『不幸か幸福か』三
城壁の上に辿り着いた頃には戦闘音が完全に止んでいました。
負傷者を出しながらも、魔王軍を退ける事に成功したのです。
「妙だな」
「ダイアナさん?」
「当たりが弱い。かなりの数を減らしたが向こうにはまだ八千以上の頭数がある」
ダイアナさんの見ている先は氷片の湖になっている対岸。
そこには未だに魔王軍が陣取っていて撤退する気配がありません。
「退却した魔王軍がそのまま陣取っているのには、まだ何か理由があると?」
「その通り」
「夜を待って再度攻撃を仕掛けてくるつもりなのでは?」
現在の時刻は夕暮れ時で、もう一時間もすれば陽が落ちてしまうだろうという時間帯。
つまり魔王軍側に有利な時間がやってくるという事です。
「あの数なら夜戦でも負けはしない。だが、もう五千も増援が来たら少し怪しいな」
「では相手が疲弊している今が攻め時という事ですね?」
「……ああ。上の連中が違うと言っているせいで打って出る事は無いがな」
恨めしそうに遠くの魔王軍を睨んでいるダイアナさん。
「なんでまた」
「町の優位性は魔力バリスタと城壁ありきのもの。それを殺すような行動は無理だとさ」
「保守的ですね。まぁ、その意見も間違っていないとは思いますが……」
「ところで、なんでオッサンが私のそばに居るんだ?」
「隣が寂しいかな、と思いまして」
「まったく。私の副官も、お前くらいしぶとければな……」
そう言いながら自嘲気味な苦笑いを浮かべたダイアナさん。
「…………」
「お察しの通りアイツは死んだよ。私なんかを庇ってな」
全体で見れば〝ほぼ〟無傷の人間サイド。
ですが、それは決して完全な無傷ではありません。
完全勝利とは一定の死傷者がいる上で成り立っている言葉です。
戦争で一人の死傷者も出ない、などという事は絶対にありえません。
もし片側に一人の死傷者も出ていない戦争があったとしたら……。
それは戦争ではなく、虐殺と呼ぶものでしょう。
「まっ、何にせよ今のうちに晩飯と休息、再配置を済ませてしまうのが賢い選択だろうな」
「やけ酒、私でよければ付き合いますよ?」
「バカ言え、戦争中に酒を飲むやつがあるか」
悲しそうな笑みを浮かべて私の方を見てきたダイアナさん。
「だがまぁ……全てが片付いた後でならお前と飲みに行くのも悪くない、か……」
「ダイアナさん……」
「いや、やっぱり悪いな。部下を連れて行くとしよう」
「馬鹿な!? 今の話の流れで、それは無いんじゃないですか!!?」
そんなやり取りのあと全体が順次休憩を取る事になりました。
城壁の上や町の中には、これでもかという程の光源が設置されています。
松明や魔術による光源。その様はさながら、イベント前夜といった風情。
それを眺めながら配給された食事を食べていると……。
鎧を小さく鳴らしながら近づいてくる、ダイアナさんの姿が目に入りました。
民家の壁際に座っている私に気が付いたダイアナさん。
そのまま隣にまでやってきて腰を下ろしました。
「オッサン、疲れは取れたか?」
「筋肉痛らしき感覚以外は、まぁ大丈夫ですね」
「くくっ。普段から体を鍛えていないからそうなるんだ」
そうやって軽快に笑い、私の横っ腹を指先でツンツンしてきたダイアナさん。
少しばかり余計な肉が付いてしまっている私の横っ腹。
つっつかれると、ダイアナさんの指先が僅かに沈みます。
「ほぅ、昔は鍛えていたのか」
「へ? なんで判るんですか?」
「いや、当然だろう」
体を指先で触っただけだというのに肉体の過去が判るのが当然?
