『紫紺の瞳』三

「ふんふんふ~ん。勇者様と、おっ買いもの~」


 買い出しに付いて来てくれたのはナターリア。

 鼻歌混じりに私手を取ってきていて、かなり御機嫌そうです。

 こうして楽しそうな彼女の顔をを見ていると、歳相応の女の子にしか見えません。


「楽しそうですね」

「当然だわ! 勇者様と二人きりになれる機会なんて、めったに無いのだものっ!」


 私には妖精さんが見えているので、今も正確には二人きりではありません。

 が、それを指摘するのは無粋というものでしょう。


「そうでしたか?」

「そうよ! 勇者様ってば、いっつも誰か他の人と居るのだもの!」

「そう……ですね」


 思えば、この世界に来てから孤独を感じる時間が随分と減ったような気がします。

 前の世界では家族を失って以降、毎日が孤独という闇に飲まれるかどうかの戦いでした。

 多くの人や生き物に支えられて今の私になりましたが、やはり寂しかったのでしょう。

 そういう意味では、今の私は恵まれているのかもしれません。


「勇者様?」

「いえ、前の世界では早くに家族を亡くして孤独の時間が多かったもので」


 私は、「少しだけ感傷に浸っていました」と言って小さく微笑みました。

 暗い雰囲気にならないよう、可能な限り明るく振舞います。

 実際、今は暗い気持にはなっていません。 


「わたしもね、ずーっと一人ぼっちだったから気持ちは少しだけわかるわ」

「そう言えば、リアの御家族はどうしているのですか?」

「勇者様とおんなじ。みんな死んじゃった」

「そうですか……」


 こんな時は謝罪の言葉を言うものなのかもしれませんが、私は言いません。

 何故なら、その言葉を投げかけられた時のやるせなさを知っています。

 要求されるような空気でなもい限り、こちらからは言わない方がいいでしょう。


「まぁお父様は行方不明なのだけれど、家が廃屋になってたから生きてないと思うわ」

「……もう、大丈夫なのですか?」

「ええ勿論! わたしには勇者様が居るのだもの。大丈夫に決まってるわっ!」


 満面の笑みを浮かべてそう言ったナターリア。

 この笑顔を見ていると、私の罪が少しだけ和らいでいくような気がします。


「それにね、勇者様から貰った居場所も、すごく心地いいのっ」


 そんなささやか会話をしながら無事に買い物を終える事ができました。

 この地下奴隷都市で荒んでしまった心が、ほんの少しだけ和らいだような気がします。

 ナターリアに声を掛けて来ようとした者や近付いてこようと人は何人か居ました。

 が、その度に妖精さんかクスクスと笑うので、その者達は踵を返して去って行きます。

 笑い声と結び付けられているのだとすれば、闘技場での活躍が利いているのでしょう。

 木造の小屋へと帰ってきた私は、全員分の白シチューを作りました。

 大人数の食事を作るのにも慣れたもので、効率的に食事を出す事ができたと思います。


「なんだ、これ……」

「ボクの料理より、お……おいしい……」

「こんな美味い料理、初めて食ったぞ!」

「ユリおねぇちゃん、そんな勢いよく食べたら喉を詰まらせるよ」


 ライゼリック組からもまずまずな高評価。

 教会組の皆さんにも、いつものように美味しく食べて頂きました。



 ◆



 今日この日も、私は闘技場へと来ていました。

 ここの空気にも慣れたもので、妙な気負いなどは存在していません。


「今日の対戦相手には、ササナキさんを指定します」

「あいよ。前口上に注文は?」

「勝っても負けても最後になるので、カッコよくお願いします」


 柔らかい表情で受付さんに言うと、「あいよ」と短い言葉を返ってきました。

 何時ものように控室で待機していると、二人が死体で、一人が勝利して出てきました。

 出てきた一人が引き連れていた賞品剣闘士は、ミルタンクさん。

 その表情はあまり苦しそうではありませんでした。

