『ギャラルホルンは鳴らされた』二
三日後の昼頃。
本体が出発を始めたのは早朝でしたが、私の部隊が出発したのは昼近く。
人数が多いので出発するだけでもかなりの時間がかかっています。
私の部隊が位置しているのは最後尾に近くで、前を見れば長蛇の列。
左右に立ち並んでいる黒っぽい木々の葉の色は紫色をしていました。
地面の土の色も毒々しい紫色。
視界の状況は最悪に限りなく近い状態です。
道だって馬車が通れない程の幅しかありません。
故にあの便利馬車も使えず、全員がバックパックを背負って歩いています。
共用の大荷物を背負っている馬はアロエさんが引いてくれていました
一応獣道は存在しているのですが、無理をしても三人並んで歩くのが限界でしょう。
今の所襲撃はありませんが、警戒が必要なのは間違いありません。
まぁ、それに関してはシルヴィアさんが居るので、あまり問題はない筈です。
つまり今問題になっているのは――。
「ねぇ勇者様、本当に大丈夫?」
「ぜ、全然平気です……!」
「そうは見えないのだけれど……」
歩き始めてから約二時間。
道がかなりの悪路であるせいか、かなり足にキています。
痛みを感じないので無理をしていたのか、疲労感が尋常ではありません。
まさか、あの縄跳び等の遊びで筋肉痛に……?
「わたしが抱っこしてあげてもいいのだけれど……」
「ポーション飲むか?」
「……究極の選択ですね」
アロエさんがバックパックから取り出したポーションを遠慮し、考えます。
補給のポーションは低級な物が一人に一個。
低級とはいえ多少の傷は治ります。
それを……疲労回復の為に使う?
いえ、それはありえません。
ここで使った一個が足りなくて死人が出たらと思うと、ゾッとします。
「荷物はアタイが持ってやる」
「あっ……」
有無を言わさずアルダさんに剥ぎ取られたバックパック。
品肉質で綺麗に腹筋が割れているアルダさんに、大きな荷物が二つ。
私よりも男らしいです。
「有難うございます、アルダさん」
「気にするなって!」
軽々と持ってはいますが、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
そうして二時間も歩き続けているのに休憩は無し。
この世界の住民は皆、私とは体の作りが違います。
一般人ならまだしも、ここに居るのは戦える者だけ。
この程度なら休憩は要らないという事でしょうか。
後ろを歩いてくる女性部隊員の表情を見てもそれは明らかです。
――いえ、この元賞品剣闘士だった部隊員達はかなりの精鋭なのでした。
「ねぇ勇者様。馬の背負ってる荷物をわたしが持つから、勇者様は馬に乗って?」
「で、ですが……」
視界が悪いとはいえ、少し前を歩いている別の部隊の者には見られます。
というか、先程からチラチラと見られていました。
「ま、まぁ、いざとなったらシルヴィアさんにハグして――」
「危ないっ!」
足がもつれてバランスを崩して倒れそうになったのを、ナターリアが支えてくれました。
危うく地面に熱烈なキスをしてしまうところ。
もしかして私の足は、そろそろ本当に限界なのでしょうか?
