『価値観』二

 その場に復帰した私は、服とローブを着用しました。

 落ちていた杖を拾えば、いつもの格好を取り戻すことに成功です。

 妖精さんの方をチラチラと見ながら、ナターリアが力強く抱き付いてきました。

 油断すると胃が口から出てきてしまいそうです。


「リ、リア、もう大丈夫ですよ」

「わ、わたしもチュッチュッするからっ……!」


 そう言い終わるか否か。

 ナターリアがジャンプして首に手をまわしてきたかと思えば――。


「んっ、んっ、んっ、んーっっ!!」


 私の頬に、熱烈なチッスを何度も。

 体を動けるようにする為だったとはいえ、別のお願いにするべきでした。

 ――否。別のお願いを考えた末に出て来たのが、チッスのお願い。

 ナターリアが妖精さんに文句を言わないのは……ええ。

 彼女は感情を抑えてくれていて、仲間には強く当たりません。

 以前言っていた出会った順番を含め、様々な理由があるのでしょう。


「リア。助けに来てくれて本当に助かりました」


 ナターリアの腋に手を入れて少し持ち上げると、ナターリアは停止してくれました。

 目を丸くして驚いているナターリア。

 まるで借りてきた子猫のようです。

 地面ナターリアを下ろすと、すぐにふくれっ面になって恨めしそうに見てきました。


「落ち着きましたか?」

「大好きなヒトに持ち上げられて暴れられる人なんて、絶対にいないわ……!」

「状況が状況なので止めましたが、キスは嬉しかったですよ」

「う、うぅ……!」


 ほぼ終息しているとはいえ、いまは作戦行動の真最中。

 敵味方含め、たくさんの生き物が死にました。

 確かにスキンシップは、精神を正常に保つのには有効的なのかもしれません。

 が、少なくとも、作戦の終了まではダメです。


「さて、生存者を探しましょう」

「気づいていると思うのだけれど、ここの仲間は死んでいるわ。ほぼ即死ね」

「そう、ですか……」


 なんとなく気が付いてはいました。

 最初にナターリアが無理と言ったのは、他の生存者が居なかったから。

 だから本当に……この場に居る生存者は皆無なのでしょう。


「妖精さん、この場にいる生存者を教えて下さい」

「……ふたりだけ」


 そう言って私とナターリアを指差した妖精さん。

 妖精さんはそれだけ言うと、小さな妖精さんの姿に戻りました。


「終わった……のですかね」


 気が付けば周囲の喧騒も収まっていました。

 聞こえてくる物音は建物が燃えている音だけ。


「シルヴィアさんと合流して南東を攻略している部隊に合流しましょう」

「部隊メンバーの半分くらいは死んでいると思うのだけれど、進めるのかしら?」

「えっ? 半分もですか……?」


 通常の軍隊であれば全滅判定を出されてもおかしくはない被害です。

 生存している部隊員の状態を見ない事には何とも言えませんが――。

 最低でも私と妖精さん、シルヴィアさんくらいは増援に向かうべきでしょう。

 この作戦の重要度は判りませんが、失敗しているよりは成功していた方がいい筈です。

 前線都市リスレイの攻略が手間取った時の保険程度のものであれば問題はありません。

 ライゼリック組が正規の部隊には何組も編入されていると聞きました。

 もしかしたら前線都市は既に奪還しているという事も……。


「楽観的に考えるのは危険ですが……むぅ……」


 第一部隊には中央の補給基地を制圧後、待機しろという指示が出ているかもしれません。

 が、知っている限り、南東の部隊には待機命令は出ていませんでした。

 メインの仕事としてはこれで達成です。

 ここで引き返して本体に合流しても、文句は言われないでしょう。

 無理な者を無理に引きずり回す必要はありません。


「それならリア、リアは残存部隊を率いて撤退してください」

「勇者様は?」

「妖精さんとシルヴィアさんと共に、他の救援に向かいます」

