『禁じられた悪夢』三

「【――僕は偽善を燃やす黒い勇者。其の手は他者に振るう暴力で穢された。其の口は誰かの為とのたまい、誰かを傷つける矛盾の塊。振るえば振るうだけ孤独に近づく諸刃の剣。たった一人……キミを守りたかっただけなのに……】」


 ――全身に走る激痛。

 あの時の私が、もっと大きければ彼女を守れたのでしょうか。

 私は全身を襲う激痛に叫び声をあげ、地面でのた打ち回ります。

 だというのに頭だけは冴えていて、痛みとは関係の無い事が浮かび続けました。


「……第一開花は、軽減負荷の激痛だよ」


 全身の骨が歪み、肉が崩れていく感覚。

 それがある形を成していき、やがて固まりました。

 腕や足が少し太くなり、引き締まった筋肉になっているのが解ります。

 筋肉痛というよりは再形成の痛み。

 麻酔無しでの大手術。

 ――痛い……という言葉では足りない程の激痛。

 私は涎を撒き散らしながら叫び声を上げ続けます。

 頭の中は冴えているのに、これだけは抑えられません。

 軽くなりすぎてしまった私の命。

 そんな軽い命しか持ち合わせていない私ですが――。

 誰かの為に戦うことで、ほんの少しだけ重くなれると信じています。


 ……。

 …………。

 ………………。


 痛みが治まってから前を見てみると、アントビィは完全に再生していました。

 恐らくはサタンちゃんの攻撃も残っていないでしょう。

 対価に拘っていたサタンちゃんが、なぜ助けてくれたのは判りません。

 しかし今あるのは助けてくれたという事実だけ。

 アドバイスと時間を稼いでくれた御蔭で――誰かを救えます。


「ふむ。随分と男前になったな?」

「私は貴方を壊す。それで、みんなには明日がやってくる」


 声が違いました。

 元々の声から少しだけ高くなっているような、そんな違和感。

 シルヴィアさんが作ったと思われる氷柱で姿を確認してみます。

 そこに映っていたのは紛れもなく私でした。

 が、バイト生活で妹を養おうとしていた、最も力があった時代の姿。

 妹を失っていて最も危険だった時期でもあります。

 腰には三振りの菜切り包丁がありました。


「これで二度目になる」

「……何が?」


 目が熱い。心が熱い。

 胸を焦がす悪意が、熱を持って膨れ上がりました。


「怖いと感じるのがだ」

「私達を見逃すのなら、大人しく出て行きますよ」


 今の私は、体よりも心が強くなったような気がします。

 一度は全てを諦め、心が死んでしまったこの私。

 そんな私に生きる楔を打ち込んでくれたのは、この世界での数々の出会い。

 淀みきった心の片隅に鈍い光が残っていたような……。

 ショタっ子時代は、何でもできるような無敵感を感じていました。

 いつの間にか失っていたソレが、今は心に宿っています。

 私は前の世界で、家族と友人を失いました。

 それを失ったと気づいた時に――すべての感覚を失ったのです。


「他の者はどうなってもいいと?」


 自分の心にできた傷すら癒せない私には、多くを救う事はできません。

 だから、せめて傷を癒してくれた人たちくらいは……助けたい。

 そんな思いからの人助け?

