『メビウスの新芽』二
山頂を後にして雪の山道を下る事しばらく。
この時になってようやく、山頂に剣を忘れてきたと気が付きました。
「妖精さん、シルヴィアさんは復活していると思います?」
その問いに、フードの中でコリクと頷いた妖精さん。
シルヴィアさんが復活している。
この時点で、剣を回収しに戻るという選択肢は除外されました。
「では妖精さん、私の剣を――」
――取り寄せてください。
と言い掛けたところで、ふと思い留まりました。
どちらかと言えば私は適温大好き人間です。
故に再び全裸となり極寒地獄を味わうのだけは、なんとしてでも避けたいところ。
そもそも、剣がまともに活躍した場面が殆どありません。
剣の取り寄せは下山してからでもいいでしょう。
「いえ、下手をすれば持っていない方が動きを阻害しなくていいかもしれません……杖なら欲しいですが」
格好をつける目的としてはアリなのかもしれませんが、それだけ。
私は下へと向かって、重い足を進めました。
リュリュさんとポロロッカさんが待つ洞窟に向かって歩き続ける事しばらく。
「妖精さん、暗くなってきましたね」
言葉に応えるように笑い声を響かせた妖精さん。
気が付くと陽はかなり落ちてきていて、現在の時刻は夕暮れ時。
このままだと洞窟に到着する頃には、完全な夜になってしまうかもしれません。
「少し急ぎますか」
登りとは違って多少の楽ができる下りの行程。
人によっては下りの方が辛いのでしょうが、個人的には下りの方が楽です。
私は慎重に進めていた歩きを、ほんの少しだけ早めました。
陽が完全に落ちる前に洞窟へ到着するのを目標に、急ぎ足で山を下りました。
◆
「魔石灯がシルヴィアさんに壊されてなくて助かりましたね」
私は結局、陽のある内に洞窟へたどり着く事はできませんでした。
完全に陽が落ちきったと同時くらいに、なんとか洞窟に辿り着くことができたのです。
そして、洞窟の入り口に立った瞬間。
「……?」
何故だか嫌な違和感を覚えました。
背筋が凍ってしまいそうな、世界が遠のいてしまったかのような違和感。
体から嫌な汗が溢れ出してきます。
陽が落ちているというのに、洞窟内からは一切の明かりが漏れていません。
「あっ、テントを張ってその中で……? いえ、それにしては……」
洞窟から感じられる人の気配が、全く存在していません。
慎重に洞窟の中を覗いて見ると……。
「……リュリュさーん? ポロロッカさーん?」
返事は皆無。
案の定もぬけの殻でした。
「戻ってくるのが過ぎて、帰ってしまったのでしょうか……いえ」
口にした瞬間、即座にその可能性は低いと思い直しました。
可能性として存在しているのは二つ。
依頼の品の回収に失敗したと判断した二人は登山を強行し、道中で何かに襲われたか。
もしくは絶妙にタイミングが悪くて、すれ違いになったか。
洞窟の中を調べてみると、奥には張られたままのテントが残されていました。
つい先程まで使われていたようにも見える状態のテント。
つまり二人が居なくなったのは、そんなに前の事ではありません。
「あっ!?」
テントの中を見てみると、そこに残っていた二人の武器とバックパック。
テントと荷物をこの場に残して山頂に?
身軽にして上るにしても……武器まで置いていくものでしょうか??
この、外敵の居る死の雪山で???
「夜ですし、時間が経てば帰ってくる可能性も……」
と希望的な観測を口からこぼしながら、野営の準備を進めました。
野営の準備が完了し、携帯型魔石コンロで暖を取ることしばらく。
「結局私は、一人になってしまいましたね……」
その独り言に反応してくれた妖精さんが、無言で服の裾を引っ張ってきました。
「二人でしたね、ありがとうございます」
完全に凍っていたハチミツをコンロでゆっくり溶かし、食事の準備を進めます。
たっぷり乗せた硬パンを妖精さんに手渡したのち、私も食事を摂りました。
パンを美味しそうに食べている妖精さんを眺めていると――。
なんとも言えない、温かさのようなものが胸の内に広がりました。
「あ……妖精さん、私の剣を取り寄せてはもらえませんか?」
「……遠いからムリ」
一瞬だけ褐色幼女形体になった、妖精さんのお言葉。
距離がありすぎる物の取り寄は不可能なのでしょう。
「妖精さん、手を握ってもいいですか……?」
「……いいよ」
ひんやりとしていて、冷たい妖精さんの手。
なのに、今はそれが……ひどく温かく感じられてなりません。
設置されたまま放置されていたテントの中で過ごす夜。
二人の帰還を心待ちにしていたのですが……結局、どちらも帰ってはきませんでした。
悲しい夜が過ぎて行きます。
「もう少しだけ、手を握らせていてください」
「……いいよ」
妖精さんの御かげでかなり緩和された虚しさと悲しさ。
気が付けば私は――眠りに就いていました。
◆
次の日の早朝――洞窟を出て下山を開始。
下りの道はかなりのハイペースで下っていたのですが、不自然な程に何も出てきません。
襲われることも一切ありませんでした。
「妖精さん、敵の反応は無いのですか?」
そう尋ねても妖精さんは首を横に振るのみ。
下り続けて約一日半。
登りに掛かった時間の半分以下の時間で、山の麓にまで辿り着きました。
◆
「流石に馬車も待っては……ん?」
かなり時間オーバーしていた筈なのに、記憶と全く同じ位置に停まっている馬車。
予想外にも御者さんは辛抱強い人だったのかもしれません。
見れば、御者さんは焚き火で料理を作っています。
山から出た途端に気温は上がり、特殊防寒着は要らなくなりました。
私は特殊防寒着を脱いで、バックパックにしまい込みます。
「おお、帰ってきましたか!」
その時点で接近に気が付いたらしく、駆け足で歩み寄ってくる御者さん。
「まずはご無事で何より。……それで、依頼の品は?」
「確認してください」
バックパックの中から、回収用に用意されていた魔道具を取り出し――。
その中身を見せたあと、手渡しました。
笑みを一層深め、「流石ですね」と言って言葉を続ける御者さん。
「伝承にある通りの見目、これで間違いないでしょう。依頼の報酬は詰め所にてお受け取りください。オッサン殿、本当にお疲れ様でした」
本心から依頼成功を喜んでいるように見える御者さん。
……御者さんは私が一人であるという事に、気が付いていないのでしょうか。
「私が一人で帰ってきた事について、何か言う事は無いのですか?」
「……本当に聞きたいのですか? 恐らく、どちらも良い気持ちにはならないと思いますよ」
「それは――」
「素直に帰還を祝える貴方が帰ってきて良かった、で済ませて頂きたい」
「……そうですか……いえ、失礼しました」
「こちらこそ」
そう言って焚き火に砂を掛けて消し、馬車の御者席へと飛び乗った御者さん。
「ではそろそろ出発しましょう、お嬢様も心配ですからね」
「わかりました」
御者さんに続いて、私も馬車へと乗り込みました。
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