 きっと良い人に当たったのでしょう。


『さぁさぁ今日の賞品剣闘士は凄いぞ! 五戦目にしか挑戦できないこの女! 誰もが彼女の痴態を見てみたい!! 賞品剣闘士――ササナキ!! これに挑戦するは――』


 響く実況の声。

 その声が聞こえてくると同時に闘技場の係員が声を掛けてきました。


「出番だぞ……って、もう言うまでもないか」

「はい、行ってきます。そして――さようなら」


 私は闘技場への道を進みます。


『この地下奴隷都市に誰が善を持ち込んだ!? 力と暴力が支配するこの世界で、この男は最後に何を見せてくれるのか!! ササナキ一筋――――オッサァアアアァァアアアン――!!』


 ブーイングの嵐……と思いきや、予想外に強い歓声が響きました。

 とはいえ、今までに比べれば悪くない前口上。

 ……なのですが、観客席で見ているナターリアの表情に少しだけ影がありました。

 ササナキ一筋という言葉は是非とも止めて欲しいかったところです。

 あれは発展すると、妬ましさで人が殺せるタイプの視線になる事でしょう。

 私の背筋に嫌な汗が溢れ出してきました。


『それでは――試合開始ィィィイイイ!!』


 開始のゴングが鳴り響き、私は身構えます。


「人気者なのね」


 抑揚の無い声でそう声を掛けてきたのは目の前のハイエルフ剣闘士。

 ライトグリーンの髪は腰の下辺りにまで伸びています。

 一本一本が細く、それでいてしっかりとした質量を持っているように見えました。


「いえ、ササナキさんほどではないですよ」

「あなたは……そう」


 透き通ったエメラルドのような瞳を僅かに動かして笑みを浮かべたササナキさん。

 私の表情を窺い見て一人で納得してしまった様子の彼女。

 ――ハイエルフ。

 見たのは初めてなのですが、ものすごい存在感です。

 世界の美と調和しているような……そんな不思議な気配を纏っている種族。

 美しさで言えばシルヴィアさんも良い勝負なのですが、ベクトルがかなり違います。

 シルヴィアさんが荒々しい吹雪の中に一輪で佇む孤高の美だとすれば――。

 ササナキさんは穏やかな森林の中で静かに佇んでいる、そんな調和の美。

 死と暴力が蔓延しているこの世界でさえ調和しているかのような雰囲気の彼女。

 この雰囲気……誰かに似ています。


「ねぇ、あなたも私と性行為がしたいの?」

「――ブッ!? ち、違います! 私は貴方を助けるためにここまで来ました!」

「そう……」


 ――ッ。

 他者に深い関心を示さないような態度と、この雰囲気。

 私がショタっこ時代に恋をして告白し、速攻でフられた先輩に似ています。

 戦いにくい……と言わざるを得ません。


「えっと、リタイアしては頂けませんか?」

「なぜ?」

「何故ってササナキさん……」


 何なのでしょうか、このいまいち話が噛み合っていないような違和感は。

 もし万が一、私があの先輩とよく話す仲になっていたら――。

 もしかして、こんな会話を繰り返していたのでしょうか。


「ヒトはいつも忙しそうにしているわ」

「……そうですね」

「短命種の宿命なのかもしれないけれど、私には少し早すぎるの」

「ササナキさんは……何歳なのですか?」

「いっぱい生きたわ」

「…………」

「…………」

「あれっ、それだけですか?」

「ん? ああ、人は一から十まで言葉にしないと伝わらないのだったわ。ごめんなさい」


 ――ぐぁぅっ。いえ、ここは我慢です。

 ここで急いては、いざ早漏と言われかねません。

 世界全体の速度が数段階下がっているかのような。

 そんなもどかしさが私を蝕みます。

 結局のところ、ササナキさんは何歳なのでしょうか。

 まぁなんにせよ彼女の胸は――まっ平です。

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