いえ……悪路とは言え、まだたったの二時間程度。
レジャー施設のアトラクションを周っていると考えればそのくらい。
ただ足がもつれただけなのだとは思いますが……。
妖精さんの御かげで痛みがないので、その辺りが本気で判りません。
「倒れちゃうくらいなんだから仕方が無いよね。うんうん、仕方が無いわっ!」
「えっまっ!? っ!!?」
視界がグルリと動いたかと思えば、その後にやってたのは僅かな浮遊感。
正面に見えまするは曇天の空です。
それと同時に見えているのは、満天のナターリアの笑み。
私は結局、お姫様抱っこされてしまいました。
――恥ずかしいみ。
「うわっ、なんだアイツ……」
「逆だろ普通」
「恥ずかしいとかいう感情を親の睾丸にでも忘れてきたんだろうな」
「うらやま……」
「ばーぶー」
後ろの様子に気が付いた前を行く部隊の何人かが発した大きな呟き声。
後者になるにつれて危険度が上がっています。
別に恥ずかしさが無いワケではありません……。
本当に。
顔からナタデココが溢れ出してくるくらい、恥ずかしいと思っています。
――響く、妖精さんの笑い声。
◆
結局一度の休憩を挟んで、その日の夜。
伝令からの命令で各部隊で不寝番を立てるようにとの事。
現在起きているのはナターリア、私、妖精さん、他数名。
山火事にならないようにする為に、焚火の火は石で囲われていました。
妖精さんも焚火の前にペタンと座って焚火を見つめています。
「明日も移動で、明後日には魔王城に到着ですか……」
「怖い?」
「ええ。私は戦争を見るのも経験するのも初めてなので、全てが怖いです」
「うふふっ、勇者様は何時だって正直なのねっ!」
「嘘をついても何故か通じないので」
本当に、どうして何もかも見抜かれてしまうのでしょうか。
焚火の炎に照らされているナターリアの笑み。
見ているだけで少し落ち着きます。
「勇者様、今して欲しい事ってなぁい?」
静かに発せられたナターリアの声。
なんというか、いつもとは雰囲気が違います。
「どうしたのですか、また改まって。私は今のままで十分満足していますよ」
自分には分相応な程に綺麗な女の子から、これ程までに好かれている。
むしろこれ以上を望んだら、それこそバチが当たってしまいます。
「だって次の戦いで、どうなっちゃうかわからないし」
「そんな――」
「わたしに何かがあって、お礼を出来ないまま死んじゃうのは嫌だわ」
私の言葉を遮るようにそう言ったナターリア。
そんな事にはさせません。
……そう言いきれたら、どれだけ気分が楽になる事でしょうか。
ナターリアと出会った護衛依頼。
アークレリック防衛戦。
地下奴隷都市でのアントビィとの戦い。
死なせたくない者を、全員守る事が出来ていたでしょうか?
――……『オッサン。貴方はやはり、狂ってる』
歴史に名を残してきた偉人同様、死者の言葉はよく突き刺さります。
私は多分、生物としての何もかもが狂っているのでしょう。
「勇者様……」
「っ!?」
私は何か優しいものに包まれる感覚によって、ハッとなりました。
前に伸びてきて胸の前でクロスされている、誰かの小さな手。
頬に触れる柔らかい感触。
背中に広がる優しい気持ち。
ナターリアの体温が、じんわりと背中から広がってきました。
私は今、ナターリアに後ろから抱きしめられています。
「エッチな気持ちになった?」
「エッチな気持ちになるよりも、安心を感じています」
「むぅ……それって、とてもヘンだと思うのだけれどっ」
「試してみますか?」
「えっ……? ……う、うん!」
言いよどみながらも手を緩めてくれたナターリア。
私はナターリアの真正面に向き直り、頭を抱えるように抱きしめます。
可能な限り、邪な感情を抱かないように……。
「で、どうですか?」
「すっごく安心するわ……」
「それは良かった」
「ねぇ……すぅー、はぁー……」
「なんですか?」
「もう少しだけ、わたしを安心させていてほしいわ……すぅー、はぁー……」
「深呼吸するのを止めてくれれば、何時まででも」
もしかして、強く抱きしめすぎたのでしょうか?
抱きしめる手を少しだけ緩めてみます。
「うっ……ふ、普通にするから、ギュッてしていてほしいわっ……!」
「喜んで」
そんな会話を楽しみながらの夜のひと時。
ナターリアの方からも腕が伸びてきて、私の体を抱きしめました。
新たに知る事ができた事実として。
抱きしめている側も――すごく落ち着きます。
「星も見えないこんな夜ですが……いい夜ですね」
森の中から聞こえてくる何かの虫の鳴き声。
木々のざわめき。
一人であれば恐怖に変換されるであろうそれら。
が、それも今は、心地よいミュージックであるように思えます。
「うふふっ! わたしは勇者様に助けられて以降、ずっといい夜を送っているわ!!」
私は何時だって、過去の選択を悔いています。
こうしていればもっと良くなったのではないか。
こうしていれば、こんな結果にならなかったのではないか……と。
それでも……ナターリアの言葉を聞く度に、こう思えます。
あの時ナターリアを選んで助けたのは、間違っていませんでした。
「……本当に今日は、いい夜です」
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