『再出撃』四
休憩を始めてからしばらく。
ナターリアの顔色も良くなってきました。
「少しは回復してきたみたいですね」
「ん、もう何時でも出発できるわっ!」
ナターリアの顔色は確かに良くなってきています。
しかし、完全に回復していないのもまた事実。
――魔力。
私には理解する事の出来ない力です。
今のナターリアの状態がどのくらいのものなのか、正確に知る術がありません。
「様子を見るにあの魔道具、思っていたよりも魔力を使うらしいな」
「みたいですね」
「こう見えて私は魔力量が多いんだ。魔力供給の役を代わってもいいぞ?」
アロエさんの魔力量。
彼女は闘技場での戦いで、魔術とスキルの両方を使っていました。
魔術なのか何なのかは判りませんが、大量の魔力の刀を生成できる量があるのは事実。
普通に考えれば、お願いするのが普通でしょう。
しかし今は――。
「リア、いいですか?」
「う、うぅぅぅぅ……」
すごく嫌そうなナターリア。
移動速度は遅くなりますが、本気で嫌だと言うのであれば休憩回数を増やします。
「わたしを想ってそう言うのは、ズルいと思うのだけれど……!」
「ええ、私は何時だってズルばかりしています」
ランタンの明かりに照らされる洞窟内。
私は干し肉の一つを手に取り、口に運びました。
ナターリアはというと……。
言葉に込めた意味を正確に読み取ってしまったのでしょう。
俯き気味に一言だけ、「わかったわ……」と言ってくれました。
「よし、それじゃあ出発だ! オッサンのパートナーは荷台でいいな?」
「ゅ、勇者様の、ぱ、パートナー!!」
アロエさんの言葉に声を上擦らせたナターリア。
もしかして便座カバーヘッドのパートナーは嫌なのでしょうか?
――否。
あのナターリアに限って、そんな事を考えるとは思えません。
上擦ったように聞こえたのは恐らく幻聴でしょう。
私は御者台に乗り込んで出発の準備をします。
アロエさんが身軽な様子で御者台に飛び乗ってきました。
それに合わせてナターリアは、不満顔で荷台の上へ。
「全体――進めッ!」
何となく聞き覚えのある号令で出発した新おっさん部隊。
こういうのは、どの世界でも似たようなものになるものなのでしょうか?
◆
休憩地点を出発してからしばらく。
リオンさんとアルダさん先導の元、暗い洞窟の中を進みます。
前を歩いているリオンさん達のランタンが、しっかりと道を照らしていました。
私の隣ではアロエさんだってランタンを持っています。
これで事故を起こしてしまっては、免許剥奪ものでしょう。
まぁ――絶賛無免許運転中ですが。
何にせよ、ランタンの灯りを持っている二人を見失う事はありません。
「ふぅ……」
それにしても道中が平和すぎて、少しだけ眠くなってきてしまいました。
無免許運転に居眠り運転。
しかも私は、馬の操舵はまだビギナーランクなのです。
本来であれば誰かに代わってもらうべきなのでしょう。
しかしそれでは、私の仕事が何もなくなってしまいます。
「眠いのか?」
「まぁ、少しだけ……」
様子を変に思われたのか、アロエさんがそう問いかけてきました。
ナターリアも何故か荷台から身を乗り出し、私の顔を見ようとしています。
「リア、危ないですよ」
「はーい」
注意を受けると素直に下がってくれたナターリア。
私では……魔力供給だってできません。
なのに歩くのだって遅くって、体力だって少ないのです。
この部隊のメンバーは、私以外が全員女性。
男であれば少しでも良い所を見せたくなるのが普通です。
荷台に乗っているだけの嫌な私にだけは、なりたくありません。
ただのウンコ製造マシーンにだけは……なってはならないのです。
「仕方のないやつだ。私が特別に目の覚めるお話しをしてやろう」
「目の覚めるお話し……?」
もしかして、エッチなお話しなのでしょうか?
