『パンドラの箱』三

 誰かに顔をむにっと踏まれるような感覚で目を覚めました。


「……起きた?」

「え……はい、ありがとうございます。っ、助かりました」

「……いいよ」


 それだけ言うと妖精さんはブーツを履いて、小さな妖精さんの姿に戻りました。

 そう、私の顔を踏んでいたのはブーツを脱いだ妖精さんだったのです。


「酷い夢でした……」


 馬車はいつの間にか止まっていました。

 休憩場所に到着したのでしょう。

 普段通りの顔で私を見下ろしているシルヴィアさん。

 エッダさんは少しだけ、こちらが気になるというような顔をしています。

 馬車の後ろが唐突に開かれて男が顔を出しました。


「おい休憩だ…………ぞ……?」


 エッダさん、タクミ、シルヴィアさん、私を順番に見て完全に固まった男。


「ウーギーギーギーギー、ネタマシサデヒトガコロセタラー」

「なぁそれ流行ってんのか?」


 どこかで聞いたような言葉を発した男に対して呆れ顔になったエッダさん。

 褐色幼女形体を取った妖精さんが男を指差して口を開きました。


「……一人でオナニー、かわいそう、ちんぽこかわいそう……」

「うわあぁああああああああ!!」


 男は泣きながら走り去っていきました。

 エッダさんは去っていく男に対して、シッシッと追い払うような動作をしています。


「はぁ……」


 男が見えなくなってから深いため息を吐いたエッダさん。

 妖精さんは次に、と私を指差して……。


「……一人でオナニー、かわいそう、ちんp」

「妖精さん、その台詞気に入ったんですか?」


 軽く目を逸らした後に小さく頷き、元の姿に戻った妖精さん。

 それを見て私は体を起こします。


「もういいのか?」

「はい、ありがとうございました」

「……ふんっ」


 お礼を述べるとシルヴィアさんは魔石形体へと姿を変え、杖の穴に収まりました。

 馬車の荷台から降りた私は森の中で一日一死ハグのノルマを達成。

 身なりを整えてから馬車に戻ります。


「お早いお戻りだ」

「別にお楽しみをしていたワケではありません、契約を果たしていただけです」

「へぇそうかい、ほれっ」


 そう言って干し肉を放り投げてきたエッダさん。

 可能であれば、その食べ掛けの干し肉を渡して頂きたかったところ。

 私は干し肉を食べながら、バックパックから妖精さん用のご飯を取り出します。


「どうぞ」


 ――響く、妖精さんの笑い声。

 そうして食事を続けることしばらく。

 渡された干し肉を食べていると、エッダさんが私の方を見てきました。

 ……いえ、正確には食べている妖精さんを見て顔を顰めています。


「おい、なんだそれは? お前の口はそこにもあるのか?」

「もちろん違います。このパンを食べているのは妖精さんですよ」

「……妖精さん?」

「恐らくですが、この形体の妖精さんは私にしか見えません」

「あの戦闘の最中もずっと居たのか?」

「先頭の最後に褐色の幼女が居ましたよね」

「いたな、さっきもお前を踏んでたし」

「おっさん花を呼び出していたのは彼女です」

「――なっ……! アレはお前の召喚物じゃなかったのか!?」

「はい」


 おっさん花を妖精さんが呼び出したという事実に驚いている様子のエッダさん。

 これは敵に情報を与えるという愚行なのでしょう。

 が、もう彼女らとは敵対者として交戦したくはないので、もう問題はありません。


「待てよ? アタシは妖精と戦ったこともある。だが奴等はあんなの召喚しなかった筈だ。一人でアレの相手をさせられたら流石のアタシも蛆虫のオヤツになってるからな」


 物事を整理するかのように親指を噛んで考える仕草をするエッダさん。

 男らしくて素敵です。


「妖精さんというのは私がそう呼んでいるだけです」

