『東へ』一

 なんとか煩悩を抑えきった次の日の朝。

 私は馬車の荷台で揺られながら空を見上げます。


「んぅ……っと、どうも緊張感が足りなくていけませんね」


 あくびが出そうになるのを、なんとか噛み殺しました。

 まぁ空と言っても、森が深いので薄暗い葉っぱの天井なのですが……。


「勇者様、眠いのなら眠ちゃってもいいのよ?」

「……では、眠っている時に襲撃をがきたら、私を叩き起こして下さい」


 早朝のハグ死で強制リフレッシュはさせられたものの、意識的には寝不足です。

 現在御者席に座っているのはナターリア。

 操舵技術が高いというのもあり、私が操縦している時よりも揺れません。


「うふふっ! キスして起こしてあげるわっ!」

「ありがとうございます」


 それはもう……叩き起こされるより効果があるのは間違いありません。

 なんせ、その言葉を聞いたその瞬間から目が覚めてきているのです。


「目的地までの期間は、どのくらい掛かりそうですか?」

「んー……三泊四日くらい?」

「微妙な期間ですね」


 現在行軍しているのは遊撃隊の、第二陣の者達。

 その総数は、おおよそ千五百人。

 二泊したところで二つに分かれるので、そこからは一部隊が七百五十人。

 目的地周辺になったら私の隊だけが別行動です。

 つまりそこからは――百五十人。

 これを多いと見るか少ないと見るかは、相手の数によります。

 場所が平地で相手の数が三分の一以下であれば、負けはないでしょう。

 しかしながら村が要塞化していたとしたら……被害は避けられません。

 遊撃部隊の第一陣は千五百で補給地を強襲すると聞きました。

 相手の総数は判りませんが、成功するかどうかは微妙なラインです。

 第一陣にもライゼリック組の誰かが居れば成功確率は跳ね上がるのですが――。

 実際のところは、どうなっているのでしょうか。


「目的地で一旦待機して……指示があったら行動開始、でしたっけ?」

「たぶん、本体が都市への攻撃を開始してから動くのだと思うわ」

「なるほど……」


 順番から考えるに少数で先行させられる囮部隊ではないでしょう。

 万が一逆であった場合は、その遊撃部隊は死兵。

 しかし今はよく分からない予言と、それを上に知っている者が居ます。

 そう簡単に使い捨てにされる事は無い……と思いたいところですね。

 そうやって平和な行軍を続ける事しばらく。


「全隊、次の湖で止まれぇえええええええええええええええええ!! 休憩にするぞぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 時刻は昼飯時。

 聞き覚えのある声が遠くから聞こえてきました。

 タケルさんは現在、この第二陣全体のリーダーを任されています。

 元から大きな声ではあるのですが、何かで増幅されているのでしょう。

 彼の声は部隊全体と森の広範囲に響き渡っています。

 案の定小物の魔物が姿を現しましたが……瞬く間に殲滅完了。


「シルヴィアさんを呼ぶ必要もないですね」

「ね、襲撃があるのがわたし達から遠い場所ばかりなのだもの」


 ナターリアの言う通り。

 偶然だとは思うのですが、襲撃があるのは私達の居る場所から遠い場所ばかり。

 シルヴィアさんなら間に合うでしょうが、無理して参戦させる必要は無いでしょう。

 ややあって……全ての部隊が湖のほとりに収まった頃。

 各自で食事の時間になりました。


「綺麗な湖ですね」


 荷台に乗っている食料を部隊の者達が持っていくのを尻目に――。

 私は湖全体を見渡してみました。

 森に囲まれている、この湖。

 透き通っている美しい水と……不自然に白い砂浜。

 周囲の木々は、この湖を避けるように生えているような印象を受けました。


「海辺でもないのに、こんな色の砂になるものですかね……」


 私が湖の水で手を洗おうと手を伸ばした、その時――。


「水に触れないで」

「――ッ!?」


 湖の中から顔を見せてきたのは、水色髪の美しい女性。

 透き通っている湖のはずなのに……胸元より下が見えませんでした。

 この水……普通じゃありません。

 しかし今は、そんな事よりも重要な事があります。

 目の前で湖の中から顔を出している女性の見えている部分は――素肌。


「もしかして、あなたは人魚さんなのですか?」

「正解。最近はヒトの来訪者が多いから、繁殖には困らないわ」

「……?」


 目の前の美女が人魚であるのは間違いないのでしょう。

 魚人ではなく人魚だったというは、大変喜ばしい限りです。

 しかしながら言い回しは、かなり気になりました。

 人の来訪者が多いというのは……先行している本体と第一陣の事?

 ――否。最近は、という事は一日二日の事では無いでしょう。

 まぁ戦争の準備で行き来している者も居たと思うので、その辺りは納得です。

 が――〝繁殖には困らない〟。

 これはすごく気になります。

 その辺りのことを、今すぐにでも根掘り葉掘り聞き出してみたいところ。


「ここの水は、ヒトには毒だから気を付けて」

「こんな綺麗な水なのに、ですか?」

「そう。……変わった匂いのするヒトは、みんな同じことばかり言うのね」


 ……変わった匂いのするヒト。

 もしかして、私が臭いのでしょうか?


