『東へ』三

「――はっ!?」

「勇者様、やっとおきた。そんなに楽しい夢を見ていたのかしらっ?」


 頭を動かして周囲を確認してみると、場所は変わらず荷台の上。

 私が寝転がっている傍らには、赤いフード付きローブ姿のナターリア。


「いえ……良く覚えてはいませんが、リアは出てきていた気がします」

「うふふ、本当?」

「ええ、多分いい夢でした」

「夢の中でも勇者様に逢えるだなんて、すっっっごく嬉しいわっ!」


 ニコニコと愛らしい笑みを浮かべているナターリア。


「リア……私が寝ている間に私に何か、イタズラをしませんでしたか……?」

「うふふっ。な・い・しょ!」


 子供っぽい表情で人差し指を唇に当てて、そのように言ったナターリア。

 あざと可愛いです。


「ここは?」


 周囲を見渡してみると、そこは森の中。

 全員が静止した状態で待機していました。

 道を見るに、これ以上荷馬車を前に進めるのは無理でしょう。

 行くのなら馬単体です。


「目的の場所に到着したわ。時刻は早朝。今は偵察を出しているところね」

「なるほど……」


 今現在居る場所は恐らく、前線都市〝リスレイ〟よりも前の場所。

 魔王軍補給基地の近くにある森なのでしょう。

 今いるメンバーは百五十人前後。

 という事は、第二陣南側部隊の本体は別の位置。

 襲撃の合図に備えて、どこかに待機している筈です。


「まぁ、できる事をやらないというのも、なんですからね……」


 私は立ち上がり、馬車の荷台からゆっくりと降りました。

 妖精さんとシルヴィアさんの力を借りれば、隠れた拠点も見つけ出せるでしょう。


「わたしも付いて行って、いい……?」

「いえ、何かあった時の為に部隊をお願いします」

「……わかった」


 不承不承という表情ですが、何とか理解してくれました。

 他のメンバー個々の実力は、いまいち把握し切れていません。

 つまり今現在の最も頼りになる人員は――ナターリア。

 彼女さえ居れば、部隊は安泰です。


「いってきます」

「いってらっしゃい。……気を付けてね」

「はい」



 ◆



 木々の生い茂る森の中。

 私は黒のフード付きローブのフードを目深に被りました。

 あまり効果は無いかも知れませんが、少しでもカモフラージュになったら幸いです。


「派手なローブで無くて良かったと心から、そう思いますね……」


 気休めですが、あると無いとでは雲泥の差です。

 カッコイイ格好は、私には似合いません。

 とはいえ今回は、それが功を奏したと言えるでしょう。

 そうして獣道に沿って歩き……木々の角を曲がった、その時――。


「っ!」

「――ッ!!?」


 角の先に立っていたのは――男。

 肌の色は普通なのですが、雄々しい立派な黒いツノが生えています。

 よく見れば耳も獣のもの。


「――クソッ!」


 男は腰に下げていた短刀を引き抜き、姿勢を低くして突進してきました。

 少し前に誰かを刺したのか、短刀は血に濡れていました。

 まさか魔王軍の――偵察……!!?

 私は全力で身を投げ出し、短刀を回避。

 地面の上を無様に転がりながらも、なんとか立ち上がって杖を構えます。


「シルヴィアさん!」

「――ふんっ。【氷結牢獄アイシクルプリズン!】」


 眼前で氷の棺に囚われた男。

 驚いたような表情で命ごと凍て付いています。

 ――生け捕りにして下さい、という言葉を付け加え忘れていました。

 突然の接敵で慌てていたとはいえ、この死体からでは何の情報も得られません。

 とは言っても、シルヴィアさんが助けてくれたのもまた事実。

 これに感謝しないというのは間違っています。


「……助かりました」

「気にするな。これが私の仕事だからな」


 そう言いながら周囲をぐるりと見渡したシルヴィアさん。


「シルヴィアさん?」

「六万キュビット先、今のヤツに近い気配が集まってるな」


 ――キュビット?

 単位が判らないので正確な距離がわかりません。

 私は懐から地図を取り出して、それを広げました。


「現在地と見つけた地点を教えてください」

「おい……現在位置もわからないのか……?」


 ――わかりません。

 何を隠そう私は今、迷子になっていました。

 全く同じ景色をしている薄暗い森の中。

 迷子になるなという方が難しいでしょう。


「まったく。現在位置はここだ」


 呆れたような視線を向けて来ながらも教えてくれたシルヴィアさん。

 地図の一点をツララのような物で指し示して教えてくれました。


「ココがお前の部隊が待機している場所で、ココが第一陣の攻める場所。それから第二陣の攻める予定地は……ココと、ココだ」


 私よりも細かな戦略情報を把握しているシルヴィアさん。

 流石はシルヴィアさんです。

 おやっ……部隊長は、シルヴィアさんでも良かったのでは……?