「本当は違うのか?」

「まぁ、最近出会った別個体に、妖精さんが妖精じゃ無いと気づかされました」

「……なるほど。アタシはその別個体ってのにも出会いたかねぇなぁ」

「彼女は妖精さんと違って容赦の無い性格をしています。気を付けた方がいいですよ」

「おえっ、四十人以上も殺しやがったヤツよりも容赦の無い性格? きつい冗談だ」

「私は冗談を言うのが下手でしてね」

「そうらしいな、覚えとく」


 そのように答えて最後の干し肉を口に放り込んだエッダさん。


「まてよ? じゃあその魔族は人型にもなれるのか??」


「まぁそうですね」

「チッ、透明状態で街中に入られたらと思うとゾッとするぜ」

「愛らしい姿なので人攫いに遭うかもしれませんね」

「はっ! 奴隷狩りが行動を起こしたら返り討ちでミンチだな」


 エッダさんが妖精さんを示す言葉として使われた〝魔族〟という言葉。

 この世界にはかなりの多種族が存在しています。

 人間と敵対していて対話の出来ない相手を〝魔物〟と呼び。

 エルフ、ドワーフ、等々を除いた対話の可能な相手を〝魔族〟と呼ぶそうです。

 それで妖精さん達のことを魔族と呼んだのでしょう。


「この世界はどこにでも人攫いが出るから物騒です」

「そういやタクミの同郷とか言ってたな。お前の世界だと人攫いは出なかったのか?」

「…………稀に出ますね」

「その辺はどこの世界でも変わらないってこった」


 悪いものは何処でも変わらない。

 そういう事なのでしょう。


「まっ、人通りの多い表通りには衛兵だとかがいて、人攫いも出にくいがな」

「出ないワケではないのですね」

「そっちの世界は?」

「…………極稀に出ます」

「だろ?」


 そうこう話していると外からも話し声が聞こえてくるようになりました。

 が、しばらくすると何故かその喧騒が不自然に収まります。


「ちょっと様子を見てきます」

「ああ」


 気になったのでエッダさんに一言告げてから馬車の外へと出る事に。

 エッダさんは今も爆睡しているタクミに膝枕をしていので動けません。


「あー、連中は屑で馬鹿だが、馬とファックしてない限りは殺さないでやってくれ」

「していたら?」

「そいつぁ頭が沸いてやがる、殺さない程度に痛めつてやれ」

「了解です」


 馬車の荷台から出てみると人が中央の馬車付近に集まっていました。

 なにか……黒い箱のようなものの蓋をこじ開けようとしているようです。

 よく見てみると、もう既に箱の隙間へと剣をねじ込んでいるところでした。

 嫌な予感がします。


「いやー、やっぱ気になるよな。顔がよけりゃ依頼主に渡す前に一発ヤっときてぇし」

「ここ数日で色々と溜まっちまったぜ! エッダの股がもうちィと緩けりゃあなぁ」

「〝肉塊〟、あんたも〝無限肉屋エターナルプッチャー〟を見たくなったのか?」


 その黒い箱に近づいていくと、私の接近に気付いた数人が声を掛けてきました。


「そういえば誰かがそんな話をしていましたね。何ですかそれ」


 全く知らない、よく分からない事を言っている男性。

 もしかしたら私の〝肉塊〟のような二つ名なのかもしれません。


「知らねぇのか。〝無限肉屋エターナルプッチャー〟は元々、裏の娼館でやばい奴等を相手に働かされていたらしいんだ。が、それが原因で壊れちまってな。娼館の連中を皆殺しにしたあと町の者を手当たり次第殺したってぇヤバイ殺人鬼だ。本当にしらねぇのか?」


 強制的に従事させられた、きつい拷問のような仕事。

 きっとそれは通常の仕事環境とは違い、奴隷よりも過酷だったことでしょう。

 そんな環境では心も壊れてしまうというものです。


「全く知りませんでした。そんな酷い話があるのですね」

「なーに、前半部分だけならよくある話だ」


 ――よくある話?

