『浮き上がる狂気』二

 遠い過去の幻影が、頭の中に浮かんできたような気がして……掠れて消えました。

 あったのか無かったのかもうろ覚えな、遠い遠い過去の幻影。

 なのに自然と口が……意識とは関係なく動きます。


「【――僕は、闇の中で生まれた失敗作。僕の手足は長く、細く、近くにある大切なものにすら触れられない希望の手足。何一つ救う事の出来ないこの手足だが……何かを奪う事だけなら、出来るのかもしれない――】」


 ――全身に走る激痛。

 これまで感じた事が無いような激しい激痛。

 痛みに耐えられず、涎を撒き散らしながら叫ぶのを抑えられません。


「ヒヒッ。第一開花は、軽減不可の激痛ダ」


 下半身が砕け、何か別のものに変化していくというあり得ない感覚。

 視界は高くなり、身長は天井すれすれまでになりました。

 砕けた下半身からは……無数の触手が生えています。

 激痛が――止まりません。

 腰の辺りからスカートのように伸びて形成された赤黒い花弁。

 どうやってそれが形成されたのかを理解する事はできません。

 今頭の中にあるのは、全身を襲っている理解出来ない程の痛みが何時過ぎ去るのか。

 ただ、それだけ。

 ――痛い……という言葉では言い表せない激痛。

 視界の端に、見覚えのある生命が入ってきました。


「……オッサン、なのか?」

「あらぁ~、お取り込み中みたいねぇ、他の場所に行きましょ~」

「……助けは必要無かったな。それより、催眠が残ってる奴の多さに戦慄したぞ」

「普通よ、普通ぅ」

「……ありえん」


 遠ざかっていく、美味しそうな生命であり、自身を強化できる命。

 遠ざかっていった二つの生命が持ち合わせている命は、かなり大きいもの。

 その二つを食べるだけでもかなり強くなれるでしょう。

 ……が、あれは食べては駄目な生命です。


「――っ?」


 しばらくすると変化が収まったのか、痛みは無くなりました。

 だというのに――視界は赤一色。

 自身の手をグーパーグーパーとやって、動く事を確認します。

 次に……〝触手〟が自由自在に動く事を確認しました。

 私は――〝体〟の使い方を理解します。

 この世界に漂う、無数の浄化済みの魂たち。

 おっさん花は通常、それを直接取り込む事ができません。

 が、女神様によって作られた、私と世界の命を繋ぐ直通路。

 そこを経由してなら、命を取り込むことが出来る。

 そのやり方を、理解してしまいました。

 一歩、理解してはいけない世界に近づいてしまったかのような感覚。

 無意識に手を伸ばしてみれば――

 抵抗しない命を体内に取り込むことに成功。

 無心でそれらを食べ続けていると、命を〝消費〟して、肉体が強化されました。

 ――おっさん花、セカンド。

 廊下を埋め尽くすくらいに量が増えていた触手。

 それで人の手足の形を形成し、腕のような形を形成します。

 ――妖精さんの居る場所を見つけました。

 だというのに、食べる手を止められません。

 ――あと少しだけ……あと、ほんの少しだけ……命を食べたい。

 自制が利かず、無我夢中で世界の命を食べ続けてしまいます。

 食べたい……食べる……もっと食べたい。

 無心で食事を続けていると、また体が変化しました。

 肉塊によって形成されている、おっさん花の茎にあたる下半身。

 そこに、マネキンのような顔が形成されました。

 顔は赤子のような鳴き声を上げています。

 更に食べ続けていると、顔は全身に広がり――。

 触手の腕部分にも顔が形成され、赤子のような鳴き声を上げ始めました。

 特にそれが煩く聞こえる訳では無いのですが、斜めに傾いた自身の首が……。

 カクカクと動くのを、止められません。

 ――もっと食べたい。


「ヒッヒッヒッ、随分と食ったナ」


 不思議と頭の中にすんなりと入ってきた誰かの声。

 ――まだ、食べ足りない。


「だが良いのカ? いい加減向かわないと、お前さんの大切なものは送り還されてしまうゾ?」


 ――大切なもの。

 私は命を食らう事を止め、かなり狭くなってしまった廊下を突き進みます。

 妖精さんの居る場所に向かって……。

