『禁じられた悪夢』一

 こちらへと向き直ったアントビィ。

 その視線には、先程までと違って明確な殺意が宿っています。


「私なら、たとえ何をされても死にませんよ」

「方法なら幾らでもある。お前がニンゲンで子供でないのなら、無力化は簡単だ」

「子供でないのなら……?」

「ニンゲンの心は脆く、簡単に狂わす事が可能!」


 私の言葉は完全にスル―されました。

 シルヴィアさんはチラリと視線を向けてくれましたが、何も言いません。

 ――悲しいみ。


「ニンゲンの死というものは、肉体だけを示す言葉ではないのだよ! さぁ、トラウマという悪夢の中で眠り、永遠に覚めない悪夢に狂わされるがいい!!」


 アントビィの纏っている空気が少しだけ変化したような気がしました。

 具体的な表現が出来ないような、奇妙な違和感。

 ねばつく何かが這い出すかのような途轍もない悪寒が、私を襲いました。

 ――これは一体?


「永遠に闇を生み出す糧となれ! 【悪夢生産殻ナイトメアファクトリー!!】」


 地面から生えてきた闇に……飲み込まれる……?


 ――。

 ――――。

 ――――――。


 遠のく意識の中で私は……誰かの笑い声を聞きました。



 ◇



 ――薄暗く縁取られた世界――。



 誰の光も届かない、救いの無い灰色の世界。



 壊れたオルゴールのような音だけが耳に入ってきます。

 庭先にある水回りで、お父さんが声をかけてきました。


「どうした**、何か怖いものでも見えたのか?」


 初めて身内に赤い一つ目鬼が視えた日。

 それまで一人で隠してきた、その秘密を打ち明けた日。

 父親に連れられて、お祓いをして貰った日。

 赤い一つ目鬼が……視えなくなった日。


 ――――…………。


 薄暗い世界が切り替わって、ただの白い部屋になりました。

 お母さんと妹が、病院のベッドの傍で泣いている。

 お父さんの死因になった大元は――肺ガンです。

 お父さんが死ぬのを知っていた私は、もう涙が枯れた後でした。


 ――――…………。


 母親が倒れたと人伝いで知り、病院に駆け付けた高校二年の秋。

 白い部屋の白いベッドで白い布を被されて眠っていた母親。

 その傍らでは妹が泣いていて、青年時代の私も泣きました。

 学校を止め、バイト生活に取り組んだ青年時代。

 元々あった思い出の畑やビニールハウスは、地元の人たちに売りました。

 生活の為。

 せめて妹だけは良い学校に行かせて、まともな就職をさせる為でした。

 女性は男と違い、重労働には向いていません。

 だからきつい仕事にだけは、就かせたくありませんでした。

 遺産金を持っているというだけで、何処からともなく湧いて出る親戚達。

 更には、どこからともなく湧いて出るセールスマンも。

 ……きっと、その誰かが悪かった訳ではないのでしょう。

 みんな生きるための、お金が欲しかっただけなのです。

 人が肉や植物を食べるように、青年時代の私から糧を得ようとしただけ。

 悪かったのは、家族の運。

 足りなかったのは、家族の運。

 無意味だったのは、神様への祈り。

 だから私は、祈るのを止めました。


 ――――…………。


 生活と周囲の環境が安定していたとある日、妹が突然倒れました。

 病院側の診察は――乳ガンからの全身転移。

 妹が若く、私に気を遣って我慢していたのが発見の遅れた原因でした。

 白い部屋に白いベッド。

 私は妹の居ない場所で、ずっと泣いていました。

 やめていた神様への祈りを再開した、雨の日の昼下がり。


 ――――…………。


 手術の直前にした妹との会話。

 脳裏に張り付いて離れない、確証の無い励ましの言葉。

 それを妹に送り続けた、不甲斐なく、頼りない兄。

 手術室に運ばれていく直前の妹は、笑顔を見せてくれました。

 出てきた白衣の医師が告げたのは――謝罪の言葉。

 そのしばらく後に亡くなった妹。

 謝罪の言葉が欲しかったワケではありません。

 ただ……ただ私は、妹を助けて欲しかっただけなのです。

 医師はきっと、最善を尽くしてくれたのでしょう。

 ……誰も悪くはありません。

 仕方がなかったんです。

 どうしようも、なかったんです。

 悪かったのは……何時だって運でした。

 悪かったのは……都合の良い時だけ神様に縋った、青年時代の私。

 この日を境に私は、涙を出せなくなりました。


 ――――…………。


 とある雨上がりの晴天の日。

 青年時代の私は、友人たちと共に登山に挑んでいました。

 それは危険な岩場の多い、少しだけ有名な山。

 登山友達の二人が調子に乗って、フックを掛けるのを数度怠りました。

 普段ならばきっと、そのくらいは平気だったのでしょう。

 ですがその作業を怠った時に限って、ソレは必ず起こります。

 先を行っていた友人の一人の足場が、突然崩れ落ちました。

 前日に降った雨が、その日に限って悪さをしたのかもしれません。


「うわっ!」

「あぶない!!」


 それを助けようとした友人は見事に服を掴み――二人で落ちていきました。

 そのどちらかが、きちんとフックを掛けていれば……もしかしたら。

 ――二人の後ろを進んでいた私は、友人達を支えられませんでした。

