『強欲な者』一

 暗転から復帰した私は、気が付くと部屋の外に立っていました。

 部屋の中には――。

 足で床を砕いた姿勢のまま、瞳を涙で一杯にしたシルヴィアさん。

 一体どけだけの力を込めて頭を踏みつけたのでしょうか。


「――ッ!」


 ただ一つ、私が理解することの出来た間違えようのない事実は――。

 キッ! と私を睨みつけたシルヴィアさんは、まだ満足してはいないようです。

 ――逃げないと!

 と思った私はシルヴィアさんに背を向けて駆け出しました。

 完璧なダッシュであったと自負しています。

 だというのに、だというのに……何故。

 私の華麗なる後ろに前進が許された歩数は――僅か三歩。


「このっ! このっ! このこのこのこのっ! このぉぉおおおお――――ッッ!!」


 ――だきぃぃぃぃ。

 シルヴィアさんの冷たい抱擁。

 ――暗転。


『死にましたー』


 暗闇が晴れると、かなり離れた場所に立っていました。

 今度はシルヴィアさんの視界からの視線も完全に切れています。

 私はぬき足さし足で――。


「ふんっ、今回は随分と離れた場所に湧いたな?」

「なっ、何故……!?」

「魔石化していなければ、体温で姿形と位置がわかるぞ」


 だきぃぃぃぃ。


『死にましたー』

「――ハッ!」


 暗転から復帰した私は何も考えず、とにかく走りました。

が――。


「今日お前が来なければ、契約違反で手当たり次第に抱き殺すところだった……!」

「――ッ!?」


 だきぃぃぃぃ。


『死にましたー』

「――ハッ!!」


 暗転からのクラウチングスタート……の前に、真上から抱き付かれました。


「ニンゲン、やはり温かいな……」


 ふにっ、ぎゅっ。


『死にました―』

「――ハッ!!!」


 本日何度目かの暗転からの復帰。

 嫌です、もう死にたくありません。

 なので某アニメの格闘家の親父が生み出した必殺技を、彼女にお見舞いします。

 土下座、からの――。


「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 誰に対しても誇る事ができる泣き土下座であると自負しています。

 なのに――。


「駄目だ、私はもっとハグがしたい」


 だきぃぃぃぃ。


『死にましたー』

「――ハッ!!」


 ……。

 …………。

 ………………。

 それから何度ハグ死をしたのでしょうか。屋敷の出口が遠すぎます。

 そもそも、暗転を繰り返していたせいで今居る場所が何処なのか分かっていません。

 それどころか、いつの間に外は夜になっていました。

 窓から見える外に浮かんでいる星がキラキラとしていて綺麗です。

 しかし屋敷の中では視界もロクに利かないこの状況。

 こうなったら――最後の手段。


「妖精さん! t――」

「――ふんっ、それは嫌だ」


 口の中に、シルヴィアさんの細くて白いお美しい手の指が突っ込まれました。

 ――是非ともちゅぱちゅぱしたい……と考えたのですが、既に舌が動きません。

 それどころか唾液も凍り付いてしまい、そこから血液も凍って……。

 ――私も嫌ですよ、シルヴィアさん。

 と心の中で不満を告げながら、私は意識を手放しました。


『死にましたー』


 暗転から復帰した私は、もう全てを投げ出しての五体倒置。

 ――もうどうにでもしてください、ビクンビクン。


「……ふんっ、まぁ今回はこのぐらいで許しておいてやろう」

「有難うございます」


 ピクンピクン。


「もう次は――いや、ニンゲンは失敗を何度も繰り返す生き物だったな」

「も、もうしませんよ……」

「そうか。だが次があれば、今回の三倍は抵抗無しでハグされてもらうぞ」


 一体どんな恐ろしい事を考えているのでしょうか。

 シルヴィアさんは太股にぎゅっと力を入れて、若干内股気味になっています。


「わかりました!」

「……妖精さんに頼るのも無しだぞ」

「はい、もう次が無いよう! 細心の注意を払って気を付けます……!!」

「うむ……」


 言葉に納得したように頷いて下さったシルヴィアさん。

 ですが、どこか含みのある頷き方であるような気がします。


「まさか、まだ何か……?」

「あぁ、いや、そろそろ明日になるのではと思ってな」

「――っっ」

「明日の分だが……今からしても、いいだろう?」

「うわぁぁあああああああ―――ッ!!」


 ヤケクソでシルヴィアさんに突進します。

 シルヴィアさんは両手を広げて準備万端のといった体勢。

 私も両手を広げて――ハグッ!!