 瞬間的に頭に思い浮かんだのは、領主屋敷で見たガラスの円柱。

 結果的にアレは悪い魔族の仕業だったのでした。

 が、それ以上に凄惨な行いを同族同士で――よくある話?


「ちなみにアークレリックの街よりも東、最前線にある町での出来事だそうだ」


 不穏で嫌な流れを感じ取った私は集団の一番前にまで移動します。

 一番前でその黒い箱を見てみると――。

 黒い箱には灰色の文字らしきものが、びっしりと書き込まれていました。

 その黒い箱の蓋は――今にも開いてしまいそうになっています。


「その箱、開けない方がいいのでは……?」

「なーに言ってんだ〝肉塊〟よぉ」

「てめェと違ってこっちにゃぁ美女もいなくて溜まってんだ」

「精霊様が俺達の相手をしてくれるってんなら聞かねぇ話でもねぇんだが、駄目なんだろ?」

「シルヴィアさんの事ですか?」

「それが精霊様の名前なら、そうだよ」

「彼女にハグをされて生きていた人を私は知らないのですが、それでも――」

「ふんっ。私の相手をしたいというのはオマエか?」


 腕組みをして宙に浮いた状態で姿を現したシルヴィアさん。

 ハグが出来るという状況に急いで出て来てきれたのでしょう。

 魔石から出てくる速さも慣れてきたのかかなり上がっています。


「ご主人様、相手がいいと言ったんだ。黙ってろ」

「はい」


 唐突に姿を現したシルヴィアさん。

 それに対してサッと血の気が引いた男が震える口で言葉を発しました。


「し、死因はなんだ? 力の入れ過ぎなら、あんたが命令すればどうにかなるんじゃ……」

「本人にも抑えられない冷気による凍死です」

「だから黙っていろと……まあいいか」


 ――まぁいいか?


「それじゃあオマエ、私が裸で温めてやる。抱きたいのだろう? この私を」

「……ぃってなぃ。たすけて、にくかい……」

「ここまで期待させてしまっては、あとは自己責任でお願いします」


 まぁいい、というのはきっと、ハグで死んでも構わないという意味なのでしょう。

 死んでも美少女とハグをしたいと思う人だって居るかもしれません。

 何にせよ、ハグを期待しているシルヴィアさんを止めるのは少し大変です。


「私も止めると後が怖いので」

「……ぴぃ。ほぅしゅぅ、ぃのち……にげ……そうだ、逃げよう!!」


 脱兎の勢いで逃げ出していく男。

 溜め息を吐いて、ゆっくりと追いかけていくシルヴィアさん。

 逃げ出す直前に金貨を一枚握らせてきたのには、流石としか言いようがないです。


「シルヴィアさん、あまり離れないでください」

「……ちっ。まぁいい、明日は二回だぞ?」

「えっ?」


 恐ろしいことに明日のノルマが二回に増えてしまいました。

 杖の先端に触れて魔石の姿へと戻ったシルヴィアさん。

 ――いえ、まだハグが二回であると決まった訳では……。


「開いたぞ!!」


 バキッという音と共に黒い箱の蓋が開きました。

 中に入っていたのは、なんと――ッ! 褐色の少女!!


