『メビウスの新芽』三
馬の蹄と車輪の音だけが聞こえてくる馬車の中。
本来であれば煩いと感じるそれも、今は何故だか静か過ぎるように思えました。
行きと比べると明らかに広くなってしまった馬車の中の空間。
その空間を見ていると、どうしても仲間達のことを考えずにはいられません。
馬車の中で私は服を着替え、いつものフード付きローブを装備しました。
長い間悪路が続き、しばらく走って街道に出た頃。
沈黙の毒に侵されてしまいそうになった私は、身を乗り出して御者さんに声を掛けます。
「そう言えば……かなり遅くなったのに、よく待っていてくれましたね」
「ん? 本来なら定時で帰って、早々に次の挑戦者を乗せに行っていましたよ」
「では何故?」
「……音……そう、音が聞こえてきていたので」
「音?」
「はい、昼夜問わず激戦を彷彿させる物音が、山頂の方から聞こえてきていました」
「馬車のあった場所まで? かなりの距離があったと思うのですが……」
「私は特別耳が良いので、その御かげですよ。……それで、戦ってみてどうでした?」
チラリとこちらを見て問い掛けて来た御者さん。
もしや彼は、山頂に何かが居たのを知っていたのではないでしょうか。
「空を青白い光が覆った直後に音が完全に止んだので、気にはなっていました」
「もしかして――」
「何にせよ、勝ったのが貴方で本当に良かった」
私の言葉を遮るように発せられた御者さんの言葉。
確かに山頂の情報を秘匿されていた件については憤りを覚えます。
が、万が一全員で行っていたのなら、という事を想像して押し黙りました。
山頂にいるシルヴィアさんについての情報があった場合でも。
恐らくは、ジッグさんのような被害者が三人に増えていただけでしょう。
そうなると遺体を回収しに戻るのは、より困難になってしまいます。
私は複雑な気持ちで、シルヴィアさんのとの事を御者さんに話しました。
起こった出来事と、された攻撃についてを、詳細に。
「そ、そうでしたか」
「……?」
御者さんのこちらを見る目が、化け物を見るような目に変化しました。
――何故?
あらぬ誤解を受けて危険人物だとは思われたくありません。
なので、そこからはシルヴィアさんのパンツの色、艶、上質さについて語りました。
パンツついて語り始めたところ、それを遮るように御者さんが口を挟んできます。
「いや、はい、ええ……! さ、流石は伝説に詠われる大精霊!」
――大精霊?
シルヴィアさん、彼女はやはり人間ではありませんでしたか。
ある意味当然ですが、大精霊と言われてようやく納得出来ました。
「ところでオッサン殿、トドメを刺さずに帰ってきたのは何故ですか?」
「えっと……」
「大精霊を使役するつもりでもないのでしょう?」
「……ええ」
「大精霊から取れる魔石を回収しなかったのは、勿体無いというかなんというか……」
「見た目が少女だったので、それで躊躇ってしまったのかもしれません」
「で、ですが、立派な家が建てられる程度の価値はあるでしょうし……」
そのように言いながら、何故か挙動不審な感じになっている御者さん。
その顔はまるで、私がショタおっさんであった頃の夏休み。
三人一組で鶏の世話をするハズだった、あの飼育当番の日。
それを一人で掃除と餌やりするハメになった、あの夏の、私の表情みたいです。
もしもあの時、学校に居たのが鶏先生以外であったのなら……。
私はきっと、鶏の餌になっていた事でしょう。
そう――あの、青大将のように。
「そうですね……白かったのですよ」
「はい?」
◇
――白かった――。
真夏の夏休み。
あの時の夏は近年以上に、蝉が煩いほど鳴いていました。
夏休み一度目の飼育当番の日。
ショタおっさんは黒電話越しに、死の宣告を告げられたような顔をしていました。
――ごめん、行けなくなった。
――旅行の予定と重なっちゃったから、梅ちゃんと交代するね。
――ごめんね、行けなくなっちゃった。
そう伝えてきたのは、葛くん、菊ちゃん……交代したはずの、梅ちゃん。
私も他の友人と同じく、孔明のような知略と戦術を行使しました。
完璧な仮病を使って、飼育当番をサボる事を決意していたのです。
が、それは母親の――じゃあ夏休み中、ずっと妹の面倒見ててねー。
という一言によって砕け散ったのです。
それはまるで高名な僧侶に――悪行はそれまでじゃア! と言われた霊の心情のよう。
母親の言葉はショタっ子時代の私の心に、そのくらい深く突き刺さったのです。
――チーン、チーン。
自転車のベルを鳴らしながらの登校。
私は結局はたった一人、自転車に乗って小学校へと向かいました。
その時職員室に居たのは鶏先生。
鶏先生とショタおっさんとの二人で、鶏小屋の掃除や餌を片付けて行ったのです。
そんな時でした。
僅かに破れた金網の隙間から侵入して来た――青大将。
普段ならば悪友達と共にそれを捕まえ、弄びもしたでしょう。
うどんの麺を伸ばすように尻尾から棒を転がし、卵やら何やらを吐かせる等々。
逃がす際に一噛みされるのはご愛嬌。
しかし、その日のショタおっさんは違いました。
ショタおっさんは、鶏小屋の中に居た鶏に、本気で怯えていたのです。
二つに分かれている小学校の鶏小屋。
その片側には雌の鶏、もう片側には雄の鶏。
そしてその時のショタおっさんは、雄の鶏小屋に入っていました。
当然、怖くて思ったように動けません。
鶏先生が動けない私に向かって、――下がりなさい! と声を掛けてきました。
同時にその蛇を捕まえまいと構えた鶏先生。
人間に気が付いた青大将は、体をくねらせながら逃走を図りましたが――。
結果として青大将は、逃げる事ができませんでした。
入ってきた入り口に戻ることができず、金網沿いに逃げ始める青大将。
しかし青大将は……そう、入口から逃げる事ができなかったのです。
『『『コケコケコケコケコケコケコケコケッ!』』』
何故ならその時、雄鶏達が――青大将に襲い掛かっていたのだから。
ショタっ子時代の私は、見てしまいました。
台の上でコケコケと鳴いていた雄鶏達が暴れ、鶏小屋の中に舞い散った鶏の羽根を。
雄鶏の鋭い爪に掴まれ、その鋭い嘴でヂクヂクと突かれてかれていた青大将の姿を……。
必死に暴れ、抵抗せんと雄鶏達に噛み付こうとしていた青大将。
決死の攻撃も羽毛に阻まれていたあの光景は、今でも忘れられません。
……そうして事態が落ち着いた頃。
一人泣いていたショタおっさんに向かって、鶏先生はこう言ってくれました。
――鶏はね、友達であるキミを守ろうとして、勇気を振り絞ったんだよ……と。
鶏先生は優しい眼差しで、そのように言って下さったのです。
果たしてあの時の鶏達は……本当に鶏だったのでしょうか。
ただの鶏が、蛇に勝てるものなのでしょうか?