「あぁ……」


 思えば私が若かった頃なんかは……。

 こんな美少女と抱き合えるのなら、死んでもいいと思っていた時期もありました。

 ――あぁ、シルヴィアさんの柔肌……。

 暗転。


『死にましたー』


 ……。

 …………。

 ………………。


 荷物と渡された金貨袋、ついでに勲章を回収して領主屋敷を後にしました。

 無事? エルティーナさんの待つ教会にまで、帰還を果たすことに成功です。

 帰ってみると丁度、最後っ風呂のお時間。

 簡単な食事を頂いた後に、ようやくゆったりとした時間を過ごす事ができました。



 ◆



 次の日の早朝。

 流石に朝一で魔道具店に尋ねるのは悪いかと思い、私は市場にやってきました。


「この天幕は……」


 そこで見つけてしまったのです。

 どっしりとした構えで市場の大通りに構えている、例の天幕を。

 ええ、間違いありません。あれはサタンちゃんのお店です。

 どうして今、このお金のできたタイミングで現れるのでしょうか。

 何故こんなにも目立つ見た目をしている天幕を、誰一人として見ていないのでしょうか。

 何故私は、この天幕の中に入ろうとしているのでしょうか。

 ――今回はいったい、どんな素敵アイテムが売られているのでしょうか。

 と思ったところで、何とか足を止める事に成功しました。

 今この中に入ってしまえば、高確率で全財産を失ってしまうでしょう。

 前回のように素敵な品揃えをされていたら買わずに我慢できる自信がありません。

 しかし逆にここで踏み留まれば、このお金を持ってゆとりのある生活が送れるはず。

 そう、この異世界にて、まったりスローライフを送る事が出来るのです。


「ふぅ、危ない所でした」


 私は足を後ろに一歩に……?

 足が後ろに、動かせません。


「ッッ!?」


 足元を見てみれば白い何かに捕まれていました。

 天幕の中から伸びている細い手に、両足をがっしりと捕まれていたのです。

 私の足を掴んでいる合計四本の手。

 ――これが噂のキャッチセールスですか!

 その手を振りほどこうと試みるも、ビクともしません。

 逆に一歩、お店側へと足を進めてみると……。

 まるで何者にも掴まれていないというように、すんなりと進めました。

 私は全力で……抵抗します。

 ――放して下さい!

 声を大にして叫ぼうとしたのですが、何故か声が出ません。

 ――あわっ! あわわわわわわっ!

 誰かに助けを求めようと思って周囲を見渡してみると――誰も居ません。

 つい先程までは人で賑やかだった市場に人っ子一人居ないのです。

 唯一視界に入った人影は褐色幼女形体の妖精さんのみ。

 ……?

 とここで、両の手が何者かに捕まれたような感触が――私を襲いました。

 視線を手の方へと向けてみると――バッチリ掴まれています。

 片腕に対して二本の手。これが噂のキャッチされまくりセールスですか。

 手の数からして、この天幕の中には四人以上が居ないといけない計算です。

 が、間違っているような気がしてなりません。

 天幕の隙間から中は見えないのか、と思い見てみるも、隙間の先は完全な闇。

 その闇で腕よりも先を見る事が出来ません。


「ッッッッッ!!?」


 私は気が付いてしまいました。

 今の手や足を掴んでいる手が全て――右手だったという新事実に。

 ――怖い。

 控え目に言ってかなり怖いです。もう恐怖体験以外の何物でもありません。

 せめて右手と左手の数くらいは合わせておいてほしかったところ。

 キャッチセールスをする際は右手だけを八本も用意するのはやめましょう。

 そう、右手と左手の数を同じにしてするのがキャッチセールスのコツです。

 そんなこんな考えながらも更に抵抗していることしばらく。

 天幕の隙間に、びっしりと数えきれない程の指が生えてきました。

 心なしかその指も全て右手の指であるような気がしてなりません。

 こんな右手王国のような天幕の中に入りたいと思う人物は居ないでしょう。

 私は、全力で帰らせてい頂きます。

 お願いです、帰らせてください……。

 ――手 が 離 れ な い。

 どんなに頑張っても手足を拘束している手が離れてくれません。

 天幕の入り口に生えている指達が、うぞうぞと蠢き始めました。

 ――嫌です! こんな中に入りたくありません!

 と更に抵抗していると、一枚の紙が突き出されました。

 当然のように紙を突き出してきた手も右手。

 その紙に書かれていた内容は――『サタンちゃん、水着を着て待ってるゾ』でした。

 文字を読んだ瞬間に全身から力が抜けていくのを理解しました。

 妖精さんの少し成長したような姿をしているサタンちゃんの……水着姿。

 ――見たい、見たいです。

 私はズルズルと引きずり込まれるように、天幕の中へと入店しました。



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