『禁じられた悪夢』二
悪夢から覚めると、私は壁際に座っていました。
男の絶叫は悪夢から覚めた今も聞こえています。
「ぐぁああぁぁぁあああああぁあぁあああ――――ッッ!!?」
声の出所は――アントビィ。
全身を捻らせるように叫んでいて、かなり苦しそうです。
アントビィの片目が弾け、その片目から赤黒い触手が飛び出しました。
それを瞬時に掴んだアントビィは、ソレを握りつぶします。
謎の多いサタンちゃん。
きっと彼女が、サタンちゃんが何かをしてくれたのでしょう。
「どうなってる!?」
何時の間に戦線復帰したのか、ヨウさんがアントビィと相対していました。
その傍らには、かなりボロボロになっているニコラさんの姿もあります。
「わかんない、突然苦しみだして……って、あの赤黒い触手、見覚えない?」
「……ああ、あるな」
それにしても……部屋全体が随分と赤く染まっています。
まるで人の体を、そこらじゅうで摩り下ろしたかのような――ッ。
正面の壁際付近に、シズハさんだったと思われるモノが落ちていました。
正確に言えばその一部分。片腕の無い胴体から上だけ。
しかし、それも両目が潰れているせいで、よく分かりません。
シズハさんだと判断できた材料は、着ている衣類がそうだったから。
部屋から出て行った筈のシズハさんが――どうして?
ヨウさんと一緒に戻ってきたとでも??
「――ッ」
堪らず顔を背けます。
右を向いてみると、ユリさんと目が合いました。
「あ、ユリさ――……」
腰から下が――無くなっていました。
ユリさんは最後の瞬間、一体何を見たのでしょうか。
アントビィの攻撃か、シズハさんか、ニコラさんか。
……それとも……私か。
結局、例外は生まれなかったという事なのでしょう。
――奇跡は起きない。
知っていた筈なのに、それを起こそうとしたツケが……コレ?
あの一つ目の赤い鬼は、本当に何なのでしょうか。
どうして私にだけ、アレが視えてしまうのでしょうか。
部屋の角には、誰かの足が落ちていました。
見覚えのある白い足。
それが穿いているのは――見覚えのある白ニーソ。
「まさか、シルヴィアさんまで……?」
「……うるさいぞ」
「シルヴィアさん、御無事で――ッ!!?」
私の左側。その少し離れた場所に、シルヴィアさんは〝落ちて〟いました。
ユリさんのように腰から下が消失していて、その両手がありません。
彼女の宝石のような青い瞳も、今は左目が潰れています。
「安心しろ、私はこの程度では死なん。ほら、もう口内の回復は終わったぞ?」
「シルヴィア……さん……」
私は動きの鈍い体を起こして、シルヴィアさんに近づきます。
ずっと……戦ってくれていたのでしょう。
「おい、それ以上近づくと……」
地面に彼女の体液が広がっているせいで、近づくと足が凍りました。
足が砕けて無くなっていく中で、私はシルヴィアさんの元へと辿り着きました。
「まったく、仕方のないやつだな……」
彼女を優しく抱きしめると、私の全身は瞬間的に凍て付いて――。
『死にましたー』
暗闇ではなく、サタンちゃんの天幕の中。
サタンちゃんは一言「助けたければ、メタモルフォーシスを使うんだナ」と言いました。
暗闇から復帰すると、少し離れた地点に。
シルヴィアさんの方を見てみるれば、左目が再生していました。
強がりとかではなく、本当に死なないのでしょう。
シルヴィアさんが生きているのが、今は心の底から嬉しいです。
二人も死んでいるというのに、喜びの感情が湧き上がってきてしまいました。
確かに彼女の事は大切に想っているのですが……そうではありません。
ユリさんとシズハさんも、仲間としては好きな人達でした。
なのに――。
やはり私は……人でなしなのでしょう。
大切な人を優先してしまい、他人を二の次にしてしまいます。
仲間の死よりも大切な者が生きていたのに安心してしまう――悪魔のような人間。
「仕掛けるのか!!?」
「今なら逃げれるよ!」
「逃げられるワケ無いだろ! さっきみたいな事はするなよ!!」
「う、うん……!」
「なんでちょっと自信なさげ!!?」
お二人がそんなやり取りをしている最中も、アントビィは触手と格闘中。
体内に潜む触手を取り除くのに自分の体を攻撃しています。
とはいえ、完全に除去されるのは時間の問題でしょう。
「ヨウさん、ニコラさん。シルヴィアさんを連れて下がってください」
「なに!!?」
「私一人で、コイツを処分します。他の誰かが近くに居ると危険かもしれないので」
「殺れるのか?」
「殺します」
「……解った。下がるぞニコラ!」
「やっと下がってくれるんだね! ボクは嬉しいよ!!」
ニコラさんはそう言いながらシルヴィアさんの元へと移動し、右手を掴みました。
冷気を痛がってはいますが、耐えられない程ではないようです。
おや……?