ダイアナさんは筋肉に名前を付けてしまうような人種なのでしょうか。
そんな疑惑が、私の中で浮上してまいりました。
「私がもっと若かった頃、少しだけ体を鍛えていた時期がありましてね」
「なんで止めた?」
「必要が無くなったから、でしょうか」
「ふむ……その言い方、何かあったのか」
手に持っている木皿に視線を落としてそう言った私に……。
ダイアナさんは気遣うような声音になって深くは追求してきません。
きっとそれが、ダイアナさんをいい女であるとする所以なのでしょう。
戦場の空気がそうさせるのか。
私の口は自然と開いて語り出してしまいます。
「守るべきものが無くなった、というのが最大の理由ですかね。鍛え始めるきっかけになった彼女との縁が切れるその時まで、私の筋肉は立派に役目を果たしていました。なので私の筋肉はある意味やり切った、とも言えるでしょう」
その話を聞いて僅かに表情を和らげたダイアナさん。
直感的に最悪の話ではないと理解したのでしょう。
「死に別れた、という訳ではないのだな?」
「ええ、きっと今頃は元の世界で平和にやっている筈ですよ」
「それは良いことだ。世界が平和で個人は元気。それは何時だって人を幸福にする」
にぃ、と笑うダイアナさんの顔は夜の魔力によって魅力が高められているのか。
私には、それがとても魅力的に映りました。
照れを誤魔化すように私は皿に残った料理を口に流し込みます。
「ダイアナさん。生まれつき完全じゃない状態の人は元気だと言えるのでしょうか?」
「ん、どういうことだ?」
「彼女はこの世に生を受けたその時から心身に障害がありました」
少しだけ暗い話になってしまいますが、動き出した口は止められません。
「心身の発達が人より未熟な状態だったのです。それを知らなかった幼い私は、その不思議な雰囲気に魅了され……幼いながらに好意を抱いていました」
――生まれつきの障害。
それは誰にでも起こる可能性があったもの。
ほんの少し運が悪ければ誰にだって……。
「難しいところだな。神によって与えられたものが最初から完全ではないとすれば、それはそれで完全であるのか、それとも完全では無いのか」
私のこんな面倒くさい戯言にも真摯に向き合ってくれるダイアナさん。
この世界には善人かつ、魅力的な女性が多過ぎるのではないでしょうか。
エルティーナさんしかり、ダイアナさんしかり。
リュリュさん……は違いますね。
シルヴィ……ん? ナターリア……おや?
若干怪しくなってきたので、これ以上考えるのは止めておきましょう。
「まっ、何にしても休める時には休んでおくべきだ」
「それには同意ですね」
「少し寝るか? 何かあれば蹴ってでも起こしてやるぞ」
「随分と刺激的な目覚まし時計ですね? では膝枕をお借りしても?」
「いいワケないだろう。バカめ」
「それは残念」
…………。
「では少しだけ仮眠を取らせて頂きます」
「ああ、そうするといい」
私は傍に置いてあったバックパックから毛布を二枚取り出し……。
一枚をダイアナさんに渡したあと適当に包まって眠ることにしました。
◇
……。
…………。
………………。
――体を鍛えた切っ掛け――。
私がまだ小学生で、ショタっ子であった時代。
一つ上の学年には、アルビノと言ってもいいような肌の白い女の子がいました。
その少女は常に単語だけの短い言葉で話をしています。
少女が長い言葉を話した事はありませんでした。
声量事態もあまり大きな声では無く、本当に小さな鈴を鳴らすような……。
そんな透き通った声をしていたのを今でも鮮明に覚えています。
とはいえ、それが子供時代に有利に働く事はありません。
一つ上の彼女は同じ学年内で、イジメに近い扱いを受けていました。
自分と違うという事はそれだけ罪であり、子供からしたら恐怖の対象になりうるもの。
そして大概の集団は、それを排除しにかかってしまうものなのでしょう。
ある時の私は、それに対して我慢することが出来ませんでした。
気が付いたら私は……一つ上の学年に殴り掛かっていたのです。
その結果を勝利……と言っていいのかは、かなり微妙なもの。
負傷の量が多い側を負けとするのであれば、その時の私は勝利したのでしょう。
ですが原因である彼女に対するイジメを勝敗とするのであれば――。