――雨の日の紫陽花――。
校舎横の通路にまた来ていたショタおっさん。
紫陽花の下に立てられていた何も書かれていない板が気になって、その裏側を見ます。
そこには文字が書かれており――『空を泳ぐ鶏、いつか私と眠る』――。
それは正に、鶏先生が失踪してしばらくしてからのこと。
◇
「……あの? 大丈夫ですか?」
「――っ! 大丈夫です」
「本当に?」
「ええ、ちょっと昔のことを思い出していまして」
そして空を見て、ふと気が付いてしまいました。
何時の間にか随分と動いていたお日様の位置。
私の時間は、いったい何処に消えてしまったのでしょうか。
響く、妖精さんの笑い声。
「翼が、白かったのです」
「翼? 最高位精霊には翼が生えていたのですか?」
「あ、いえ、シルヴィアさんのパンツは純白の白でしたよ」
「……へっ?」
「青白い肌は柔らかく、弾力がありながらもしなやかで、思わず凍て付いてしまいました」
「……??」
首を傾げる御者さん。
御者さんのこちらを見る目が、先程よりも危険な人物を見るようなものに変化しました。
――いえ、きっと気のせいでしょう。
私は気のせいであると、確信しています。
何故なら私の心は透明で美しい、クリスタルハートでできているのですから……。
響く、妖精さんの笑い声。
笑い過ぎですよ、妖精さん……。
◆
町までの行程は平和そのもの。
何かに襲撃されるという事も無ければ、ラッキースケベもありませんでした。
あえて挙げるのなら、途中の一泊で見た夢が鶏と雨の日の紫陽花であった事。
「町の門が見えてきましたよ」
御者さんの言葉に身を乗り出して門付近を見てみると……。
時間帯がそういう時間なのか、ちょっとした人の列ができていました。
その様子を観察していると、町の出入りに必要な税で揉めている商人が目につきました。
御者さんにその話をしてみたところ、町によっては出る際にも人頭税が取られるとの事。
この町は非常時を除けば、入頭税が身分証無しで銀貨一枚。
身分証が有れば銅貨一枚で、商売用の積み荷には別途に税金。
ちなみに冒険者証であるドックタグは、身分証の扱いになっているそうです。
「無くさないようにしなくてはいけませんね」
「ええ、ですが今は――」
列を追い越すように馬車を進めた御者さん。
金属の徽章を提示して衛兵さんと話しをすると、そのまま町の中へと通されました。
ダイアナさんが居る詰め所にまで辿り着いたところで、私は馬車から降車します。
「この度は本当にお疲れ様でした。支給品で余った物は報酬の上乗せとして全て差し上げますので、また何かあれば宜しくお願い致します。……では」
何気に大容量のバックパックは嬉しい収穫物でした。
残っている保温のポーションも……まだ数が残っています。
再び山頂まで登ってジッグさんを回収するのにも、なんとか数は足りるでしょう。
私は去っていった馬車を見送り、ダイアナさんの待つ詰め所の中へと足を進めました。
「おいあれ……」
「帰ってきたのか!?」
「信じられん……」
「いいや、奴は変態力と同等の能力アがある男だ」
「そりゃ帰ってくるわ」
詰め所の中を進んでいくと、雰囲気が僅かにザワつきだしました。
皆が一様に私へと熱い視線を向け、コソコソと内緒話をしています。
……まさか、モテ期でも来たのでしょうか。
「お疲れ様です、ダイアナさんにまでのお取り次ぎをお願いしても?」
「は、はい、オッサン殿ですね。直ちにご案内致します」
こちらを見る衛兵さんの目は何か珍しいものを見るような……不思議な視線。
恐怖と僅かな期待の入り混じっている、本当に不思議な視線です。
待たされること無く案内されたので、門を通過した時から動向は掴んでいたのでしょう。
「モテ期~♪ モテ期~♪ 私の、もってっき~♪」
歌う私の様子を窺いながら、詰め所の中を案内して下さる衛兵さん。
その態度が若干気にはなりますが、早くジッグさんの回収に向かいたいので無視します。
なので余計な突込みはせず、歌いながら付いて行く事に決めました。
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