さっきまで無かったシルヴィアさんの右手が、もう再生しています。
シルヴィアさんの再生能力は高すぎるのではないでしょうか。
ニコラさんに運ばれている最中にも左手が生えだしていました。
完全に再生するのは時間の問題でしょう。
しぶと過ぎて……嬉しいですよ、シルヴィアさん……!
「さて……私達だけになりましたね、アントビィ」
「グゴァッ!? 一体何をしたァッ!! まさか、対策されていたのかッ!!?」
「何もしていませんよ」
「クソッ! まだ体内に!!」
苦しみもがいているアントビィ。
表情を見るに痛みはあるのでしょう。
サタンちゃんのえげつない攻撃が、アントビィの体内で暴れています。
しかし所詮は時間稼ぎ。
下がって行ったみんなを守る為には、確実にトドメを刺さなくてはなりません。
私は、隣に立っている褐色幼女形体の妖精さんを見ました。
「いけますか?」
そう問いかけると妖精さんは、一つ頷きました。
私は深く息を吸い込んで――。
「【繋がりの主である私は、繋がりし悪魔に乞う! メタモルフォーシス!!】」
――っ。
以前と同じように、世界から音が消えました。
風景をそのままにして薄暗く、違和感だらけのこの世界。
何もかもを投げ出してしまいたくなるセピア色の世界。
そんな中で思い浮かんできたモノは、悪夢の中で戦っていた私の姿。
――偽善の炎で――。
記憶の外より脳裏に刻み込まれた、サタンちゃんの言葉。
――全てを燃やせ――。
想像する姿は、私の肉体が最も完成していて、最も闇の深かった時代。
妹を失ってしばらくしてからの、青年姿です。
――偽善の炎で――。
最も弱く、最も強かった時代。
どんな言葉も届かず、惰性で生きていた毎日。
――悪意を殺せ――。
どんな黒にも染まらない、ただ一人だけの闇。
もし心に色があったのなら、私の色は黒色です。
ですが例え、そうだったとしても。
勇者に憧れた、この想いだけは……。
――偽善の炎で――。
熱く燃え滾っています。
――誰かを救え――。
◇
場所は小学校の渡り廊下。
私の通っていた小学校には、教室のある校舎とは別にも校舎がありしまた。
それを繋いでいるのは、天井から光の入ってくる渡り廊下。
その脇にある小さな休憩スペースでのこと。
ショタっ子時代の私のお気に入りの、このスペース。
昼放課のお休みポイントです。
時々寝過ごして授業に遅れてしまう程の絶好ポイントでした。
ある日のこと、そこに一人で座っている女の子の姿がありました。
……病的に肌の白い女の子。
一つ上の先輩で、のちに知的障害だったと判明した、私が恋をした女性です。
そんなアルビノの女の子が、たった一人でソファーに座っていました。
――どうしたの?
私がそう尋ねると、一瞬だけこちらを見てきた女の子。
ですが、何も答えてはくれませんでした。
――何年生?
続けてショタっ子時代の私が問うも、またもや一瞥をくれただけ。
この時既にショタっ子時代の私は、一目惚れをしていたのです。
しつこく会話をしようとするショタっ子時代の私。
この場所いいよね、から始まって、お気に入りの場所自慢会話。
校庭を囲む森の中にある小さな白い小屋。
その小屋の存在のせいで小学生たちは、『イバーバの森』と呼んでいました。
入学した当初から呼ばれていたので、名前の由来は知りません。
その小屋の屋根上。
適当な木の上に板を掛けていける場所。
そこから森の中にある池を見るのが、私は不思議と好きだったのです。
少しだけ興味を示してきた女の子に、更に言い言い寄るショタっ子時代の私。
雨の日に見る校舎横の紫陽花ポイント。
これも私のお気に入りポイントです。
今いる場所もお気に入りポイントだと言うと、彼女はようやく口を開きました。
――教室に居たくない。
そう答えた女の子の顔には、引っ掻き傷がありました。
白い肌に這う悪意の赤い線。
この時初めて、私は誰かを許せないと思いました。
この時初めて、誰かを守りたいと思いました。
この時初めて、偽善という感情を覚えました。
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