 いいえ……違います。

 私はキラキラと輝くものを持っている仲間達に……。

 真っ暗な道を照らして欲しかっただけなのです。

 この先細りしている道がどこまで続いているのかは、もう判りません。

 それでも――。


「最優先は――仲間の命です」


 呆れるような視線を向けてきたアントビィ。

 実際その通りなのかもしれませんが、第一目標は変わりません。

 それに皆を安全圏に逃がしたあと、また一人で来ればいいだけの事。

 霊峰ヤークトホルンの時のように、私は必ず帰ってきます。

 今の私なら――やれる筈です。

 淀みきった心に残っていた鈍い光が立ち上がり、笑いかけてきました。

 私の中にたった一つだけ残っている、小さな光の欠片。

 子供時代の勇敢だった私が、背中を支えてきているような気がします。

 今の私なら、何だってできるでしょう。

 届かなかった場所にあるモノを今回だけは――掴み取って見せます。


「……ニンゲン、聞こえないか?」

「……?」


 アントビィに言われ耳を澄ましてみると、遠くから喧騒に近い音が聞こえました。

 地下奴隷都市で、また暴動が始まったのでしょうか。


「地下じゃない。そもそも、この場所では地下からの音は聞こえない」

「では地上から……?」

「その通り。地上のグラーゼンに誰かが攻めてきたらしい」


 このタイミングで攻めてくる人物。

 ポロロッカさんやリュリュさんが大群を率いてきたとは思えません。

 では……一体誰が?


「お前たちを片づけて地上の敵も殲滅する。それで、この町は法を取り戻すだろう」

「法なんてもの、ありませんでした。暴力だけがこの町を支配しています」

「何が悪い?」

「……なにが、ですか?」

「ああ。暴力が法を作っていて、何が悪い? しかも、それは吾輩の力になるのだぞ?」

「暴力は何時だって、弱者を虐げます」

「ならニンゲン、お前はどうだ? その力で誰かを傷つけた事は無かったか?」

「ありますが、誰かを守る為や、助けるためであったのが大半でした」


 咄嗟に出て来た、淀みきった軽い言葉。

 私はただ――綺麗な光が、たった一つでも欲しかっただけ。

 

「クッ……クハハハハハハハハハッ! 守る為? 助ける為?? 吾輩を笑い殺すつもりか!」


 大仰な動作で胸の辺りを押さえているアントビィ。

 何が、そんなに面白いのでしょうか。


「お前はニンゲンだ! 間違いない!!」

「確かにそうなのですが、なぜ今?」

「ニンゲンは何時だって他者を害すのに理由を見出し、正当化する。その罪は重い」

「…………」

「吾輩はこう思っている」


 自身の腹部に手を突っ込み、そこから漆黒の闇の剣を取り出したアントビィ。


「〝邪魔だから殺す〟。そんな単純な理由の方が、罪は軽いんじゃないのかとね」

「貴方たち精霊は、みんな哲学的な言葉を持っていますね。すごく心に響きます」


 シルヴィアさんも山頂では敵でしたが、本当に格好良かったです。

 ――生きるという事は、何か別のものを殺すという事。

 そして彼女はメビウスの新芽を守る為に、私達を殺しました。

 アントビィの定義をニンゲンに当てはめるのなら、彼女はニンゲン。

 ニンゲンよりもニンゲンらしい、精霊と呼ばれているシルヴィアさん。

 私はアントビィの哲学よりも、シルヴィアさんの哲学の方が好きです。

 ――きっと、どちらも正しいのでしょう。

 私の正義の教科書は、黒く塗りつぶされていて読めません。

 ですが、それを開く度に――心に熱い炎が灯るのです。


「私は人間らしく――守りたい人の為に、貴方を殺す!」


 私が腰に差してあった菜切り包丁を抜くと、それに暗闇が集まりました。

 右手に二本。左手に一本。

 ベースは菜切り包丁ですが、完成したのは――母なる闇の剣。

 妙に手に馴染んでいるのは、昔使い込んだ物と同じだからでしょうか。

 それとも――。


「来るがいい。絶望のワルツを教えてやろう」


 絶望なら、嫌と言う程に知っています。

 愚しい薄暗闇の中で、存在しない光を探を探し続けていた毎日。

 他者に言っても理解されず、何時まで引きずっているんだと笑われるかもしれません。

 それでも――前の世界での絶望を、この世界が超える事は無いでしょう。

 アントビィに教えられるような安い絶望は、もう持ち合わせていません。

 ……一体いつから居たのか……。

 心の中で鈍い光を守っていた子供姿の私から、一筋の光が広がりました。


「アントビィ。逆に踊らせて差し上げますよ、素敵なタップダンスをね!!」


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