 途中で移動の邪魔をする肉と命を貪り食らいながら、領主屋敷の廊下を爆走します。



 ◇



 ――ボロい仕事だ。

 と思いながら、雇われの男は仲間の一人と共にあくびを押し殺す。

 今夜は何時にも増して警備が厳重だ。

 今この屋敷には、男のように二人一組での夜の巡回を行っている者らが二十組いる。

 男達が巡回を行っている先にあるものは、部屋が幾つかと地下牢。

 警備は万全で、この先にも二十人以上の私兵が配置されている。

 過剰警備も甚だしいが……。

 地下牢に閉じ込められているのが大罪人ともなれば、仕方がないのだろう。


「ん? なにか声が聞こえないか?」

「何……?」


 相方がそのような事を言ってきた為、私兵の男は相方にならって耳を澄ませた。


「確かに聞こえるな」


 その声に耳を傾けていると、それが近づいてきているような気がした。

 徐々に近づいてくる声は赤子の泣き声のようで、それとは決定的に違う何か。


「不気味な泣き声だ」

「……コレ、赤子の泣き声か?」

「いや、違うな」

「じゃあ何なんだよ、この先には地下牢しか無いぞ?」

「わからん……」

「私兵だってかなりの頭数が居るし、連れ込んだ子供が泣いてるんじゃないのか?」

「地下牢……嫌な予感がする、剣を構えろ」

「まぁ今日はお前が上だ、従おう」


 かなりの速度で近づいてくる赤子の泣き声。

 それは間違いなく、一人のものではない。

 相方が顔を顰め、呟いた。


「一人じゃないのか? いったい何人――――っ」


 相方が言葉に詰まった。

 ……当然だ。

 誰だって曲がり角から出てきた『アレ』を見れば、同じ反応をするだろう。

 曲がり角から出て来たモノ。

 蠢く手を掛けて這い出してきた存在は、化け物という言葉すら生温い絶望。

 男は瞬時に悟った。

 ――勝てない。

 蠢く触手には人間のような上半身が生えていて、首はカクカクと動いている。

 廊下を埋め尽くすように存在している下半身には、無数の赤い顔。

 その一つ一つの赤い顔が苦しそうな顔をしていて、赤子の泣き声を上げていた。

 絶望の塊が――高速で廊下を駆け抜けて来る。


「あ、あああああぁああぁぁぁぁぁあああああ――――ッ!?」


 動く事の出来なかった男とは違い、その相方は発狂しながらも駆け出した。

 その絶望の塊へと向かって。

 しかしながら、その華麗なる快進撃が許されたのは――たったの三歩。

 高速で伸びてきた蠢く手が、相方の上半身をもぎ取った。

 全身鎧を着ていたというのに、柔らかいゼリーをスプーンで掬ったかのようだ。


「神様、たすけて……!」


 男は思わずそう呟いてしまい、廊下の隅で蹲ってしまう。

 町の中央にある女神像の前で祈る敬虔な信徒ですら、ここまで真剣には祈らないだろう。

 だが今の男は、全身全霊を込めて強く祈った。

 ――あの絶望の塊が、こっちに来ませんように、と。

 だが、やがてその時は訪れる。

 全身を舐めるように這いまわる何かの感触が、男に襲い掛かってきたのだ。

 魂を削るようなけたたましい赤子の泣き声が耳元から聞こえてくる。

 だが男は、ひたすらに祈った。

 一切の動きを止め、息を殺して真剣に祈った。

 これからは心を入れ替えて生きる――と。

 ……。

 …………。

 ………………。

 男がひたすら神に祈りを捧げていると、永遠にも感じられる一瞬は過ぎ去った。

 ――助かったのか……?

 男がそう思いながら恐る恐る顔を上げてみると、化け物の姿はない。

 窓のガラスこそ割れてはいるものの、周囲の光景は平和そのものだ。

 ただし、中身が空っぽで落ちている下半身の鎧に目を瞑れば、の話だが。

 男は鎧を脱ぎ、剣を地面に置いてもう一度――真剣に、神への祈りを捧げた。

 ――これからは、善人として生きます。

 男は私兵を辞めて冒険者として活動をし、その中で善行を積む事を神に誓い続けた。

 夜が明けたらあの化け物が、この屋敷から消えていることを祈りながら……。





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