「……! わたしもっ! ……わたしも、付いて行きたいのだけれど……」


 寂しげな表情で控えめな主張をしてくるナターリア。


「きっと、足手まといにはならないわっ」

「それは理解しています。今回も助けられましたからね」


 ナターリアには、本当に何度も助けられています。

 初めて本物のドラゴンに遭遇した時だってそう。

 ドラゴンの前足を切り飛ばしてくれて、助けてくれました。

 ナターリアが居なければ少年との戦闘も、いまだに続いていたかもしれません。

 助けられた恩の大きさは積み重なり、もう胸がいっぱいです。

 光が……ナターリアが幸せになれるのなら、なんだってしてみせましょう。


「まぁ……部隊員の状態と意見を聞いてから考えましょう」


 頼りになるのは理解しています。

 直接言ったら全く同じ言葉で返されると思うので言いませんが……。

 彼女を連れて行きたくないのは、死んでほしくないからという単純な理由です。

 私は村の入り口に向かって足を進めながら、小さく呟きました。


「リア……いえ、ナターリア」

「ん、なぁに?」

「……すいません。呼んでみただけです」

「うふふっ。もっといっっっぱいっ! 名前を呼んでくれると嬉しいわっ!」


 メチャクチャに名前を呼びたい気持ちを、なんとか抑え込みます。

 ですがそれでも、他のメンバー達と合流する、その前に……。

 私はもう一度だけ、その名前を呟いてみる事にしました。


「ナターリア……」




 ◆





 村の入り口周辺には火が放たれなかったらしく、無事な建物が多く残っていました。

 防壁の扉と櫓は破壊してあるので、そうすぐには再利用もされないでしょう。

 入り口の広場には部隊員の冒険者たちが集まっています。

 妖精さん情報で生存者は、全員この場所にいると言われました。


「……っ!」

「リア?」


 ナターリアが突然立ち止りました。

 何故か顔を顰めながら、ククリナイフに手を伸ばしかけています。

 感情でそれ無理矢理を抑え込んでいるような、そんな彼女の表情。

 ……空気が変です。

 生き残っている部隊員の数は、妖精さんの情報では八十六名。

 私とナターリアを含めても八十八名。

 かなりの数が返り討ちに遭いました。

 ですがこの空気は、それが原因ではないような気がします。


「おお隊長殿! 制圧は完了しましたぜ! 被害はでかいが、仕事は達成でさぁ」

「俺らは先に楽しませてもらったけど、二人残しておいた! 好きな方を選べよ!」


 私に気が付いた冒険者が二人が、近づいてきながらそんな事を言いました。

 見覚えのある二人組です。

 しかし彼らは一体、何を言っているのでしょうか……?


「選ばれなかった方と、俺らのお下がり。隊長が済んだらそいつをみんなでな!」

「殺すのはそれからだぜ隊長。でねぇとみんな、鬱憤が溜まっていけねぇぜ」


 グニャリ、と世界が歪んだような感覚。

 ――まさか! まさかまさかまさかまさか――ッッ!!?

 集まっている冒険者達を掻き分け、その中心へと辿り着きました。

 そこに待っていた光景は――――。


「ぇ……ぁぅ……ぇ……ぉっ、っ……」

「た、たすけてっ! え、えへっ、なんでもしますから、命だけは……!」

「はぱぁ……ままぁ……。ひゅォ……ぱぱぁ……ままぁ……」


 涙を流して地面に横たわりながら、虚ろな目で声を漏らしている少女。

 泣きながら媚びている少女。

 両親を呼び続けていたのか、声が枯れている少女。

 一人目の子はほぼ裸。

 青い肌が赤く腫れていて、暴行を受けた痕跡が至る所に……。


「――ッ」


 見覚えのある顔。見覚えのある青い肌。見覚えのある……ボロ布の残骸。

 あの時殺さずに任せてきた、青い肌の女の子。


「そんな、バカな……」


 信念が、突き通してきた自分の正義が、体が、世界が――音もなく歪んだ感覚。

 私が村の中心で同郷と戦っていた、あの時……??

