『分岐点』二
その日の夜。
補修用の足場として組まれた場所に私は座っていました。
空を見上げれば元の世界では見る事の出来ないような澄み切った満点の星空。
フードの中で眠っている妖精さんを起こしてしまわないよう静かに星を眺めます。
私一人だけの静かな天体観測。
黙ったまま空に浮かぶ月に手を伸ばして……思います。
――この星にも月があるのですね……と。
「ふんっ、五千年前と比べても空だけは綺麗になったものだな」
そんな事を考えていると、シルヴィアさんが姿を現しました。
「星の自浄作用ですか。私はですね、昔っから星を見るのだけは好きでした」
「ほぅ」
「とは言え……元の世界でも星座は一つしか知りませんでしたが」
「ふんっ、この星から見た星座を知りたいのなら私が教えてやってもいい」
そっぽを向きながら、そう答えてくれたシルヴィアさん。
私はポカンとして彼女に驚きの視線を向けてしまいます。
「なんだ、知りたくはないのか……?」
「いえ、教えて頂きたいです」
少しだけ不満顔のシルヴィアさん。
本当に意外な提案でした。
「ただ自主的にそのような事を言うとは思っていなかったので、すごく驚きました」
「今はお前が私のご主人様だ。多少の奉仕もする」
「シルヴィアさんは時々、思い出したかのようにご主人様という言葉を使いますよね」
「……ふんっ」
怪訝そうな顔をしながら私を見ていたシルヴィアさんでしたが。
改めてそっぽを向いてしまいました。
「私もな……こうなる以前は星が好きだったような気がするんだ……」
「こうなる以前?」
静かに星を眺めているシルヴィアさん。
シルヴィアさんのこんな姿、本当に初めて見ました。
彼女は雪山で一人だった頃も今日のように星を眺めていたのでしょうか。
以前というのは、私と出会う前の事?
それとも――。
「私がまだニンゲンだった頃だ。記憶は全くと言っていいほど残ってはいないが……汚れた空の隙間から見える星が、私は好きだった筈なんだ……」
――〝こうなる以前〟。
――〝人間だった頃〟。
つまりシルヴィアさんは元々人間であり、なんらかの要因で氷の最高位精霊になった。
衝撃の事実です。
「お前と初めて会った時に私はこう言ったな。パルデラレリック公国の姫と同じ顔を持つ、と」
「はい」
「だが実は、それは嘘なんだ。本当は……本当はな……私が公国の元姫だった」
――!?
「私という存在は他のと生まれた経緯が違っていた。病で亡くなった姫を嘆き悲しんだ国王が、それを無理矢理に生き返らせようとした結果が――私という存在。私がニンゲンの傍に居たいと思うこの感情も恐らくは、その名残なのだろう」
憂いを帯びた表情で月を眺める彼女は本当に美しく。
サファイアの宝石のような瞳は月や星々に負けないくらいに心を惹かれます。
普段のシルヴィアさんとは全く違った本当に高貴な雰囲気。
普段からこのような風情でいられたのなら――。
私の理性はとうの昔に吹き飛んでいた事でしょう。
「あぁ、お前に星座を教えてやるんだったな」
にこりと柔らかく微笑んで私を見つめてくるシルヴィアさん。
今は星よりも、キミの瞳を見ていたい。
正直にそう言えたのなら、どれだけ良かった事でしょうか。
そしてその逆に。
そんな事を言ってしまい、この空気を壊してしまわなくてよかった。
そう思っている私も居るのです。
「まぁ、私も冬の星座は……一つしか知らないのだがな?」
愛らしくウィンクをするシルヴィアさんに高鳴る私の心臓。
その日の私はきっと……。
一つしか知らない星座を楽しそうに話す彼女に恋をしていたのでしょう。
睡眠を必要としないシルヴィアさんと明け方近くまで天体観測をしていた結果――。
次の日は、かなりの寝不足になってしまいました。
きっと、私にかけられた恋の魔法が溶けてしまう事は……。
――もう無いのでしょう。
――決死のハグで目を覚まされるまでは――。
◆
三日後の早朝。
城壁の上は静寂に包まれていて緊迫した空気が場を支配していました。