エッチなお話しであると、嬉しいみ。
……ナターリアが殺気を放っています。
「忌み子は、生まれる際に母親を殺してしまうという話を知っているか?」
「はい」
これは違います。
間違いなくエッチなお話しではありません。
ナターリアが殺気を収めたのが良い証拠です。
「私の母親はな、腕のいい冒険者の剣士だった」
暗い洞窟内で始まった、アロエさんの昔話。
気にはなりますが、嫌な予感がします。
「父親も冒険者で、腕のいい魔術師だった」
他の部隊員達の雑談までもが止み、アロエさんの話し声だけが洞窟内に響きます。
「父は料理が得意で、戦士だった母の為に毎日毎日、濃い味付けの肉を作り続けるんだ」
「ですが、アロエさんが生きていると言うことは……」
「そうだな。自立できるまで私を育ててくれた事には、感謝している」
「しっかりしたお父さんだったのですね」
そう。考えてみればアロエさんは、こうして生きているのです。
暗い話ではなく、父親の頑張り物語なのでしょう。
「いいや? ちゃんと狂っていたぞ」
「えっ……」
「アイツが私を育てたのはな、私を母親の〝代わり〟にする為だったんだよ」
――あぁ残念、暗い話でした。
「だが、それは失敗に終わった。……私は忌み子なんだぞ? 母親の代わりになんて、なれるワケが無かったんだ」
アロエさんはどこか遠いものを見ている様子で、話を続けました。
「私の体が安定してくるとアイツは、私に襲い掛かった。……母親を抱くようにな」
父親による暴行。
それは一体、幼いアロエさんをどれだけ傷付けたのでしょうか。
「私の名前を呼びながら私を犯そうとしたアイツは、私なんて見てなかったんだ」
私には理解出来ません。
早くに両親を亡くしてしまったとはいえ、私の両親は良い人でした。
「それでもアイツは……世間から敵視されていた忌み子を育ててくれた、唯一の親だった。……私は別に、アイツの性欲を満たす程度なら受け入れてやっても良いと思っていたんだ。……心が広いだろ?」
そう言って私の方を見たアロエさん。
――心が広い? いいえ、少しだけ違うような気がします。
子供時代のアロエさんはきっと、親に捨てられたくなかったのでしょう。
唯一自分の傍に居てくれる存在に――捨てられたくなかっただけ。
「アイツが魔力欠乏で死んだ後に知ったんだが。私の名前は、母親のものだったんだ」
目は完全に覚めました。
もう眠れと言われても眠れません。
胃の辺りがきゅうきゅうします。
「なぁオッサン」
「は、はい」
「愛を貰えなかった子供は、何かが欠けた大人になるって知っていたか?」
――ンンンンンンンンンッッッ!!
私はただ、眠気を覚ましたかっただけなのです。
しかし話す事でアロエさんがほんの少しでも楽になるのであれば……。
私で良かったら、最後までしっかりと聞いていてみせましょう!!
「実際には違ったぞ。アイツが私に愛情を注いでいなかったと知った瞬間――空っぽだ」
右手に持っていたランタンを高く掲げ、その中に灯っている火を見つめたアロエさん。
私には、彼女の欠けている部分が見えません。
「何かが欠けたどころか、私は空っぽの化け物になってしまったよ……」
しかし本人が言うという事は、見えない部分で何かが無いのでしょう。
気休めの言葉が欲しいのでは無いと、私には理解できます。
「私の空っぽになった中身は、どこにいったんだろうな……」
私は慎重に手綱を足に移動させ、手を自由にします。
……大丈夫。
この世界の御者さんは皆、前を見ていなくても事故を起こしませんでした。
ならば私だって出来る筈です。
ナターリアは不安そうに見ていますが……。
アロエさんは今、過去を視ているせいで前が見えていません。
……馬車は、なんとか安定しました。
「アロエさん」
「ん? ッ――ぬあっっ!!?」
私は空いた両手で、アロエさんを強く抱きしめます。
背中に手をまわして、ポンポンと数回叩きました。
「穴を埋める愛が欲しいのであれば、私があげましょう」
「なッ!?」
一瞬の静寂。
「……ヴぅぇっ? え゛、え゛え゛ぇぇえ゛え゛え゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛――ッッ!!?」
ナターリアがなんだかすごい声を出しています。
まるでウグイスを力いっぱい絞り上げてしまった時のような……。
文字には出来ないような、全ての言葉に濁点が付いているような絞り声です。
「仮埋めだって構いません。人肌が欲しければ、私を抱き枕にして下さい」
アロエさんの闇はきっと、シルヴィアの抱えている孤独感に近い物です。
父親が狂っていた事よりも、父親に嬲られそうになった事よりも……。
今の彼女は、孤独を恐れている。
「こんな何処にでもいるおっさんは嫌かもしれませんが、それでも――」
「だ、だめっ! ダメよ勇者様ッッ!! イヤイヤイヤイヤイいいいいぃぃッッ!!」
ナターリアが荷台から身を乗り出し、私とアロエさんを揺らしてきました。
――あ、ああ!? そ、操舵がががっっっ!!?
