の影響を受けて突然変異した生き物でしょ?」

「そう。こっちの魔物も向こうと同じみたいだね。…その魔物が、襲ってきたんだよ。魔物は見境なく生き物を襲うけど、生き物が集団で集まっているところほどよく襲われるからね。僕の土地も襲われて、みんなで戦ったんだ。倒して倒して倒して倒して…倒し続けてもどこからか現れて、あんなことは初めてだった」

「……」

「みんな戦い疲れて、まだ余裕はあったけどこのままじゃだめだと思ってさ。他の土地も襲われていて、どこも大変だったんだ。だから、原因を探ろうと力のある人たちが集められたんだよ。僕の国のいろんな貴族の土地、そこにいる力のある人たちがみんな集まって、魔物達がやってくる方に行ってみようかって話したんだ」

「…うん」


「もうわかってると思うけど、僕も行くことになったんだよ。これでも"即応魔法使い"の一人だったからね」

「"即応魔法使い"?」

「うん。魔法の行使速度が早くて、一定数以上の魔法と一定量以上の魔力を持った魔法使いのことだよ」

「なるほど…」

「それで、魔物が現れる方に進んで行ったんだ。人の数が多すぎても魔物を引き寄せちゃうだけだから、5人ずつくらいに分かれて進んで行ったんだよ。僕の仲間はみんな僕より年上でね…僕より全然強い魔法使いの人もいたし、本当に頼もしい人たちだったんだ…」

「……」

「僕たちは順調に進んでいたけれど…敵が、魔物が現れた」


「そいつは途轍もなく強くて、人の形を大きく険しく力強くした姿をしていて…人と同じ言葉を話したんだよ。精霊でもないのに、ただの魔物だというのに…」

「…負けたの?」

「…ううん。なんとか勝ったよ。剣士のおじさんが"秘極剣 十刻線(じゅっこくせん)"っていう…一斬りで十回ぶんになるらしいけど、とにかくすごい技で倒せたんだ」

「…それで?」

「…倒せたのはいいんだけど、その先にもっと強いのがいてね。簡単に言うと僕以外死にました。たぶん」

「さ、さらっと重たいこと言うわね…でもたぶん?」

「…僕は魔法使いのおばさんに時空間魔法で飛ばされたからわからないんだ。最後にどうなったのかはわからない。でもあの魔物…今に思えばきっと魔王って呼ぶんだと思うよ。あの魔物のことはさ」



「そんなわけで、元の世界に戻って魔王を倒さないといけないんだ。みんなの仇を取るためにね。…大丈夫、力ならつけたよ。魔法使いとしてもおばさんに負けないくらい戦えるようになった。時空間魔法はランダムで扉を作るくらいしかできなかったけど、戦闘に関してはもう負けることはないくらい…それくらい強くなったから」

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