城壁の下。
仮設司令部のすぐ傍では主婦の方々が炊き出しを行っているのが見えます。
エルティーナさんや廃教会の子供達が、そのお手伝いをしているのが見えました。
「報告! 西に少し行った地点にて避難民の生存が確認されました!!」
「なに? あの村で戦える人間なんて多くとも百五十程度だと思っていたのだが……」
「どうやら敵の追撃を撃退しながら撤退戦に成功していた模様です!」
白い息を吐きながらダイアナさんの元へとやってきたのは金属鎧の兵士。
難民というのは、ジェンベルさんの酒場で聞いた方達の事でなのでしょうか。
「はっ! 集団を置いて先に逃げてきた者達の話では〝黒の隻腕〟という辺境を中心に活動している凄腕パーティーと、突如として現れた男女二人組の冒険者による活躍によって何とか凌いでいるとのこと! 逃走路に人魚の湖を利用したのも大きいかと思われます!」
話では全滅は必至と言われていた避難民たち。
余程の凄腕冒険者が付いているのでしょう。
「突然現れた? その二人組は全裸で村の中心にいた、とかではないだろうな」
「いえ、そのような話は聞き及んでいませんが……」
「オッサン! お前の知り合いか!?」
ダイアナさんが少し離れた位置に待機していた私に、そう尋ねて来ました。
「直接見ない事にはなんとも言えません! が、恐らくは赤の他人です!」
タクミのような日本人である可能性はあります。
が、この場は流しておくのが正解でしょう。
「そうか、だが王宮預言者の話もある。救援部隊を出すよう上に進言するべきか」
「伝令に過ぎない私の意見を言わせて頂きますと城壁無しでの正面衝突は無謀かと」
「……だろうな。そもそも私は予言というものを、あまり信じてはいない」
どうするべきか悩んでいたダイアナさんでしたが伝令の話を聞いて決断したようです。
「こちらの戦力は良くて五千。そこから人員を割いて救援に向かうというのは自殺以外の何ものでもないだろう。……よし、下がって良いぞ」
伝令は「ハッ!」と短く返事を返し、この場を後にしました。
カチャカチャと金属鎧を鳴らしながら足早に階段を駆け下りて行きます。
「はてさて。この選択が吉と出るか、凶と出るか……」
体を震わせながら待機している事しばらく……。
エルティーナさん達、支援組が近付いてくるのが見えました。
お盆にはコップが乗せられていて壁の上で待機している者らに配っています。
「オッサン、珈琲ですよ。体が温まるので飲んでください」
「……助かります」
お盆の上に乗せられた最後のコップを受け取り、それを啜ります。
珈琲の熱で温まっていたコップが手を温めてくれました。
現在の私が着ているのは魔術の付与されたローブ。
これが無ければ他の人と同様に、ガチガチと寒さに震えていたことでしょう。
現に、エルティーナさんもかなり寒そうにしています。
「ふぅ……なかなか美味しい珈琲ですね。エルティーナさんもいかがです?」
「いいのですか?」
「実を言うとかなり暇をしていたので話し相手が居てくれると嬉しいですね」
「うふふ、では頂きます」
城壁の上は下よりも風が強くて体を震わせているくらいに寒いはず。
しかし、エルティーナさんは嫌な顔一つせず隣に腰を下ろしてくれました。
私は無言でローブを脱いで、エルティーナさんに被せて差し上げます。
これは私の一度はやってみたい行動ランキングのかなり上位に入る行動。
成功すると非常に気持ちのいいもので何度でもやりたくなってしまいます。
万が一にも臭い、と言われてしまった場合は立ち直れなくなる事でしょう。
が、私はエルティーナさんがそのような事を言わないのは知っています。
なので、その点は安心してもいいでしょう。
「お、オッサン……? 私は寒さに慣れているので大丈夫ですから……!」
ローブの頭部分から顔を出しながら慌てたように言ってきたエルティーナさん。
――まさか……本当にクサイのでしょうか?