「その子は確かに可哀想なのだけれど、わたしも勇者様が居ないのダメなのっ!!」
「り、リア! 操舵がッ! 初心者ドライバーの無茶操舵が無茶無茶に!!」
「やだぁああああああ!! この子だけの勇者様にならないでよぉおおおおお!」
「ちょっ!? あ、あああああ!!」
私は懸命に、足で馬を操りました。
が、スピードは少し上がってしまい、リオンさんとアルダさんが駆け足になっています。
「おっ、おいっ、私はもういいから! 操舵に集中しろ!!」
「そ、そうですか。わかりました」
私は咄嗟にアロエさんから離れ、手綱を握ってスピードを落としました。
アロエさんとナターリアが、私を睨んでいます。
――いえ。
この場に居る全員に睨まれているような気がしました。
「くそっ、浮気男のクセにあったかいなっ……!」
アロエさんの、なんとなくシルヴィアさんに近い感じの、そんな台詞。
浮気男……。
私は、まだ一人身です。
結婚どころか彼女だっていません。
ですが、いけません。なんというか……。
部隊員の全員が、私の言う事を聞いてくれなくなるような気がしました。
しかし私は、こういう時に許される為の台詞を知っています。
きちんと勉強してきました。
キチンと美味しい、キッチンだよっ!
「ま、また……何かやってしまいましたか?」
――ビキィ。
実際に聞こえた訳ではないのに、どこからともなく聞こえてきた、そんな音。
アロエさんが腕を振りかぶっています。
これはグーパンの体勢。
私は馬車を操舵しているので、ライフで受けるしかありません。
「フンッ!」
眼前にまで迫った拳が、寸止めで止まりました。
シルヴィアさんだったら絶対に振り抜かれていたでしょう。
「あ、アロエさん……?」
「……操舵に集中しろ」
そっぽを向いてそう言ったアロエさん。
「えぅあぅえぅあぅぅぅぅうあうあうあうぁぅううぅっ!!」
ナターリアは荷台の上で挙動不審になっていました。
可能なら操舵が狂うので、荷台の上では暴れないでほしいところです。
この場が混沌としてまいりました。
「ったく、私はお前以上の男を探さないといけないんだ。長い旅になるな」
「私以上の男ならどこにだっていますよ」
「そう思うか?」
「ええ、私は何処にでもいる、ただのおっさんです」
普通と違う場所があるとすれば、死んでも生き返るという、貰い物の力だけ。
「そうか。お前は間違いなく、どこにでも居る私みたいな……重い女に好かれるタイプだ」
自嘲気味に笑って、ナターリアを横目で見たアロエさん。
「アロエさんもナターリアも普通の……いえ、すっごく綺麗な女性ですよ」
アロエさんは本当に美しい女性です。
シルヴィアさんに迫るレベルの、絶世の美少女。
忌み子という普通ではない生まれ方をしてこなければ……。
彼女はきっと、普通に愛を知って、凄く愛されて、愛して。
道端に落ちている石のような私に、目が向く事は無かったでしょう。
それはナターリアだって同じことです。
人攫いにさえ遭わなければ……。
カッコイイお婿さんを貰って、幸せな家庭を築いて……。
こんな薄汚い紛い物の私を好きになる事なんて、無かった筈です。
「おまえ…………ハァ……」
「認めてくれたのですか?」
「いいや、お前のバカさ加減に呆れただけだ」
アロエさんは自身の口元を指差して、呆れ顔です。
――えっ、もしかして。
「もしかして……どこからか、口にでていました……?」
「さぁ、自分で考えてみたらどうだ?」
アロエさんは私の頭頂部をジッと見て……一言。
「ふっ。この世界にはあまり居ないな!」
――悲しいみ。
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