『逆さま勇者の為の武闘』三
後頭部に広がる優しい感触。
額を撫でられているような安心する感覚。
私はゆっくりと、瞼を持ち上げました。
「お母さん……?」
「うふふっ! そう呼ばれる日がとても待ち遠しいわっ!」
「リア……」
恥ずかしい間違いをしてしまいました。
しかし何故だか、心はとても穏やかです。
私は体を起こして、傍に置いてあった紅剣を拾って立ち上がりました。
ナターリアが着せてくれたのか、きちんと服を着ています。
魔法のローブではなく、一般的な布の服ですが。
私の肩にちょこんと腰を下ろした妖精さん。
「勇者……リアの父親は?」
「あそこ。一言だけ言って灰になって消えちゃった」
ナターリアの見た先を見てみれば、そこにはボロボロに錆びた装備一式。
折れた錆付いている勇者の剣。
そのすぐ傍には、一つの手帳が落ちていました。
「お別れは言えましたか?」
「うん」
「それは良かった」
私は勇者ユリウスの落し物の近付いて、手帳を拾いました。
表紙の茶色い、普通の手帳。
表面にも裏にも何も書いてありません。
「気にはなりますが、リアが先に読むべきですよね」
「私は気にしないのだけれど、勇者様がそう言うのなら先に読むわ」
手帳を受け取ったナターリアは、一ページずつ捲っていきました。
一ページの文字量は多くないのか、ページをめくる速度は少し速めです。
「もし私が見ない方がいい内容なら、リアが収めておいてください」
「えっと……」
「……ん?」
「読めないわ」
「えっ?」
ナターリアはこの世界の文字は読めた筈。
もしかして、別の国の特別な文字で書かれているのでしょうか?
「見た事の無い文字ね。なんだか変わってるわ」
「私も見て大丈夫ですか?」
「勿論っ!」
私はその手帳を受け取って、一ページ目を開きました。
そこに書かれていたのは……。
私に読める文字で――〝異世界日記〟。
「日本語……!?」
「にほんご?」
「私の世界の文字です。もしかした、リアの家系は異世界人の家系だったり?」
少し考えるような仕草をしたナターリア。
日本人のタクミと同種である、【覚醒】を使った勇者ユリウス。
先祖が異世界人だったとしても驚きません。
「あまり深いところまでは判らないなのだけれど……」
「わかるところまでで良いので、教えてください」
「う、うん。四代前までは間違いなくこの世界の産まれだったと思う」
四代前。
少なくとも、そこまではこの世界の産まれだということ。
それ以上前の誰かが日本人だったとして。
その人物の文字が、ナターリアの父にまで伝わるものなのでしょうか?
この世界では限りなく不要に近い、異世界の文字が??
とてもではありませんが、覚えるだけ無駄でしょう。
しかも、こんな手帳にわざわざ。
「……読み進めてみます」
「うん」
――――――○○の手記――――――――
私が理性を保っていられる今のうちに記録を残そうと思う。
あの研究員とあの施設。
召喚された怒りに任せて壊したのは、間違いなく失敗だった。
地上を我が物顔で闊歩していた生物を駆逐したのは、間違っていたとは思えない。
だが私は……。
最初の最初で致命的な。
本当に致命的な、最悪の失敗を犯していた。
あの施設の他にも似た様な施設は幾つもあった。
私はその全ての施設の生物を支配して、ようやく知った。
最初の施設が最も優れていて、最も先進的な技術を持っていたという事を。
この世界を知った。
そして絶望した。
私を元の異世界に送り返す手段が、もう存在していなかったのだ。
このままでは、もう皆に会えない。
私は寂しかった。
だから数え切れない程の生物を生み出した。
顔は醜いが数だけは揃えられる奴ら。
ここに存在していた生物に近い見た目を持つ奴ら。
とにかく。
私は数え切れない程の生物を生み出した。
が、寂しさは微塵も減ってはくれなかった。
……逢いたい。
それから空しい。
当然だ。
私が生み出した存在は全て。
私が消えれば、それと同時に消える程度の存在なのだから。
私は境界を作った。
その外側で、ここの文明が発展するのを待つしか手はないだろう。
――――――――――――――。
「コレは、勇者ユリウスの手記なんかじゃありません」
「……? 他の誰かからお父様が受け取ったものなのかしら?」
「多分この魔王城のどこかで、拾ったのではないでしょうか」
「ええっと、ココで拾った物ってコトは……」
「はい。この手記は恐らく――魔王の物です」
「ねぇ勇者様。召喚された施設って、もしかして」
「間違いありません」
フラッシュバックする、あの光景。
破壊されていて住民の殺されていた、あの場所。
「魔王……いえ、別の異世界に居たこの者をこの世界に召喚したのは、遥か昔の施設。地下シェルター、施設名――ノア」
初期に記されている、どうやっても見過ごせない一文。
〝私が生み出した存在は全て、私が消えれば同時に消える程度の存在なのだから〟。
もしこの世界の純魔族、魔族、魔物が、この異世界人が生み出した存在だとしたら。
それが――魔王が死ねは消える存在??