 彼らは一体、何をしていたのでしょうか……?

 増援に来てくれた仲間たちが死んでいった、あの時。

 彼らは一体、何をしていたのですか……?

 今立っている地面が底なし沼のようにぬかるみ、足を飲み込んでいく感覚。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……ッ」


 何もしていないのに、胸が苦しくてたまりません。

 私は自身の胸を抑えながら、地面に膝をついてしまいました。

 全身から吹き出す、嫌な汗が溜まりません。

 心の中で強くなっていた光が、また闇に飲まれました。

 前が……前が暗くて、よく足元が見えません。


「それで隊長殿、どっちにするんです?」

「オススメはこの赤髪だな。媚びてるから全力で奉仕するだろうぜ」

「こ、この子たちは……」

「あぁ、数がすくねェのはアレだ。使えそうなのがコイツらくらいだったんだよ」

「大人だと不意を突かれて魔法をぶち込まれるかもだしなぁー」


 何一つ悪びれる様子もなく、そのように言ってのけた二人。

 ――何故、どうして誰も、彼女らを助けようとしないのでしょうか?

 この世界では、この光景が普通?

 こんな事が、許されている……?

 上が戦闘後の処理を一任して来た時点で、多少の略奪等があるのは想定していました。

 しかし実際目にしてみると……――何故??

 どうして???

 ――こんなに居るのに誰一人として、彼女らを助けようとしていないのですか?

 この世界の人間は、こんなにも薄情な人種だったのでしょうか?

 ……否。

 私はこの世界で、何度も救いの手を差し伸べられてきました。


「おい、まさか隊長殿。どっか怪我でもしたのかよ?」


 近づいてくる冒険者。

 が、私と冒険者の間に割って入ってきた、一つの赤い影。


「勇者様に近づくな、クズども――ッッ!!」


 ――リア。

 ナターリアの初めて聞いた怒鳴り声。

 両手にククリナイフを構えて、殺気を隠そうともしていません。


「んだよ副隊長、こぇぇな……」

「隊長殿に別の女を宛がおうとしたから、キレたんじゃねぇか?」

「ぉぉ、そういう事か。ほんじゃあ隊長はナシ。俺達だけで楽しむぜ」

「副隊長殿は隊長殿と離れててくれよ」


 ――価値観の違い。

 ルールの違い。

 彼らはコレを、悪い事だとは思っていません。

 彼女らは敵で、襲っても許される相手……?

 コレがこの世界での戦争。

 魔王軍と以外の戦争を知りませんが……今回は許されている。

 間違った事を考えているのは私で、彼らの方が正しい……?


 …………。


 彼らは、この戦争が初めてではないのでしょう。

 場の空気を知っている者達です。

 だからこそ誰も止めず、皆がそれを当たり前だと思っている。

 彼らは……根っからの悪人ではありません。

 それだけは、私とナターリアに対する態度でも明らか。

 しかしナターリアは、逆の立場を知っています。

 弱者の側で、散々強者に好き勝手にされた苦痛を……。

 私がコチラ側に居るから、というのもあるかもしれません。

 二人組の冒険者に女の子を任せた時に呟いていた、ナターリアのあの言葉。

 あの言葉の意味は、この状況の事だったのでしょう。

 ……〝勇者様だけは〟と言っていたのは、コチラ側に立っていてほしいという意味。


 ――もし間違っているのが、コチラ側なのだとしたら――。


 杖を支えにしながら、私はゆっくりと立ち上がりました。

 小さいのに……頼もしくて頼れる、ナターリアの背中。

 ――この考え方が……間違っているのなら……。

 正しい選択なんて――クソ食らえです。

 私はローブを脱いで、青い肌の女の子に掛けてあげながら口を開きました。


「私の部隊では彼女らを……捕虜とします」

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