「んん……」


 夜空のように艶のある長い黒髪に幼げな顔立ち。

 右目は今まで眠らされていたのか、まだ閉ざされていました。

 が、左目には黒い眼帯が装着されています。


「あら? あなた方が次のお仕事相手なのかしら!」


 パッチリ見開かれた瞳は宝石のようなエメラルドグリーン。

 その表情は満点のお日様のような笑顔。

 ゴシックな黒いドレスが本当によく似合っています。

 だというのに私その笑顔を見て……一歩、後退りをしてしまいました。


「おお! へへっ、こいつぁ本当に上玉じゃねぇか」

「なぁ、娼館では相当遊んでたんだろ? 俺たちの相手もしてくれよ」


 一歩下がった私を一瞬だけ――無表情で見てきた少女。

 ですが、すぐに満面の笑顔を取り戻して嬉しそうに口を開きました。


「勿論いいわっ! 誰から相手をすればいいの? みんないっぺんにというのも良いわね!」

「うへぇ、ノリが良いな。いいぜ嬢ちゃん、俺たちみんなといっぺんに――」

「皆さん、ストップです!」


 私は少女と皆さんの間に割って入りました。


「なんだよ〝肉塊〟! 邪魔すんな」

「正義面して割り込んでくるのは強引に犯そうとした時だけにしろや!」

「少なくともこれは同意の上だぞ!」

「負けたんだから引っ込んでろ!!」


 当然のように飛び交うブーイングの嵐。


「私は依頼には失敗しましたが、あなた方に負けた覚えはありません」

「んだと?」

「なんなら、ここで再戦しますか?」

「うっ……」


 後退りをする男達。


「おじさんは気が付いて逃げ出すのかと思っていたのだけれど、正義感が強いのね!」

「……そんなんじゃないですよ」 

「そう? これでもわたしって善人を見つけるのは得意なの! 今まで見た事ないけど!」


 嬉しそうにそう言葉を発する女の子。

 私は冷や汗と鳥肌が止まりません。


「うふふっ、わたしもね。昔はお人形さんが欲しいな、なんて普通の事を思っていたの」

「お人形ですか? 私の人形でよかったら、どうぞ」


 私はサタンちゃんから頂いたおっさん人形を手渡します。


「まぁ! あなたそっくりの面白い人形ね! でも嬉しいわ!」

「ええ、オッサン特製の勇者人形ですよ」

「冗談のセンスはあまり無いのね!」


 そう言って人形をいじりだした少女の姿は、どこからどう見ても年相応の女の子。

 私はこちらを睨む皆さんの方へと向き直りました。


「百歩譲って、この子を依頼主の元にまで送り届けるのは仕方がありません」

「おぅ、それが依頼の目的だかんな」

「ですがこの場でこの子に何かしようというのは――止めませんか?」

「なに寝ぼけたこと言ってンだァ、テメェ……」

「少し力が強いからって、いい気になるなよ?」

「考えてみりゃぁこの距離と、この数……っ! おい! 離れろ!!」


 こちらの方を指差して突然そんな事を言ってきた男性。

 その直後――。


「え……? ――ヴっ……」


 胸に何か熱いものが突き立てられているかのような……。

 体の内側から熱を放たれているような……嫌な感触。

 無意識にガクガクと手足が震えます。

 下を見てみると……赤熱したナイフの先端が飛び出していました。


「……どう、じで……?」


 庇ったと思っていたハズの少女に背後から刺されていたのです。

 恐らくこのナイフは――私の所有物。

 いつのまに……??


「ごめんね? わたしがこうなっちゃう前に貴方みたいな人が一人でも居たら、わたしは踏みとどまれたのかもしれないのだけれど。……もう手遅れなの」


 口に上がってきた血を垂らしながら振り向いてみると――。

 少女は、おぞましい程に満面の笑みを浮かべていました。

 見覚えのあるナイフを私の体から引き抜き、再度突き刺してきた少女。

 その顔を見て、私は確信しました。

 この少女は――〝楽しくない人生を楽しんでいるのだ〟――と。

 私を刺しているのは、ダヌアさんの魔道具店で購入した赤熱するナイフ。

 突き立てられてナイフが捩られて、意識せずとも全身がガタガタと震えます。

 赤熱した刃は背中から腹部にまで肉を割きながら切り下げられ――。


「【ディーサーセンブル!】」


 パァーン! と腹部が弾けて、お腹の中身が全て地面にぶち撒けられました。


「クソッ! 【スナイピング!!】」

「うっ……!」


 最後に横目で見えものは、エッダさんが魔力銃から弾を発射した瞬間。

 一瞬の暗転。


『死にましたー』




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