「ところで繁殖というのは……」

「貴方の子種は要らないわ」


 そう言葉を残した人魚は――チャポン、と水音を残して湖の中に消えました。

 ある意味では普通の反応なのかもしれませんが……悲しいみ。


「勇者様! 無事!?」

「え、ええ。湖の水は毒らしいですね」

「違うの! ここは人魚の湖だっていうからっ!」


 そう言いながらギュッと抱き付いてきたナターリア。

 周囲に鋭い視線を向けて何かを牽制しているようです。


「みたいですね。私も一人は見かけましたよ」

「ダメっ! あついら見た目がイイだけで、生態はオークやゴブリンなのっ!」

「……敵なんですか?」


 私は身構えて、真面目な顔をしてナターリアのことを見つめます。

 ……オークやゴブリンと同じ。

 もしこの世界の人魚が、こちら側――主にナターリアに害を及ぼす存在なら。

 どれだけ見目が美しかったとしても、私は殺害します。

 それを即決できるだけの覚悟は、とうの昔に済ませてきました。


「うぅっ……敵、じゃないのだけれど……」

「……?」


 たじろぎ、ばつが悪そうな表情のナターリア。

 オークやゴブリンと同じなのに、敵じゃない。

 一体どういう事なのでしょうか?


「生態は同じなのだけれど、ヒトには友好的な種族だわ……」

「では何がダメだと?」

「色々と助けてはくれるけど、子供を残すために……エッチを要求してくるの」


 不安げな表情で見上げてくるナターリア。


「ああ、それなら安心してください」

「……どうして?」

「私の子種は要らないと、つい今さっき直接言われました」

「人魚は強い人の子種を欲する種族なのだけれど……どうしてかしら?」


 強い者の子種を欲する種族。

 という事はつまり……私は、弱い者だと認識されたのでしょう。

 確かに間違ってはいないのですが……悲しいみ。


「何にしても良かったわっ!」


 私はちっとも良くありません。

 ――悲しいみ。


「みて、勇者様……」


 ナターリアが小声で声を掛けてきたので、その視線の先を見てみます。


「――っ」


 いつの間にか隊のあちこちに、Tシャツのようなものだけを着た女性達が居ました。

 艶めかしい足の殆どがそのまま出ていて、走ろうものなら下着が見えてしまうでしょう。

 ――いえ、見えている部分の際どさから考えるに、穿いているかどうかも怪しいです。

 美女たちの姿は一人や二人では無く、百人以上の数が居ました。

 水や食料を提供されて、楽しくお喋りをしている者もいます。


「いったい何時の間に……?」

「これが人魚たちのやり方なの」

「足は……」

「普段は魚のものなのだけれど、ヒトの足にもなれるわ」


 気が付いたら身近に入り込まれている。

 もし彼女らが敵だったらと思うと……鳥肌が止まりません。

 仲良くなった者達が森の中へと入っていきました。

 これからシッポリと楽しむつもりなのでしょう。

 離れた位置で人魚に群がれているのは――ライゼリック組。

 タケルさんとタケシさんはデレデレなのですが、二人のメイドがそれを阻んでいました。

 ナターリアが私にしているように、主人をギュッと抱きしめています。


「――ねぇ」

「ッ!!?」


 不意に後ろから、ローブの裾を引かれました。

 素早く振り向いて見ると、そこに立っていたのは、薄い水色髪の少女。

 身長はナターリアよりも小さいくらいでしょうか。

 足には鱗が多く残っていて、完全に人の足にはなれていないようです。

 しかしながら、そんな事は些細な問題。

 一番の問題は……少女のお腹が、かなり大きく膨らんでいるという点。

 太っているワケではありません。

 この状態は――子供を宿しています。


「勇者様に何かご用事?」


 少女に対して一瞬だけ警戒する素振りを見せたナターリアでしたが。

 ポッコリと膨らんでいるお腹を見て、その警戒を解きました。


「ヨウってヒト、今回はいないの……?」


 ポーっとした瞳でそんな事を言ってきた、人魚の女の子。


「もしかして、赤いドレスワンピースを着た女の子を連れている人の事ですか?」

「そう」

「それなら今回はいませんね」

「……残念。ほんとうに、すごく残念……」


 悲しそうな顔で俯いてしまった女の子。

 もしかしてヨウさん……いえ、そんな筈はありません。

 彼にはニコラさんという超絶美少女なパートナーがいるのです。

 ヨウさんは浮気性でロリコンな人物では無い……と思いたいところ。


「――ッッッ」


 何故だか脳内で鋼鉄製のブーメランが戻ってくる映像が思い浮かびました。

 私は脳内で、そのブーメランをキャッチ――に失敗して死んでいます。


「も、もしかして、そのお腹の子の父親は……」

「この子が、なに?」


 愛おしそうに優しくお腹の子を撫でた人魚の女の子。

 もし今想像している事が事実だとすれば、私は――。

 ヨウさんをマイホーム(牢屋)にご招待しなくてはなりません。


「その、お腹に宿している子の父親は……」

「ぱぁぱ……?」

「はい。その子の父親は、もしかして……」

「ヨウってヒト、この子の――ぱぁぱだよ」


 ……私は決めました。

 この戦争が終わったら、絶対必ず九十九割――ッッッ!!!

 ヨウさんを衛兵さんに――突き出してみせましょう。

 この決意は地下奴隷都市よりも深く、霊峰ヤークトホルンよりも高いもの。

 強固なモノになりつつあるこの決意は――決して揺るぎません。







 少女としばらく話をして人魚の生態と、子供を宿した経緯を知るまでは。

 まさか人魚が、体の一部を食べる事でも子を宿せる生態をしていたとは……。

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