『燻る火種』一

 黒騎士が消え去って……残っているのは、大量の負傷者のみ。

 遠巻きに見ていた冒険者たちが救護に動いて、負傷者たちが回収されていきます。

 妖精さんは小さな形体に戻り、シルヴィアさんは魔石に戻りました。

 今倒したのは本体ではないのかもしれません。

 が、この瞬間には、勝ったという事実だけが残っています。


「リア、やりましたね」

「う、うん」


 ナターリアに駆け寄って声を掛けると、生返事が帰ってきました。


「……? 何か気になる事が?」

「えーっと、うん。今の黒騎士、なんだか知っている気配がしたような……」

「知り合いなのですか?」

「うーん、わからないわ」


 よく分からないという様子で首を傾げたナターリア。

 思えばあの黒騎士は、ナターリアを切り裂く直前で停止していました。

 もしかしたら、ナターリアと関わりのある者なのかもしれません。

 そうでなければ、ナターリアは今頃……。


「あっ!」

「勇者様? どうかしたのかしら?」

「リア、今回は思いっきり無茶をしましたね」


 私は少し厳しめの表情でナターリアに詰め寄ります。


「えぅあぅぇ……」


 ――可愛い、すこすこすこすこすこすこッッ!!


「可愛い声を出しても誤魔化されません」


 ……ギリギリでした。


「かわいいだなんて、そんな……」


 内股気味にもじもじと足をすり合わせ、上目遣いで見てきたナターリア。

 ――すこすこ警報発令!!

 ――すーこー、すーこー、すーこー……。

 ではなく、今回ばかりは正気を飛ばしている暇はありません。


「もう無茶はしないでください。今リアが生きているのは、運が良かったからです」

「だ、だって……」

「私を想ってくれての行動だというのは理解しています。嬉しくもありました」


 パァっと明るい表情に変化したナターリア。

 しかし私は、「ですが」と言葉を続け――。


「それで死なれては、全く嬉しくありません。むしろ悲しさで絶望します」

「うぅ……」


 シュンとして俯いたナターリア。

 コロコロと変化する表情が愛らし過ぎて、今すぐにでも抱きしめたいところ。

 ――ですが、今は真面目に堪えなければなりません。


「リアは死んだらおしまいなんです」

「で、でもぉ……」

「リアが死んだら小さな子供みたいに泣きじゃくって、癇癪を起こしますよ?」

「一瞬だけでも勇者様の想いを独占できるのなら、それも……」

「私は嫌です。涙と鼻水もダラダラ垂らして垂らしまくって、窒息死するかもしれません」

「うっ、それはズルだわ……」

「お願いでも命令でも何だって構いません。だから私の為に、死なないで下さい」


 もしナターリアが死んでいたらと思うと、血の気が引きます。

 本当の本当に、生きていてくれてよかったと思わざるを得ません。

 黒騎士とナターリアの関係は、確かに気になります。

 もし因縁の相手であれば、倒すだけの事。

 敵に居る限りはソレができます。

 もしそうでなかった場合は……。

 ――まぁ、その時に考えましょう。


「じゃあ、生きていられたご褒美が欲しいわ! そしたら頑張れると思うのっ!」

「ご、ご褒美ですか?」

「そうよ、ご褒美! ギュッて抱きしめてくれるか、キスをしてほしいのっ!」


 表情を輝かせてそう言ったナターリア。

 緑玉色の瞳がシイタケのように輝いています。


「勿論するのは勇者様からよっ! ああ、恋人になってくれるのならそれでもいいわっ!」


 ナターリアと恋人に……?

 ナターリアは完全に尽くしてくれるタイプです。

 付き合えた相手は絶対に不幸にはなりません。

 普通ならダメな事や、ヒトとしてダメな欠点も、すべてを受け入れてくれるでしょう。

 お願いしたら何でもしてくれる、そんな恋人……?

 ――甘えたい。

 ――抱きしめたい。

 ――キスをしたい。

 ――護りたい。

 ――好きにしたい。

 ――愛し合いたい。

 そんな衝動が私の脳内で浮き上がってきて、ファンシードリルをしています。


「頑張って我慢はしているのだけれど、チャンスはあればあるだけ欲しいの」


 それは本来であれば、願ってもないような幸運です。

 ただ手を伸ばすだけで、私は幸せになれるのですから。

 もしそうなる事ができたら、その時が幸せの絶頂となることでしょう。


「いいでしょう」

「ほんと!? 恋人になってくれるのっ!!?」


 ――はい。


「いいえ、前二つの条件がです」

「むぅ……」


 衝動的に、はい、と答えてしまいそうになりましたが、なんとか堪えました。

 実は最初に答えた『いいでしょう』という言葉。

 それは恋人になるという意味の言葉でした。

 煩悩を抑えるダムに入っている大きなヒビ。

 警報が鳴り響き、決壊を抑えるべく理性という名の職員が総動員されました。

 魅力的で、無意識でいると惹かれてしまう彼女の存在。

 しかし、その逆に……。

 ナターリアの魅力が増していく程、私との釣り合いが取れなくなっています。

 言葉にできないような感覚が、全身に湧きあがってきました。

 ふわふわとしていて、ぐらぐらと揺れている。

 満たされそうなのに、虚空がその大半を占めている。

 そんな感覚。

 初めての感覚です。

 ですが、だからこそ――。


「リア」

「なぁに? って……勇者様がその顔をする時って、いっつもわたしを置いていく時ね」

「……すみません」

「いいわ。今回は捕虜の子たちを見ていてあげないといけないものね」

「はい」


 ジャックさんは信用できると思いますが、絶対ではありません。

 万が一の時に他のメンバーを抑えられるのは、ナターリアとシルヴィアさんだけ。

 しかし前回はシルヴィアさんを置いていったことで、酷い被害が出ました。

 同じ轍は……結構踏んでいますが、今回は踏みません。

 踏まないように努力します。


「では行ってきます。……ここは任せましたよ」

「はぅあっ……!!」


 ナターリアをギュッと抱きしめ、私は一人で馬に跨りました。

 捕虜たちの事は、正直に言ってしまえば言い訳です。

 本当は、ナターリアを少しでも安全な場所に置いておきたかっただけ。

 もしかしたらそれで、心配を掛けてしまうかもしれません。

 なのでこれは、ただのエゴです。


「ハァッ!」


 ポーっとしているナターリアを尻目に、私は馬を出発させました。

 私にはまだもう一ヶ所。

 どうしても援軍に向かわねばならない場所があります。

 ――七割の確率で負ける場所。


「勇者様ー! 今の勇者様、すっっっごく、煌めいているわっ!!」


 大きな声でそんな言葉を投げかけてくれたナターリア。

 ナターリアの姿が、徐々に遠ざかって行きました。

 本当はこの場所を離れたくありません。

 ですが戦争に負けてしまえば、大切なヒトを多く失うでしょう。

 廃教会にいるメンバー達に、すぐ近くに置いてきたナターリア。

 何処かで戦っているであろう、ポロロッカさんとリュリュさん。

 今日も町の治安を守っているダイアナさん。

 お世話になって、助けてくれた全員。

 戦う場所や対象は違いますが、生きている限り何かとは戦わねばなりません。


「誰かの為でなく、自分自身の為に!」

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