「そして私の見つけた場所が――ココだ」


 そう言ってシルヴィアさんがツララを差した場所は、攻撃目標とは別の地点。

 南側にある攻撃目標から南東方向にある森の中。

 これが事実であるとすれば……否。

 シルヴィアさんが言うからには事実であるのは間違いありません。

 最低でも偵察者に近い種族の集まりがある筈です。

 補給基地なのか、魔王軍の虎の子部隊なのか……。

 念のために私は、シルヴィアさんが教えてくれた地点に印を付けておきました。


「何にしても、これで居眠りをして時間潰す余裕は、なくなりそうですね」

「ふんっ。私が〝お前の敵〟を殲滅してきてやってもいいぞ?」


 ――シルヴィアさんが、敵を殲滅してくれる……?

 可能なのでしょうか?

 彼女は万全であれば、単体で国を落とせるレベルの実力を保有しています。

 その一撃は一つの軍隊を消し飛ばし、真っ当な戦術は意味を成しません。


「季節は? かなり温かくなってきていますが……」

「安心しろ。攻撃対象を殲滅できる確率は――九割九分以上だ」


 シルヴィアさんは氷の属性。

 シルヴィアさんの魔石がボールの形をしていれば、氷タイプと言ってもいい存在。

 冬季であれば無敵なのですが、温かい場所なら話は別です。

 アントビィが悪意の吸収を封じられて弱体化したように。

 シルヴィアさんもまた――温かくなれば弱体化します。

 朝や夜は肌寒い日もあるも、日中はそれなりに温かい環境事情。

 森の中は確かに外よりかは涼しいでしょう。

 ですが――。


「その失敗確率は、弱体化の影響なのですか?」

「関係ない。私を過小評価するな」

「では、弱体化は関係ないと?」

「ご主人様に無条件の愛を注ぎ続けている娘が百人敵に居ても、成功確率に影響はない」


 シルヴィアさんが言っているのはナターリアの事でしょう。

 ナターリア……彼女は、強い女の子です。

 相手が常人であれば百人居たとしても殲滅できる程の能力を持っているでしょう。

 シルヴィアさんが言っているのは、つまり……。

 敵の戦力が問題というワケではないと。


「ご主人様は、アントビィが言っていた事を覚えているか?」

「……いえ。シルヴィアさんが欲しがるような答えは覚えていませんね」


 覚えている事と言えば、アントビィの生き方と、あの死と血の臭い。

 ――慣れたくはありませんでしたが、慣れました。


「ふんっ。私が完全に無力化された時が二度もあっただろう?」

「領主様の屋敷と、ナターリアの時……?」

「その通り。そしてアントビィが言っていた情報では、それを開発したのは……」

「魔族、ですか……」


 確かに言っていました。

 シルヴィアさんを含む〝セイレイ〟を無力化する方陣。

 それを開発したのが魔族だと。

 領主様の屋敷でソレが使われたのは理解できます。

 なんせ領主様に成りすましていたのは――魔族。

 タクミとエッダさんの襲撃部隊がソレを所持していた理由は……。

 今じゃ、もう判りません。


「シルヴィアさん」

「ん?」

「以前にも言いましたが、単独行動はナシで行きましょう」

「ふんっ。了解だ、ご主人様」


 そう言ったシルヴィアさんの表情は、ほんの少しだけ柔らかい笑みを浮かべていました。


「――っと、どうやら始まったらしい」

「なにが――」


 シルヴィアさんの言葉に疑問を返そうとした、その時。

 かなり遠くの方から何かが爆発したような、小さな音が聞こえてきました。

 方角は――北西方面。

 どちらが原因の爆発かは判りません。

 が……。


「戻りましょう。今頃は行動開始の指示も来ているはずです」


 私は氷柱になっている魔王軍の偵察に背を向け、来た道を戻りました。


「私達は敵を見つけました。という事はつまり、緩んだ気持ちで居眠りをしているワケにはいけなくなったというワケです。私は依頼を受けた身として――仕事をしなくてはなりません」


 歩きはじめるとシルヴィアさんは魔石の形体へと戻り。

 妖精さんは、私の周囲をいつものように飛んでいます。


「最低最悪の、悪夢の続きみたいな仕事ですけどね」


 ――響く、妖精さんの笑い声。

 私はフード付きローブの裾を、グッと握りしめました。

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