 その日は妹が亡くなった命日で、少しだけ上の空だったのです。

 もし前に居た友人を掴んだ友人を、私が支えられていたら――。

 もしかしたら結果は、違ったのかもしれません。

 友人を失ったと言うのに、その日の私は泣けませんでした。

 私は薄情な人間です。

 その日を境に、私と他の登山仲間は――山登りを止めました。


 ――――…………。


 高熱を出して動けなくなった最後の日。

 死にたいと何度も思っておきながら、本当に苦しくなると必ずもがいました。

 妹が死に際に残した『勇者様なら生きないとね。だから生きて』という言葉。

 その言葉によって生かされていただけ。

 薄汚く、生き意地だけが育った私が最後に視たモノは――赤い一つ目鬼。

 理解はしています。

 私が勇者になれない事くらい。

 理解はしています。

 私が金に集まってきた親戚と同じ、薄汚い人間であるという事くらい。

 いつも自分と大切な人だけの為に動き、祈ってきた自分本位な私。

 大小の差はあれど結局のところ……根本は変わりません。


 ――――…………。


 私へと魔力銃を向け、覚悟の表情を浮かべている二人組。

 ――タクミとエッダ。


「オッサン。貴方はやはり、狂ってる」


 タクミの投げかけてきた言葉。

 実際問題、私は狂っているのでしょう。

 だから親しくなった者を殺した。

 では……狂っていたのは何時から?

 家族を失った時?

 それとも……最初から?

 出来上がった二つの氷柱を前にして私が思った事は……。

 少女を助けたかったからという、自己弁護でした。

 これを狂っていると言わず、何が狂っているのでしょうか。



 ――――…………。




 私は数えきれない人の死体の中心に立っていました。

 暗闇を纏って三振りの菜切り包丁を持っている私。

 その周囲には中世風の鎧を身に着けていた――バラバラになった肉片。




 …………?




 知らない記憶です。




 アントビィの悪夢は、この世界での先の可能性も見せてくるのでしょうか。

 怒り、泣きながら何か叫び声を上げている、私の姿。

 その傍らに立っているのは……妖精さん?

 いえ、妖精さんが少し成長した姿であるように見えました。

 その少女は両腕を肉塊に変え、近づいてきた兵士を飲み込みます。

 私はその戦い方に、見覚えがありました。

 ――サタンちゃん。

 なぜサタンちゃんが、私と一緒に戦っているのでしょうか。

 妖精さんの姿はありません。

 しかも相手は……魔王軍でも魔族でも魔物でも無く、ただの人間の軍隊。

 向かってくる騎士たちを黒い影で薙ぎ払い、屠っている私の姿。

 その進む先では、誰かが磔にされていました。

 見覚えは無い筈だと言うのに――見たくありません。

 これは悪夢です。現実には起こっていない事です。

 ……そうでなくては、なりません。

 磔にされているのは大きな黒いツノを生やした、青い肌の女性。

 それに向かって――無数の槍が突き立てられました。

 松明を掲げて、それに近づいている複数の人間。


「ヤメろぉおおぉおぉおおおおぉぉおおおおおおお――――ッッ!!」


 悪夢の中で戦っている私が、叫び声を上げながら突き進んでいます。

 数え切れない程の死体を山の様に積み上げ――人を殺していました。

 暗闇を自在に操り、吸い殺し、斬り殺し、闇の中へと飲み込んでいます。

 私を中心に黒い炎が湧きあがり、近づいてきた者を飲み込みました。

 右手に二本、左手に一本の菜切り包丁。

 私はそれに――見覚えがありました。

 作業場で眠っていた、名刀サビサビ丸と呼ばれた曾爺さんの菜切り包丁。

 もう一つは使い込まれて先細りになった、父親の形見。名刀遺品丸。

 最期の一つは青年時代の私が使っていた、名刀おっさん丸。

 それら全てを駆使し、数えきれない程の人を殺している幻影の私。

 ツノの生えた女性に、火が放たれました。

 幻影の私が、〝泣きながら〟叫び声を上げています。

 涙を流せるという事は、幻影の私は幸せだったのでしょう。

 しかし、何故だか私は、女性が助からない事を知っていました。


 ――覚えの無い記憶だというのに……どうして?


 この世界に来てからの記憶は、一つたりとも忘れてはいません。

 この世界での記憶を何処かで喪失したという可能性も……無い筈。

 ではどうして、こんなにも辛い気持ちになるのでしょうか。


 ――ッッ!!?


 不意に悪夢の中のサタンちゃんと、目が合いました。


「ヒヒッ、覗き見とは趣味が悪いナ」


 サタンちゃんは、一体誰に向かって話しているのでしょうか。


「だからオマエには――罰を与えてやろウ」


 サタンちゃんの怒っている顔を始めて見ました。

 どこからともなく聞こえてくる……男の悲鳴。

 どこかで誰かが、苦しみの声を上げています。

 景色が掠れ、モヤが掛かったように変化してきました。

 男の絶叫が聞こえてくるその中で、景色が切り替わったりを理解します。

 最後に絶叫の中で聞こえてきた言葉は――『せめて、この世界からは……』。


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