「いえいえ。私は珈琲とエルティーナさんの御かげで熱いくらいに暖まっています」
「ですが……」
「それに肩を震わせているエルティーナさんが居て、見て見ぬフリは出来ません」
「…………えと、その。あ、ありがとうございます」
上目遣いでチラチラと私を見てくるエルティーナさん。
その姿を見る事が出来ただけでも今回の行動は成功したと言えるでしょう。
「でも――」
不意に――頭から何かが覆いかぶさってきました。
柔らかくて少し暖かい布の感触。
それから柔らかくて大きな……下腹部に響く感触が……ッ。
「こうすれば二人とも寒くないですよね?」
同じ頭部分の穴から顔を出したエルティーナさんが、ウィンクをしてくれました。
これは私のされてみたい事ランキングの、かなり上位に入る行動です。
エルティーナさんの薄い金髪はふわりとしていて柔らかく……。
甘い香りが鼻腔をくすぐりました。
――最近ウィンクをされることが増えましたね。
と、どうでもいいことを考えながら現状を確認してみます。
一見すると二人も入れないように見えた、ダヌアさん制作のフード付きローブ。
ですが二人で入ってみれば元の大きさなんてなんのその。
異常な程に伸縮性のある素材なのでしょう。
少しだけ密着度が高いと言う点を除けば息苦しくもありません。
温まるだけであれば何の問題もないでしょう。
――ッ。
エルティーナさんの女性的な体が見えない場所で私に押し当てられました。
周囲は緊迫した空気だというのに、マイサンが元気に産声を上げています。
なんとか落ち着かせなくては……。
この現状――悟られる訳にはいけません。
これは間違いなく口八丁で誤魔化さなくてはならない場面です。
口先の魔術で活路を……!!
「温かいですね……」
「ふふっ、少しだけ恥ずかしいですけどね」
――――呼んだ?――――。
僅かに頬を赤らめてそう言ったエルティーナにマイサンが――出番なのか?
とイキリ立ってまいりました。
ローブの中でもぞもぞと動いて袖口から片手を出したエルティーナさん。
地面に置いてあったコップを手に取って一口啜りました。
この密着している状態で大人な体のエルティーナさんが動いたのです。
ローブの下では様々な嬉しい出来事が起こりました。
それはまさしく――ワンダーラッ!
もう本当に、マイサンが今にも暴れ出しそうで危険な状態です。
『『『ウーギーギーギー、妬マシサデヒトガコロセレバー』』』
最近よく耳に入ってくる言葉が四方八方から聞こえてきました。
――ゴツン。
「おいっ、突然何を言ってる。キチンと周囲の警戒はしているのだろうな!」
「い、いえ! 申し訳ありません!!」
誰かがダイアナさんに鉄骨を落とされたようです。
一方で僅かに頬を朱に染めたエルティーナさんはと言うと……。
先ほどから、チラチラと私のことを見てきています。
――これは、モテ期なのではないでしょうか?
私にはモテ期が来ないのだとばかりに思っていたのですが、今!
モテ期がやって来たのではないでしょうか!!
シルヴィアさん以外なら誰でもドンと来いです。
――ウェルカム美女! ウェルカムエルティーナさん!!
「……温かいですね、オッサンは」
「ええ、目玉が飛び出るくらいに高いローブですから」
「…………ですね」
少しだけ含みのある同意の声。
にこりと微笑んで更に体を密着させてきたエルティーナさん。
「こうして二人で入っていると心まで温かくしてくれる。本当に素敵なローブです」
――ちんちんちんちんちんちんちんちんちんちんちんちんちんチン――ッッ!!
これはもう、行けるところまで――――。
「見えたぞ! 撤退中の避難民たちだ!!」
――ッ!?
「まだかなり距離はあるが、その後方に魔王軍の本体らしき軍団を確認!!」
「全員配置に着けえッッ!!」
先ほどまでの静寂とは真逆に突如として騒がしく動き始めた守衛たち。
エルティーナさんはローブから体を引きいて名残惜しそうに去って行きます。
去り際に――「生きてください」と言い残して階段を下りていきました。
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