それは決着では、ありませんでした。
――何時だって一対多数。
これによる殴り合いの喧嘩を経験した人物が一体どれだけいるのでしょうか。
なぜ加害者になる側は何時だって複数で、それ抗う者は常に一人なのでしょうか。
しかし一人であるのなら、それはそれでやりようもありました。
手段を選ぶ必要が無くなるのです。
なんせ、それを咎めて治める事の出来る人物はいないのですから。
保身しか考えられない教育者の多くは――小数の側に責任を押し付けます。
コレの原因はお前にあるのだから、お前が我慢するべきだ……と。
それを正しいと思っている者にとっては、イジメをしている側が正義。
つまり、イジメを受けている側が悪なのでしょう。
それは個人の価値観と人間性から来るものなので、言葉で説得するのは不可能。
だから私は――その人物を地獄から助ける為に暴力を振るいました。
例え何をしようとも……。
誰に、何と言われようとも……。
自らが曲がってしまう事がなければ助けられると信じて、私は――……。
ショタっ子時代の私は数多くの未知に遭遇して不思議な体験をしてきました。
それは、この一般の人とは違った心と環境が作り出した幻想なかもしれません。
誰も見ない不思議なモノを見て一人で暗がりを歩けば誰かに手を引かれる。
そして、ふと夜空を見上げれば――。
大人となってからも正体のわからない奇妙な浮遊物。
その場で滞空する大きな謎の光を見つけた――子供時代の私。
心と肉体を鍛え続けたショタっ子時代の私。
そんな私は……喧嘩を何度も繰り返すことになりました。
ある日は――。
一つ上の少年らが助けを求めた二つ上の学年五人と。
それを相手に一人で立ち向かい、グラウンドで落ちていた竹を振り回し。
たった一人で大立回りをした真夏の昼下がり。
そして、またある時は――……。
恐怖心というものは存在しません。
ショタっ子時代の私は痛みに対しても次第に強くなっていきました。
拳の骨にヒビが入ったとしても相手を殴り続けられるくらいの苦痛耐性。
それ程までに多くの痛みを感じ、痛みに強くなっていった。
私の体は、いつの間にか鍛え上げられていたのです。
いつも喧嘩ばかりしていたショタっ子時代の私。
当然、同学年の中では浮いた存在になっていました。
とは言え、その圧倒的な力の恐怖のせいで弾き出される事はありません。
しかし、それでも輪の中に迎え入れられるという事は無くなっていたのです。
小学五年生の夏。
私は意を決して一つ上の『彼女』に告白をしました。
しかし、その言葉の内容は――「好きだ!」という短いもの。
それに対する彼女の言葉は「……そう……」という、もっと短い二文字のもの。
そのまま立ち去った彼女に立ち尽くして見送るしか無かったショタっ子時代の私。
やがて彼女は卒業し……私が中学生になった頃。
彼女は中学でも障碍者が集められるF組という。
全学年数人からなる特別なクラスに入れられていたのです。
喧嘩する理由が無くなったショタっ子時代の私。
穏やかになる性格と共に、次第に仲間という輪に迎え入れられていきました。
体を鍛えるという行為は学生時代が過ぎ去ってしばらくするまで続きます。
――神様というものは何時だって理不尽で……。
突然の幸福を与えてくれる事もあれば覆せない不幸を押し付けてくる事もあります。
大半のヒトは不幸の方が多く存在するのではないでしょうか?
しかし生まれながらに多くの不幸を押し付けられた場合――。
それは、その後の人生が順風満帆になる事は無いのでしょうか。
後天的にそれを与えられた者が居るとします。
では、その者は過去の幸福に縋り不幸を生きるしかなくなった、その時。
低い最善を知る者と高い最善を知る者で、どちらが幸福たりえるのでしょうか。
この結論は……。
私がおっさんになった今でも結論の出ない永遠の疑問になり続けています。
そして、それは誰一人として完璧な結論を出せた者が居ない事象でしょう。
――そもそも幸福とは何で不幸とは何なのか。
上限も下限も無いそれに基線は存在しているのでしょうか。
今現在の私は……一体どっちなのでしょうか……?
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