真っ先に脳裏によぎったのは、ポロロッカさんの顔。
その次に今まで出会ってきた、話せる魔の者たち。
魔族の町で話した領主であるレーヴェさん。
魔王が死ぬと彼女も消える……?
レバンノンさんが言おうとして、言えなかった言葉。
恐らくは、コレがそれです。
レーヴェさんがそれを知っていたのかは不明。
しかし、レバンノンさん。
彼は間違いなく知っていました。
知っていて、人族軍を送り出したのです。
――どうして??
今回の最終決戦。
大勢の魔王軍が集結するのも当然です。
なんせ魔王が死ねば、魔の者全体が消滅するのですから。
「何か、何か避ける為の手は……!」
私は夢中で手記を読み進めました。
そこには人に近い形をした純魔族を作り出した事。
魔物を作り出した事。
そしてなかなか発展しない人族たちの事。
この手記の主である異世界人は。
地下に居た人類と地上に居たニンゲンを、別の存在だと認識していません。
管理しきれなくなった魔物の氾濫。
その大部分が世界中に散って、人類と交戦を始めた事が書いてあります。
手記には戦争による技術の発展を期待して、と書いてありました。
…………。
読み進める事しばらく。
文字の毛色が変わってきました。
――――――――魔王の手記――――――――――――。
アア、あレから何ねンが経っタノカ。
五千まデは覚えテル。
イヤ? イチマんダったカ?
コノ、上ノ文字はだるえガガ、書イタ?
ニンげン。
コぃツラは、オモツッタヨうニ発展シナかっタ。
もゥ、限界だァ。
さイきんは、物わすレがはゲしィ。
故郷ノこトも、殆どオもぃだせナぃ。
今オぼてるゥのは、妻の、鼻ゥただケ。
……逢イたィ。
あレ? ぅたノ終わリが思ィだせナいぞ?
クソッ!! くソっ!! くそォ!!
そヴだ。
わすれなィよニ、ズット歌ツてよウ。
かエリたい。
帰リツたィ。
帰りタかッツたタた。
――――――――――――――――――。
「ここで終わりですね。これ以上は書けなくなったのだと思います」
レバンノンさんの口ぶりから考えるに、彼は相当な古参魔族。
手記の正気を失いつつある魔王についても知っていました。
彼はあの時、もしかして……。
生みの親である魔王を、解放しようと考えたのでしょうか。
「なんだかとても悲しいわ……」
「……ええ」
「そこに書いてある鼻歌ね、もう聞こえてないの……」
そう言えば確か。
身体能力の高い組はこの魔王城に入ってきた時に言っていました。
歌のようなものが聞こえている、と。
しかし、それが今は止んでいる。
ライゼリック組の四人が魔王を倒したのでしょうか。
もしそうであれば、外も決着がついている頃です。
魔の者の――消滅という形で。
「……アロエさんなんかは、どちら側なのでしょうか」
「たぶん私達側。直感なのだけれど、間違っていないと思うわ」
忌み子と呼ばれる人種。
その一人であるアロエさんは、新人類の一つの形。
という事はつまり、消滅は無し。
それなら廃教会に居るコレットちゃんも無事なのでしょう。
「あっ! 孤児院に居た獣人の子たちは……!」
「……ごめんなさい」
「そう、ですか。……いえ、リアが謝ることではありません」
――トゥルー君とタック君。
彼等は獣人でした。
トゥルー君は狼型で、タック君は熊型。
その他にも小さな獣人の子たちも……。
それが、みんな………………。
「そんな事って……」
「勇者様……」
「いえ、なんにせよ魔王の元に向かいましょう」
「わかったわ」
「可能性は低いですが、あの四人が魔王を拘束だけしている可能性もあります」
本当に低いですが……。
普通であれは殺しています。
世界の脅威。
魔の王ある魔王。
余程の事がない限りは、殺されているのが普通です。
ですが外を見ていきなり現実を突きつけられるよりかは……。
まだ、心の準備ができるでしょう。
「ねえ勇者様」
ライゼリック組が通って行った登り階段を進み始めた、その直後。
ナターリアが唐突に立ち止りました。
「この先に感じてた生き物の気配が、全部消えたわ」
「全部……?」
「ごめんなさい」
「……謝らないで下さい。続きをお願いします」
全部。
全部というのは……全部なのでしょうか。
「ちゃんと聞くので、抱きしめさせてください」
「うん……」
薄暗い石の階段の入り口。
私はナターリアを、ギュッと抱きしめました。
確かな温もり。
ナターリアが私を、強く抱き締め返してくれました。
首筋に感じる息遣い。
ナターリアは今、間違いなく此処に居ます。
「大きいのが消えた直後に、四つの大きな気配も消えちゃった」
「一緒に確認に、いってくれますか?」
「勇者様と一緒に行けるのなら、どこにだっていくわ」
「では行きま――――」
――――ブツッ、と途切れた意識。
白に染まった世界。
消えた温もり。
上も下も、右も左も、何もない白。
一体なにが――。
『ようやく干渉に成功したぞ、愛し子よ』
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